クラウスト
「君たちちょっとは私を立てたりしてもいいのではないかな?」
数連敗している兄はぶすくれた表情を隠そうともしない。
次期公爵としてそれはどうなのか?と問いたい気持ちと、邸内で且つ兄が心許す者しかいないこの遊戯部屋だからこそたまには良いのかもしれないとクラウストは口を噤んだ。
「手を抜かれても室長は怒るのでは?」
淡々とした口調で兄に軽口を叩く彼女もまた普通とは違う。
無表情ながらも実のところ感情が豊富なのだと気がついたのは最初の遠征時である。
魔馬車の中では淡々と書類整理に付き合った彼女は、戦場に着くと表情を一変させた。悔しそうな、悲しそうな表情は騎士のそれだった。しかし他の者にはそれが分からないらしい。
確かに彼女は表情を隠すのが上手い。しかし完全ではない。微妙な変化に気がつくのはアルンベルン公爵家の教育の賜なのかもしれないが。
それから幾度も彼女と時間を共にするも、いつだって彼女は魔法を使用する時は感情が表に出ていた。その中でも一番それが顕著に現れるのが浄化魔法を用いているときだ。
祈りに近い彼女の浄化魔法は彼女の心中を映す鏡のようだった。
彼女はとても純粋だからこそ、あのような奇跡に近い浄化魔法が扱えるのかもしれないとクラウストは考える。
その姿はとても神々しく、まさに女神のようだった。
キラキラと光輝く景色の中、祈り続ける彼女から目が離せない程に。だからこそ、彼女が倒れることにもいち早く気がついた。多分、本人よりも早く気がついたクラウストは彼女が地に着くよりもずっと前にその身を抱えることが出来た。
「全く、君たちには勝てる気がしないな?やめだ。時間も良い頃合いだしクラウスト、ルディリアにあそこを案内してあげなさい。私はソフィアを連れて戻るよ。」
うとうとと眠そうに頭を揺らしているソフィアを抱き上げると、兄は部屋から出て行った。
兄の言う“あそこ”とは塔から見える夜景のことだろう。連れて行くのは構わないが、彼女ももう休んだ方がいいのではないか、とルディリアを盗み見ると不思議そうな表情で兄の背を見ていた。
「行くか」
彼女に手を伸ばすと、戸惑いながらも手を乗せた。興味はあるらしい。
女性をエスコートするのも久しぶりだった。ここ数年親族を除くと彼女以外の手を引いていないなと思い出す。
貴族院時代、幾度も女性にエスコートをそれとなく頼まれることがあったが全てはね除けた。噂が広まれば面倒なことになる。あらぬ噂を信じた者達の囁きは自分だけであれば無視すればいい。しかし、アルンベルン公爵家にまで及ぶのであれば対処が必要になる。そんな事が面倒で女性関係からは一線おいていた。彼女たちの目が好きになれなかったのもの理由の一つではあるが。
塔に繋がる道を歩いていると心地よい風が吹き通った。酒の入れた自分には寒さなどないが、彼女には少し寒いかと様子を見ると小さく肩を窄めていた。やはり少し寒いらしい。
目の前の石造りの塔を見上げると、彼女は瞳を輝かせた。造形に感動しているようだ。その隙にとジャケットを脱ぐとそっと彼女の肩にかけてやる。これで少しはましだろう。
「ありがとう、ございます…。」
「構わない。この上はもう少し風が吹くからな。」
俯いた彼女の顔を少しばかり赤い。こうしてからかうのは何度目か。どうも楽しくて彼女を構い過ぎる節があると自覚しつつも、無害であるのを良いことに度々反応を楽しんでいた。
塔の一番上につくと、王城ほどではないが王都の景色が一望出来る。クラウストも気に入りの場所だった。
アルンベルン公爵当主から連れられて兄と共に目にしたとき、この景色を守るべく公爵家があるのだと思った。
国を守るのは王族だけでなく、そこに住まう全ての者の責であり、貴族である自分はそれを率先して行う必要があるのだと。
兄が何を感じたのかは知らない。しかし、クラウストは守るものがよく見えた気がしたのだ。だから見失いそうになった時や、壁にぶち当たった時はこうしてここへ訪れていた。騎士として身を固め、邸を別に持ってからは足が遠のいていたがやはり素晴らしい景色である。
彼女はこの景色を見て何を思うのかと、ふと気になりちらりと目を向ける。
金色の髪は風に靡き夜にもかかわらず美しく輝いていた。彼女の金の瞳は大きく見開かれ、キラキラと輝かせている。どうやら気に入った様子だ。ほっと胸をなで下して、そこで気がついた。
――この場所を拒否されたくなかったのか…?それとも思いを…?
いや、そんな筈はない。
きっとここまで連れてくる労力に見合わないと空しいからだろう。
「気に入ったか?」
「はい、とても綺麗ですね。この場所を守る為に、私達があるのですね。」
彼女は左胸に拳をあてた。それは騎士の敬礼だ。いつの間にか彼女も立派な騎士になっていたのだと思うと自然と頬が緩む。そして同じ思いを抱いたのだと何だか心が温かくなった。
「あぁ、そうだな。」
ルディリアが景色へと視線を戻すも、クラウストはただその横顔を眺めていた。
「兄上の事だが、いつも面倒をかけてすまない。」
「…?いえ、それが私の仕事ですから。」
「だが、今日の話はそれに含まれないだろう。」
「そう、ですね。ですが、はやりソフィア様はお強いなと再認識しました。」
「あぁ、確かにな。」と苦笑する。そしてぽつりぽつりと過去の話を零した。
2つ年上のソフィアは昔から底抜けに明るい人だった。
最初に会ったのは確か10歳の頃だ。
天真爛漫といった言葉が似合う彼女はとても侯爵令嬢とは思えぬほどに明るく表情豊かだった。お転婆でよく転んでは使用人に窘められていたことを覚えている。
そんな彼女に兄はどんどん惚れていった。隣で見ていれば何とも分かりやすい態度に、いつしかクラウストは一歩離れて2人の様子を見ていることが多くなる。2人とも理解していたからだ。
アルンベルン公爵家の当主となる者が彼女と婚約するのだと。
クラウストは最初からそんな地位には興味が無かった。
勿論ソフィアにも幼なじみであるという以上の感情は抱けなかった。それに、父に連れられ展望で景色を眺めてからというもの、彼の中で目指す方向は定まっていた。
――騎士として、この国を守るのだ。
だからクラウストは一歩引いた所で2人を見ていたのだ。
想い合うのも時間の問題だろうと予測したそれは的中し、彼らの仲は深まっていった。その様子を見てクラウストは安堵した。次期当主は兄であると。しかし、1年経ってもそれが宣言されることはなかった。
父はまだどちらを次期当主にしようかと悩んでいたのだ。
クラウストが何度進言しても流された。理由は一つ。
サウスライドは机に向って勉強する事が苦手だったからだ。書類仕事の増える当主の仕事を担えるのか。勉強にも鍛錬にも励むクラウストの姿をみて公爵は頭を悩ませた。
天才である兄はそれほど勉強せずとも理解していた。だからこそ、簡単な勉強に嫌気がさすのだ。しかし、それはクラウストも同様だった。
2人の違いは、面倒事を投げ出すか、向き合うかの違いである。言わずもがな当主として相応しいのは後者である。
いつの間にかクラウストの方が有望だと気がついたソフィアの父はクラウストへと目を向けた。それに気がついたサウスライドは焦り、ソフィアと共になる為に別の方向で力を発揮する。
兄は社交が得意だった。
その強みを生かして敵対する勢力を黙らせた。情報戦で兄に敵う者は少なくなり、いつの間にかどの勢力からの圧力もはね除けられる力を手にしていた。
その後は領地を飛び回り、領地経営でもその手腕を生かして問題解決に努めると誰もが兄を次期公爵当主であると口にしはじめる。
そうしてやっとの事でソフィアとの婚約が認められた。サウスライドが16の頃である。
クラウストはやっとかと安堵し、更に勉学と鍛錬に力を入れた。もう誰かに遠慮する必要がなくなったからだ。
そうしてクラウストは貴族院卒業後騎士として働き、兄サウスライドは魔法研究室の室長となった。
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「兄上は昔から、机にずっと座っているということができない性格なんだ。」
「…私には少し、違って見えます。」
ルディリアの言葉が気になり、彼女へと視線を向ける。
「室長は確かに書類仕事が苦手で、すぐに飽きてしまわれます。ですが、そのどれもが室長でなくとも問題解決できるものばかりだからこそ、やる気が起らないのだと思います。本当に必要な事は私が言わずともすぐに手を付けておられますので。室長が嫌いなのは“自分でなくとも出来る簡単なお仕事”です。」
苦笑するルディリアを見てハッとした。
いままで兄の何を見ていたのか。兄はやれば出来るのにやらない人だと思っていた。しかし、確かに違う。幼い頃から公爵当主として必要な教育には手を抜かなかった。マナーやダンスなど、自身の糧となる者についてはとことん励んでいた。
社交が得意なこともそれに起因するのだろう。もしかしたら、領地経営についても兄の視点だからこそ気付くことができた事なのかもしれない。
「この数十年、私は何を見てきたんだろうな…。」
出会って一年も経たない彼女に、兄の本質を教えられたクラウストはうなだれる。人の心を読むのが人より得意であると思っていた事が恥ずかしくなった。
「考え方はそれぞれです。私にはそう見えました。そしてそれはアルンベルン騎士団長としても当てはまることがあったからそう思われるのではないでしょうか。もしかしたらソフィア様には別の視点で見えているかもしれません。立場や視点が変わるだけで、物事は大きく違いが生まれますから。気がつくことが重要なのだと、私は思っています。」
「あぁ、そうだな。」
それにしても、彼女はいつの間にこんなに表情が豊かになったのだろうか?
先程の苦笑なんて誰が見てもそうと分かるものだ。いつだって無表情の中に隠していたその感情を出したのは自身へ心を開いた為か、それとも兄を想ってか。
そう考えると、もやもやとした気持ちが浮かんだ。
そっと彼女へと手を伸ばすと、その頬へと触れた。
クラウストの行動に驚き固まっているルディリアは大きな瞳をパリくりとさせている。そんなルディリアが可愛く見えて、思わず彼女の額へと口づけた。
みるみると赤く染まるその頬が愛おしく、泳ぐ瞳が可愛らしくて、クラウストは頬を緩めた。
「可愛いな」
耳元でつぶやくと、真っ赤になったルディリアは顔を伏せた。もっと見ていたいと両の手でルディリアの頬を包むと上へと持ち上げる。しかしルディリアは瞳を潤ませながら視線を逸らす。
――本当に可愛いな。
ずっと見つめていたいが、流石に嫌われてしまうだろうと、ゆっくりと手を離す。そんな事を考えている時点で彼女を相当気に入っているのだろうと思うと不思議な感じがした。
すぐにルディリアのほっと胸をなで下ろす様子が見て取れて、クスリと声を漏らすとルディリアは目を細めて訴える。
からかうなと言いたいのだろう。
しかし言葉にならないそれに返事をすることもなく、クラウストは「戻ろうか」と手を差し出した。




