相対整理論のススメ.3
人目から隠すように、背の高い木々が周囲に生い茂っている箇所。そこに位置する部屋から、聞き覚えのある声と気になる単語が聞こえたのである。
近くにある木の陰で身を潜め、声の出所を見れば、窓がわずかに開けられた部屋が目に入った。
「いえ、そんな……大したことは特に……」
「とんでもない! これはこの場所でしか保管できない程に、危険なものでした。上位の神官でも浄化しきれず、すぐに元の濃度に戻るので、現状ではそれを繰り返して状態を維持するしかできなかったのです。それを、ほら、この輝きを見てください! 重いギラつきが無くなり、清らかな透明度が見えるでしょう。普通、瘴気は物に宿った場合、黒くくすみ澱む影が見えるのでわかりやすいのですが、ここまで濃くなるとむしろ人を強く魅了する程の鮮やかな輝きになることもあるので、下手に人前にも出せずより対処に困る代物となるのです。それが解消されたとなれば、大きな負担が減ったということで、我々は大変に助かるのですよ」
「それは、良かったですけど……」
嬉々とした熱量に圧されている声は、探していた彼女のものだった。
やはり既に聖女と認定されており、今はその力の検証か何かをさせられているらしい。
こっそり、真緒は木の陰からその中を覗き見ることにした。
「実感がおありでないだけですよ。素晴らしい所業を行っても、本人にとっては普通のことだから自覚が無い、という事例は、様々な達人にありうる盲点ですから。どうか、ご自分の力を信じてください。……でなければ、貴女の域に到底到達できない我々は、卑下されたも同然となってしまいます」
「えっ、ぁ、そんなことは全然、ない、思っても無いです、」
「ふふふ。わかっていますよ。お心遣い、感謝いたします」
「いえ、心遣いとかじゃなくて、本当に、……」
微笑んだ神官らしき人物に、彼女はたどたどしく、わやわやと両手を胸の前で振って否定した。
和やかな空間がそこにはあった。
平和な一時である。
大事に、丁重に扱われている『聖女』。彼女は変わっていないようである。強いて言うなら、『聖女』としての力の使い方を学び始めた、といったところか。
「……でも、これ、その内生き物にも使わなきゃならないんですよね……」
「『魔物』のことですか。ええ、奴らも危険な存在ですからね。『瘴気』が主に物に宿り篭るのに対し、奴らは自らの形と意思を持って動きます。どちらも人間を害してくる存在に変わりありません。こちらがやらなければ、やられる。だから、相応の対処をしなければならないのです。これは、我々人間が生き残るには仕方の無いことなのです」
(あ、そういうのいるんだ……。じゃあ、この世界の危機ってそれ関係? 聖女でも一般人でも危ないじゃない……)
真緒は眉間にシワを寄せた。
まずは自分が聖女ではなかったことに一安心。戦いの前線に出るようなことは無いだろう。『浄化』とやらの有効な能力は神官にもあるらしいが、この世界の一般人がどうなのかも気になる。無ければ、召喚時に見たように複数の神官のいるだろうこの城の外に出るだけでも、相当危ういことになる。
「……でも、物に宿った瘴気に憑かれたという人を浄化した時、その人自体も少し、ヒビ、欠けて、崩れ掛けたじゃないですか。もし、魔物じゃない人とかも、巻き添えにしてしまったら……」
実際に見た光景を思い出したのか、彼女の声が途中でわずかに震え、詰まりかける。それを宥めるように、神官らしき人物の声は一段と優しいものになった。
「強き浄化の力は、わずかな『悪』にも作用しやすいのでしょう。瘴気に侵食された人間や悪意のある人間はもちろん、無駄に贅を尽くす強欲な人間も、日々最低限の多数の命を食して生き長らえているだけの人間も、他の生物すらも。……ですが、聖女様は力の扱い方が大変優秀でいらっしゃるので、そうならないよう制御することもすぐにできるようになるでしょう。そう、心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「……だと、良いんですけど……」
(『浄化』も危険じゃない……)
続いた会話に、真緒は眉を寄せつつも、むしろ目を伏せるまでに脱力した。
防衛手段すら安全性が保証されないのならば、対抗と自滅の両立が成り立つ、なかなかに綱渡りな力関係の世界だろう。
――――と、考えたところで。
視線に感付かれたのか、ふいに、神官らしき人物が窓の外へと顔を向けてきた。間に彼女を挟んだその動作は何気無く自然に見えるものだったが、目の奥に宿る鋭さが、射抜く敵を探して広範囲を一面に納め、見据えてくる。
真緒は木の葉がさざめく影に紛れ、できるだけ動きが見えないように、ゆぅっくりと膝で体重移動をしながら、上体を退げた。木の陰に完全に隠れ、探る気配が消えるまで遣り過ごすことにする。
ただ、窓から見えるだろう角度の問題で、体勢がやや仰け反り、少々不安定である。足元にもあまり顔を向けられない状態だが、盛大に転倒するようなことはまず避けたい。
やむを得ず、真緒はほぼ摺り足で、しかし万が一砂や小石で音が立たないようある程度は浮かせながら、静かに片足を移動させた。
わずかな距離で妥協し、慎重に着地させる。
――――パキリョ。
小さな固い木の実と細かい小枝を纏めて踏み潰す乾いた音が、視界の外、足元から容赦無く響いてきた。
些細な響きだというのにやけに大きく聞こえたそれに、向けられた視線がより鋭く、一点に集中したのが感じられた。
(学習能力)
内心で自分を叱咤して、準備。
秘技。
「ナァ~~~ゥ……」
「ネコチャン!? ネ、ネコチャ……ネコチャン!!!!!」
(おっと失態)
聖女様がご乱心なされた。
作戦が裏目に出て、真緒は固まった。
(しまった。ダメな方だった)
精神的に限界極まった猫好きには、鳴き声だけでも劇薬だったらしい。
カッと見開き同時に振り向く反応速度は瞬時のもの。次いで勢い良く立ち上がったと思えば声のした方へ、同じ単語を途切れ途切れに呟きながらふらふらと歩み寄ってくる。
(あ~~~っと、どうしよう)
「……チャン……ネコチャン……」
「猫……? 猫をご所望ですか……?」
「ネコチャンッ!!!」
「猫ちゃんをご所望ですか!! おい、外に回って包囲しろ! 中は私に任せろ!!」
「「はっ!」」
呼び捨てにしたのを訂正された神官らしき人物が、怪訝な表情から一転、部屋の外に待機していた護衛だろう数名の連れの兵士達へと指示を飛ばした。
何とも頼もしい判断である。
真緒にとっては厄介極まり無かった。
(逃げ、逃げ……とりあえず他に隠れられる場所は……)
周囲を見回し思案する。
ふと、そこで控えめな一鳴き。
「カァー……」
(カラス?)
聞こえてきた方向へと振り向くと、いつの間にか少し後方の草むらに、カラスが一羽、ちょこんと立っていた。カラスはまるで「ノッてきな、お嬢さん」とでも言うかのように、両翼を広げて見せた。
その仕草に、思い当たる節が一つ。
(あ、あの時のカラス?)
そこで、ピンと来た。
「……マーォ」
「カァーァ」
「マーーォ」
「カァーーァ」
「マァーーーォ!」
「カァーーーァ!」
「マァーーーーーーーォ!!」
「カァーーーーーーーァ!!」
「ギャフベロハギャベバブジョハバ!!!」
「ギャァァァァァァァギャギャギャ!!!」
威嚇の応酬である。
最後は同時だった。
カラスはそれを最後に、わざわざ助走もどきに加え低空飛行を長くし、草むらと背の低い木々でわざと音を連ね、いくらか進んでからどこかの空へと飛び立っていった。
「ネコチャン!!!!!」
「追え!!」
「「はっ!」」
悲痛な心配する声の後、命令と共に城の方から来た二名の兵士が、カラスが音を連ねた方向へと走っていく。
どうやら、追っ手の注意を引くのは成功したようである。
(今度会ったらまた何かあげよう……相方の分も……果物かナッツが好きなのかな……)
お礼を考えながら、真緒は再び彼女の方を見た。
最後の一人、神官らしき人物はその場を離れる気配が無い。大事な聖女を一人にしないための護衛といったところだろうか。これでは、彼女との接触は無理そうである。
今回は素直に諦めることにした。
まだ機会はあるだろう。
――……ライ麦の……パンも……好きだよ……。
(……いやこの声何?)
思考を次の目的へと切り替えた途端。囁くような、ほんのりとした声が脳内で聞こえた気がした。まだ現実のままだが、それはいつもの、夢で聞く声に思えた。
(今? それを?)
応答は無い。
気のせいか、と思い直し、真緒は身を潜めながら、そろりそろりと移動することにした。
夜になり、夕食に出たライ麦のパンを半分隠し持つ。ふと思い立って、寝る前、試しに窓の外に置いてみることにした。
翌日には、キラキラした装飾のハットピンへと変わっていた。
六日目の朝のことだった。
「ああ、誰の……」
盗品か、と一瞬心配になったが、よく見てみると、パッと見ではわかりづらいが装飾の造りからして一部が欠けてしまっているようなので、壊れて捨てられたかした廃品を拾ったのだろう、と思うことにした。
ちなみに、夢であの声が本人か聞いたところ、「ああ、私だよ」とさらりと返された。現実の真緒に対し、今では一言程度の介入ができる、と試してわかったらしい。が、真緒としては、伝える内容は他に無かったのか、とも思わなくは無い。アレは後から夢で答えてもいい内容だった気がした。
結果としては、支障も無くむしろ有益だった訳だが。
それはともかく。
過ぎたことは置いておいて、彼女との接触の仕切り直しが最優先だろう。
周りから『聖女』として扱われても、彼女の態度は変わっていないように見えた。ただ、プレッシャーや気遣い、精神的には独りである心細さからか、かなり疲弊しているようである。
心が休まる相手でも現れて優しく受け入れられでもしたらコロッと落ちてしまいそうだが、そうなる前にこちらに引き入れたい。この世界に来てからの扱われ方は違うが同じ境遇なので、こちらに分があるとは思うが、接触できる頻度からすればあちらが有利なのである。
真緒は慣れてきた脱走手順で部屋を後にすると、前日に続き、再び城の敷地内を探ることにした。
今日は城の裏側から見て回る。
表よりも庭は狭いが、オブジェ等がほぼ無いので、見晴らしは良い。故、何かしらの実用的な訓練等をするには良いが、隠れるには適さないだろう。遠いが見える距離には、小さな森のように集う背の高い木々が城壁の内側を覆っているようである。
前日確認した様子だと、表と裏が常に通じている通路は結構な頻度であったので、今回は主に城内の壁や柱を頼りにして身を隠し、進むことにする。
聞き覚えのある声が前方から聞こえてきたのは、しばらく経ってから。やはり、城の中央付近でのことだった。
「――――ええ、聖女様の方は順調です」
「そうか。それは良かった」
あの神官らしき人物と、別の誰かとの会話。年配の方は、話しぶりからしても上司か指導者か、といったところだろうか。二人は服装が似ているので、神官仲間なのかもしれない。
「我々とは比べ物にならない程に、大いなる聖なる力は、確かに備わっていらっしゃいました。……ただ、やはりもう少し訓練は必要かと思われます。力の扱い方は申し分無いのですが、生物が相手だと、まだどうしても躊躇してしまうようでして。それで、せっかくのチャンスを逃すのも惜しいもの」
慎重に落ち着いた声はわずかに反響して、一本道の通路を伝う。真緒は壁の窪みとオブジェの間に身を隠しながらも、目を閉じて視界からの情報を遮断し、神経を耳に集中させた。
「だが、あまり時間を掛けてもいられまい。こちらの情報を遮断し聖女様から遠ざけてはいるが、まだ目立った動きは無いとはいえ、ヤツがいつ、何をしてくるやら……。何と言ってもヤツは――――」
「『魔王』の素体。魔王が再びこの世界に顕現するための、肉体を構成するための材料。……ええ、心得ております。しかし、まだ猶予はあるはずです。魔王が素体を新たな自身へと作り替えるには、仮に先に意思が素体に宿れてもそれなりに力を取り戻さなければなりませんし、それには月が何度か満ち欠けを繰り返す程には時間が掛かると聞きます。ですから、ヤツが既に魔王の手の内だとしても、現在はまだそれ程の力は無いはずです」
(……ん?)
聞き捨てならない、不穏な言葉が聞こえた気がした。真緒は聞き逃さなかった。
「せっかく、こちらが先に捕らえたのだ。まだただの素体の内に、力の無い人間の内に、対処しなくてはならぬ。聖女様を危険に晒してまで、聖女様と共に喚び寄せたのじゃから。その意味を無駄にしてはならぬぞ」
「存じております」
(……あれ?)
誰のこと、いやまさか、と考えて、一拍。認めたくはないが、当て嵌まる人物に心当たりがあった。
「あの黒髪の方の娘は、確実に殺さねばならんのだ」
「――――ええ、勿論」
自分のことだった。
――あ。
(貴重な一言が)
聞き慣れた声が脳内で聞こえた際、初めに感じたのが勿体無さだった。おそらく、今日の一言はこれで終了である。
(え? ……え???)
そして続く別の懸念。
今日の夢での議題は決まりだった。




