天才は大人になると凡人以下になる
1
自分よりも年下の銀行員の背中に一礼しながら、佐藤太助はふと思った。
もしも、子供の自分がその光景を見たら、どんな気分になるだろうか。二十年前くらいは頭を下げてくる大人が多かったのを覚えているが、大人になった今では頭を下げる方の回数が逆転してしまった。
「本日の話は後日ということで。――ただ、あまりご期待には添えないと思っておいて下さい。当行もこれ以上の期限を伸ばすのは限界なのです」
「それは承知してます」
岡田という名前の若い銀行員は、入行してから五年も経っていないペーペーだという。歳は二十代だが、銀行員らしく、腹の内を顔に出さない訓練はしている。今は頭取になった年配の奴は、去年までここにくれば決まって露骨な顔を浮かべていたものだが。もう、いい加減に諦めたらどうだと言わんばかりに。
もっとも、最近まで担当だったロートルから若手に交代したのは、こんな案件は岡田のような中堅以前で事足りると思われているのだろう。
冷房の静かな音が唸る理事長室で、太助は窓を開けてから開放感の深呼吸をしてから、我慢していたタバコに手を伸ばした。肺に満たした紫煙を吐き出す時、激しく咳き込みながら、部屋の中をぼんやりと眺めた。
子役育成学校『リトル・スター・アカデミア』。九〇年代に一世を風靡した元天才子役、青空コスモが指導するのを謳い、三年前に創立された。太助のいる部屋は、その校内で一番豪華な作りをしている理事長室である。
豪華といっても、それは部屋の広さというより装飾品の多さによるものが大きい。応接用の粗末なテーブルにはアルミの安い灰皿が置かれ、ソファーがあり、奥に申し訳程度にそこそこ豪華な理事長用の机と椅子がある。壁には学校の訓示が屏風のようにかかっている。周りには無駄に高価な壺が飾られている。そして、昔の自分のブロマイドやサイン、オークションに出せば、プレミアものか無価値なものかが決まってしまう物が所狭しにかかっている。
いかにも、人の上に立つ能力もないのに、過去の栄光にすがってふんぞり返りたい人間が好みそうな部屋だと、主である自身に呆れた。創立当初抱いていた優越感は微塵もない。形だけのマスコット、それもとうに消費期限の切れた飾り物を満足させるために作られた部屋に過ぎない。この学校が見せかけの城なら、この部屋は幻の王室で、さしずめ自分は裸の王様である。
そろそろ時間だ。沸き起こる自虐の放流から逃れるように理事長室を出ると、太助はレッスンルームに入った。
教室には既に何人か生徒が集まっていた。生徒数は曜日違いで二十人。レッスン時間は九〇分。月謝は三万円。銀行員が指摘した通り、他の演劇学校に比べると高額になる。もっとも、雲隠れした前理事長が、書置きの代わりに越していった負債を返済するには膨大な時間がかかると、岡田は電卓で弾いて説明した。
全部あいつらのせいで……。
「さて、みんな揃ったようだね。今日は子役としての心構えを話そうか」
今日のレッスンは十人だが、入学理由はだいたい決まっている。楽をして遊ぶ金を手に入れたいろくでなしの親に唆されて半強制的に。子供の方もテレビに映って目立ちたい功名心から。
子役の親がろくでなしというのは大半が合っていると、太助は思う。自分もそうだったから。成長過程に欠かせない学習時間を法律スレスレまで割いてまで児童労働させ、我が子を視聴者に晒し者にするような親がまともな訳がない。
しかし、子供が目立ちたいという理由で子役に志願するのは、わずかながらも同情できると思っている。そんな願望は誰にでも少なからず持っているし、その気がないやつでもよしんばと考えているものだ。
要するに、親も親、子も子なのだ。親は自分の子供が一番可愛いと思うし、子供も自分が一番他人より優れた長所を持っていると考えている。自分を卑屈にして、他人が偉いと考える子供はたいてい大成しないのも事実だが、実際に自尊心に見合う能力を持つ子供は、宝くじの当選よりも少なくはないが、四葉のクローバほど多くはない。自分達がその他大勢だと自覚するまでの間、うちのような子役の養成学校は親子の欲望を満たしてくれる。
そう、言ってみれば、卒業のない魔法学校である。進学塾のようにごまかしようのない数字の成績で、我が子の劣等を思い知らされず、ピアノ教室みたいにヒステリックな女講師にクズ呼ばわりされて否定されずに済む。選ばれた人間とその親を体感できる。関西の某テーマパークにある、魔法使いのアトラクションに毛が生えたものと思えばいい。
この学校が魔法学校なら、さしずめ、自分は魔法使いか。魔法以前のペテンで夢を見せ、母と子に幻影を浸らせる。
もっとも、罪悪感などとうに消えている。指導以前の真似事を教えている子供達が今後どうなるかは分からないし、太助には興味もなかった。彼らが掴むことのできない霧を追い続けて、貴重な時間をドブに捨てても、良心は少しも痛まなかった。麻痺しているせいだった。
いつもの訓話めいた話題から始める。演技の技術なんて現場にでない限り手に入らない。十歳前の子供に演劇論だのテクニックだの理解できるはずもない。自分もそうだった。大人に混じり、仕事に揉まれるうちに、彼らの求める事が分かってきた。彼らの破線を忠実になぞればいいのだ。
「子役というのは、子供にして大人社会に溶け込むことだ。そこでは上下関係が重視される。それを気をつけていれば、子役として長続きできる。君達が目指しているのは、世の中の子供がなりたいものを演じないといけない。それは簡単じゃないが、楽しいものでもある」
アンヨをつく前から、ヒゲが生えてくる前まで子役を務めていた太助が思うのは、子役として成功を収めるよりも、その後に俳優業やタレントとしてやっていけるか、そちらの方が断然難しい。いわゆる、イメージからの脱却だった。子役としての永遠の試練だ。可愛い少年から青年、そしてたくましい大人へ、イメージを変えつつ、ファンの数を持ち越させることは不可能に近い。その都度、積み上げたものを捨てて、新しいファンを獲得して埋め合わせていかなくてはいけない。
しかし、生徒の前ではそれをあえて告げない。うちの学校は、夢を与えても現実を教えてはいけない。教えるのは勝ち方のみ。素性の分からず、創立後しばらくして行方をくらました男の口車に乗せられて作った魔法学校の暗黙の了解でもあった。
生徒達にはできる限り長く夢を追ってもらわなければならない。そうすれば、学校の利益は続く。夢を売り、時間を金に変えるのが、この手のビジネスの基本である。夢というのは、追っているうちが夢なのだ。未確定で先も見えず、ふわふわ浮いた泡と同じ。
じきに彼らも気がつくだろう。夢が覚めるものであり、そこから先は現実が延々と続くばかりだと。かつての自分がそうであったように。
2
レッスンが終わってしばらくして、太助はホテルの一室にいた。赤を基調にした壁、怪しげな青いランプが照らす部屋に横たわるダブルベッド。その上には、裸の太助が大の字になっていた。胸にはナイフが突き立てられ、そこから赤い液体が安物のガウンを赤く染める。
「はい、OK!」
部屋の片隅に待機する監督が声を開けると、太助はむくりと起き上がった。これで自分の出番は終わりである。
「撤収。おつかれさんです」
いそいそと出て行くスタッフ。一人に血糊のついたガウンを渡すと、体を拭いて服を着替えた。自分の出番は二つしかない。その一つが死体役だった。
「お疲れ様です、佐藤さん」
マネージャーの萌がはしゃぐ声を弾ませて、缶ジュースを手渡した。ラブホテルに来たのが初めてらしく、撮影の間は遠足に来た子供のように辺りを観察して回っていた。
「ありがと。それにしても、すっかり死体役が板についたな」
「自虐にならないで下さい。第二の被害者に昇格したじゃないですか。次は第三の被害者か、殺されずに済む被害者、もしかしたら、念願の犯人役かもしれないですよ」
「それっていいのかい?」
「少しは出番が増えます。視聴者にも印象に止まります。へえ、この人、犯人役をするようになったんだ、懐かしいなって」
「なるほどな」
まあ、憎まれ役には変わりないのだが。
今回は、冒頭で殺される被害者と結託して、犯人の女友達をレイプして自殺に追い込んだ上に、女子校生に扮した犯人に連れ込んだ先のラブホで惨殺される男を演じていた。いわゆる、同情されない被害者役というやつだ。
この前は、昼ドラで不倫する間男、月9ドラマで電車で痴漢をする会社員役、感動系の再現ドラマでは養子に性的虐待をする義父役、見事なばかりの色沙汰な端役ばかり。この顔はよほど、悪人に見えるのだろう。
冷たいコーヒーで脳を冷やしながら、太助は先刻の銀行員のやり取りを思い出していた。あれはもう限界っぽい。もう、これ以上返済期限を伸ばしてくれる感じではない。しかし、今の赤字状態の学校で返済は見込めない。いずれにせよ、手詰まりの感は否めなかった。
「萌ちゃん、坂上忍と岸部四郎を足して二で割ったタレントって受けると思う?」
「坂上忍と岸部四郎、ですか?」
「つまりさ……元子役の自己破産者」
萌はこめかみに指を当てて、真剣に考えているようだ。一回り年下の女性に、タレントの方向性を委ねないといけない自分が情けなく思える心情は、数年前に消えた。プライドの高い男も、どん底のまま三十路をすぎれば、逆に吹っ切れてしまう。
「一定層のファンはできると思います」
「一定層のファンね。他人の不幸は蜜の味みたいな連中?」
「そうです。メシウマ目的で」
「なるほど。不幸になればなるほどランクが上がるわけか」
そんな連中は昔からいた。子役を続けられなくなった時、やっと脱皮しかけたアイドルユニットが解散に追い込まれた時。同情するだけで手を差し伸べるものは一人もいなかった。浮かんでは消える連中の顔を浮かべながら、太助はタバコを吸いたい欲求に駆られた。
「ダメですよ」
「何が?」
「佐藤さんはそんなキャラ似合いませんから。それと、タバコを吸うのと同じくらい健康的じゃないです」
「でも、このまま死体役ばかりっていうのもなあ。じいさんになるまでその役だったら」
「いいじゃないですか。死体役は二時間ドラマになくてはいけないものです。ショートケーキのイチゴと一緒です。佐藤さんは死体役を極めたらいいんですよ。ほら、時代劇でも斬られ役で有名な人がいるじゃないですか」
「ははあ……」
乾いた笑いを漏らしつつ、太助は本当の死体になるまで、それを演じ続ける自分を想像した。
「それに、仮に自己破産しても俳優は続けられます」
「そうなの?」
「佐藤さんはそれしか道がないんです。今まで寄り道していただけなんです。元の道に戻って歩き続けるんです」
「仕事が途切れなければね」
「仕事はあります」
誰かのモノマネをしながら、書類を出した。
「今度は何?」
「この間の番組の続きですよ。ほら、母校に行く企画の番組で、常盤台南小学校に行きましたよね」
「ああ、あったな、確かに……」
不意に蘇る白昼夢。数日前か、一週間前か。中庭の今はないはずのタイヤ島にいた怪物。大昔に消えたはずの魔物が自分を呼んでいた。
「ワタル」
「はい?」
「あ、気にするな。で、どんな番組?」
「ええとですね、この間の番組を覚えてますか? 『卒業生訪問』。実は、元アスリートのゲストもあの学校の卒業生として、佐藤さんが出る回の次に出る予定だったんです。ところが、その人が事故で怪我して出来ないみたいなんです。それで、急遽、佐藤さんにもう一度出てほしいって」
「また、俺に?」
「これはチャンスですよ。こんなこと滅多にありません。そこで子供たちのハートを鷲掴みにして、視聴者の好印象を得るんです。そこから突破口が見えるかもしれません。神様が佐藤さんに名誉挽回の機会を与えているんですよ」
「萌ちゃんは神様なんて信じてるの?」
「いますよ! 捨てる神も拾う神も。佐藤さんも神社や教会似通った方がいいですよ」
「しかしなあ……あの学校はな」
あれは幻かもしれない。今の境遇のストレスが見せた幻影だ。自分で言い聞かせる一方で、あの学校に行きたくないと思う自分もいる。しかし、萌は真剣だ。
「なあ、萌ちゃんはお化けとか信じる?」
「藪から棒ですね。私は信じてないです」
「神様は信じてるのに?」
「お化けがご利益をくれませんので」
現金な性格をしているな。
「やっぱり、出た方がいいかな?」
「当たり前じゃないですか。今の佐藤さんは仕事を選り好みしちゃダメです。プロはなんでもこなさないと」
「あの学校じゃなかったらいいだがな」
「あそこが嫌な理由でもあるんですか?」
太助は子供みたいに頭をかきつつ、消え入りそうな声で答えた。
「怖いお化けが出るんだ」
「佐藤さん、お互いに頑張りましょ! 私も不退転の気持ちでバックアップします」
こちらの手を握るマネージャーの笑顔に逃げ道はなかった。
「だよなあ……」と太助は観念するしかなかった。




