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夜の仄暗い闇の中で

「それでは、お別れでございます。お嬢様」


 手足を拘束された上で、騎士からげしっ、と馬車から無理やり蹴飛ばされた私は、そのまま土ペロすることになった。

 じょ、冗談じゃない。

 手足を拘束していた縄を引きちぎって追いかけようとしたときには既に馬車の影は遠くまで消えていて、本格的に私は捨てられたんだな、と理解してしまう。


「なにがお別れでございます、よ……惜しがる素振りなんて一ミリも見せなかったくせに!」


 溜息をついて、足元に落ちていた鋼の剣を拾う。

 女神様の言葉は信じられないけど、お母様の言葉を信じるなら、私の剣才はこの森をなんとか抜けて近くの村に辿り着けるレベルらしいけど、正直実感が湧かない。

 自分のステータスがわかるなら、数字でどれぐらい「剣聖」スキルとやらが有用なのかがわかるけど、それはできないみたいだし。


 とりあえず少ないとはいえ路銀と貴重な携帯食糧に、水は与えられているから……村がどこにあるかはわからないけど、とにかく南に走り続けて、少なくとも三日はかかるはずだ。

 そう考えると、私が今やるべきは、この三日間から一週間の間をどう生き延びるかを考えることだろう。

 大人の足で三日かかるなら、子供の足ならその倍以上は必要になってくる。


 でも、どう考えたって私に与えられた携帯食糧の量では、どう切り詰めたって一週間が限界だ。

 せめて火打ち石でもあればなあ。

 その辺の弱そうな魔物を倒して食糧にすることができたんだけど、ないものをねだったところで仕方がないのは事実だから、とにかく最低限の食糧と水で、南に走り抜けるしかない。


「うぅ、魔法が使えれば苦労しないんだけどなあ」


 マナサーチの魔法が使えたら、人が住んでいる場所や魔物の気配もわかるし、魔物を避けて人のいる場所に向かえばいいだけなんだけど、現状で私に与えられているのは「森の南に村がある」という情報だけだ。

 とりあえず人差し指を舌でちろりと舐めて、空に翳す。

 この季節は北風が強いから、風下が南のはずだ。


「……うん、大丈夫。いけるかも」


 根拠もなければ確証もない自信だったけど、行くべき方向が決まれば、あとは真っ直ぐ。

 お母様の言葉に従って、私は深い森の中を走り出した。

 明かりの魔法も使えないから、夜になったらどうやって道を進めばいいかだとか、そんなことを考えるのも後回しにして、南へ、ただ南へと、信じた方向に進んでいくと。


『グルルルルル……!』


 結果は、大ファンブルだった。

 森をひたすら走り抜けた私の目の前には、大人の男の人をも上回る体格をした、巨大な熊としか言いようのない魔物が立ちはだかっている。

 あの体格で鋭い爪を振るわれたのなら、大人でさえ致命に至るのは容易に想像できることだ。


「……た、戦うしかないの!?」


 だけど、巨大な熊はまだ私を敵だと認識していないのか、唸り声をあげているだけだ。

 でも、ここから一歩でも動けば即座に襲いかかってきそうな気配も感じる。

 そうなったら、おしまいだ。だったら、お母様の言葉を信じて。


「恨みはないけど、私は生きたい! だから……あなたがここで倒れて!」

『グオオオオオッ!!!!』


 私は鋼の剣を鞘から抜き放って、宣戦布告の合図にした。

 大きな熊は、それで私を本格的に敵だと認定したのか、二本足で立ち上がって、両腕を挙げて咆哮する。

 なぜだろう。本当は怖くて仕方ないはずなのに、心は凪いだように冷静だった。


 今ならわかる。

 どこを狙えばいいかが。

 どうやって踏み込んで、どうやって剣を振れば、あの敵を倒せるのかが、どういうわけか、直感的に理解できていた。


「ええいっ!」

『グルッ……!?』


 まるで、自分の体が自分のものじゃないみたいに、羽のように軽く動く。

 だけど、渾身の力を込めて放った斬撃は重く、深く、巨大な熊を袈裟懸けに両断していた。

 返り血の飛沫を浴びる中で、私はどこか呆然と両断された熊の魔物が地面に倒れ伏すのを見つめるほかに、できることがなかった。


「す、すごい……これが、もしかして『剣聖』スキルの力なの?」

『グオオオオオッ!!!!』


 断末魔と共に絶命した巨大熊の死体を見下ろして、私は剣から離した左手を何度かぐーぱーと開閉する。

 魔法が全てを支配しているこの世界で、剣の居場所なんてどこにもないんだから、ハズレを押し付けられたと思っていたけど。

 ……少なくとも、この状況を乗り切るのには、間違いなく、私の「剣聖」スキルは有用だった。


 しかも、大型の魔物の、分厚い毛皮と脂肪と肉を裂き、骨まで断ち切ったというのに、まるで疲労感がない。

 実家から支給された剣が実は伝説の魔剣だったとか聖剣だったとか、そんなことも断じてあるはずがなく、もらったのは店売りの量産品だ。

 大人用のものを、子供の体躯で背負っているから、両手剣(ツヴァイハンダー)のようにはなっているけど。


 これなら、森を抜けることも難しくなさそう、ではあるんだけど。


「……えっと、この方向で本当に合ってるよね?」


 暗くなってきて、現在地と方向感覚に、自信がまるでなくなってきた。

 魔物に殺される心配はしなくていいかもしれないけど、森の中で迷って餓死する危険性は大いに跳ね上がったといってもいい。

 私は、夜の暗闇を舐めていた。


 ひたすら真っ直ぐ南に進めばいいと、それで解決すると思っていたから。


「う、うぅ……お母様……」


 孤独と不安が心を蝕んで、歩みを止めてしまう。

 ここに蹲っていても、なんの解決にもならないことはわかっているけど、暗くて、怖くて、体が震えてしまうのだ。

 結局、私はこの場から、陽が沈むまで動けないままでいた。


 ……短い二度目の人生だったなぁ。

 携帯食糧も不安と緊張で喉を通らない。

 誰もいないことが、こんなに心細いなんて。誰も助けてくれないことが、こんなにも不安だなんて、わかりきっていたことのはずなのに。


「おい、こっちの方だぞ!」

「近くから血の臭いがするわ……確かに間違いはなさそうね」

「そうだな。おーい、生きているなら返事をしろー! 助けにきたぞー!」


 絶望に暮れていた中で、私を掬い上げるように、誰かの声がぼんやりと聞こえてくる。

 た、助けが来てくれたの!?

 だったら、このチャンスを無駄にするわけにはいかない。怖がってる場合でも、怯えている場合でもない!


「わ、私は……シャルローネはここにいます! どなたか、いらっしゃるのなら助けてくださいっ!!!!」


 お腹の底から、声を張り上げて、叫ぶ。

 どうか、届いてほしい。

 私を、この暗闇から引っ張り上げてほしい。その一心だった。


「聞こえたか、ビアンカ!」

「ええ、聞こえたわ、ランベル!」

「今からそっちに行く! そこから一歩も動かないで待っててくれ!」


 助けにきてくれた人に、声は届いてくれたらしい。

 私は言葉通りに、一歩もこの場から動くことなく、助けが来てくれるのを信じて待った。

 やがて、遠くからぼんやりとした薄明かりが近づいてくるのが見える。


 ああ、よかった。

 私は、見捨てられてなかったんだ。

 安堵から思わず、涙がこぼれてしまう。


「これは……森の主!? きみがやったのか!?」

「こんな大きさのジャイアントグリズリーを、一撃で……すごいなんてものじゃないわ。あなた……一体何者なの?」


 やがて到着したランベルさんとビアンカさんというらしい男女二人は、ジャイアントグリズリーなる巨大な熊の遺骸と私を交互に見て、驚いたように目を丸くしていた。


「は、はい……私がやりました」

「とても信じられないけど……この状況から見るに、信じるしかないな。さあ、寂しかっただろう。怖かっただろう。俺たちが、ニーアの村まで案内してあげよう」

「村に着いたら、あったかいスープをご馳走するわ。えっと、あなたは」

「シャルローネ、です」


 名字は伏せたけど、私は涙を堪えながら二人に頭を下げて名乗りを済ませた。


「そうか、きみはシャルローネというのか! 素敵な名前だな!」

「ええ、ランベル。それにこの歳で……女の子なのにジャイアントグリズリーを倒すなんて、きっと優秀な戦士になれるわ」


 実家では、お父様からゴミ扱いされていたのが信じられないぐらい好意的に接してくれた二人の優しさに、堪えていた涙をこぼしながら、私は剣を鞘に収めて、手を引かれていくのだった。

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