第八話:熱き水滴と、血塗られた禁忌
「……俺の許可なく、勝手に果てるなと言ったはずだ」
アルフレートの低く、地を這うような声が、窓のない静かな部屋に響いた。
私の頬を掴む彼の指先は、白く強張っている。死を待つ私を、彼はただ冷酷に見下ろしているのだと思っていた。
けれど、彼は震える手で水の入ったグラスを掴むと、それを自ら口に含んだ。
(……何をするつもりなの?)
困惑する私の視界が、一瞬で彼の影に覆われる。
直後、熱い、吐息の混じる唇が私の唇を塞いだ。
「……っ!? ……ふ……っ」
無理やりこじ開けられた口内に、冷たい水が流れ込む。
驚愕に目を見開いた私の視界に、至近距離にあるアルフレートの青い瞳が映った。
そこにあるのは、冷徹な殺人者の目ではない。
今にも泣き出しそうな、それでいて狂おしいほどの情愛に満ちた、一人の男の目だった。
(熱い……。どうして、こんなに……)
押し当てられた唇の熱が、私の冷え切った身体に伝わってくる。
乱暴に流し込まれたはずの水は、驚くほど丁寧に、私が喉を詰まらせないようゆっくりと届けられた。
そこに感じてしまったのは、一周目の記憶には存在しない、壊れ物を扱うような「優しさ」だった。
「……はぁ、はっ……。飲んだな、エルシア」
唇を離したアルフレートが、荒い息をつきながら私を凝視する。
私は、彼が私を憎んでいるのだと、ただ独占したいだけなのだと信じていた。
なのに、今の触れ合いは何だったのか。
なぜ、私を殺した男が、こんなにも必死に私の命を繋ごうとするのか。
「……エルシア、俺は……本当は……」
彼が、何かを言いかけた。
その瞳に、後悔と、そして吐き気がするほどの純愛が滲む。
彼の手が私の首筋に伸び、あの日、私を斬った時とは違う「抱擁」を求めた瞬間――。
「……っ!! ……が、ぁ……っ!!」
突如として、アルフレートが自身の胸を掻きむしり、その場に膝をついた。
激しい痙攣が彼の身体を襲い、端正な顔が苦悶に歪む。
「アルフレート……様?」
私は思わず、掠れた声を出していた。
彼は床に手をつき、喉の奥からせり上がるものを堪えるように肩を震わせる。
だが、その隙間から、鮮やかな朱色がポタリ、ポタリと絨毯に零れ落ちた。
「……っ、げほっ……!!」
彼が吐き出したのは、どす黒い鮮血だった。
荒い呼吸を繰り返しながら、彼は血に汚れた手で、なおも私の「金の枷」が嵌められた足元に縋り付こうとする。
「……離さな……い。……死なせ、ない……。お前、を……っ」
激痛に耐えながら、彼は絞り出すようにそう告げた。
その瞳は、何かを私に伝えようとして、けれど何かに阻まれているようだった。
沈黙が戻った部屋で、私はただ、血を吐いて伏せる彼を見下ろすことしかできなかった。
(何なの? 貴方は、私に何を隠しているの……?)
冷徹な「氷の騎士」。
私を殺した「殺人鬼」。
けれど今、目の前で血を吐きながら私に縋る男は、そのどちらでもないように見えた。
彼が知っている「真実」とは何なのか。
彼が私を殺してまで、時間を戻してまで求めているものは、本当にただの「沈黙」なのか。
私の心に、一周目にはなかった新しい感情――「謎」という名の火が、小さく灯った。




