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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆもニャ
第二章 居場所のないもの

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第27話:バディ 

 救出した海斗と璃子を、最寄りの駅のロータリーまで送り届けた。


 ハザードランプの点滅が車内を規則的に照らす中、二人がドアを開けようとしたとき、運転席の蓮が低く声をかけた。


「少し、いいですか」


 海斗が、ビクリと肩を揺らして振り返った。


「僕の投稿を見て、最初にDMをくれましたよね」蓮はハンドルを握ったまま言った。


「あのとき、僕は『探そうとしないでください』と返しました。覚えていますか」


「……覚えてます」


 海斗は喉を詰まらせたように応じた。


「今夜のことに、僕が全く無関係だとは思いません」


 蓮の視線が、バックミラー越しに海斗をまっすぐ射抜く。


「あの投稿を出したのは僕で、警告とはいえ返信をしたのも僕です。煽る形になってしまったことは謝ります。ただ――」


 蓮はシートを軋ませて後ろを向き、海斗の目を正面から見据えた。


「あなたも璃子さんも、もう子供じゃない。行くべきではないと言われて、それでも自分の足で行った。その選択の重さは、どうか自分で持っていてください。僕があなたの人生を全部背負うことはできない」


 重い沈黙が降りる。海斗はしばらく唇を震わせていたが、やがて「……はい」と、今度はしっかりと頷いた。


「それから、今夜のことは絶対に誰にも言わないでくださいね」


 助手席から花が言葉を重ねた。


「SNSはもちろん、親しい友達にも。あの場所の存在を知りたがる人間が増えれば、また同じことが起きます。今夜助かったのは、本当に、信じられないくらいの幸運が重なったからです。次は……もう、助けられないと思ってください」


 璃子が「分かりました」と震えながら答え、海斗も深く首を縦に振った。


 二人が車を降りる。


 閉まったドアの向こう、駅の改札へと歩いていく二人の背中は、一度もこちらを振り返ることはなかった。


 それを見送ってから、蓮は力尽きたようにハンドルに額を押し当てた。


「……死ぬほど、疲れました」


「本当にお疲れ様でした」


 花は心の底から同意した。


「お疲れ様でした、蓮さん」


 後部座席から、みやびの静かな声が響く。


 蓮は顔を上げ、ルームミラー越しに小さな神様を見た。


「みやびさんこそ。今夜はみやびさんがいなかったら、完全に手遅れでした。本当に、ありがとうございました」

 

 みやびは、闇の中で嬉しそうに、静かに微笑んだ。


 マンションの駐車場に戻ってきたのは、夜明け前の一番暗い時間帯だった。


 東の地平線が、墨を薄めたようにわずかに白み始めている。


 先に部屋へ戻ったみやびを見送ったあと、蓮はエンジンを切り、私たちは車内でしばらく黙っていた。


 冷えていく機械の軋む音が、静寂に響く。


「花さん」


 蓮が、前を向いたまま呟いた。


「なんですか」


「僕、これからもこういうことに関わっていくと思います。関わっていきたい、というより、関わらなきゃいけないんだと思う。自分が始めてしまったことだから」


「私もそう思います」


 花は隣の横顔を見つめた。


「でも、一人じゃ絶対に無理です」


 蓮が少しだけ顔を傾け、花を見た。


「一緒に、やってもらえますか。……バディとして」


 花は胸の中で、その言葉をそっと反芻した。


 バディ。なんとなく、いい響きだと思った。


 恋人でもあって、同時に同じ暗闇を見つめる相棒でもある。


 どちらか片方だけではなく、その両方でいられる関係。


「いいですよ」


 花は小さく笑って応じた。


「バディとして、これからも」


 蓮の顔に、ふっと笑みが灯った。


 極限の疲労の滲む顔だったけれど、それは今夜の中で一番温かい、本物の笑顔だった。


「……ありがとうございます」


「お互い様です」


 花はシートベルトを外した。


「じゃあ、早くお部屋に帰って寝てください。……今日もお仕事ですか?」


「……午後からです。アラームを消して、ギリギリまで泥のように寝ます」


 蓮ははにかむように笑う。


「花さんも、ちゃんと暖かくして寝てくださいね。……おやすみなさい、花さん」


「はい。おやすみなさい、蓮さん」


 花は少し照れくささを隠すように微笑んでドアを閉め、マンションのエントランスへと滑り込んだ。


 静まり返ったロビーでエレベーターを待ちながら、カバンの中の古い防災ラジオにそっと手を当てる。


 ツマミはもう回っていなくて、スピーカーからはただ冷たい静寂が返ってくるだけだったけれど、金属の表面には、まだほんのわずかにサボリの体温のような温もりが残っていた。


 部屋の鍵を開けると、リビングに薄明かりが点いていた。


 みやびはロフトに上がることなく、こたつの前にちょこんと座って私を待っていた。


「起きてたの? 寝ててよかったのに」


 花はコートを脱ぎながら声をかけた。


「待っていました。……お帰りなさい、花さん」


「ただいま」


 吸い寄せられるように、こたつの特等席へと足を滑り込ませる。


「疲れましたか」


「少しね。でも、大丈夫。……それよりみやび、今夜は本当にありがとう。ずっと境界を補強し続けてくれてたんでしょう?」


 派手な音も呪文もなく、ただあの冷たい参道で、みやびは静かに世界の綻びをその身で押さえつけてくれていたのだ。


「みやびがいなかったら、二人の声は向こうに届かなかった」


「花さんと蓮さんの声が、真っ直ぐだったからです」


 みやびは首を振った。


「私は、その声が通りやすいように少しだけ壁を薄くしただけ。花さんが動いたから、あの人たちは帰ってこられたんです」


「……ありがとう」


 重ねて言うと、みやびは少しだけはにかむように目を伏せた。


 そうして、こたつの天板を見つめたまま、何かを迷うような、静かな「間」を置いた。


「……花さん」


「ん?」


「私、ここに来てから、ずいぶん長くなりましたね」


「そうだね。もうすぐ半年くらいになるのかな」


「はい」


 みやびは顔を上げ、花の目をじっと見つめた。


「その間に、花さんが変わっていくのを、私は一番近くで見ていました」


「私、変わった?」


「変わりました」


 みやびは確信を込めて頷いた。


「最初に会ったときの花さんは、自分の声の出し方が分からない人でした。でも今夜、あの暗い参道で、会ったこともない誰かのために、ちゃんと大きな声を出していました。とても、強い声でした」


 花はこたつのぬくもりの中で、じっと自分の手のひらを見つめた。


「……それは、みやびがずっと傍にいてくれたからだよ」


「いいえ。花さんが自分の足で動いたからです。私は、ただその隣にいただけ」


 二人でしばらく、言葉を交わさずにいた。

 窓の外の空が、ゆっくりと藍色から白へと融けていく。


「みやび」


 花はふと思い立って訊ねた。


「なんですか」


「今夜、あの境界のすぐ傍に立ったとき……何か感じた? みやび自身のことで」


 みやびは少し小首を傾げた。


「自分のことで、というのは……?」


「座敷童子として、あの世界の裂け目に触れたとき、何か見えたり、分かったりすることがあるのかなって」


 みやびは少しの間、記憶を辿るように視線を彷徨わせた。


「……分かることは、あります。境界の向こう側に、何があるのか、なんとなく。今夜は、暗闇の中で迷って泣いている人間の気配がすぐに分かりました。……それから」


 みやびの言葉が、ふっと途切れた。


「それから?」


「……それから、もっともっと遠いところに、別の気配がありました」


 みやびの声が、一段と低くなる。


「ずっとそこに置かれているような、古くて、静かな気配。何かを……誰かを、待っているような」


 その瞬間、花の胸の奥がキュッと締め付けられるように鳴った。


「……それが何か、分かる?」


「分かりません」


 みやびは静かに微笑んだ。


「でも、怖いものではありませんでした。ただ、ずっと、待っていました。寂しそうに、でも、とても優しく」


 花はそれ以上、何も訊かなかった。みやびも、それ以上は語らなかった。


 窓の外は完全に夜が明け、冬の澄んだ光が室内に差し込み始めている。


「寝ようか」


「はい」


 みやびはトコトコと音を立てて、ロフトの梯子を上っていった。


 花も布団に潜り込み、冷えた足先が温まるのを待ちながら目を閉じた。


 みやびが感じた、異界の奥の、古い気配。

 ずっと、誰かを待っている優しい何か。

 それが「誰」なのか。言葉にせずとも、花にはなんとなく分かっていた。


 けれど今夜は、その温かい確信を胸の奥にそっと仕舞い、これ以上考えるのをやめた。


 驚くほど深く、穏やかな眠りが、すぐに花を包み込んでいった。


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