三章 世界への反逆
気づけば、雨が降り出してきた。
「・・・・・・」
ぽつぽつと徐々に全身が濡れていく、身体は重く冷たくなる。
「・・・・・・」
それでも動こうと思わない。
「・・・・・・」
徐々に手足の感覚がなくなっていく。頭の中に靄がかかったような気持ちになるが、構わなかった。
もう、それでいいやと思う。
雨をしのいで、身体を温めて、それが一体何になる?
守るべきものは守れなかった。
誓いは打ち砕かれた。
なら、今の俺がどうなったところで、どうでもいい。
今度はきっと助けもこないだろう――
そう思っていたとき。
視界に兄貴の亡骸が目に入る。
「―――ぁ」
わずかばかり、心が動く。
重い身体をゆっくりと動かしはじめる。
亡骸に近づき座り込む。
触れても、声をかけても、もう返事はしてくれない。
――さようなら、愛しいクロエ。
母さんの言葉と、兄貴に触れた感触。
本当にもう、今の俺には何もないのだと、実感してしまった。
「――あん、お前、誰だ?」
そんな時、不意に声が聞こえた。
目を向けると、見知らぬ女が立っている。
真紅の長髪。
鋭さを持つ紅い瞳。
森に似つかわしくない黒のドレス。
雨に濡れることも気にする素振りもない。
「――――」
だれだ? そう思っても口を開く気力がなくなっていた。
「いや、それよりも――――おい人間、これをやったのは、お前か?」
「――――」
兄貴の亡骸を認識した瞬間、女の声が怒気をはらむ。
俺はそれを見て、不思議に思いながらもまっすぐ女を見つめた。
「じゃあ、誰がやった?答えろ」
「――――」
国の騎士達だよ、と心の中で答えるも、口は開かず、まっすぐ見つめるまま。
自分の今の状態が不思議でならなかった。
どこまでも、心が平坦のままだ。
そんな不思議な感覚を抱えたままじっと女を見つめ続ける。
「・・・・・・おい」
声をかけられるのと、木の幹に叩きつけられたのはほぼ同時。
「――っ」
何をされたか、それを理解するため女の方をみれば、足を大きく上げているのが見えて――どうやら蹴り飛ばされたようだ、というのが何となく理解できた。
ああ、こんなに強く蹴られ、叩きつけられれば痛いはずだ。
少なくとも呼吸は一瞬止まっている。
「ガハ、ゴホ」
咳き込んで、身体が空気を求めるために必死に呼吸しようとしている。
背中が熱をもっていて。
かなり痛いはずなのに。
なんでだろうか? 自分の事なのにどこまでも他人事のようだった。
「・・・・・・お前」
女はつかつかと乱暴に歩み寄り、苛立ちをぶつけるように胸ぐらをつかみあげ、ごつんと勢いよく俺の額に叩きつけて、そのまま真正面で睨みつけてきた。
「目が死んでる、心ここにあらずってやつか――――ちっ」
「――――」
興味を失ったかのように顔を離したかと思えば、ぶんと俺を放りなげた。
俺は一切の抵抗する気もなく、空中に放りだされ、そのまま人形のようにドサリと地面に倒れ混む。
それでも立ち上がる気力は一切わかなかった。
「お前みたいなヤツは何をされても、言われても、何も感じなくなっちまってる。だからここでいくら詰め寄ったところで無意味ってわけだ。――――あいつを殺したのはお前じゃないってことはわかる、が。じゃああいつは誰に殺された? リーシャは? あいつが傍にいればあのまま放っておくなんて死んでもありえない」
吐き捨てたあとで、兄貴の亡骸の前に移動する女。
兄貴と、母さんを知っているようだった。
本当にこの女は何者なんだろうか?
「――――」
いや、そんなことはどうでも良い。
それよりも、今は。
「あん? 何の真似だ人間」
女が眉をひそめる。
「なにを、する、つもりなんだ」
這いずるように移動しドレスの裾を掴む。
「なにってお前――――こいつとは知己でね、死んでいるなら、私なりに弔って――――っておい、人間」
改めて、女が近寄り、顔を近づけのぞき込む
「お前に何を言っても無駄かもしれないが、答えろ」
先ほどと同じように顔が近づく。
違うのは、怒気を孕んでおらず、こちらを心の底を探るような目つきでいること。
「こいつ――ベアはお前にとって、何だ」
視線を俺から兄貴に移し問われる。
ああ、それは。
「俺の――」
どれだけ、心が何を感じなくなっても。
力がちっとも入らなくたって。
答えなくちゃいけない。
それすらできないないなんて。
「俺の―――兄貴だ」
嫌に決まっている。
「そうか・・・・・・じゃあ手伝えにんげ・・・・・・名前は?」
女からは敵意が消えて、不思議に思いながらも口を開く。
「・・・・・・クロエ」
俺の返事に「そうか」と答えると軽々と兄貴を亡骸を抱え、歩き出す女。
俺はわけがわからないまま、のそりと起き上がり後をついていく。
本当に、この女は何者なんだろうか?
そうして、森の奥の一角に墓をたて、今は家に戻ってきた。
兄貴を知っている時点でもしやと思ったが、この女は俺の家――――というより、母さんの家を知っているようだ。
「さて、と。ベアを兄と呼ぶっていうなら、クロエ、私はお前を身内扱いしたい。だが、お前もそうだろうが、私はお前を知らない。だから、ここで情報交換といこう」
お茶を一口のんで、じっと見つめる。
「まず、私の事を話す。その後でいい。なにがあったのか、聞かせてくれ」
男勝りの口調は変わらない。けれど声色に温かさが混じる。
そのせいだろうか、先ほどと違い、耳に入ってくる情報をしっかりと聞くことが出来た。
こうして女――クレハのことを知っていく。
クレハは鬼人――人々から恐れられている戦闘種族であること
母は知古の娘であり、兄貴を拾ったのはクレハらしい。
赤ん坊だった兄貴がこの森で母をなくし、行き場をなくした所でクレハと出くわした。
そして、気まぐれでこの家へ連れて行き、母さんと出会い、家族になったのだと。
自分は気ままに旅をするので兄貴を連れて行けず。母さんも世界からダブー視されているので、外へつれていけない。
そんな兄貴と母さんが種族は違っても、家族となったのはある意味当然だったのかもな、とクレハは言った。
それからは数年単位でこの森にやってきて交流を深めているのだそうだ。
「だから、数年ぶりに会いに来てみれば、ベアは死にリーシャもいない・・・・・・いったい何があった?」
「・・・・・・実は」
ここで俺は語る。
これまで起こった出来事の全てを
「――そうか」
語り終えた所で、少しの間静寂が訪れる。
「・・・・・・」
閉じていた瞳をあけて、クレハは問う。
「お前はどうしたい?」
問われた言葉に何も返す事ができなかった。
「・・・・・・」
願いはある、ただそれを口にできない。
それは意味のない事だと自分自身が思ってしまっているから。
だから変わりに出た言葉は――。
「俺には――――力がない」
元の家族を失った時も。
新たな家族を失った時も。
俺には力が足りなかった。
「それは力があったら違うんだろ? ――言ってみなクロエ、お前はどうしたい?」
微笑み問う仕草に、思わず視界が滲む。
クレハは母さんではない。
昔と今、どちらの母親とも似ていない。
けど、それでも母さんを思い出してしまうのは。
その瞳や声が、見守るように温かいからだろう。
だからゆっくりと願いを口にする事ができた。
「俺は――――どんなモノからも何事からも、奪われない力が欲しい」
ああ、そうだ。
俺はずっと――――奪われたあの日からそれを求め続けてきた。
だから、訓練を続けた。
必要ないと優しく言われても。
兄貴がどんなに強い存在でも。
無力なままででいる事に、自分自身が許せなかったから。
自然と歯を食いしばり、拳を固く握る。
「なるほど、ね。なぁクロエ」
一度言葉を区切ってから、クレハは言った。
「お前――人間やめてみるか?」
最初何を言われているかさっぱり理解できなかった。
「どういう・・・・・・意味だ?」
意味を理解したくてじっと見つめて尋ねると、クレハは何でもない事のように返す。
「言葉の通り、だが――そうだな、もっと具体的に言おう。力が欲しい。その願いを叶えるために、人間を止めて――――」
ここで声色が変わる。
怒っているわけではない。
けれど、重く鋭い声。
これは――。
「世界の敵になる覚悟はあるか?」
言葉通り、俺の覚悟を問う質問だった。
「世界――」
その言葉に、浮かんだのは激情。
冷めていた心に荒れ狂わんばかりの怒り。
「世界なんてクソッタレだ」
右腕を動かし、紋様を見る。
罪人の証。
魔法で罪人の家族にも刻まれるもの。
「父さんは、罪人じゃない。善人だった」
父さんは薬剤師で、魔法と薬草を用い、人を救う人だった。
そんな父さんと、父さんを支える母さんが大好きで、幼い俺の世界の全てで。
ずっと信じていたんだ。
あの時間がなくなることはないって。
なのに。
それを、父さんをよく思わない連中に冤罪を押しつけられ。
「それでも、世界は父さんを殺した」
もう、純粋に他人を信用も信頼できなくなった。
ぎゅっと、怒りと痛みで自身の胸を掴む。
「兄貴の事も――」
あのクソ野郎を思い返すだけで、どうにかなりそうだ。
『魔物なら容赦する必要なし』
そう、兄貴は魔物だ。
人を襲う、駆逐するべき対象だった。
でも、母さん以外で唯一俺に温もりをくれる存在だったんだ。
バカをやって騒いだり、一緒に母さんに注意されて落ち込んだり、本当に兄弟として過ごした。
父さんや母さんを殺した大人なんかより、ずっと大切だった。
それでも。
「世界は兄貴を認めなかった」
そして――――。
「どんな理由があろうとも、俺の母さんは優しくて温かくて、俺と兄貴の全てだった」
世界から存在する事が禁忌だと決めつけられた母。
人の欲だって?
ふざけんな。
自分の欲や保身に走るだけの奴らと一緒にするなんて虫唾が走る。
母さんは、何より大事な存在だというのに。
それなのに
たった一つの理由で、自由を奪い、尊厳を踏みにじる。
「世界が俺の大事なもの全てを否定するというのなら――」
俺の大事なモノ全てを、世界の正しさが奪いつくすというのなら。
「俺は喜んで、世界の敵になる」
願いを口にし、今の思いを口にしたことで心に火がともる。
それも優しさなんて微塵もない。猛々しく全てを焼き尽くす猛火。
世界というものに対して、俺が思う感情を代弁している。
「なぁクレハ、人間をやめて力が手に入るというのなら、その通りにする。だからもしそんな方法があるというのなら、教えてくれ」
「――――わかった」
俺の言葉に頷き、クレハ手を差し出した。
ここでクレハは優しさよりも猛々しさを強く出して笑った。
「お前に禁術である鬼喰らいという方法で力をやる。ただ一応忠告だ。人間をやめる、世界の敵になる。これは大げさなことではない。そして鬼喰らいは禁術とされているだけの代償がある。だからもう一度聞こう。覚悟はあるかクロエ」
そんな言葉を鼻で笑い、即答で返す。
「喜んで人間止めてやる。だからクレハ、俺に力をくれ」。
「いいだろう。とはいえ、鬼喰らいの前にすることがある――――そうだな、一ヶ月」
ぴんと人指し指をたてて、クレハは提示した。
「一ヶ月で鬼喰らいに耐えられるだけの土台をつくってもらう。いいかクロエ、今日からお前は一ヶ月間、生と死を何度も行き来するような、そんな修行をうけてもらう。頼むから―――――折れてくれるなよ?」
「は、上等っ」
生半可なものなら、きっとクレハのいう方法とやらはもっと世界に知れ渡っている。
けどそうなっていない。
そして何度も覚悟を問われるということは、それだけヤバイということなんだろう。
けれど。
それでも、まだ。
まだ俺にできることが残っているなら、こんなに嬉しい事はない。
だから、俺は笑った。
心から。
そして牙をむく。
今までより強く、深く。
敵意をむき出しにして。
――さぁ、世界に喧嘩を売ってやろう。




