【6-10】弛緩 上
【第6章 登場人物】
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帝国東征軍の休暇は1週間経っても明けなかった。
帝国各隊の停止はいつからか。正確には、この年の2月頭――ヴァーラス城落城――にまで遡る。
4月にこそ、ヴィムル河流域会戦が行われているが、この作戦に従事したのは、帝国東征軍全体の3割に過ぎない。
砲兵の集中運用や敵総司令官の爆死など、派手な戦法や戦果に目を奪われがちであるが、同会戦は大軍同士の決戦ではなく、中小規模の部隊同士が衝突した局所的戦闘であった。
その理由としては、同会戦における戦場は、大軍を動かすには手狭であったことや、ヴァナヘイム軍の司令官をおびき出すため、帝国軍には機敏さと柔軟さが求められたことによる。
帝国各隊は、野砲や機関砲の提供こそ命じられたものの、この戦闘に参加した将兵は、6万程度であった。
残りの14万は、総司令部とともに後方ヴァーラス近辺に備えていたり、グラシルにてヴァ軍の南下に備えていたりと、主戦場に顔すら出していない。
その後、本国から調査団が乗り込んできたものの、忙しかったのはアトロン老将派閥に与する部隊のみであり、全軍は鳴りをひそめていた。
5月半ばまで、部下たちが聴取を受けたり、自身や副官が査問にかけられたり、結果として最前線への左遷が決まったりと、慌ただしさを見せたのは、エイモン=クルンドフ麾下や、セラ=レイス麾下など、一部の部隊だけである。
5月15日に調査団が帰国し、その後の再編方針が固まると、ヴィムル河の水源・ケルムト渓谷まで、200キロにおよぶ部隊移動が帝国全軍にわたって行われた。
だが、その行軍も、イエリンやフレヤなどヴァナヘイム軍が放棄していった都市を占拠するばかりであり、戦闘は行われていない。ケルムト渓谷まで進軍したごく一部の部隊が、ヴァ軍守備隊と銃火を交わした程度である。
4か月以上にわたる際限なき停滞に、下士官や兵士たちは退廃的な空気に包まれはじめていた。
対照的に各軍の高級将校たちは、身内での戦後の取り分交渉に励んでいる。5月中旬以降、彼等は連日自軍と総司令部との間を馬車で往復し、それは慌ただしいものであった。
将官から佐官までが不在の軍隊は、教師不在の学級に似ていた。
長らく続いた停滞の末、そうした状況に陥ると、帝国兵士たちの間に、弛緩に焦慮が加わった空気が生まれつつあった。
もちろん、各隊では演習や訓練を課されたが、先の見えない行軍停止による軍紀の緩みは、少しずつ帝国各軍に蔓延していった。
さらに、自分たちが最も楽しみにしていた略奪対象が、かつてのヴァーラス城のように王都から避難してしまうのではないかという焦りもそこに加わっていく。
帝国法では、占領地における略奪行為は禁じているものの、有名無実になって久しい。下士官、兵士たちが風雨弾雨のなか、本国から数百キロの行軍に耐えてきたのは、ひとえにそれを思うがまま堪能するためであった。
帝国兵の間に飲酒や出歩きなどがそこかしこに見られはじめたのは、6月に入って間もない頃である。
軍紀の緩みは、末端の兵士たちに顕著に見られた。
彼らの間では、酒に酔った戯れに「度胸試し」が流行りだしたのである。
【作者からのお願い】
この先も「航跡」は続いていきます。
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【予 告】
次回、「弛緩 下」お楽しみに。
レイスも「ぐーたら」モードに入ります(-_-)zzz
軍紀の緩みは、彼らにとっても無縁ではなかった。もっとも、レイス隊の場合、緩んでいたのは隊長の方であったが。
この紅毛の青年将校は、ストイックさとは無縁の性質であったから、ひとたび勤勉に任務に取り組む必要がない環境に置かれると、たちまち「勤怠」の字の内、「怠」の字が表に出てしまうようだ。




