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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆもニャ
第二章 居場所のないもの

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第21話:蟻地獄の看板

 翌朝、花は蓮に電話した。


 メッセージではなく、電話で。


 呼び出し音が二回鳴って、蓮が出た。


「花さん、おはようございます。どうしたんですか、電話なんて」


「少し、真面目な話があります」


 と花は言った。


 蓮の声のトーンが、少し変わった。


「……何かありましたか」


「昨夜、サボリに怒られました。蓮さんの投稿のことで」


 沈黙があった。


「……投稿、まずかったですか」


「まずかったです」


 と花は言った。


「サボリが言うには、異界の駅は波長が合った人間が迷い込む場所で、それを知って探そうとした人間の方が、もっと深く引きずり込まれるらしくて。すでに投稿を見て境界を越えた人間の気配が届き始めているって」


 長い沈黙があった。


「……そんなつもりじゃ、なかったんですけど」


「分かってます」


 と花は言った。


「私も、止めなかったので。でも、消してもらえますか」


「消します、今すぐ」


 電話口で、スマホを操作する音がした。


 少しして、「消しました」と蓮は言った。


「ありがとうございます」


「……俺のせいで、誰かが」


 と蓮は言った。


 声が、少し低かった。


「境界を越えた人間の気配が届き始めてるって言ってましたよね。その人たちは、どうなるんですか」


 花は少し黙った。


「分からないです。サボリに聞いてみます」


「……花さん」と蓮は言った。


「俺、これからも関わっていいんですかね。こういうことに。迷惑かけてばかりで」


 花は少し考えた。


「迷惑、というより」と花は言った。


「一緒に責任を取ってほしいです」


 蓮が、少し息を吐く音がした。


「……一緒に、ですか」


「一緒に、です」


 また少し間があった。


「分かりました」と蓮は言った。


「一緒に取ります」



 その夜、花はいつものように古い防災ラジオのツマミを回した。


 ザー……ザザ……。


 今夜はいつもより、砂嵐の底に重い地響きのようなノイズが長く混ざっていた。


 ようやく繋がったとき、サボリの声は昨夜のような鋭さは薄れていたものの、いつものだるさはまだ戻っていなかった。


「……フニャ。ハイどうも。時刻は午前二時前。サボリです。……あー、お前の部屋の電波の濁りが、少しだけ引きましたね。どうやらあの営業の連れ、私の雷がよほど堪えたのか、今朝方すぐに現世の『看板』を消し去ったようで。……まあ、最低限の引き際は心得ているようで結構なことです」


 花はこたつの中で、深く息を吐いた。サボリは全部、確認している。


「ただね、一度ばら撒かれた種が芽吹くのは一瞬ですよ。私の感覚に引っかかっている現世の迷い子が、まだ向こう側のホームに数人、動けずにうずくまっている。


 一人は幸い自力で改札まで這い戻ったようですが……残り二人は、深い異界にこそ行っていないものの、ホームのベンチで完全に足が止まっている。


 このまま夜が明ければ、あいつらは現世の自分のベッドではなく、誰も知らない異界の終着駅で目を覚ますことになる」


 爪が、机をトントンと規則正しく叩いた。サボリがラジオを通して、花に「仕事」の指示を出すときの音だ。


「……今回はね、お前とその連れに、きっちり後始末のはたらきをしてもらいますよ。向こうのホームに残っているマヌケどもに届く『声』が、現世にはある。お前たち二人の声は、あの駅の波長に一度深く交わってしまっているからね。……明日の深夜、最初にあの男が境界を踏み外しかけた『現世の駅』のホームに立ちなさい。そこで、二人で完全に声を揃えて、向こう側に呼びかける。……電車に乗れ、とね」


 サボリが、フンスと喉を鳴らした。


「二人の生身の人間が、同じタイミングで、同じ波長の声の塊をぶつける。そうすりゃ、境界の薄いあそこの空間なら、電波のように向こうのスピーカーに滑り込むかもしれない。試す価値はあります。……関わった人間が、最後まで責任を持つ。それだけのことです。……じゃ、閉店」


 プツン。


花はラジオを棚の上に置いた。


 みやびが、リビングから花を見ていた。


「向こうに残っている人が、二人いるみたいです」と花は言った。


「知っています」と、みやびは言った。


「なんとなく、気配がします」


「みやびにも分かるんですか」


「薄くですが」と、みやびは言った。


「座敷童子は、境界に敏感なので」


 花はこたつに入って、スマホを手に取った。


 蓮に、サボリとのやり取りを伝えた。


 残り二人がまだ向こうにいること。準備をしておくように言われたこと。


 蓮からすぐに返信が来た。


『分かりました。何が必要か分かったら教えてください。俺にできることは何でもします』


 花は「ありがとうございます」と返した。


 それから、もう一度スマホを見た。


 今夜は、それ以上メッセージは来なかった。でも、蓮が同じ方向を向いていることが、花には分かった。


 それだけで、十分だった。



 後始末は、思ったより時間がかかった。


 サボリから指示が来るのを待ちながら、花は普通の日常を続けた。


 仕事をして、みやびとごはんを食べて、蓮とときどき会って、夜にラジオを聴く。


 でも、頭の片隅にずっと、向こうに残っている二人のことがあった。


 三日後の深夜、サボリから指示が来た。


「……フニャ。ハイどうも。サボリです。今夜は、準備ができました。聞いてください」


 花はラジオの前に座り直した。


「向こうに残っている二人は、どちらもホームで止まっています。電車には乗れていない。出口も見えていない。ただ、ホームに座って、動けなくなっている状態です」


「助けられますか」


「できることがあります」


 と、サボリは言った。


「向こうに届く声が、現世にはあります。お前と、お前の連れの声は、波長が合っているので、境界を越えやすい。二人で声を揃えて、向こうに呼びかけてください。電車に乗れと。乗り続ければ戻れると」


「声を揃えて、というのは」


「同じ言葉を、同じタイミングで言う。二人の声が重なれば、境界を越えやすくなります。試す価値はあります」


「……やってみます」


「場所は、最初に迷い込んだ場所が良い。あの駅の近くが、一番境界が薄い」


 花は蓮に連絡した。


 翌日の夜、二人で終電後の駅のホームに立った。


 人がいなかった。


 蛍光灯が白く光って、線路が闇の中に消えていた。


 風が冷たかった。


「これで届くんですかね」と蓮は言った。


「届くかどうかは分からないですけど」と花は言った。


「やってみましょう」


 二人で、線路に向かって立った。


「いきます」と花は言った。


「三、二、一」


「電車に乗ってください」


 二人の声が重なった。


 静かな深夜のホームに、二つの声が混ざって響いた。


「乗り続ければ、戻れます」


 また重なった。


 何も起きなかった。


 もう一度、やった。


 それでも、何も起きなかった。


 蓮が「もう一回」と言った。


 花が頷いた。


 三度目に声を重ねたとき、ホームの空気が、わずかに揺れた気がした。


 気のせいかもしれなかった。


 でも、二人とも感じた。


「……届きましたかね」と蓮は言った。


「分からないです」と花は言った。


「でも、届いていてほしい」


その時、花のコートのポケットの中で、カチリ、と小さな音がした。


 スマホではない。携帯用の小さな防災ラジオのツマミが、誰も触れていないのに勝手に回ったような、そんな音だった。


 イヤホンを耳に通していなくても、ポケットの奥から、ザー……という深い砂嵐の音がかすかに漏れ聞こえていた。


 サボリは「管轄外だ」と言った。


 直接は助けられない、と。


 けれど今、このラジオは、花と蓮の声を現世から吸い上げて、異界の駅のホームへと必死に響かせる「拡声器」になってくれている。


 契約のギリギリの隙間を突いて、サボリが裏で糸を引いてくれているのだと、花には分かった。


 まるで、二人の声を拾い上げて、異界のスピーカーへと繋ぐ有線放送のように。


 気のせい、と思うには、その砂嵐はあまりにも温かかった。



 その夜、家に帰ってラジオを回すと、サボリが言った。


「……一人、電車に乗りました。もう一人は、まだです。でも、動き出した気配があります。続けてください」



 結局、二人目が戻るまで、四日かかった。


 その間、花と蓮は三回、深夜のホームに立った。


 毎回、声を重ねた。毎回、何も起きなかった。


 でも、サボリが少しずつ「動いています」と報告してくれた。


 四日目の夜、家に帰ってラジオを回すと、サボリの声がいつも通りのだるそうなトーンに戻っていた。


「……フニャ。ハイどうも。サボリです。……あー、今夜は電波がすっきりと軽い。どうやら、ホームのベンチで凍えていた二人目のマヌケも、ようやくお前たちのやかましい有線放送に急かされて、現世行きの泥船に飛び乗ったようです。先ほど、こちら側の改札の通過を確認しました」


 花は、背負っていた重荷がすっと消えていくように、大きく息を吐き出した。


「まったく、深夜の駅のホームで揃って大声を張り上げるなんて、現世の警察に見つかればただの不審者ですよ。まあ……あの営業の男も、口先だけで逃げ出さずに最後まで泥水をすする覚悟があったのは認めましょう。私は、責任感だけはある人間ってのは、そこまで嫌いじゃない性質たちですのでね」


 サボリが、ふいにつまらなそうにマイクを遠ざけた。


「これで今回の件は完全に幕引きです。お前たちのやらかした不始末は、お前たちの手で綺麗に片付いた。……長々と余計な残業をさせて悪かったですね、眠れない会社員。今夜はもう何も考えずに、泥のように寝なさい。……じゃ、閉店」


 プツッ。


 花はラジオを棚の上に戻した。心なしか、プラスチックの筐体から伝わるぬくもりが、いつもよりとても愛おしく感じられた。


「お疲れ様、サボリ」


 花は小さく呟いた。


 ロフトから、みやびが優しく瞳を細めて顔を出していた。


「終わりましたか、花さん」


「うん、終わったよ」と花は言った。


「お疲れ様でございました」


「お疲れ様」


 コートを脱いで、こたつに入る。


 スマホの画面には、蓮からの『本当ですか。良かった。……花さん、ありがとうございます。一人じゃ無理でした』というメッセージが光っている。


『こっちもです』と、花は返した。


 身体は酷く疲れていた。でも、胸の奥はすっきりと澄み渡っていた。


 目を閉じた。


 今夜は、驚くほどすぐに、深い眠りが訪れた。

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