ダンジョンの呼吸
「今回は戦うより“観る”だ。無駄に壊すなよ」
黒川の一言で、隊の空気が少しだけ緩む。旧型の大型店舗フロアは、現実のコピーのようで微妙にずれていた。通路はまっすぐなはずなのに、歩いていると距離感が狂う。陳列棚には工具や箱が並ぶが、触れると重さがわずかに遅れて手に伝わる。
ユウは床を踏みしめるたびに、特有のこもった振動を感じていた。戦闘前の緊張とは違う、場所そのものに見られているような感覚だ。
棚の下に、淡く光る繊維の塊が広がっている。苔にもカビにも見えるが、触れると指を避けるように沈む。佐山が小型容器で一部を採取し、塩見が音を確かめる。
「微振動してる。環境センサーみたいだな」
その直後、物陰から細い影が跳ねた。
毛のない猿に近い体つきの小型個体。床に手をつき、こちらを観察している。威嚇はしないが、距離を測っているのが分かる。
「例の連中だ。刺激しなきゃ基本スルーされる」
黒川が静かに言うと、影はすぐ棚の裏へ消えた。数秒後、金属片を抱えた別の個体が現れ、床の隅に小さな山を作り始める。巣というより“収集場所”。目的は分からないが、習性は明確だった。
さらに奥の区画では、崩れた棚の隙間、商品に紛れてわずかに光を放つ結晶が転がっていた。
拳大の半透明の結晶。
中で白い光がゆっくりと流れており、明らかに工業製品ではない。
「エーテル結晶だ。電力にもなるし……まぁ」
黒川がユウをちらっと見る。
「体質が合えば、ちょっと面白いことも起きる」
「その勿体ぶる感じやめてくれる?」
短いやり取りのあと、遠くで規則的な電子音が鳴った。空間のゆがみが、わずかに“矯正”される感覚。影の個体たちは一斉に姿勢を低くし、活動を止める。
「フェーズ切り替えか。今日はここまでにする」
黒川の判断で撤収が決まる。サンプルは最小限、巣には触れない。通路を戻る途中、ユウは振り返った。何も起きていないはずなのに、空間がゆっくり呼吸しているように見える。
地上へ続く搬送路の灯りが近づくにつれ、現実の重さが戻ってくる。
だが彼の中には、戦闘とも恐怖とも違う感覚が残っていた。
この場所は単なる危険地帯じゃない。
何かの“仕組み”が、確かに生きている。
次に来るときは、もう少しだけ深く覗ける気がした。




