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新生 学校の怪談  作者: 周防まひろ
最終章 魔界ノ刻
39/58

翔のいない夏


    1


 篠田亘が職員室に反省文を提出しに来ても、裕美子は事務的にそれを受け取り、自分にとって必要以上の詮索はしないように務めた。担任として何か注意すべきことを言うだと分かっている。だが、問題を起こした理由にもよる。

「先生、僕は明日の終業式には出ません。今日も欠席します」

「篠田くんの謹慎は終わったのよ」

「もうこれ以上ここにいたくないんです」

 二つ隣には一組の担任、佐奈田清の机がある。幸いにも本人は不在だった。教師としての評価は芳しくないが、母親の智佐子が校長だけあって、腫物を扱うような感じだった。女子生徒にセクハラまがいのことをしているという、犯罪めいた噂もちらほら聞く。

 ちなみに、清は、暴力を振るった亘との面会は拒絶している。

「先生は、僕がどうして佐奈田先生を殴ったのか、理由は聞かないんですね」

「理由は反省文にも書いてある通りなのでしょう。あの先生に注意されたのに腹が立ったって」

 篠田亘が児童養護施設から篠田家に引き取られたのが数年前。施設にいた頃はもちろん、この学校に転校してからも問題を起こしたことは一切なかった。生活態度は至って良好とある。

 裕美子の目にも、亘と暴力を結びつけることができなかった。体格や顔立ちからも、おっとりし過ぎている感じだし、同じクラスの男子らにもからかわれている。注意した大人を殴る姿とあまりにもかけ離れている。

「あれが嘘の理由としても、言えない理由があるのは分かってるわ」

 佐奈田教諭が亘に殴られた時、一組の生徒である仲里雛が一緒にいたと聞いている。亘の里親と彼女の母親は親戚同士。二人は義理のいとこにあたる。仮に亘と雛が親密な間柄だとして、教諭の悪い噂を鑑みれば、大体の原因の想像はつく。

 仲里雛は佐奈田教諭からセクハラを受けていた。亘はそれを知ったか、現場の図書館で居合わし、我を忘れて――。

 だからと言って、佐奈田教諭のセクハラを証明するものはない。本人も一方的に殴られたと証言している。仲里雛も口を閉ざしているのだから、どうしようもない。亘が口止めしているのかもしれない。あとすれば、問題を明るみにしたくないのが、亘の本心だろうか。

 今回の事件で同僚、学年主任、教頭の思惑は面白いほど違っている。今回を好機に佐奈田母子の独裁を告発したい側。問題が公になると母子を支持する自分が危うくなるので、ことなかれで済ましたいと思うイエスマン。同時期に図書館内で起こったオブジェの半壊騒動の方が大きく取りざたされたおかげで、弾劾の材料もすっかり薄れてしまった印象がある。

 正直、どちらでもない裕美子としては、教師間の派閥に巻き込まれるのは煩わしいと思っていた。なので、事務的に済ませるだけである。

「でも、どんな理由があろうと、人を殴るのは社会のルールから外れているの。相手にどんな非があったとしても、問題をすり替えられてしまうし、手を上げた方が悪者になるの。でも、篠田くんはそうするしかなかった」

「僕が正直に理由を話したら、先生は何かをしてくれるんですか?」

「私の力が許す限りはするつもりよ」

 亘は少し考えたようだが、「僕が我慢します」と答えた。

 まるっきり信頼されていないようだ。子供にやる気のなさを見透かされているのに、自分を恥と思えない。麻痺した心をハンマーで打たれたというのに。

「先生は黒澤翔って人を知っていますか?」

 前触れもなく出た質問に、裕美子は固まった。久しぶりに聞いた名を、どうして、亘が知っているのか。

「知らないわね。別のクラスの生徒?」

「先生が僕と同じころにこの学校にいた生徒です。今から二十年前の一九九五年に行方不明になった」

「消えた生徒がいたのは何となく覚えているわ。でも、名前までは憶えていない」

 なぜ、翔のことを聞いているのか理解できなかった。

 裕美子は小さく震える右手を抑えた。

 

    2


 翌日、亘は一心不乱に走っていた。

 涼しい早朝のうちに家を出て、登下校の途中にある公園を通り抜け、学校の前を通り過ぎ、郊外に通じる橋の河川敷に到着してから、彼はやっと足を止めた。そして小休止すると、元来た道を戻って家に帰る。

 自宅謹慎を言い渡されてから一週間、亘はこの習慣を続けた。誰かに言われたからではなく、自分の意志でそうしなければ、やってられないと思った。

 いつものように河川敷の広場に座っていると、急に頬に冷たいものが当たる。振り返ると、雛が缶を持って立っていた。

「おはよう、亘」

「あ、おはよう、雛ちゃん」

 亘は身構えたが、珍しく義理のいとこの鉄拳は飛んでこない。

「叔母さんから聞いたよ。ずっと続けてるんだって。学校を休んでからだよね」

「自宅謹慎だよ」

「ほんとにバカみたい。あんなゴミを殴ったくらいで」

「いいよ。二学期まであの先生に会わずに済むから」

「そっか。あたしも殴っとけばよかったかな」

 五年一組の担任、佐奈田清。校長の息子でありながら、生徒にセクハラまがいのことをしていた。自分をワタルに捕まえさせた。

 人を殴ったのも生まれて初めてだったし、あの時の怒りは自分の奥から吐き出されたものだったのか、翔の怒りを代弁したものだったのか、今でさえ分からないでいた。後悔しなかったわけでもない。里親に迷惑をかけてしまった。

 夏の太陽は上るのが早い。すでにセミの鳴き声が辺りから聞こえ始めていた。朝のひんやりした空気は、徐々に熱気に追いやられつつあった。陸橋を通勤電車が通過して、強い風が汗の顔を叩いた。

「あいつがいなくなって、ちょうど一週間か。全部が夢な気がする」

「僕も。さよならも言えなかったし、お礼もできなかった。それに……」

「それに?」

 手紙も渡すこともできなかった。翔の母親が彼に残した封筒は、今も机の引き出し奥にしまっている。渡す本人は、もうこの世界にいない。今も、一九九五年以来行方不明の少年のまま、人の記憶から忘れられている。

「友達みたいに遊べなかった」

「しょうがないよ」

 雛は少し大人しくなった気がする。控えまめというか、しおらしくなったというか。よかったと思う反面、亘には残念に思えなくもなかった。

「あんたんとこの担任はどう言ってるの?」

「金江先生はダメ。連絡網とか持ってくるのは高橋くんくらいだし」

「そっか。とにかく、今日くらいは来なよ」

「何かあったかな?」

「終業式だよ」

 今日は終業式なのを思い出した。謹慎は一応昨日で終わった。しかし、あの学校へ行く気も起きない。里親も心配している。最悪、学校を変わるかもしれないのに、ノコノコ成績簿をもらいに行っても仕方がない。

「今日はなんかあったかな?」

「花火大会があるの。高橋から聞いてない? なんか、久しぶりにするみたいだよ。あの学校で昔あったイベントみたい」

「そうなんだ」

 適当に返事した途端、雛に頭を叩かれた。相も変わらず力は強い。

「いつまでウジウジすんな! あいつはいなくなって、ふさぎ込むのは自由だけどさ、そんなことをしてあいつが喜ばないよ」

「そうだよね」

 亘は立ち上がった。

「家まで競争しようか、雛ちゃん」

「雛ちゃんって呼ぶな、ボケ!」

 グーパンチを正面から浴びせられた。傍若無人な彼女がしおらしくなったのは、こちらが気のせいだったようだ。


    3


「未来も今日の花火大会行くんでしょ?」

 隣の席に座る美穂が聞いた。

「行きたいのは山々なんだけどさ。今日からその、旅行で」

「あ、そうだったな。未来のおうちはいいなあ! 今年はどこへ行くの?」

 毎年の終業式の夜から数日間、家族旅行をするのが、小宮家の年中行事だった。今年は北海道の小樽辺りに行くらしい。未来の頭の中では、もうすでにいくら丼が浮かんでいる。

「あたしも行ったことないのに。もお、お土産希望!」

「俺も!」

「僕も!」

 たまたま通りかかった中島亮が言った。二人とも、ワタルの誘拐された記憶はすっぽりと消えていた。賢弥と沙耶、他のクラスメイトに聞いても、消える寸前までしか覚えていなかった。不思議なことに、彼らの家族も記憶がそうされているのか、自分の子供が数日間行方不明だったのはなかったことになっている。

 翔の言う通り、ワタルの力というよりも、この学校の磁場に関係しているみたいだ。もっとも、ワタルも翔もいなくなった今となっては知る由もない。

「でもさ、変だよね。花火大会は急に決まったらしいよ。なんでも、校長先生がほぼ独断で再開するって職員会議で決めたんだって。他の先生とかも反対する人はいないし」

 校長の息子で担任の佐奈田は、ワタルの仲間だった。亘から聞かされて、妙に納得したのだが、その母親の校長も怪しいと思った。二十年前は翔の担任だったのだ。いくらなんでも偶然として片づけられない。

「俺は楽しみだよ。なんか、わくわくするじゃん」

「まるで子供みたい」

「岸本だって子供だろうが」

 友達のやり取りを眺めながら、未来は数日間の悪夢が現実ではなかったと思えるようになった。きっと、翔もワタルも夢で。

 ふと、廊下の窓に目を向けた時、未来の心臓は飛び跳ねそうになった。何人かの生徒に交じって、一人、髪の長い男子がいた。髪を後ろに束ね、ボロボロの服を着ている。切れ長の眉に鋭い目つきと合った。

 未来は脱兎のごとく廊下に飛び出した。見覚えのある姿はなかった。

 あれは紛れもなく、翔だった。

「おはよう」

 すぐ横を雛がすり抜けて教室に入っていく。

「ねえ、ちょっと来て」

 未来は彼女の肩を掴んで、廊下の角まで連れていった。

「何すんだよ」

「さっき、黒澤くんを見たの」

雛は生あくびを出すと、指を未来の顔の前に出した。何をするのか考える前に、強烈なデコピンを繰り出した。母親譲りのものである。

「小宮、頭大丈夫?」

「仲里さんのおかげで眠気は飛んだ。けど、わたしは本当に見たの。黒澤さんが廊下にいた」

「夢でも見てたんじゃない。黒澤はあいつを道連れにして消えたんだよ。今さら出てこられるわけないじゃんか」

「でもなあ」

「あたし、教室に戻るね」

 途中で踵を返すと、雛は静かな声で言った。

「篠田に吹き込むなよ。言ったら、マジで殺すから」


    4


 終業式に終わって、一学期最後のホームルームが終わっても、高橋一也は教室に残っていた。もらったばかりの通信簿の成績を修正ペンとボールペンを駆使して、内容を改ざんしようと試みていた。

 一学期の成績が散々だったためである。今のままで持って帰ったら、親になんと言われるかいやでも分かった。

 評価基準は『よく頑張った』、『普通』、『もう少し』、『いまいち』となっており、当然、『いまいち』が体育を除いた教科を占めている。備考欄は、『元気はいいのですが、学業面ももう少し力を入れていかないと、二学期は周りについていけるか心配です』とあった。

 余計なお世話だと思った。だいたい、勉強ができなくても死ぬわけでもないし、割り算までできたら十分だろう。うちの担任ほど不真面目ではないという自負はあった。

 しかし、この惨状では非常に困る。親からは、成績を落としたら、サッカーチームを無理やり休ませて、塾を行かせると言われている。

 ほどほど修正できたところで、帰ろうとした一也は、ふと、後ろを振り返った。誰かがいる気配を感じたのだが、自分以外にいない。気のせいかと、向き直った時だった。

「わぁッ!」

 目の前に誰かが立っていた。そいつは知らない相手ではなかった。しかし、ここにいるはずがなかった。

「お前、く、黒澤……」

「久しぶりだな、一也」

 紛れもなく黒澤翔だった。ぼさぼさの長い髪を女みたいに束ね、ボロボロの服を着た少年。確かに一週間前まで一緒にいて、ワタルとかいう怪物と心中したはずだ。

「お前、無事だったのか」

「ああ、なんとかね。ところで何してるんだ?」

「ああ、これはな……延命処置だ」

 言うに事を欠いての言い訳だったが、翔はさも興味なさそうに小さく笑うだけであった。一也は拍子抜けしたが、正直、彼が無事だったことに安堵した。早く、亘に教えてやらないといけない。

「篠田もお前を心配してたぞ。今から会いに行けよ」

「そうしたいんだがな……」

 恥ずかしがっているのかもしれない。似た者同士の自分なら分かる気がする。

 一也は一瞬体を震わせた。いつの間にか、二の腕に鳥肌が浮かんでいる。教室の中も真夏だというのにひんやりする。窓辺に差し込んでいたはずの陽光は弱まったせいか、翔の周りが薄暗く見える。

 まさか、目の前にいる翔は幽霊じゃないだろうな。一也は言い知れぬ不安に体が固まる気がした。なんだか、心が落ち着いていられない。この場から立ち去るべきかもしれないと感じた。

「なあ、黒澤、一つだけ聞いてもいいか?」

「どうぞ」

「お前、死んでいないよな? 変な聞き方になるけどさ、生きた人間だよな?」

「オレは生きている。みんなと同じだ。みんなと同じ体を手に入れた」

 翔の口元が大きく裂けた。そこからのぞいた歯は鋭く、サメやワニ、獰猛な肉食動物を想起させる。瞳も妙に血走っている。これではまるで……しかし、目の前にいるのは紛れもなく翔の姿をしていた。

 あの時と同じように、ワタルが偽物の翔に化けているのか。

「お前、翔じゃないな」

 一也は後ずさった。

「いやいやいや、オレは本物のショウだよ、高橋一也」

「ワタルだ、そうだろ!」

「違う。信じてくれよ。その名前は少し前に捨てたんだ」

「捨てた?」

 翔の姿をしたそいつは、話し方も声もワタルと呼ばれていた魔物の生き写しであった。理由は分からない。ただ一つ、自分はここから逃げないと、相当やばいということだ。

 一也は電撃的に教室の外に出ようとした。逃げ足なら絶対の自信があった。

 だが、戸口には人の山ができていた。今まで消えていたクラスメイト達が無表情のまま、教室の二つの入り口をふさいでいる。

 逃げ場はどこにもなかった。

 一也は腰につけていたお守りを取り出し、翔の前に掲げた。

「お前の弱点はこれだろ」

 翔の顔が歪んだ。手で激しくかきむしり、足元からずるずると飴細工みたいに溶けていく。やがて床に灰の山と変わって消えうせた。

「やった。助かった」

 安心した瞬間、首過ぎに氷が当たった。細い指が口をこじ開けた。目の前にある鏡に映るワタルの姿。

「残念だが、今のオレにそいつは効かない」

 ケッケッケと笑い声が鼓膜に響いた時、一也の脳裏に映ったのは未来の姿だった。

 逃げろ……。

 直後、一也の意識は消えた。

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