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心配

***


 「あ、テオ!」


 次の授業に向かう最中、廊下で姉であるフィリーネに声を掛けられた。珍しく隣にリエナの姿は無く、まぁ昨日の今日だし仕方ないか、と勝手に納得する。


 昨日はあの後、無言のまま夕食を並んでとり、挨拶もそこそこに分かれてしまった。あまり押し過ぎるのも良くないかと思い、あえて顔を合わせないようにしていたのだが、もうそろそろ我慢が効かなくなりそうなところだった。無意識にリエナが居そうな所に足は向かい、途中で気付いて引き返すを繰り返していた。


 背後からフィリーネの声がした瞬間、隣に居るであろう人物を想像して、柄にもなく気分が高揚してしまった。


「フィリーネ、どうしたの?」


 自分にそっくりな姉はその可愛い顔を困ったように歪ませて近づいてきた。リエナと違い、フィリーネは小柄でテオと同じくらいの身長をしている。やっと姉に追いついたところなのだと実感すると妙に気分が落ちる。


 フィリーネはそんな心情を察することなく、同じ高さの目線を逸らすことなく見つめて小首を傾げた。我が姉ながら、こういった仕草は本当に可愛いと思うし、リエナにも見習って欲しいと思う。しかしただでさえ可愛いリエナがこれ以上可愛くなってしまい、男どもが群がってくるかもしれないと思うと、今のままでいて欲しいと強く思いなおした。


「今日、リエナに会った?」

「いや? 会ってないかな」


 テオの返事にフィリーネは少し考えるように間をおいた。


「リエナがどうかした?」


 大方、昨日のカルヴィンとの出来事を後悔してへこんでいるのだろうと予想はつく。リエナは昔から切り替えが得意な方ではないのは長年の付き合いで知っている。


「それが、今日、一度もしゃべってくれなくて、なんだか距離を置かれている気がするの」


 リエナの気持ちを考えれば当たり前の行動だ。何が悲しくて恋敵と仲良くしないといけないのだと思うだろう。テオ的にはリエナが弱ってくれればくれるほど、つけこみやすくて良いのだが、さすがのテオも好きな人が悲しむ姿を楽しむ趣味は無い。


「何か心当たりはないの?」

「うーん……ないわね」


 助け舟を出そうとするが、この鈍感という言葉を体現したような姉にそんな小細工は通用しない。はっきり明言しないと伝わらなさそうだか、それをテオがしてしまうとまたややこしい話になってしまう。最悪の場合は告げ口したと勘違いしたリエナに嫌われてしまいかねない。それだけはなんとしても避けたいテオは口を噤んだ。


「それに、なんだか調子も悪そうで、心配なの……」


 聞き捨てならない言葉に思わず食いついてしまう。


「調子が悪いって、そういうことは先に言ってよ」

「え」


 会いにいける理由が見つかったのだ。こんなところでフィリーネののんびりとした会話に付き合っている暇はない。


「テオ?」

「ごめん、用事を思い出したからまた後で」


 早口にそういうと向かおうとして教室とは逆方向に走り出した。呆気にとられた顔のフィリーネはしばらくその場を動かなかった。


***


 図書室の重い扉を開けると、丁度壁際のストーブで暖をとっているリエナの姿を見つけた。テオは真っ直ぐにリエナの元に歩いていく。


「ここにいた」


 声を掛けられたリエナは驚いたように身体を揺らしテオを見た。しかし次の瞬間には目を逸らしてしまう。リエナの横顔から覗く頬はいつもより紅潮しているが、体調不良のせいなのか、ストーブのせいなのか判断がつかない。せめて顔を見せてくれればと思うが動き出す気配はない。


「フィリーネから聞いたんだけど」


 フィリーネの名前を出すと明らかに動揺した空気を纏い始めた。そわそわと落ち着きなさそうに泳ぐ瞳が髪の隙間から見える。


 この反応から察するに、テオの予想は当たりだろう。しかし、今その話をするのは賢くない。


 テオはリエナにしか出さない優しい声で喋りかけた。


「具合が悪いって……大丈夫?」


 リエナは少しの間の後、小さく頷いた。相変わらずテオの方を見ようともしないが、コミュニケーションをとってくれる気はあるらしい。少し安心したテオは距離を詰めて自身の手の平をリエナの額に当てようとした。が。


「熱とかない?」


 リエナは物凄いすばやさで飛びのき、逃げるようにテオとの距離をとってしまった。さすがのテオもここまで避けられるとは思わず固まってしまう。


 気まずい空気が流れ始めた。それでもリエナは下を向いて喋ろうとはせず、テオもどうしたらよいものかと考えあぐねていた。


 無言のまま時間が過ぎていく。誰も訪れない図書室はストーブのから吐き出される空気の音と奥に設置された大きな置時計が秒針を刻む音以外聞こえてこない。


「大丈夫そうなら、俺、行くね」


 テオは少し声を落としてそう言った。


 ここで引き下がるのもどうかと思った。しかしリエナがこの状態なら一向に埒が明かない。沈んだ声を出して気にかけてくれるのを期待したが、リエナは相変わらすで、頑としてこちらを向いてくれる気はないらしい。


 この状態になったリエナは自分の中で問題が解決するまでは他人の介入を許さない。幼い頃からのこの意地っ張りな性格は、成長して更に悪化した気がする。それとも、今は理由が理由だからなのかは本人しか分からない。要するに今は一人にしておくのが最善なのだ。


 テオはゆっくりとリエナに背を向けると出口へと歩き出した。部屋を出る直前、盗み見るようにリエナの様子を窺ったが、黒目がちな大きな瞳がこちらを向くことはなかった。


「あー、失敗したかなぁ……」


 図書室から離れて、ふらふらとあてもなく歩き続ける。今は授業中で、廊下を歩いている生徒はいない。テオもこんなところを見つかると面倒くさいことになるのだが、今はリエナのことで頭がいっぱいでそれどころではない。


 リエナが悩んでいるのは明白で、理由は十中八九カルヴィンのことだ。仮に『何も知らないテオ』という立ち位置だったらリエナはもう少し心を開いてくれただろう。しかし、涙の理由を知っていて、リエナが取り乱した瞬間を目撃して、そしてあろうことかその弱みに漬け込んで手を出しかけたテオに信頼できる余地はない。そう考えるのが普通だろう。


「急ぎすぎた……」


 焦っていたのは認める。完全に順番を間違えた。もう少しリエナの心に入り込んでから行動に移すべきだった。


 テオらしくもない愚行にため息をつく。いつもはもっと冷静に自分も他人も見れていると自負しているのに。


「あんな顔されたらさぁ」


 本当に反則だよ、と誰にともなく呟く。リエナの関して押さえが利かない自覚はあったが、ここまでと、は思わなかった。これは相当根深いなぁなどと最早他人事のように考えるようになってくる。


 しかし、リエナと違って今更後悔しても仕方がないことに時間を割くつもりはない。リエナとの未来の為に今はとにかく前を向くしかないのだ。


「さぁて、次はどうするかな」


 テオは滅多にしない真剣な顔つきで誰も居ない廊下を足早に歩き始めた。


***


 懐かしさを感じる程度にはしばらく聞いていなかったフィリーネの慌てた声が廊下の向こう側から聞こえてきたのは、今日最後の授業が終わり、寮に戻るため教科書を鞄に詰めている時のことだった。

 力いっぱい扉を開け放ち、名家の息女らしからぬ取り乱し方でテオを呼んだ。いきなり現れた上級生に、教室内にいた同級生たちの空気が変わり、ざわざわと騒ぎ出した。

 それもそのはず、フィリーネはこの学園でちょっとした有名人らしい。カルヴィンに次ぐほどの身分の出なのに、気取らず、誰にでも分け隔てなく優しい。そんなところがフィリーネの人気をどんどん不動のものにしていき、今ではファンクラブのようなものまであるらしいと聞いた。テオが入学してすぐに話しかけてきた同級生たちはみなが口を揃えてフィリーネのことについて聞きたがってい様子だった。その時にフィリーネの人気を知ったのだが、同級生たちの反応は想像以上のものだった。本人にその自覚がないとこが残念なところだなぁと思わないでもないが、みなが牽制し合った結果、フィリーネに言い寄る男が現れなかったので、それはそれでよしとするか、とテオは納得した。あの鈍感マイペース殿下には通用しなかったが。


「そんなに息を切らしてどうしたの?」


 テオは肩で息をしているフィリーネに近寄ると、乱れた髪の毛を整えてやった。途端、遠巻きに見ていた女の子たちから小さく黄色い声が飛んだ。フィリーネがこれだけ人気があるのだ。姉弟である自身も同じような扱いを受けるだろうとは予想していた。テオは気にすることなく、フィリーネの言葉を待った。


「リエナがぁ」


 リエナのことだと予想はしていた。しかし、いきなり泣き出すとは思わず、嫌な予感に心臓が早く動き出す。


「リエナが?」

「リエナが倒れたの」


 涙声で言う。途端に頭の中が真っ白になった。


 図書室で会ったときにもっと様子を見ておけば良かったと悔やんでも悔やみきれない。


「リエナは今どこに?」

「今は医務室に……」


 フィリーネが言い終わる前にテオは駆け出した。


「先生はただの過労だっておっしゃってるんだけど、心配で……」


 フィリーネが後ろで何か言っているがもう頭の中に入ってこない。テオは泣きながらリエナの心配するフィリーネを一人置き去りにし、医務室へと向かった。

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