リアルすぎるドッキリショー
1
図書室から出ると、三人は廊下の曲がり角で止まった。
「一体、さっきのは何をしたんだよ」
「これを喰らわしてやったの」
未来は護身用の催涙スプレーを見せた。口裂け女に襲われる時まで、必要ないという理由で家の勉強机の奥にしまいこんでいたものだった。
「お前もおっかないな。それより、大丈夫か、黒澤」
一也の手を翔は乱暴に振り払った。
「馴れ馴れしいぞ」
「おいおい、俺達を忘れたのかよ? さっき看病してやったろ?」
未来は一也の頭を叩いた。さっきのせいで頭がおかしくなったのかもしれない。今、目の前にいる翔は、二〇一五年の彼とは違うのだ。この世界の彼にとっては、自分達は赤の他人なのに。
「お前らんか知らない。失せろ」
「さっき助けてやったじゃないかよ」
「あんな奴ら、おれ一人でもやっつけられた」
「嘘つけ」
無理をするにはひどい有様だった。髪はホコリだらけだし、顔も殴られたあちが克明に残っている。服には靴跡もある。相手の人数も多いし、あんなデカイ奴を歯が立つとは思えなかった。
「あのでっかいの誰?」
「三宅の兄貴だよ。六年生なのに九九もできない。できるのは人を殴るぐらいだ」
九五年の翔は、現在の彼とやはりどことなく似ている。皮肉なものいいと、無理に突っ張る幼さが同居している。
「先生に言わないの?」
「佐奈田のババアにか。無理だな。あなたの被害妄想ですよっていうのがオチだ」
未来や雛の担任である佐奈田清、その母親が九五年では翔の担任で、二十年後には校長になっているのだから驚きしかない。少なくとも、未来にいる翔は相当立腹していた。
校長はあまり校内で見かけた記憶はない。ただ、全校集会では、どことなく冷たい感じが演説の端々で感じていた。金持ちと貧乏人をやたら比較するような例え話に、負け犬、負け組と連発して、嵩にかかった話し方は、未来も嫌だと思っていた。
「でも、誰かに相談した方がいいじゃないのか。これって、いじめとかよりひどいと思うぜ」
一也の一言が地雷だったようだ。
翔は彼のえりを乱暴に掴んだ。
「な、なんだよ」
「おれはいじめられてなんかない! あいつらと喧嘩をしているんだ。おれはまだ負けてない」
「分かってるよ。心配をかけさせたくないんでしょ? でも、一人で戦っても解決しない問題だってあるの。誰かに助けてもらわないといけない事だってあるんだよ」
未来の言葉に荒い呼吸を整えると、翔の手から一也は解放された。
「小学校に上がった時には友達もいた。尊敬できる大人もいた。でも、学年が上がると、親が片方しかいないのが、からかいのネタになるみたいなんだ。それで笑い者になっていれば、それで終わっていたかもしれない」
「でも、黒澤くんはそうしなかった」
翔は頷くと壁に持たれた。背中がいたんだのか咄嗟にかばった。
「一人、二人、おれを馬鹿にする奴が増えた。こっちがなんともないよう振舞うと、あいつらは調子に乗った。だから、ある日、喧嘩をしたんだ」
小学三年の頃だったという。その一件があってから、翔は孤立を深めたらしい。
「今じゃあおれに話しかけるのは、あんな連中ばかりだ。みんな関わりたくないと思ってる。おれもそうさ」
翔は服の汚れを払い、唇にこびりついた血の痕を手洗い場の水で拭った。
「おれのことはほっておいてくれ。自分の事は自分でケリをつける。昔からそうしてきたし、これからも同じだ。味方なんていらない」
「そんなの、ただの強がりだよ」
「勝手にそう思っとけ」
「分かったわ。わたしも一也も関わらないようにする」
「おい、未来……」
「でも、保健室に入ってもらうからね。そんな怪我をしてほっておけるはずがないでしょ」
「気にするな」
「生憎、わたしは保健委員なの」
未来と一也に引っ張られるようにして、表校舎一階にある保健室に向かった。先生は留守だった。代わりに、保健係の女子が一人いた。
「大丈夫ですか?」
その女子は翔を見た途端、驚きの顔を浮かべた。ポニーテールで大人しそうな顔立ちをしている。
翔もまた同じ反応を示した。
「裕美子」
「翔ちゃん……どうしたの?」
「その人、怪我をしたみたいだから診てあげてくれない」
「俺もそいつを助けるために名誉の怪我を負ったんで、よろしく」
未来は、一也の背中に消毒液をたんまりと塗りたくった。案の定、保健室に響き渡るほどの悲鳴を上げた。
「変な声出さないでよ」
「おれは将来を担うリトルチームのフォアードで、有望なゴールデンエイジなんだぞ」
「そういえばそうだったかな」
「なあ、未来。こんな事になったけどさ、今度の日曜日に戻れるかどうかは別として、サッカーの試合があってさ――」
「はい、わかりました。見に行くから」
その間、翔は裕美子の手当を受けていた。
「ひどい。誰かに殴られたのね」
「喧嘩」
「ウソ。一方的にやられてるじゃない」
「ウソじゃない」
「ウソが下手なのは変わらないね。あまりおば様を心配させたらダメだよ」
「お互い様だろ」
「…………?」
「母さんと会ったんだろ? 昨日もなんかおかしかったし、何かあったのか?」
「何もない。ちょっと受験で忙しいだけ」
「一年先の受験のためにか?」
「これぐらいは普通なの」
「そうか。でも、あまり無理すんなよ」
「お互い様よ」
二人が同時に笑った。あんなに頑なになっていた翔が気を許す姿は、未来にとっては信じたい光景だった。
「あーあー俺達もあんなに笑い合いたいな」
その時、保健室の扉が開き、一人の女子が入ってきた。金髪にガラの悪い目つきは見覚えがありすぎた。
「あ、さっきの馬鹿女とその男」
二十年後には雛の母親になっているであろう、らん子だった。やはり、母娘なのか生き写しの顔立ち。手が早いのも娘と同じである。
らん子は翔から裕美子へ目を移す時、少し眉をひそめた気がした。
「なんだ、黒澤もいたんだ。また、佐奈田のヘンタイと喧嘩したの?」
「あいつらが絡んできただけだ」
「そうだね。あんたはあいつらと違う。ところで、こいつらは何? あんたを探してたみたいだけど」
「こいつらなんか知らない」
「ふうん……変わったやつらに絡まれるんだね。ところで、その子は彼女?」
「ち、違います! 私は保健係で、翔ちゃんとは――」
「ちゃん付けする仲ね。なるほど」と言い残すと、保健室奥にあるカーテンに入っていく。
「またサボるのか?」
「佐奈田の授業つまんないし、頭に入ってこないんだよね。寝てる方がマシ」
「あまり寝てると、頭がバカになるぞ」
「もともとだからいいよ。黒澤も一緒に寝ようよ?」と顔を出して付け加えた。「この前みたいにさ」
「バカッ! 何言ってんだよ!」
未来と一也は彼から一歩引いていたのは言うまでもない。
「黒澤くん、やらしい」
「違うぞ。仲里の言ったのは嘘だぞ! 裕美子も信じるよな?」
「翔ちゃん、フケツ」
また保健室の扉が開いた。今度は勢いよく。先生がいないのに、今日は千客万来である。ところが、誰かが入ってくる様子がない。開け放たれた扉の向こうでは人の声もしない。
途端、未来は背中に寒気が走った。一也も小さく震えた。
間違いない……この感覚は――。
「隠れろ!」
翔に引っ張られるように、四人は保健室の奥に引っ込んだ。カーテンをめくると、目を丸くしたらん子がいた。
「ちょっと、何だよ! 皆して押し寄せて」
翔が慌てて彼女の口を塞いだ時だった。保健室の外で足音が響いた。休み時間に流れるはずの校内放送が、いつの間にか止んだかと思うと、オーケストラをスローに伸ばしたような奇怪なメロディが流れ出した。
「奴だ」
翔の言葉に、未来は硬直した。九五年の学校はワタルが跋扈していた時代でもあり、翔に封印された年でもある。でも、それは過去の話。自分や一也のいるこの世界が別のものなら、もしかすると、自分たが無事に居られる保証はどこにもない。
保健室のと口の曇りガラスに、相手の輪郭が朧げに映る。それは妙に大きく、いびつな形をしていた。頭の上に大きなコブが二つ盛り上がっている。どう見ても、人の頭ではなかった。
そして、扉がおもむろに開かれ、大柄で割腹のいい誰かが入ってきた。未来には初め、そいつが白衣の上にハロウィンの被り物をしているように見えた。緑色の肌に大きな頭、目玉が頭のコブに位置して、保健室の中を睥睨する。口が大きくよころに広がり、粘膜のようなよだれを垂らしていた。
そいつの頭は、ガマガエルそのものだった。グロテスクな両生類の頭がそのまま人の体にくっついているみたいだった。
「おかしい」
そいつはわざとらしく大きくな声で言った。
「人間の匂いがかすかにする。だが、姿がない。腕の一本でもないものなのか」
ずんぐりな身体を転がすように歩いて、ガマガエル人間は冷蔵庫を開けた。瓶詰めになったハエを口に放り投げる。全部平らげると下品なゲップを放った。
「もう蠅には飽きた。やはり、人が喰いたいものだな」
相手の言葉は、こちらが絶対に見つかってはいけないことを意味している。もしも、見つかればあいつの腹の足しになるのは明白だった。
「しかし、臭うぞ。人間だ。この部屋は妙に人間臭い」
ガマガエルは二つの目玉をぎょろりと巡らせた。薄いカーテン越しに未来達は息を殺した。気づかないまま、そばにいる一也の手を握っていた。彼も緊張で冷たく、そして硬くなっている。
その時、保健室の扉が開いた。
「何だあれは?」
一也は小声を漏らしたのは無理もない話である。保健室に新しく入ってきた生徒もまた人間ではなかった。
「先生、僕の腕がもがれてしまいました」
泣きながら訴えるそいつは、普通の服を着ていたのだが、頭は昆虫のバッタになっていた。伸びた触角に、鋭角に尖った顔に、側面にある黒い瞳、口元の歯が別の生き物のように動いている。
バッタの片手が途中からもげていた。腕の無い袖からは、どす黒い血が滴っている。
「おお、これはひどいな。すぐにオペをせんといかん。ここで横になりなさい」
いつの間にやら置かれている手術台、その上にバッタが寝そべった。ガマガエルはイボだらけ手に手袋を覆うと、頭につけた額帯鏡を下ろして患部を覗き込んだ。関係ないはずなのに、聴診器をバッタの胸に当てる。
「先生、僕は助かるんですか?」
「安心したまえ。私は名医だ。君の血の巡りは結構が偏っているな。もう片方に血が流れるようにしなくてはいかん」
ガマガエルはバッタのもう一方の腕を掴むと、それを力いっぱいに引きちぎったのだ。バッタが部屋中に響き渡る絶叫を上げた、切断面からどくどくと黒い血が吹き出して壁や床を汚す。
「よし、これでちの循環は保たれた」
患者が苦しんでいるのに、誇らしげに言いながら、ガマガエルはちぎれた手を口に入れた。もぐもぐと噛み砕く。
「次は、下半身の血行を良くしようか」
あいつはバッタの両足を掴むと、今度はいっぺんに引き抜いた。やはり、バッタは断末魔を上げたし、真っ黒な血しぶきが飛び出した。そして、苦悶を漏らす患者をよそに、ガマガエルの医者は足まで丸呑みにしてしまう。異様な光景に未来は吐き気を我慢していた。
「よしこれで大丈夫だぞ、君。おい、どうしたのだ? 死んだのかね?」
バッタは事切れていた。
「元気になりすぎて死んだか。いいことだ」
自画自賛すると、ガマガエルはバッタの頭や体もむしゃむしゃ食べ始めた。カーテンの奥で、彼らは気分が悪くなるのを抑えながら耐えるしかなかった。
またドアが開いて、次は人間が入ってきた。同じ学年ぐらいの少年だが、やたらひょうひょうとしている。ワイシャツにネクタイと大人びた格好をしているが、背は低い。
「すみません、カロリーメイト的なものありませんかって――映画の撮影ですか?」
ガマ医者の大きな眼は輝いた。
「おお、人間じゃないか。いいところに来たね。さあ、入りなさい」
「分かったぞ。ドッキリだね。マネージャーも人が悪いな。こんな幼稚な悪戯なんかしてさ。にしても、特殊メイクも頑張ってるね。触り心地がリアルだ」
少年は当たり前のようにガマの頬を指で触る。
「この人間はおかしいゲロ。きっと、脳に異常があるに違いない。さあ、この台に寝なさい」
「はいはい、そういう打ち合わせか」
なんの戸惑いもなく台に横たわる少年の頭をコツコツ叩くガマ医者。体温計を口にくわえさせたり、まぶたを上げて覗き込む。
「いかん。やはり脳の病気だ。君みたいな未来ある若者を救うのが我々の仕事だ」
「そうそう、僕は未来ある天才子役、青空コスモ。サイン欲しいなら、マネージャーを通してね」
「哀れな子だ。脳を交換してやろう」
ガマ医者がおお振りのナタを取り出した。刃先には黒い血がベッタリと付いている。
「怖いな。そろそろ、スタッフがスタンバイしてるんでしょ?」
「緊急オペだ。麻酔なしでやるが怖くないぞ。すぐに終わる」
ガマがナタを持ち上げて、振りかぶった。
同時に翔がカーテンから躍り出て、パイプ椅子であいつに殴りかかった。
「おや、いつぞやの。君も仕掛け人かい」
「バカ野郎ッ! さっさと逃げるんだ!」
無理やりコスモと名乗る少年を引っ張り、「こっちだ」とベッドの向こうにある窓を指差した。裕美子が鍵を開けた。その時、翔が転倒した。足首に赤いゴムの塊が巻きついていた。その先はガマの口から伸びていた。あいつの舌のようだ。
「私の患者をどこへ連れて行く気だね? お前も手術してやろう」
「クソ! 離しやがれ」
「頭をいじってやれば、そんな汚い言葉が口から出ることはない」
「黒澤を離しやがれ!」
らん子がガマの舌を踏んづけた。「ギャっ!」と叫んで、翔の足が自由になった。しかし、口から何かが飛び出して、今度は彼女の体に巻き付いた。
「チキショッ放せ、クソガエル!」
あいつはゆっくりとらん子の前に来ると、大きな口を開いた。彼女を頭から飲み込もうとしている。喉の奥の暗闇から、腐臭が漂ってくる。
未来はガマの顔に向かって、さっきの催涙スプレーを吹きかけた。
「ギャアアアァァッ!」
断末魔を上げてガマはのたうちまわった。顔をかきむしり、自分の皮をえぐりとる。
「今よ」
未来はらん子に肩を貸し、駆け寄る翔と一也に引っ張られて、保健室の窓から飛び降りた。最後の一也は出たところで窓を閉めたところで、ガマが顔を押し付けた。何やら言っているが、きっと憎しみの言葉を吐いているに違いない。
ガマの姿が薄くなり、やがて消えた。
「大丈夫、翔ちゃん?」
「ちゃん付けはやめろよ。もう幼稚園じゃないんだから、恥ずかしいぜ」
そんな二人のやり取り眺める十五年組。特に一也は自分達みたいで気恥ずかしくもあり、面白い光景を見ている気分だった。
いきなり、らん子が未来の頭を持つと額を合わせてきた。
「あんた、意外と根性あるじゃん。さっきはありがとな」
「う、うん」
「ところで、なんなのあれは?」
「仲里は気にするな。悪い夢を見たんだよ」
「とぼけんなよ。あたしだって、あのバケモンが見えたんだよ。何、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てきそうなのは?」
翔は観念したように、ワタルの出来事をらん子に話した。
未来はあることに気づいた。この出来事が本当なら、雛の母親はワタルの妖怪を目撃しているはずだ。もしかすると、雛にも話していたかもしれない。しかし、昨日の翔の話では、彼女のことは全然言及していなかった。
「信じられない話だけど……黒澤の話なら信じるよ」
この子、まさか……未来は翔と裕美子とらん子の三人を交互に観察しながら、状況に合わない浮ついた考えを抱いていた。
「ねえ、カズ」
「何だよ」
「この三人、間違いないよ」
「何が間違いないんだ?」
「ドンカン。三角関係に決まってんじゃん」
ささやくようなことじゃないという風に、一也は呆れたようにため息を漏らした。
「取り込み中に申し訳ないんだけどさ」さっきの少年が言った。胸の名札には、六年三組、佐藤太助とあり、真横には『青空コスモ』とあった。
「そろそろ、ネタばらしはないの?」
翔は首を振った。
「今のは全部本物だ、天才子役。これは現実なんだ」




