第十六話:狂った歯車と、後悔の残滓
【Side:アルフレート】
重い瞼を押し上げると、視界は白く霞んでいた。
鼻を突くのは、自身の口内から溢れた鉄の匂い。そして、その奥に微かに混じる、愛しい女の甘い香りだった。
「…………っ」
肺が焼けるような熱さを堪え、視線を巡らせる。
すぐ傍らには、エルシアがいた。
泣き腫らした琥珀色の瞳。その瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いている。
だが、何かが違う。
これまで俺を「殺人鬼」として見ていたはずの、あの冷たい拒絶の光がない。
そこにあるのは、痛々しいほどの憐憫と、触れれば壊れてしまいそうなほどに柔らかな光。
(……よせ。そんな目で、俺を見るな)
拒絶されている方が、どれほど救いだったか。
彼女が俺を憎んでいれば、真実に近づくことはない。真実に近づかなければ、彼女が死ぬこともないのだ。
不吉な予感に急かされるように、俺は力の入らない腕を動かし、傍らの机に目をやった。
そこには、見覚えのある革製の手帳が、無造作に置かれていた。
(……日記を、読んだのか……!)
心臓が、呪いの鎖とは別の衝撃で跳ねた。
鍵のかかる引き出しに仕舞い込んだはずだった。だが、父上たちが乗り込んできたあの修羅場の中、衰弱しきった俺の意識はそこまで回っていなかった。出しっぱなしにしていたのか、あるいは意識を失った拍子に零れ落ちたのか。
そこには、呪いの詳細こそ記していない。
だが、一周目の惨劇に対する血を吐くような後悔と、今世で彼女を「沈黙」の中に閉じ込めてでも守り抜くという、歪んだ誓いが綴られていた。
(迂闊だった……。これでは、俺が彼女を愛していると、教えているようなものではないか)
俺が彼女を愛している。
その事実を彼女が「確信」した瞬間、この呪いは次の段階へと移行する。
「なぜ、愛しているのにあんなことをしたのか」という問い。その答えを俺が口にすれば、彼女の心臓は止まる。
「……アル、フレート、様……」
彼女の唇が、音もなく動いた。
まだ声は出ていない。だが、その瞳に宿った熱は、明らかに俺という「殺人鬼」の正体を暴こうとしていた。
俺は震える手で、彼女の視線を遮るように日記を掴み取った。
そのままベッドに背を向け、激しく込み上げる咳を血と一緒に飲み込む。
「……下がれ。エルシア……」
突き放すような声を出したつもりだったが、掠れた喉からは情けない音しか出なかった。
俺を嫌え。俺を恐れろ。
お前を救うために俺が選んだ「沈黙の鳥籠」が、お前の優しさによって、今まさに内側から壊されようとしていた。
俺に残された時間は、一周目の命日まであと僅か。
砂時計の砂が落ち切る前に、彼女の「愛情」という名の猛毒が、俺たち二人を死の淵へと引きずり込もうとしている。




