第十七話:偽りの拒絶と、静かなる崩壊
アルフレートは、震える手で日記を掴み取ると、私から視線を逸らすように顔を背けた。
その背中は驚くほど小さく、痛々しいほどに強張っている。
「……読んだのか。勝手に人の持ち物を漁るとは、侯爵令嬢の教育も知れたものだな」
吐き捨てられた言葉は、氷のように冷たかった。
私はその場に立ち尽くし、彼を見つめる。先ほどまで感じていた、あの熱い唇の感触が、嘘のように遠のいていく。
「勘違いするな。その手帳に書いたのは、単なる暇潰しの戯言だ。……お前を軟禁したのは、公爵家の名誉を汚した女への報復。愛だの救いだの、そんな安い感傷を抱かれては不愉快だ」
「…………っ」
嘘だ、と叫びたかった。
けれど、声は出ない。私の沈黙を、彼は都合よく「拒絶」として解釈しようとしていた。
「下がれ、エルシア。二度とその不気味な顔を俺に見せるな。……お前のような女、殺したあの日ですら、何の未練もなかったのだから」
最後の一言が、私の胸を鋭く刺した。
彼はわざと、私が最も恐れている「死の記憶」を盾にしたのだ。私を遠ざけるために。私に、自分を憎ませるために。
私は逃げるように部屋を飛び出した。
だが、重い扉を閉める直前、私は見てしまった。
「……がはっ、げほっ……!!」
扉の隙間から見えたのは、私を追い出した直後、糸の切れた人形のように崩れ落ち、再び鮮血をぶちまける彼の姿だった。
彼は自分の胸を掻きむしり、のたうち回りながら、声にならない叫びを上げている。
(……どうして? 嫌いだと言ったのに、突き放したのに……なぜ、そんなに苦しんでいるの!?)
駆け寄ろうとした私の足を止めたのは、廊下の奥から響く、地鳴りのような軍靴の音だった。
1. 公爵の審判
「――そこまでだ、ローゼンベルク家の娘」
現れたのは、ディトハルト公爵だった。
その背後には武装した騎士たちが控え、冷酷な圧力が廊下を支配する。
公爵は、アルフレートの部屋から漏れる血の匂いと、真っ青な顔で立ち尽くす私を交互に見た。
「息子は貴様を庇い続けていたが、もはや限界だ。王宮騎士団副団長をここまで腐らせ、公爵家の血筋を絶やそうとする毒婦め」
公爵の手には、国王の印章が捺された書状があった。
「王命だ。エルシア・フォン・ローゼンベルク。貴様を、北方の断絶された修道院へ幽閉する。……事実上の処刑だと思え。これ以上、我が息子を惑わすことは許さん」
騎士たちが私を取り囲む。
部屋の中では、アルフレートが血を吐きながら、必死にこちらへ這い寄ろうとする音が聞こえる。だが、彼はもう、立ち上がる力すら残っていないのだ。
2. サーラの叫び
「……お待ちなさい!!」
その時、騎士たちの包囲を突き破るようにして、サーラが私の前に立ちはだかった。
彼女は震える体で公爵を睨みつけ、そして部屋の中にいる男へと、裂けんばかりの声で叫んだ。
「アルフレート様! これ以上、お嬢様を突き放すのはおやめください! 私は見てきました……お嬢様が、貴方のためにどれほど涙を流し、どれほど懸命に貴方を支えようとしていたか!」
騎士の一人がサーラを突き飛ばそうとするが、彼女は私の手を強く握りしめ、退かなかった。
「お嬢様はもう、逃げたりしません! 貴方がどれほど酷い言葉を吐いても、お嬢様は……貴方の『沈黙の理由』を知ろうとしているのです! どうか、お嬢様を信じてください……!!」
サーラの叫びが、部屋の中に届いた。
直後、扉が内側から乱暴に開かれた。
そこには、血まみれの制服を纏い、剣を杖代わりにして立つアルフレート様の姿があった。
その瞳は、もはや人間のものではない、凄絶な決意に燃え盛っている。
「……父上。その女から、手を……離せと言ったはずだ」
アルフレート様は、喉の奥からせり上がる血を飲み込み、公爵の前に立ちふさがった。
彼が次の一歩を踏み出した瞬間、彼の身体から、これまでとは比較にならないほどの莫大な魔力が溢れ出す。
「彼女を連れて行くなら、この離宮ごと……貴様ら全員、ここで塵に帰してやる」
タイムリミットまで、あと僅か。
アルフレートの呪いが、そしてエルシアの「沈黙の愛」が、破滅的な爆発を迎えようとしていた。




