その娘、聖神女祭前日
聖神女祭まで残り一日
ルディリアは聖神女祭まで、ダンジョンから持ってきた資料を読み込んだり、ダンジョン内で見つけた魔法陣の解析を行っていた。
まだまだ分からない事が多く、不安事も多い。何故リール村の人々はこの遺跡を報告したのか。報告しなければ、今年だって無事に儀式が出来たのかもしれないのに。いや、きっと報告するしかない自体が起きたのだ。それがなんなのか、彼らはそれを教えてくれる気はないらしい。それでも一つ分かることは、この聖神女祭までにそれについて確かな情報を得なければならないということだ。
リール村の人の事はイクリスとクラウストがどうにかしてくれる。それであれば、ルディリアはこの膨大な資料の中からその儀式の事やこの地の真実について調べるべきだろう。
だから、ろくにテントから出ることもなく、ただただ資料を読み込む。たまにテントの外から声を掛けられるが、無意識的にそれらの音を排除して資料に集中していた。お腹が減っていることも忘れ、頭が回り続ける間はただ資料に目を通す。
時間がない。
もう時間がない。
私が見つけないと…。
焦る心と、新しい知識が得られる喜びとで、ルディリアは気がつかなかった。冷えた身体が暖められ、どこか懐かしい香りがしたかと思えば、耳元で低い音が響く。
「いつまでそうしているつもりだ?」
そこで漸く気がついた。テントの入り口に背を向けて資料に没頭していたルディリアを後ろから包み込むように抱きしめ、冷えた身体を温めるクラウストの存在に。
「…ひゃっ」
小さな悲鳴を上げて恐る恐る振り返る。すると、透き通る青い瞳と交わった。息をするのも忘れて魅入る。暫くそうしていると、クラウストが小さく息をつく。それに併せてルディリアは大きな金色の瞳をぱちくりさせた。
「少しは休憩を入れろ。身体も冷えている。」
魔道具を使用してはいたが、若干の寒さは感じていた。それでも構わず続けていたから、身体が冷えたのだろう。そう思いながら、彼に謝罪しようと思って目を見張る。
「すみま…え、なんでここにいるんですか?」
声を上げると、クラウストは眉を顰めた。そして今度は大きなため息をつき、ルディリアの髪をくしゃくしゃとなで回す。
「誰のせいだ?君が食事も取らず、返事もしないからイクリスが心配して私に報告してきたんだ。ここには君以外の女性隊員は居ないからな。私が踏み入るしかないだろう。」
そう言われて、「あ。」と一言零す。すると、彼の口角があがった。
「まぁ、役得だがな。」
再度耳元に落ちた低い声に、ルディリアは頬が熱くなるのを感じて落ち着かなくなる。赤く染め上がった頬を見られたくなくて手で覆うが、耳まで赤く染まっているとは気がつきもしない。意味のないその行動に、クラウストはクスリと笑みを零す。今度はどう苛めてやろうか。そう思って手を止めた。ぎゅっとルディリアの身体に腕を回して閉じ込める。
「報告はあるか?」
「こ、この状態で、です、か!?」
「あぁ。問題が?」
余裕そうな彼に比べ、ルディリアは思考が停止する。
ち、ち、ち、近い…。
というか、な、なんで、だき…抱きしめて…!
「離して下さい…。」
小さくつぶやいた声は弱々しく、クラウストの距離でも聞き取るのがやっとだった。ルディリアは顔を手で覆ったまま、ぷるぷると震えながら懇願する。
「分かった。」
そう言って少しだけ離れたクラウストに、ルディリアは再度困惑した。
「えっと…、近い、です。」
「久しぶりな気がするな。」
真面目そうな声色でそんな事を言うものだから、ルディリアはついつい振り返ると、瞳を開けて指の隙間から彼を見た。
「昨日…会いました。」
交わった瞳をそっと外して、小さく落とした言葉に、クラウストは愉快そうに笑う。
「確かにそうだな。」
クツクツと喉を鳴らし、肩が上下に動き心底楽しそうな彼の姿に、ルディリアは不満げに目を細める。
この人は、また私で遊んでいる。
また、からかわれた…。
「だが、そうではなく。こうやって向き合うのはアルンベルンの邸の塔以来だろう?」
楽しげに緩ませた頬に、口元は弧を描く。ルディリアの金色の髪に指を通すと目を細めた。それだけで心臓が跳ね上がり、体中に心臓の音が鳴り響く。恥ずかしくて顔を俯かせると、両の手で頬を覆われた。見せたくなくて俯いたというのに、強制的に上げられて視線を逸らしながらも、きゅっと眉間に力を入れる。
「は、離して…ください。」
「あぁ」
穏やかな声色で返ってきた言葉だが、一向に離れる様子はなく、潤んだ瞳を彼に向ける。文句を言おうと口を開きかけたところで、額に彼の唇が落ちた。
「なっ!!!…なに、を!」
真っ赤な顔に更に熱が集まり、心臓がバクバクとうるさい。なんでこんなことをするのか。何処まで人で遊ぶのか、と文句を言いたいのに言葉に出来ない。ぐちゃぐちゃな思考を正そうとするも、彼の言動のせいでそれもままならない。
「やはり、君は可愛いな。」
優しげな瞳が向けられて、驚いたルディリアは慌てて逸らした。下唇を軽く噛み、ぷるぷると震えながら俯く。俯きながらも視線はあちらこちらを泳ぎ続けて、普通でいられない。
この人は自分の顔が良いことに気がついているんだろうか?
自分の声が魅力的だと気がついているんだろうか?
この人の言葉が、私の心を惑わせていると、どうか気がつきませんように…。
「か、からかわないで下さい!」
赤い顔を上げずに、両の手を彼の胸に押し当て身を引こうと試みるも、びくともしない。恐る恐る見上げれば、意地の悪い瞳と目が合った。唇を突き出し、目で不満だと訴える。
「分かった、分かった。」
クスクスと笑いながらも、今度は本当に離してくれるらしい。
「これに懲りたら、次からは気を付けること。いいな?」
最後だけは上司らしい発言に「はい」とは返すものの、全く納得出来なかった。これは本当に罰なのか?そう問いなくなるも、聞くだけ無駄だと分かっているから止めておいた。ダンジョンから戻ったとき、彼の姿を見てほっとしたというのに。あのときの気持ちを返して欲しい。
むすりとした表情を向けながら、ルディリアは資料から読み解けたことを報告する。その間も、クラウストは楽しそうにしていたことが、やはり気にくわなかった。
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「そうか、こちらも共有しておきたいことがある。」
ルディリアが報告したのは、三つ。書き写してきた二つの魔法陣のことと、儀式と、聖水についての古い資料を見つけたことである。
魔法陣の解析はまだまだ途中ではあるのものの、どうやら資料によると“人ならざるものと友の契りを”とある為今すぐ必要になるものではないだろうと後回しにすることにした、という報告。
そして、儀式と聖水についての記述がある資料の方が緊急性と重要性が高いと判断し、今その内容を読み解いているとの途中であるとの報告である。
現状分かっている事は、聖水は土地や魔物にかけることで、退魔に大きく関わるらしい事と“満月の夜、月の光がとある場所を指し示す”らしいこと。それは儀式を行ったあとに出現するらしいというまだまだ曖昧な内容である。
「リール村の人間が数名、デイロス島へ上がりたいと言ってきた為、事情を話すならばと譲歩したが、渋っている。聖水に退魔の効果があると言うことは、魔物に関わる事件が起きたと考えるべきだろうな。」
クラウストの話しで、ルディリアはとある内容を思い出し、近くの資料を漁る。それを不思議そうに見ていたが止める気はないらしい。
「あ、ありました。これです。」
ルディリアは資料のとある部分をクラウストに見える様に差し示す。そこには古代語で一文の詩が綴られていた。クラウストは首を捻る。
「…魔の位?」
クラウストがぽつりと零し、彼が古代語に関しても多少の知識があるらしいことを知ったルディリアは、驚きながらも頷いて肯定する。
「はい、月が満ちるとき、魔の位の高きが、降立たん。とあります。考えるに、神位の魔物の事ではないかと。」
「神位の魔物が出現すると?」
ルディリアは少しだけ悩むと、どう言葉を繋げればいいか考えてから慎重に口を開く。
「えっと、出現というよりは、封印が解ける。という意味合いの方が正しくあります。」
大昔は、強大な力をもつ魔物を封印する際に、岩や魔石を地上から離し、そこに封印する事が多かったらしい。そのため、降立つとは、その封印が解かれて地上に戻ってくるという意味合いで使われることが多くある。伝承なんかにもそういう詩が残っていることが多い。
「神位の魔物が、満月の夜。儀式の後に何故解かれる?」
「…恐らく、としか言いようがありませんが、地上に魔素が満ち、魔力が一カ所に集まる為、力を取り戻すのではないかと。」
魔素とは空気中や大地に元々ある魔力原子のことである。ルディリアもまた、魔法武器の杖によりそれらを集めることで攻撃を行うことが出来る様に、魔物もそれらを体内に取り入れることで力を活性化させることができる。
そして月が満ちる夜――満月時には、魔素がより濃くなるのだとか。それを吸収することで魔物はより大きな力を一時的に手にするのだろう。そして、魔力が多く集まる儀式の場に姿を現すと。現われる理由は、勿論。食って、その力を得ようとしているのだろう。
「ふむ、それを回避する為に地に聖水を蒔く。と言うことか。」
「そう考えれば納得出来る部分も多くあります。」
クラウストは小さくため息を付く。ルディリアも苦笑を零した。以前討伐した神位の魔物は強大だった。あの場にいた面々が揃ってこそ討ち取れたのだ。今回の状況を考えれば、彼がこの場にいる事は僥倖である。しかし、では討ち取れるかと言われれば否。
「討伐は、無理だろうな。出現場所は分かるか?」
「これもまた、恐らくで申し訳ないのですが…、“月の光が場所を指し示す”とありますので、その夜になってみないことには…。」
「そうか、それならば問題ないだろう。」
曖昧な回答しか出来ず、ルディリアは申し訳なさそうに表情を崩す。しかしクラウストはあっけらかんとした物言いで言い切った。不思議に思ったルディリアが首を傾げる。
「といいますと?」
「月の位置くらい計算できるだろう。」
なる程とルディリアは頷く。儀式の後ということは、毎年儀式は同じ時間に行っていることを指す。もしかしたら去年はそれが外れた為に一時的に封印が緩み、遺跡を公表するきっかけとなったのかもしれない。
「場所はこちらで調べよう。君は封印について調べてくれ。時間がない中で強いるようで悪いな。」
「いえ、それが私の仕事ですから。」
「そうか、頼りにしている。」
苦笑したクラウストはルディリアの頭へと手を伸ばすと、くしゃくしゃとかき混ぜる。髪がぐしゃぐしゃになるにも関わらず、ルディリアはそれを制することをしなかった。
ただ、なんとなく、それが当たり前の様な気がして。
なんとなく、彼の手がしっくりきて、不思議と嫌ではなかった。
寧ろ、嬉し…。そこまで考えて、首を振る。今自分は何を考えたのか、と思い再度首を振ると、クラウストが訝かしげにこちらを見遣る。
「なんだ、嫌だったか?」
そう不満げに言う彼に「そんなことはない、ですが。」と口ごもる。
そんな事は、ない…けど。逆、だなんて言えるわけも、そう思ったことも知られたくなくて俯いた。
「そうか」
不思議そうにしつつも、少しだけ満足そうな声色のクラウストを小さく睨め付けると視線をずらした。
多分、何を言っても勝てない。




