第十五章 禁忌の頁(ページ)と、繋がる真実
1.禁忌の頁
「……お嬢様」
夜も更けた頃、サーラが部屋に忍び込んできた。
その手には、アルフレート様が肌身離さず持っていた、小さな革装のノートがあった。
「小公爵様の……アルフレート様の上着の裏に、隠されていました。……これ、お嬢様のことが書いてあるみたいで」
私は震える手で、その日記を受け取った。
そこには、日々の公務の記録に混じって、殴り書きのような、けれど痛切な願いが綴られていた。
『○月○日
彼女が喋らなくなった。恐怖ゆえだろう。胸が張り裂けそうだ。
けれど、今の彼女の沈黙は、この世界で最も美しい音楽だ。
俺を憎んでもいい。逃げようとしてもいい。
ただ、あの日が来るまでは、何としても彼女を守り抜く。
○月○日
また血を吐いた。時間が足りない。
彼女に触れたい。けれど、俺の熱が彼女を壊してしまうのが怖い。
エルシア。お前が笑わなくてもいい。俺の名を呼ばなくてもいい。
ただ、お前の心臓が動いている。それだけで、俺の命には意味があるんだ。』
日記を閉じる指先が、激しく震えた。
そこに記されていたのは、私を支配しようとする男の独裁ではなく、「言葉を奪われた男」の、あまりにも不器用で、命懸けの純愛だった。
(……馬鹿な人。……本当に、馬鹿な人……!)
彼がなぜ、あんなに必死に水を飲ませようとしたのか。
なぜ、血を吐きながら私を抱きしめたのか。
すべてが、一つの線で繋がっていく。
私は、眠り続けるアルフレートの、熱を帯びた大きな手を握りしめた。
まだ、声は出ない。
けれど、私の琥珀色の瞳からは、一度目の人生でも、二度目の人生でも流したことのない、熱い涙が溢れ落ちていた。
アルフレートの手帳を読み終えた私の指先は、絶望と微かな希望で震えていた。
だが、手帳には「何が起きているか」はあっても、「どうすれば救えるか」は記されていない。
「お嬢様、これも……小公爵様が、大切そうに隠し持っていたものです」
サーラが次に差し出したのは、手帳と一緒に革袋に収められていた、古びた一冊の魔導書だった。表題すらないその本は、禁忌の魔術について記された写本のようだった。
私は、吸い寄せられるようにその頁を捲った。
そこには、アルフレート様の身に起きている「異常」を説明するかのような記述が、悍ましいほど克明に記されていた。
【刻を遡る契約】
死した魂を呼び戻す対価は、契約者の命そのものなり。
契約者は「真実」を口にすることを禁じられる。言葉が唇を離れた瞬間、救いたかった者の心臓は止まり、因果は霧散する。
(……そういうことだったのね。彼は、私に真実を話せなかったんだわ)
彼が私を殺した理由。彼が私を愛しているという言葉。
それを彼が口にした瞬間、私は再び死ぬ。彼は私を殺さないために、私に「殺人鬼」だと蔑まれる道を選んだのだ。
さらに頁を捲ると、そこには血の滲んだような追記があった。恐らく、アルフレート本人が書き込んだものだろう。
【解呪の条件:殺めた者からの真実の愛情】
契約満了の日(命日)までに、殺めた者から無償の愛を得られれば、呪いは解かれ、命は繋がれる。
さもなくば、二人の魂は永遠の静寂へと沈む。
(……そんなの。私が彼を憎んだままだったら、この人は……!)
私を救うために時間を戻した彼は、私に愛されなければ、その命を削り取られて死ぬ。
そして、彼が死ねば、守る者のいなくなった私もまた、一周目と同じ「死の運命」に呑み込まれる。
二人の命を繋ぐ唯一の鍵は、私の「愛」だ。
けれど、愛を自覚して彼を呼ぼうとすれば、呪いのペナルティが二人を襲う。
愛を証明することが、同時に死を招く引き金になるという、神のあまりにも残酷な悪戯。
「…………っ」
私は、眠り続けるアルフレートの頬に触れた。
彼が私を閉じ込めた「沈黙の檻」は、実は、私を愛の代償である「死」から遠ざけるための、最後の防波堤だったのだ。
「馬鹿な人……。本当に、独りで全部背負って……」
私が声を失ったのは、生存本能ゆえの保身だった。
けれど、今の私は違う。
彼が、言葉を捨ててまで私を守ろうとしたのなら。
私は、命を懸けてでも、その沈黙を打ち破り、彼をこの呪いから引きずり出してみせる。
2.忠義の源流(サーラの告白)
「……サーラ。どうして、貴方はここまでしてくれるの?」
私は、魔導書を抱えたまま、文字ではなく「目」で問いかけた。
一周目の彼女は、私の横暴に耐えかねて真っ先に逃げ出したはずだ。なのに今世の彼女は、公爵の脅しに屈せず、命を懸けて私のために立ち回っている。
サーラは少しだけ寂しそうに微笑み、私の足元に膝をついた。
「……お嬢様。信じていただけないかもしれませんが、私は時折、夢を見るのです。……真っ暗な夜、血の海に沈むお嬢様を置いて、私が泣きながら逃げ出す夢を」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
「夢の中の私は、冷酷なお嬢様を恨んでいました。けれど、お嬢様が息絶えたあの日から、私の心には消えない穴が開いてしまったのです。……もっと寄り添えていたら。もっと、お嬢様の寂しさに気づけていたら、と」
サーラは私の手を両手で包み込んだ。その手は温かく、力強い。
「今世で、お嬢様が初めて私に微笑んでくださった時……私は確信したのです。ああ、今度は絶対に、このお手を離してはいけないのだと。……お嬢様を守るためなら、私は地獄の番犬だって騙してみせますわ」
彼女の献身の正体。それは、一周目の後悔を糧にした、狂気にも似た忠誠心だった。
彼女もまた、アルフレートとは違う形で、一周目の「結末」を変えようと足掻いている「回帰者」の片鱗を持っていたのだ。




