第十九話:決別と、はじまりの場所へ
1.決別と、新たなる誓い
嵐が去った後の離宮に、不自然なほどの静寂が戻った。公爵家と王宮騎士団の衝突は、アルフレートが放った黄金の魔力によって、誰の命も奪われることなく終結した。しかし、それは決して平穏な日々の始まりではなかった。
公爵家の騎士たちが撤退した翌朝、離宮の談話室には冷酷な空気が流れていた。そこには、昨夜の混乱に乗じてなおも利権を毟り取ろうと画策する、エルシアの父・ローゼンベルク侯爵が座っていた。
「公爵閣下は手を引かれたが、私はまだ納得していない。アルフレート殿、我が娘をここまで……」
「――黙れ」
低い、地を這うような声。寝台から立ち上がったばかりのアルフレートは、まだ顔色は優れないものの、その瞳にはかつての「氷の騎士」以上の鋭利な冷徹さが宿っていた。
「侯爵、貴殿が娘を売った契約の写しは、すでに私の手にある。娘の『死』と引き換えに借財を帳消しにしようとした者が、父親の顔をするな」
アルフレートは、血の滲んだ書状を侯爵の足元に投げ捨てた。
「エルシア・フォン・ローゼンベルクは、昨夜をもって死んだ。今ここにいるのは、私の魂の伴侶だ。これ以上、彼女を汚す言葉を吐くなら、王宮騎士団副団長の権限でローゼンベルク家を反逆容疑で即刻捕縛する」
侯爵は顔を真っ青に染め、震える手で書状を拾い上げると、逃げるように部屋を去った。
エルシアはその背中を、一滴の涙も流さず見送った。彼女にとって、実家という名の檻は、アルフレートという猛毒の愛によって完全に破壊されたのだ。
2.本当の初めてのお茶会
それから数時間後。離宮のテラスには、柔らかな朝日が差し込んでいた。
庭園の花々が風に揺れ、テーブルの上ではサーラが淹れた温かな紅茶が湯気を立てている。
「……お嬢様。これ、お好きでしたよね」
サーラが穏やかな微笑みと共に、エルシアの前に小皿を置いた。そこには、彼女が幼い頃から好んでいた焼き菓子が並んでいた。サーラもまた、一周目の後悔を振り払うかのように、慈しみに満ちた手付きで仕えている。
アルフレートは、エルシアの隣に静かに座っていた。
彼を包んでいたあのトゲトゲしい「感情共鳴」の音は、今、驚くほど穏やかな旋律へと変わっていた。
(……温かい。貴方の心が、陽だまりみたいに聞こえる)
エルシアが視線で伝えると、アルフレートは照れくさそうに視線を逸らし、彼女の細い手をそっと握った。
「……お前の『愛している』という声が、俺の中にあった地獄をすべて焼き払ってくれたんだ。……初めてだよ。他人の感情が、こんなにも心地よい音楽に聞こえるのは」
呪いはまだ、完全には解けていない。アルフレートの指先は時折透け、彼に残された時間が有限であることを告げている。だが、二人の間には、もはや沈黙という壁はなかった。
3.真実の場所へ
「行かなければならない。……一周目の、あの日(命日)が来る前に」
アルフレートが静かに告げた。
魔導書に記されていた解呪の最終段階。それは、呪いの因縁が結ばれた場所――一周目の惨劇が起きたあの夜の場所で、二人の魂を完全に繋ぎ合わせること。
「あの日、俺がお前を斬ったあの庭園へ。……俺たちの『終わり』が始まった場所を、今度は『始まり』の場所に変えるんだ」
エルシアは無言で頷いた。
恐怖はない。彼女の手を握るこの男が、自分の命を薪にしてまで自分を救おうとしたことを知っている。ならば、今度は彼女が、その命を賭して彼を救い出す番だった。
「準備はできております、お嬢様。アルフレート様」
サーラが、旅装を整えた馬車の前で深く頭を下げた。
黄金の光に包まれた二人は、もう二度と離れることのないよう手を強く繋ぎ、離宮を後にした。
向かう先は、一周目の終焉の地。
沈黙という名の檻を抜け出した二人の、本当の物語が今、幕を開けようとしていた。
(さようなら、沈黙の私。……お帰りなさい、私の愛しい死神様)
朝日に照らされた街道を、一台の馬車が疾走していく。
二人の旅路の先に待つのは、死の運命か、あるいは呪いから解き放たれた、永遠の抱擁か。
その答えを、エルシアはもう、恐れてはいなかった。




