人生は不公平
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「いやあ、すみませんね。こんなに豪勢にしてもらって」
「本当にありがとうございます、おばさん」
「いいの、気にしないで。せっかくうちの子が将来の旦那候補を二人も連れてきたんだから」
らん子はビールのコップを片手に、意気揚々に言う傍らで、娘の雛は「違うっつってんだろ、クソババア!」と否定したが、母親の耳には入らない。
二十年後の二〇一五年夏、九五年と同じ姿を持つ黒澤翔と篠田亘は、仲里家のマンションの一室にお邪魔していた。
「さあ、今日はたくさん焼いたから、食べていきなよ」
食卓の焼肉に亘は遠慮なく食べていく。「ちっとは遠慮しろよ」と雛が小さく言うのは、自分の提案で騒動に巻き込まれた負い目があるせいだろう。ちなみに、二人を夕食に呼んだのは、彼女の提案であった。
「亘もいい食いっぷりだね。将来はいいお相撲さんになるよ」
「僕、力士志望じゃないですよ」
「いい関取にならないとね。それともう一人、黒澤翔くんか。いい名前に男らしいな。雛みたいなガサツな子にはもったいないよ」
「もうだめだ、こいつ。気にしないでよ。うちの親はアル中でいつもこうだから」
「誰がアル中だって?」
この母娘は似ているな。翔はそう思った。髪の色や顔立ちも面白いほど同じだ。それに親近感がわくのも不思議だった。もしかすると、昔に出会ったことがあるのかもしれない。らん子は三十一歳らしいので、自分が封印されずに年を取っていれば、ほぼ同じ年代になる。もしかすると、誰かと結婚して、子供がいたかもしれない。
らん子は二つのコップにビールを注ぐ。
「はい、二人共飲んでね」
「ほら、早々酔ってる。てか、未成年に酒すすめんじゃねえよ」
「酔ってませんよーだ。にしても黒澤くんてさ、どっかで会った事なかったけ」
「いいえ」
「だよね。そうそう、あたしがこの子ぐらいの頃に、あたしのクラスでカッコイイ奴がいたんだよね。家は貧しくてさ、いじめる奴もいたけど、そいつらと喧嘩してさ」
「へえ、そんな奴いたんですか?」
「珍しいでしょ。あたし、好きだったかも。そいつのことさ。他の馬鹿な男子とは違うしさ。なんか、クラスから浮いてて、クールな感じもしたし。なんていうの、一匹狼みたいだった。あたしもさ、クラスでは孤立してたからそいつとうまが合ったんだよね」
らん子はビールを一気飲みすると、大きく息を吐いた。
「でもさ、その頃のあたしは今と違って、ガサツで全然女の子らしくなかったから、告っても相手にされないなって思っての」
「今もガサツじゃん」
雛が小さく言った。
「そうこう指をくわえているうちに、記憶が正しかったら、そいつには彼女っぽいのがいるのが分かってさ……あたしは中学、高校とヤンキーの真似事ばかりしてグレまくってさ」
「その人って、どうなったんですか?」
亘の質問にらん子はビールを飲むのを止めた。
「いなくなったんだよ」
「いなくなった?」
「二十年前の夏休みだったかな。そいつは急に行方不明になっただよね。家出か、犯罪に巻き込まれたか。結局、あいつは二度と帰ってこなかったと思う」
「じゃあ、大人になってるかも分からないの?」
「実を言うとさ、あいつがいなくなった小五の夏だけ、記憶が曖昧なんだよね。なんていうのかな、その時期だけ、まるで消しゴムで消したようにすっぽり抜け落ちてて、思い出せないんだな。でも、あいつがいたのはちゃんと覚えてる。あいつはさ、いつも傷だらけだったの。クラスの連中は臭い臭いとか言ってたけど、あたしは気にしなかったけど」
「名前とか覚えてないんですか?」
「生憎、卒アルは昔引っ越した時に捨てちゃったからね。だから、あいつの名前も思い出せないの。でも、何となくだけど、黒澤くんに似てるかな」
「おれがですか?」
「あんた、好きな子がいないなら雛を覚えていてよ」
「あたしはそんなつもりないから。結婚なんかするもんか! 男子なんかクソばっか」
雛はジュースを一気飲みした。やはり、母親と生き写しだ。
「今そう言うのは、あんたがまだガキの証拠だよ。人はね、一回は死ぬほど好きな誰かに惚れるもなんなの。それが実るか終わるかはともかくね、ガキを大人にするんだよ。でもね、好きな奴はちゃんと選ぶんだよ」
「てめえが選ばせてねえじゃん」
「聞いてよ、亘くんに翔くん。この子の父親であたしの夫はひどいんだよ。エッチしてこの子が生まれたら、俺はビッグになるんだ。親になってチンケな人生なんか送くりたくねえとか言ってさ、どっかに出てて行ったわけ」
「このクソババア! 人の前で話すことじゃねえよ、ボケェ!」
母親の頭を叩くと、雛は我慢できずにさめざめと泣き出した。
「あたしだって、フツーの家に生まれたかった! 親がちゃんと二人いて、大きな家とかあって、犬猫とか飼ったり、自分の一人部屋とかあったりさ! なんで、あたしだけ、こんな親の子どもに生まれないといけないの! ねえ、亘、そうでしょ!」
雛は肉を食ってた亘の胸ぐらを掴んで、乱暴に揺らした。
「ひなちゃんの言う通り。人生は全然公平じゃない。こうやって、滅茶苦茶に振り回されたりとか」
「さすが、あんたはあたしの舎弟だ。よく分かってんじゃん。なあ、黒澤、あんたもそう思うでしょ、ねえ?」
翔は雛の飲んでいたコップを少し嗅いでみた。ほのかに漂うアルコール臭。ガキのくせにオレンジと割って飲んだようだ。
いつの間にか、亘は携帯を取り出して、雛の方を向けている。手鏡のように薄い液晶には彼女の酔っ払う姿が写っている。
「おい、篠田、何やってんだ?」
「ひなちゃんが酔っ払ってるとこを撮影しとくんだ。今度殴られそうになったら、これを見せて牽制するの」
ダメだ。笑顔を浮かべる亘に、翔は頭を抱えた。このメンツでワタルに勝てる気がしない。本当に人生は不平等にできてやがる。
「分かった。君は不幸の星のもとで生まれた。じゃあ、それを打ち破るしかない」
「打ち破る」
「まず、勉強しろ」
「何の?」
「学校の勉強に決まってるだろ」
雛は爆笑した。らん子も同調する。
「あたしが絶対にできないことだ」
「その考え方がダメなんだよ。いいかい、仲里さんは自分のできることとできないことを、何もしないで線引きしてるんだ。君だってやればできるはずなんだ」
「あたし、馬鹿だしさ」
「何もしてこなかったからだ。つまり、まだマジになってないんだよ」
「でもなあ、勉強なんてつまんないし」
「できないからつまらない、か?」
「うん」
「簡単すぎてつまらない。そう思えるくらい頑張ればいいんだよ」
「僕もその方がいいと思うよ。雛ちゃんって頑張ればできるよ、きっと」
雛は顔を赤くしたまま、「分かった。ちょっと頑張ってみる」と言ったきり、コクリコクリと頭を揺らして、その場で寝てしまった。らん子もうたた寝を始めていた。
「母娘だな。本当に似てる」
「黒澤くんがいてくれて助かったよ。僕は時々、二人の文句に付き合わされるんだ」
いつものことか。呆れながらも、二人のやりとりは結構楽しかった。
「こうやってみると、家族っていいものだなって思うよ」
「黒澤くんの家はどんなだったの?」
「おれは母親と二人暮らしだった。ここよりも小さいアパートで母子だけでほそぼそと暮らしてた。彼女と同じだな」
「でも、仲は良かったんでしょ? そっちの方がマシだよ」
亘は出しっぱなしの食器を手際よく片付けていく。何かを考えながら、窓に映る星のない夜空を眺めていた。
「僕と今の家族は、血が繋がってないんだ。僕は里子なんだ」
「元の親と離れて暮らしてるのか?」
「あっちからいなくなったんだ。僕一人を公園に残して」
「そうか」
翔も一緒に片付けを手伝った。
「でも、今の親はどうなんだ?」
「篠田さん達はいい人達だよ。昔、子供を事故で亡くしたんだって。たぶん、僕はその代わりだと思う」
「人間に代わりはいない。その人達は純粋にお前を新しい息子として迎えたんだ。ま、事情の知らないおれが言っても説得力はないがな」
「ありがとう、黒澤くん。でもね、僕、あの人達の子供になる勇気がないんだよ」
「なろうと思ってなれるもんじゃないだろ?」
「僕が息子になったら、ケンカとかしてしまう気がして」
「昔の親もそうだったのか?」
洗い終えた食器を水切りに置いていきながら、亘は頷いた。
「僕が生まれた時から」
「そうか。お前も苦労してるんだな」
「でも、今は楽しいよ。雛ちゃんもいるし、黒澤くんにも会えたし。僕と同じ名前のお化けはちょっと怖いけど」
「長くのさばらせるつもりはない。夏休みまでには決着をつけてやる」
「そのためには高橋くん達を助けないとね」
「協力してくれるな?」
「もちろん」
小太りの少年は屈託なくほほ笑みを浮かべた。翔はなぜか、心強い思いに駆られた。自分もまた心細かったのかもしれない。
初夏の夜は静かに更けていった。




