懐かしの九〇年代展
1
翌日、翔は亘に連れられて、隣町にある博物館にやって来た。
駅を下車してしばらく歩いた先に、半分地面にめり込んだボールのような形をした建物が見えた。入口を抜けると、大きな吹き抜けになったドーム型の室内で、天井には恐竜や鳥、機械の歯車や船や飛行機、昆虫といった自然と機械のオブジェが吊り下げられている。
「知らなかったな。隣の町にこんな博物館があったのか」
「庄内万物館っていうんだ。ここでは、色々なものが展示されているんだけど。今月のイベントは黒澤くんなら気に入ると思って」
昼間でも少ない窓から差し込む一筋の陽光以外は、照明は消されている。だが、同じ薄暗い雰囲気でも、学校で覆っていた重い空気とは違う。ずっと背負っていた重石が無くなっているように身軽に感じることができた。二十年前は隣の町まで行こうと考えた事もなかったし、当時はまだ博物館が建っていなかった。
「ほら、ここだよ」
目の前のブースにはこうあった。
『きのうの風景/少しだけ懐かしい九〇年代展覧会』
「懐かしの九〇年代か」
「この間、おじさん達と一緒に行ったんだよ」
「面白うそうじゃん」
展覧会の入口には、卵の形をしたおもちゃのポスターがあった。たまごっちという名前で、唇の尖ったキャラクターの吹き出しにはこうあった。
『あなたの生まれた日、子供だった日々、青春だった日々――昭和の高度経済成長が夕日なら、あの頃は夜の帳。あなたはどんな夜を過ごしましたか?』
「どんな夜か? バケモン退治に明け暮れてたよ」
亘はそれを聞いて笑った。
「僕が生まれる前だけど、そんなに大昔って感じがしない」
「そりゃあそうだろ。でも、おれには遠く感じる」
最初のブース九〇年代の国内外の年表が写真や展示物と一緒に紹介されていた。
半世紀近い東西冷戦時代が、一九八九年のベルリンの壁崩壊によって大きくきしみ始めたのをきっかけに、東西のドイツは統一を果たし、九一年に東側の大国ソ連が崩壊して、ロシアへと生まれ変わった。
東西の隔てなく、ヨーロッパ圏では欧州連合EUが発足された一方で、連邦に甘んじていた諸国が軒並み独立したことで、アフリカを主に内紛、紛争が巻き起こった。次第に独立の目的は民族主義に様変わりして、多くの血が流れた。
また、この頃からオゾン層の破壊や森林伐採による砂漠化、酸性雨といった環境問題も取りざたされた。翔も学校の社会でポスターを書いたことがあるのでよく覚えていた。環境問題は煎じ詰めれば、人間が自分以外の存在を思いやれるかに尽きると思う。人間同士でさえいがみ合うのに、自分たちに住む地球というものを大局的に見据えることができるのか、今になっては穿った考えに落ち込んでしまう。
自分のいなくなった一九九五年の下半期以降の出来事に知るにつれて、翔は不思議な感覚になった。確かに母親は死んだし、知り合いもいないし、住んでいたアパートもなくなった。だが、浦島太郎になるのは身近な空間だけだ。世界規模では思ったよりも変わっていない気がする。 あの混沌とした流れは今も続いている気がする。
一つだけ違うと言えるものがある。
ノストラダムスの大予言は嘘っぱちだったということだ。
「なあ、この発売されたゲームの『ポケットモンスター』って知ってるか?」
ゲームボーイ(当然、持ってなかった)からのゲームで赤色と緑色のソフトとして発売されたらしい。展示された緑の箱には、猫とトカゲの合いの子みたいなやつが背中にラフレシアを負っている。赤い箱には羽の生やしたドラゴンが火を噴いている。
「ポケモンだよ。今も有名だよ」
「面白いのか?」
「うん。好きなモンスターをゲットして、戦わせたりして育てるんだ。強くなると、進化して名前と姿が変わるんだよ。他のプレーヤーと戦わせたりもできるんだ。でも、今の僕のブームは妖怪ウォッチかな」
「やってみたいな」
「僕、持ってるから貸してあげるよ」
一月に起きた震災で焼け野原になった神戸が復興していく過程、地下鉄にサリンをばらまいたカルト教団の裁判と顛末、九七年に起こった重大な少年事件。結局、ノストラダムスの予言が外れた九九年。
懐かしい品々が飾られている。そういえば、あの頃にこんな物があった気がするような代物がたくさんある。
この年になれば、自分は中学校に通っていた、高校に、そして母親を孝行していたはずだった。歩むはずの未来は消えて、今残っているのは、二十年遅いこの体だけだ。
一方、亘は当時流行っていたゲームやおもちゃに夢中になっていた。リアルタイムでそれらを知らない世代にとっては新しいものとあまり違わない。
スーパーファミコン、セガサターン、プレイステーション、任天堂64……家庭用ゲーム機の系譜を体験しながら楽しんだりしている。他にもたまごっちといった、卵から鳥の出来損ないみたいなキャラクターを育てる携帯用ゲーム機もある。
「おれが知ってるのはスーファミまでだな。そこ以降は知らない」
「黒澤くんもゲームが好きなんだ」
「家には買う余裕なんてなかったから、近所のデパートにゲームセンターまで遊びにいってたな」
そこでは家庭用ゲームができるコーナーがあったのを覚えている。ブラウン管テレビが並び、百円を入れるとゲームオーバーになるまでプレイできる。翔は無駄遣いしないようにそこそこ楽しんだ。おかげで、スーパーマリオワールドなら1UPも落とさずにクリアできるようになった。
もっとも、それを一緒に眺めたり、喜んだりしてくれる友人なんて一人もいなかったし、ワタルの件があった五年の夏にはぴたりと止めてしまった。
二人は、ゲームコーナーの出口に設置されたゲーム機でプレイした。亘があるゲームに苦戦していた。軽快な曲に合わせて、赤い泥棒がキセルを振り回したり、小判を投げて戦うゲーム。翔はマリオやドラクエ、FFの次に好きだった作品だ。
「スーファミの『がんばれゴエモン2』か、懐かしいにも程がある!」
「なんか、すごく難しいね。あ、また負けちゃった」
あっさりゲームオーバになった亘のゴエモン。もの哀しいギターの音色に、変な格好をした外国人が問いかける。
『まいったデスか?』
翔は『てやんでい!』と選んで参戦した。彼の操るちょんまげのカラクリロボが亘のゴエモンを先導しながらゴールしていく。そして、巨大ロボの対決では完膚無きまでにパンチのみでボスを倒した。
「すごいや、黒澤くん」
「おれが小学三年のクリスマスに発売されたゲームだよ。年を越した正月にはノーダメでクリアしたけどな」
もちろん、デパートのテレビゲームコーナーでだが。
翔はコントローラーを置いた。懐かしいゲームをしていると、昔の思い出が昨日のようによみがえる、なんて言葉があるが、実際のところは微妙だった。母との暮らしも、朝早くにしていた新聞配りも、今ではおぼろげにしか思い出せない。
ただ一つ、あの学校で過ごした日々を除けば。
「黒澤くん?」
「あ、ごめん。ぼっとしてた。他にどんなのがあるかな」
翔は次のブースに進んだ。
九〇年代の映画のポスターが壁一面に並んでいる。驚いたのが、ゴジラの映画が九六年で終わっていた事だった。当時見れなかった学校の怪談も四作目まで作られていた。裕美子と一緒に見た映画はなかったが、マイナーな作品だったのだろう。
「わあ、ゴジラがある。これって、この間映画館で見たよ。でも、あれってハリウッド映画じゃなかった?」
「ゴジラはもともと日本映画なんだ。俺が物心着く頃には、一年に一回はゴジラ映画があったんだ。ほら」
翔がポスターを指差していく。
「ゴジラVSキングギドラ。これが最初に観たやつだ。最後に、ゴジラがメカキングギドラを道連れにして海に落ちるトコは覚えてる。次がゴジラVSモスラ、一番好きなのは次のメカゴジラだな。ガルーダっていう戦闘機と合体して、スーパーメカゴジラになるんだぜ。それと次のスペースゴジラにはモゲラが出るんだったな。ちょっとダサいデザインだけど、二つに分かれるんだぜ、こいつ。うわっ、俺がいなくなった年に、最後の作品やってんだ。VSデストロイアね……キャッチコピーがゴジラ死すか、観たいな。なあ、篠田も観たいなよな、あれ? おーい、篠田くん?」
隣にいたはずの亘が消えていた。ダボダボの靴下を履いて、コギャルと称する女子高生の人形の隣から、彼が出てくるのが見えた。便所に行っていたようだ。
「ああ、ごめん、ごめん、トイレ。あれ、黒澤くん、どうしたの?」
「い、いや。ゴジラが懐かしくて」
2
二人はそれから数時間近く、展示を見て回った。五時半に常盤台市の駅前に帰った時には、黄昏色の空がアスファルトを染めていた。
「面白かったね」
「結構見応えがあったな。時間を忘れるよ」
「黒澤くんのいた時代って面白かったんだろうな」
「そうでもないぜ」
「ねえ、一つ聞いてもいい? 黒澤くんはあいつをやっつけたら、それからどこに暮らすの?」
「未来のことなんか分からない」
「もし、よかったら、僕が前にいた児童養護施設の先生を紹介するよ。優しい人だったから、僕がなんとか説明するから。さっきの庄内町にあるんだ」
「あそこに住んでたのか?」
「篠田さんに引き取られるまでね。学校にそこに通ってたんだけど。あそこの学校も怪談話があるんだよ。タイチの鏡っていうのがあって、一人でいる生徒を鏡の世界に引きずり込むらしいんだよ。それでさ――」
亘は言いよどんだ。顔を下げて鼻をすすっている。翔は何も言わずにティッシュを渡した。
「もしも、そこで暮らしても、黒澤くんには僕らの学校に通って欲しいな、なんて思うんだ。僕や高橋君や小宮さん、雛ちゃんと一緒に色々な所に遊びに行ったりしてさ。昔の思い出を忘れて、新しく生まれ変わった気持ちになってほしい。難しいけど、僕も親に捨てられたのを忘れたんだ。だから……」
「考えとく」
翔は彼の顔を持ち上げた。肩を叩いた。
「だが、今はあいつを封印するのが先決だ。その後はじっくり考えるよ」
「約束だよ」
「ああ、約束だ。そうだ、悪いけど、少し寄るところがあるんだ。先に帰っててくれないか」
「うん。でも、どこに?」
「魔物退治に役立つものさ」
翔はさっそうと走ったかと思った矢先、急に態勢が崩れかけ、その場に立ち止まった。どうしたのかと、亘は思わず駆け寄った。
「大丈夫、黒澤くん?」
「いや、何でもない。ちょっと立ちくらみがしただけだよ。大丈夫。もう何ともない」
「僕も一緒に行こうか?」
「心配するな。一人で行ける」
「でも」
今までと打って変わって、凍てついた怖い顔を浮かべた翔に、亘は言葉に詰まった。でも、昨日の儀式の後も相当疲れていた感じだった。
「ごめん。すぐに戻る。本当だ。おじさんとおばさんにお礼になにか買いに行くだけだ。それと野暮用な。だから、先に帰ってとけ」
「本当にそれだけ?」
「ああ」
「分かった。でも、無理をしたらダメだよ」
「分かってるって」
翔が何にもなかったように歩きながら、駅から帰宅する人ごみに消えた。脳裏に浮かんだ彼の後ろ姿に、亘は言い知れぬ不安を覚えた。もう二度と、彼に会えない気がしたのだ。一見愚鈍に見える亘だが、彼には自分なりの考えを持っている。少ない人生で体験した故の鉄則である。その中には、よくない不安ほど、いい事よりも的中しやすいというものがある。
今回はそれが的中する気がしてならなかった。
3
「未来、篠田くんって子から電話よ」
母から子機を受け取ると、未来は「もしもし」と応答した。確か、翔は彼の家に居候している。何かあったのか?
「黒澤くんがなんだかおかしいんだ」
「翔が? どうしたの? 一緒にいたんじゃないの」
「それがね、用事を思い出したとか言って、どこかにフラフラ行ってしまったんだ。ついて行こうとしたんだけど」
未来は不安に駆られた。ワタルに対抗できるのは彼しかいない。翔がいない状態であの化物に挑むのは、武器を持たずに向かっていくのと同じだ。一体にどこへ行ったのだろうか?
「分かったわ。わたしも思い当たる場所があるから行ってみる」
通話を終えて一也と雛にも連絡を入れようとした矢先、また子機の着信音が響いた。
「はい、もしもし?」
「小宮未来だな」
おかしな声がした。よくドラマとかに出てくるような、機械で加工したような声だった。気味が悪い。
「どなたですか?」
「お前の弟を預かった」
「え?」
「お前の弟は、もうすぐ、この世から消えてなくなる。ワタルの餌になる」
頭から氷水をかけられたように、未来は硬直した。子機を持つ手が震える。いたずら電話なんかじゃない。相手は、ワタルを知っている。でも、おかしい。ワタルの配下なら妖怪のはずだ。あいつの力は学校の外まで及ばないって、翔が言っていたはずなのに。
「嘘だと思うなら、学校へ行かなければいい。自分だけ助かりたいならな。代わりに、お前の弟がこの世から消える。友達と同じように」
そして、電話は切れた。通話のない音が耳元に響く。未来は慌てて、一也に電話をかけた。スマホを操作する指先が震えていた。




