第十話:血の温もりと、暴かれる言葉
「……お嬢様、これを!」
震える手でサーラが差し出したのは、アルフレートの上着の奥底に隠されていた、細工の施された黄金の鍵だった。
サーラの顔には「今度こそ逃げられる」という必死の希望が張り付いている。
私は震える指でその鍵を受け取り、自らの足首を縛る金の枷に差し込んだ。
カチリ、という軽い音と共に、数日間私を繋ぎ止めていた重みが消える。
「さあ、お嬢様、早く! 小公爵様が目を覚ます前に……!」
サーラが私の手を引く。けれど、私は動けなかった。
寝台の上で、死人のように青ざめた顔で横たわるアルフレート。私の夜着を汚した彼の血は、まだ生々しく鉄の匂いを放っている。
(……なぜ、貴方はあんなに必死に私を求めたの?)
逃げ出した私を捕らえ、枷まで嵌めて閉じ込めた狂気。
それなのに、無理やり流し込まれた水からは、恐ろしいほどの慈愛を感じてしまった。
そして、この不可解な喀血。
彼が知っている何かが、彼を苦しめているのではないか。
この違和感の正体を知るまでは、私はここを動けない。
私はサーラの手をそっと振り払い、鍵を机に置いた。
そして、重いアルフレートの体を、サーラと二人で寝台の正しい位置へと横たえ、彼の汚れた顔を濡れ布巾で拭い始めた。
「……お嬢様……?」
サーラが絶句している。けれど、今の私には説明する言葉も、出すべき声もない。
ただ、吸い込まれそうな彼の青白い貌を見つめることしかできなかった。
それから数日、アルフレートの意識は戻らなかった。
私は一度も部屋を出ず、ただ彼の傍らで、その微かな呼吸を数え続けた。
嵐のような熱に浮かされた夜、彼はうなされながら、掠れた声で何度も同じ言葉を繰り返した。
「……エルシア、行くな……」
「……今度は、殺さない……絶対に……っ」
その言葉を聞いた瞬間、私の指先から体温が消えた。
(……今度は? 「今度は」って、どういうこと……!?)
「殺さない」という言葉。それは、彼が私を殺したという「事実」を知っている者の言葉だ。
まさか、彼も私と同じように、あの惨劇の夜を覚えているというのか。
だとしたら、今世の彼の異常な執着は、すべてその「記憶」から来ているものなのか。
答えの出ない謎が、私の胸を締め上げる。
彼が何かを語ろうとすれば、彼は血を吐く。……まるで、神が彼に「真実」を語ることを禁じているかのように。
そんな停滞した沈黙を破ったのは、階下から響く、重々しい軍靴の音だった。
「――アルフレートはどこだ。我が息子が数日も音信不通など、あり得ん」
空気が凍りつくような、圧倒的な威圧感。
この館の主であり、王国の重鎮。アルフレートの父、ディトハルト公爵が、ついにこの「隠れ家」を突き止めたのだ。




