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LILA-崩壊の彼方-  作者: セイ・タカ
残された者たち
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第8話:遠雷

第8話:遠雷



コロンバスを出て、三日が過ぎた。

道路は途切れがちで、街を抜けた先は畑と林が交互に続いていた。

蝉の声が遠く、草むらからは時折小動物の気配がする。

変わらぬ足取りで西へ進んでいた。


マーカスたちのいる校舎を離れてからも、ときおり彼らのことを思い出した。

あの場所に残るという選択肢も、確かにあったのだと思う。

それでも足を止めなかったのは、父へ続く手掛かりが西にあるからだ。

遠い空では、雷にも似た低い音が、聞こえたような気がしては消えていた。


歩きながら、ホルスターの中でナインがぽつりと呟いた。

「コロンバスノ皆様ハ、今ゴロ穏ヤカナ午後ヲ過ゴシテイルノデショウカ。

紅茶ナド嗜ミナガラ、“優シイ対応”ヲ振リ返ッテイル頃カト」


抑揚のない機械音声なのに、なぜか一言一言が妙に気取って聞こえる。

皮肉というより、“わかってて言ってる”ような嫌味のない悪戯だった。


小さくため息をつき、わずかに眉をひそめた。


「……そういうこと、言わないの」


淡々とした声だったが、そこには呆れと小さな釘を刺すような響きがあった。


ナインはしばし沈黙した。

だが次の瞬間、音のトーンがわずかに変わる。


「警告。飛行音ヲ検知――方角:東南東。音響パターン及ビ移動速度ヨリ、有人ヘリコプタート推定」


反射的に顔を上げ、空を仰いだ。

一瞬、何も見えなかったが――しばらくして、雲の切れ間を抜ける黒い影がちらりと見えた。


回転するローターの音が、遅れて耳に届く。

「ドドドドド……」と空気を震わせるような低い響き。

まだ距離はある。それでも、確かにこちらに向かって飛んでいる。


素早く身をかがめ、脇の茂みに身を滑り込ませた。

音を立てず、地面に近づき、草の影から空を睨む。


呼吸は浅く、しかし乱れてはいない。

ナインの報告に即応するその動きは、旅路で染みついた“生き延びる術”だった。


茂みに身を潜めたまま、じっと空を見つめた。

黒い機体は高空を滑るように進み、やがて東から西へと緩やかに旋回を始めた。


「分析中……機体ハUH-60系列、地球製。

飛行ルートヲ解析……現在ノ進路、ライト・パターソン空軍基地方面ト一致シマス」


「ライト・パターソン……?」


低く問い返した。聞いたことのない名前ではなかった。


「当該施設ハ、地球人類ノ空軍基地。現在ノ状況ハ不明……但シ、稼働中ノ可能性高」


空に消えていく黒い影を、リラはじっと見送った。


「基地……」


低くつぶやきながら、なおも空を見上げていた。

遠ざかるローター音が、雲の向こうに吸い込まれていく。


「説明:当該施設ハ、地球人類ノ軍事・航空研究ノ拠点デス。

過去ニ複数ノエイリアン観測資料、技術、遺物ノ保管記録アリ。

襲撃以前、UFO関連記録ノ集積地トシテ機能シテイマシタ」


「ねえ……ナイン。最初の宇宙人の襲撃で、基地って攻撃されてるよね?」


「ハイ。正確ニハ、ネヴェリス人デスガ、攻撃記録アリ。損傷率:88パーセント。主要滑走路ハ深刻ナ被害。

生存率:推定2パーセント以下」


思わず眉を寄せた。


「それで……なんで、ヘリが飛んでるの?」


ナインは一瞬だけ応答を止めたあと、再び機械的な声で続ける。


「原因ハ不明。

推測:アメリカ政府ノ残存勢力ガ再編サレ、当該施設ヲ拠点トシテ使用シテイル可能性アリ」


しばらく黙って空を見上げていた。

雲の切れ間を抜けていった黒い機影は、すでに遠くに消えている。


「……さっき言ってたよね。あの基地、エイリアンの技術がどうとか」


「ハイ。過去ノ記録ニ基ヅキ、当該施設ニハ複数ノ異星技術ノ保管・研究実績ガアリマス。

最古ノ記録ハ、地球時間デ1947年――以降、断続的ニ収集・解析ヲ継続」


視線を落とし、少し考えるように息をついた。


「ねえ、ナイン……行ってみたい」


その声はいつもより少しだけ柔らかく、でも芯が通っていた。


「その基地に。……何か、分かる気がするの」


ナインはすぐには答えなかった。

だが、リラの中ではもう決まっていた。


(行かなきゃ、ってわけじゃない。ただ……気になる)


胸の奥がざわつくような、言葉にできない感覚だった。

あの黒い機影を見たとき、どこか懐かしいものを見た気がした。

懐かしい――けど、実際には一度も見たことがない。そんな矛盾した感覚。


(あの場所に、もしかしたら父の痕跡が残ってるかもしれない)


確証なんてどこにもなかった。

でも、直感だけは妙に確かだった。


「ヤメタホウガヨロシイカト」


ナインの声が、静かに返ってきた。

機械音なのに、どこか本気で止めようとしている気配があった。


「ネヴェリス人ノ最初ノ攻撃ニヨリ、軍ハ壊滅的ナ被害ヲ受ケテイマス。

基地内部ノ状況ハ不明。接触時ニ敵対的判断ヲ受ケル可能性モアリマス……

向カウノハ、オススメデキマセン」


ナインの声は、いつもよりわずかに慎重な響きを帯びていた。

それでもリラは、ほんの一瞬だけ目を閉じ――そして、短く言った。


「……それでも、行ってみたいの」


その声には、ためらいはなかった。


拒絶でも反論でもない。

ただ、そうしたいと思った――その意志だけが、まっすぐに言葉になっていた。


「承知シマシタ。ナビゲートシマス」


ナインの声は、いつも通りの機械音だった。

けれどその一言が、リラの背を押すように感じられた。


西へ向かって歩き続けた。

道はところどころ崩れており、車の通れないような細い農道や林道を辿る日もあった。

舗装が剥がれ、雑草に埋もれた標識。文字のかすれた州道の案内板。

地図にない分岐も多く、ナインのナビゲートがなければ到底、進める道ではなかった。


途中、古い牧場跡で野営し、倒れかけた納屋で雨をしのぐ夜もあった。

その間、ナインは何度も空の音に反応していた。


「警告。上空ニ飛行物体接近。機種:推定ヘリコプター。進路:南西方向」


そのたびに身を隠した。

一度は昼間の青空を横切る黒い影を、はっきりと目にした。

別の日には、夜明け前の空に、かすかなローター音が風に乗って流れてきた。


何度も、何度も――

空を裂く音が、その静けさをかすかに乱していく。


(……この世界が、また動き出そうとしているのかもしれない)


そう思うたびに、リラの足取りは少しだけ速くなった。


最初にヘリを目撃してから、四日が経った。


雲は薄く、風は穏やかだった。

小高い丘の上に出たとき、リラは足を止め、遠くの景色に目を凝らした。


乾いた風に乗って、どこかで金属が軋むような音が聞こえた気がした。

そして――視界の先、広大な平野の中に、それはあった。


朽ちた滑走路。崩れかけた管制塔。

ところどころ、建物の骨組みだけが残された巨大な敷地。


「……あれが、ライト・パターソン空軍基地?」


低くつぶやいた。

ナインの反応はすぐだった。


「ハイ。目的地到達。外周距離:約2.1キロ。施設ノ大部分ハ損壊済ミ」


(本当に……こんな所に、何かが残ってるの?)


しかし、見渡す限り荒廃しているはずのその場所の一角に――

わずかに、整ったライン。立て直された外壁。誰かが「手を入れた跡」が、微かに見えた。


丘の上からしばらく基地を見下ろしていたリラは、じっと目を凝らした。


遠目には、瓦礫と崩れた建物ばかりが目につく。

かつて滑走路だった場所は、ヒビ割れ、雑草に覆われていた。

管制塔は傾き、壁のほとんどが崩れている。


だが――その奥。

いくつかの建物だけが、妙に整ったラインを保っていた。


「……ナイン、あれ……」


「解析中……確認完了。

該当エリアニ、外壁ノ補修痕跡アリ。構造物ノ一部、再建済ミ」


「つまり……直してる?」


「ハイ。一部区画ハ、現在稼働中ノ可能性アリマス。

外観カラ推測スルニ、発電施設カ、研究ブロックノ一部ト思ワレマス」


黙ったまま、基地の方角をじっと見つめた。


(やっぱり……誰かいる)


それは、怖さでもあり、希望でもあった。

少し間を置いて、低くつぶやいた。


「今、あそこにいる人たちって……やっぱり、アメリカ軍の兵隊さん、だよね?」


「遠距離カラノ正確ナ生命探知ハ不可能デス。

但シ、目視可能ナ巡回要員ハ全員武装シテイマス。

装備品ノ多クハ、アメリカ軍規格ノ物資ト一致シマス」


その「モチロン」とも言える冷淡な応答が、かえって不安をかき立てた。


わずかに眉を寄せながら、もう一度基地を見下ろした。

じっと視線を据えたまま、口を開いた。


「あそこって……絶対、何かあるよね?

怪しすぎて、不自然だもん。あんなに整ってるの、逆に目立つ」


「ハイ。該当エリアハ、破壊サレル以前ハ“通常ノ建築物”ト記録サレテイマス。

用途:倉庫、整備棟、研究支援ブロック。

……現在ノ外観ハ、構造的・機能的ニ異常アリ。

再建サレタ目的ハ、当時ノ記録ト整合シマセン」


小さく息を吐いた。


(やっぱり……あそこが核心だ)


ただの直感じゃない。

目の前の景色そのものが、“何かを隠している”と語っていた。


「ねえ、どのくらい……その、“人”っていうか、兵隊。どのくらいいるの?」


「現地点カラ目視確認可能ナ人員ハ7名。

巡回周期及ビ交代頻度カラ、総数ハ少ナクトモ15名前後ト推定。

地下施設内部ノ人数ハ不明デス」


「……15人。結構、多いね」


想像よりも多かった。

廃墟の中にこれだけの兵士が組織的に動いているという事実が、かえって不気味だった。


視線を外さずに続けた。


「でも……どうやって中に入ろうか」


単純に正面から行くわけにもいかない。

“生きている人間”がいる場所というだけで、それは“安全”を意味しない。

むしろ、警戒すべき対象だった。


リラがそう呟いた直後、ナインの声が返ってきた。


「リラ。今ノ貴女ナラ、正面カラ侵入シテモ“勝テマス”」


「……は?」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

振り返り、ホルスターに目をやる。


「ちょっと。人を化け物みたいに言わないで」


「訂正。戦闘能力ハ、一般兵士平均ノ“3.7倍”相当。

侵入ノ成功率:正面突破時デ82パーセント」


「そういう問題じゃないの!」


思わず小声でツッコんだあと、リラは額に手を当てた。

「……あんまり目立ちたくないし。

相手は人間なんだし、無駄に騒ぎたくはないよ」


そう言いながら、リラは自分の胸に手を置いた。

“勝てる”と言われて、完全に否定できなかった自分がいた。


(いつの間にか、受け入れてるんだ。

……自分が、普通じゃなくなってるってこと)


少し前までなら、そんな発想すら出なかった。

今はただ、それを当然のように受け止めている自分がいた。


(でも、それとこれとは別)


戦いたいわけじゃない。

だからこそ、慎重に行きたい。


「デハ、ルート探索ヲ開始シマス。

外周部ニ、旧補給路ノ痕跡アリ。侵入口トシテ機能スル可能性アリマス」


ナインの声が静かに続いた。


「タダ――巡回経路ハ複雑カツ、徹底サレテイマス。

非戦闘接触ヲ回避スル場合、“数名”ノ兵士ヲ“気絶”サセル必要アリ」


無言のまま目を伏せた。


気絶、という言葉がやけに軽く聞こえた。

けれど相手は、銃を持っている兵士。

反撃されれば、こちらも撃たざるを得なくなるかもしれない。


(……避けて通れるなら、それが一番いいんだけど)


それでも、進まなければ何も分からない。


夜の帳が降りかけた空の下、リラは地面すれすれに身をかがめて進んでいった。

風は穏やか。草の葉が擦れ合う音に混じって、遠くで虫が鳴いている。

耳を澄ませば、コンクリートを踏む重たい足音――それが、一定の間隔で響いていた。


わずかに背を低くしながら、草陰から様子をうかがっていた。


崩れた建物の奥――

そこだけ妙に整ったラインを保った区画がある。

風に揺れる金属の反射と、足音。微かに照明の明かりも揺れていた。


(……あそこ)


施設の外壁の隙間から、コンクリートの階段が地中へと続いているのが見えた。

入り口は重たそうな鉄扉。脇には仮設のフェンスが組まれ、四隅を囲う様に兵士が立っている。

耳を澄ませば、歩哨が交代するような足音が周期的に聞こえた。


「目標地点、接近完了。該当構造物ハ地下階層アリ。

階段入口ハ常時警備サレ、警戒態勢ハ高」


ナインの声が、リラの耳にだけ届くように囁いた。


(これだけ厳重ってことは、やっぱり……)


息を潜めたまま、巡回兵の足取りとタイミングをじっと計っていた。


基地の外周をなぞるように移動しながら、リラは身を低くして待機していた。

階段入口の周囲には、仮設の照明と金属製フェンス、

そして四隅を固める兵士たちの影。


ナインの声が、低く告げる。


「分析完了。

該当施設ハ突貫工事ニヨリ設置サレ、構造ノ一部ニ欠陥アリ。

北東側角部、鉄板トコンクリートノ接合部ニ継ギ目ノ歪ミヲ確認。

隙間幅:約42センチ。“人間1名”ノ通過可能範囲ニ該当」


わずかに眉を上げた。


「……そこ、抜けられるってこと?」


「ハイ。

但シ、該当区画ハ兵士1名ニヨリ監視中。

接近時ニ無力化ガ必要」


一度、唇を結び直した。


次の瞬間、巡回兵の足音が遠ざかる。


「現在、移動可。死角発生中。

……接近ヲ推奨」


ナインの声が、さらに低く絞られるように続いた。


「巡回兵ノルート把握完了。

次回交差点通過時、北西側兵士ノ視界ガ一時遮断。

……5、4、3――」


草陰の中で、リラは息を詰めた。


(間に合う……いや、間に合わせる)


「……今デス」


その一言に合わせて、リラは飛び出した。

足音を限りなく抑え、地面を這うようにして突き進む。

目指すのは北東の一角――構造の甘さが露呈している唯一の侵入口。


兵士の背後に回り込んだのは、ほんの数秒のことだった。


背後から兵士の口を塞ぎ、首筋へ必要最小限の一撃を加えた。

力を抜いた身体が地面へ落ちる前に抱き止め、草の上へ静かに横たえる。


倒れた兵士を横目に、リラはその足元にあった鉄板とコンクリートの継ぎ目に目を向けた。

確かに、そこには人ひとりが通れるだけの空間が空いていた。

突貫工事で急ごしらえされたその構造は、どこか不自然なほど歪んでいる。


「侵入口、確認。警戒度:低。

周囲視線ノ死角、継続中――侵入可能デス」


ナインの声に背を押されるようにして、リラは身体を滑り込ませた。

金属の冷たい感触が腕をかすめ、鉄と油と埃の匂いが鼻に入り込む。

一瞬、息を止めて身体を絞るようにして通り抜けた。


狭い通路の奥に広がっていたのは、仮設のコンクリート床に覆われた暗い空間だった。

階段入口はすぐに見つかった。

そこには、明らかに後から設置された重厚なスライド式の鉄扉が立ちはだかっていた。


扉には認証パネルが取り付けられ、コードが壁に沿って這っている。

小型のセンサーが光を放ち、誰かが通るたびにそれを読み取る仕組みだ。


息を整えながら、その前に立った。


「これが……地下への入り口」


「確認完了。施設ノ主階層ニ通ジル唯一ノ公式ルート。

扉:電子ロック。内部ヨリ制御サレテイル可能性アリ。

現在、外部アクセス開始シマス――」


ナインの声が、急にわずかに低くなる。


「異常発生。……アクセス遮断。

通常ノ解錠プロトコル、拒否サレマシタ。

……内部制御システムニ、別ノ命令系統ガ上書キサレテイマス」


扉に手を添え、眉をひそめた。


「ねぇナイン、急いだ方がいい。

巡回の兵士が戻ってくるまで、そう長くないよね?」


「……解除試行中。

接続ノ再試行――失敗。アクセス拒否継続中……」


「もう……!」


思わず、リラは認証パネルの脇にあった手形のような窪みに、焦れたように手を当てた。

金属の表面がほんのり温かく、微かに脈打つような感触があった。


その瞬間――パネルの光が、急に変化した。


認証パネルに、見覚えのない記号が流れた。

ほとんど同時に、ナインがその内容を読み上げる。


「遺伝子情報認証開始。照合対象:古代由来生体認証コード、

ネヴェリス系認証規格ニ対スル適合率:98.7パーセント、遺伝情報解析中。個体認証中……」


「……なっ?」


リラが思わず手を離そうとした瞬間、ナインの声が低く割り込む。


「……リラ。認証データニ反応ガ発生。

貴女ノ生体情報ハ、古代由来ノ認証因子ヲ介シ、ネヴェリス系認証規格ニ高イ適合性ヲ示シテイマス」


再び記号が流れ、ナインが翻訳する。


「確認完了。ドアロックヲ解錠シマス」


金属の扉が静かに、左右にスライドを始めた。


完全に呆気に取られていた。


「……とにかく、空いたわ。入りましょう」


金属の扉が、左右に開いていく。内部には、薄暗い階段が深く下っていた。

コンクリートの壁と、わずかに照らす非常灯の明かり。

どこか地下施設独特の、密閉された空気のにおいが漂ってくる。


迷いなくその中へ足を踏み入れた。


その直後――外から怒声が響いた。


「おい!誰か!こちらA2、負傷者一名、至急応援を……」


「侵入者の可能性……」


「っ――!」


リラが振り返ったときには、すでに扉は半分まで閉じていた。

わずかに差し込んでいた外の光が遮断され、静寂が押し寄せる。


「リラ、急ギマショウ」


音もなく、扉が完全に閉まる。


地下の空気は、ひどく重く、そして静かだった。


階段を急ぎ足で下りた。

鉄の扉が閉ざされた背後とは対照的に、階段の先には淡く白い光が満ちていた。


足音がわずかに反響する。

壁面は無機質なコンクリートではなく、滑らかな光沢を帯びた合成素材。

天井からは均一な光が照射され、まるで病院の廊下のような清潔さと人工的な明るさに包まれている。


(……こんな場所が、基地の下に?)


通路は静まり返っていたが、どこかで空調の微かな音が響いている。

モニターの光、パネルの点灯。確かにここは“生きている”。


「内部空間ハ維持状態。“近年改修”ノ記録ナシ。

推定:非公開プロジェクトニヨル独自開発区画」


ナインの声すら、少しだけ緊張を帯びていた。


その通路の先へと、静かに歩みを進めていった。


通路の異様なまでの整備状態に、リラは静かに歩みを止めた。

その場でわずかに立ち止まり、周囲を見渡す。


ナインが、機械的だがどこか慎重な調子で告げた。


「解析完了。

本施設ニハ、“地球外由来ノテクノロジー”ガ使用サレテイマス。

確認サレタ構造・素材ノ一部ハ、“ネヴェリス製”トハ異ナル特徴ヲ有シマス」


わずかに目を細める。


「ネヴェリス以外の……?」


「推定:地球外生命体トノ接触ハ、過去ニ複数回行ワレテイタ可能性アリ。

本施設ノ基礎構造ハ、建造後“少ナクトモ50年”以上ノ経過ガ認メラレマス」


「……そんな前から?」


「ハイ。地表上ノ廃墟トハ異ナリ、本施設ハ一貫シテ維持サレテキタ痕跡ヲ示シマス。

現在モ稼働中ノシステム多数。熱源・空調・監視機構、全テ正常作動中」


知らず、背中に汗がにじむのを感じていた。

この場所は――ずっと昔から、何かに使われてきた。


ナインの分析が静かに終わり、通路に再び沈黙が戻った。


歩みを止め、その場に立ち尽くした。

近未来的な光に包まれた空間は、妙に整いすぎていて、

外の荒れ果てた世界とはまるで別の“現実”に思えた。


そして――胸の奥に、ひとつの問いが浮かぶ。


(私……地球人、だよね?)


扉に手を当てただけで開いたあの感触。

ナインの言った「認証規格への適合率98.7パーセント」という数字。

それは、まるでこの場所が――自分を“受け入れるように”開いたようだった。


(違う……。そんなはずない)


誰かが設定した仕掛け。偶然。ナインの誤認。

そう言い聞かせるために、リラは目を閉じた。


けれど、どれも確信には変わらない。


(もし、本当に……私が“そういう存在”だったら?)


手のひらが少しだけ汗ばむ。

心臓が、一拍だけ強く打った。


そのとき、ナインが静かに告げる。


「リラ……注意。前方空間ニ、熱源反応2件。推定:兵士」


現実が、リラの思考を切り裂いた。


リラが通路を曲がろうとしたその瞬間、

遠くから、複数の足音が近づいてくる。

足取りは早いが、無駄がなく静かだった。


即座に身を伏せ、リラはロッカールームらしき一室へ滑り込む。

影に沈んだ彼女の横を、兵士二人が足早に通り過ぎていった。


低く抑えた声で、無線のやり取りが聞こえてくる。


「こちらB4、地上にて負傷者1名発生、負傷状態……

現在も意識は戻っていないが、生命反応に異常は無し」


「承知シマシタ。侵入ノ可能性ヲ想定、地下ノ再警戒ヲ要請中。

こちらはこれより階段より地上へ合流する」


「確認。速やかに移動を継続せよ」


短いやりとりが終わると、兵士たちはそのまま階段へ向かっていった。

その姿が消えるまで、リラは一切動かなかった。


兵士の足音が完全に消え、静寂が戻った。


物陰からゆっくりと身を起こし、再び通路を見据える。


(……階段は、さっき兵士が来た方角にあるはず)


あの二人の兵士が通った通路――

恐らくそこが地上と地下を繋ぐ主動線。

ならば、その延長線上に地下2階へ続くルートが存在するはずだ。


「施設内部、構造データ不明。

現在ノ歩行ルート、再利用経路ノ可能性高シ。

階段等級、外部構造ヨリ“南東ブロック”ト推定」


ナインの声を頼りに、リラは曲がり角ごとに注意深く確認を重ねながら進んでいく。


壁の一部には英語と軍用記号が混ざった標示板があり、

その中に「L2 ACCESS」という文字がかすれて浮かび上がっていた。


(あった……)


視線の先には、金属製の簡易ドアと、下方へ伸びる暗い階段。

警備灯が脇に立ち、機械的なブザー音が微かに鳴っている。


だが、その奥は静かだった。


「注意。地下2階、厳戒態勢ノ可能性アリ

通路幅狭ク、隠密行動ノ制限アリ」


一度深く息を吸い、ナインに囁く。


「……行くよ」


そして、階段の先へと足を踏み入れた。


地下2階へ足を踏み入れた瞬間、リラはほんのわずかに肌が粟立つのを感じた。


無機質な壁と床――一見すれば、さほど地下1階と変わらない。

だが、それは“表面だけ”の話だった。


壁は妙に滑らかすぎて、まるで有機物のように光を受けていた。

通路の角も直線ではなく、どこか“曲線を含んだ造形”が意図されているように思える。


そして何より、空間全体に漂う光。


天井には何もなく、それでいて空間の“内側”から染み出すように淡い白光が広がっていた。

影が落ちず、まるで昼でも夜でもない世界。


(……なんだろう、この感覚)


そこには確かに、地球の施設では感じたことのない“何か”があった。

馴染みがあるようで、決定的に異なる感覚。


ナインが静かに補足する。


「本階層ニハ、“人間文明ノ設計概念”ト、

エイリアン由来ノ“空間最適化構造”ガ混在シテイマス。

統一設計思想ハ存在シマセン」


「……つまり、地球人とエイリアンの技術が融合してるってこと?」


「推定:ハイ。

人間ノ手ニヨル設計トハ思エナイ構造ガ複数存在シマス」


小さく息を吐いた。

ここはもう、“軍の施設”ではない。

何か“別の意図”で作られた空間だ。


そして、その奥に――目的地はある。


通路の奥へと足を進めていたそのとき、

ナインの声が、いつもより一段低い調子で響いた。


「警告。敵性反応アリ。

距離:約40メートル先、通路分岐点付近ニ3件。

反応パターン:人間型。武装兵士ト推定サレマス」


即座に足を止め、無意識に身を低くした。


(……来た)


「対応ヲ。

回避ルートノ選択ガ可能ナラ、推奨シマス。

接触時、戦闘ノ可能性高シ」


足音はまだ聞こえない。

だが、確かに“そこにいる”――そんな圧のような存在感が空間に漂っていた。


周囲を素早く見渡し、死角となりそうなくぼみや扉を探す。


ナインの声が、静かに空気を裂いた。


「警告。敵性反応、接近中。距離――35メートル」


即座に周囲を見渡す。

だが通路はあまりに整いすぎていた。隠れる場所も、逃げ道もない。


足音が、角の向こうから近づいてくる。

迷っている時間はなかった。


距離、25メートル」


足音が微かに聞こえ始める。


「距離、15メートル。接触マデ推定6秒」


(――もう、このまま突っ切るしかない)


一気に重心を落とし、無言で通路の中央へと躍り出た。


影が角を曲がり、兵士が現れた瞬間、

リラの身体はすでに加速していた。


相手が反応するより早く――

一直線に距離を詰め、その腹部めがけて渾身の拳を叩き込んだ。


「ぐっ――!」


兵士の体が浮くようにして後方に吹き飛び、

壁に叩きつけられる音が通路に響いた。


ナインはまだ、ホルスターの中で静かに沈黙している。


そのまま、何も言わずに次の動きへ移っていた。


最初の兵士が吹き飛ばされた直後、

通路の奥からさらに二人の兵士が姿を現した。


「居たぞ――!」


叫ぶと同時に、先頭の兵士がライフルを構えた。

だが引き金に指がかかるより早く、

リラの身体は反射のように弾け飛んでいた。


踏み込みから一拍もなく――飛び蹴り。


「ぐっ……!」


兵士は顔面を蹴られ、銃ごと壁に叩きつけられた。


直後に現れた三人目の兵士は、即座に銃を下げた。

味方が視界の中にある以上、この距離での射撃は危険と判断された。

躊躇なく腰からコンバットナイフを抜き、低く構える。


無言のまま、リラと正面から向かい合う。


空気がぴんと張り詰める。

言葉はない。必要もなかった。

ただ、技術と反射だけが交差する、刹那の前の静寂。


通路には、途切れがちな無線の音声がぼんやりと流れていた。


「……こちらA3、負傷者1名確認……現在、救護室へ搬送中……」

「……B1、応答せよ。B1、応答を……確認できず……」


混線した通信が、低く空間に響く。

だが、今リラの目の前にいる兵士は、無線には一切反応せず、

ただ目の前の敵――リラ――にすべての意識を集中していた。


兵士は構えを崩さず、じっと目の前の人物を見据えていた。


どこかで拾ったようなタクティカルベスト、薄汚れたパーカーに、擦れたジーンズ。

顔つきだけなら、街中でよく見かけるような若い女。

だが今、この地下2階の空間において、その印象はまるで意味をなさなかった。


ここまで侵入してきたという事実。

仲間二人を沈黙させたという結果。

それだけで、目の前の存在がただの“生き残り”ではないことは明らかだった。


兵士は一切の油断なく、静かにナイフを構え直す。


少女の姿をした脅威――

それが目の前にいる。


一歩も動かなかった。

目の前の兵士も同じ。

両者の間に張り詰めた空気が、じわじわと濃くなる。


兵士は慎重だった。

これまでの動きで“ただ者ではない”と判断し、

ナイフを構えたまま、安易には前に出ようとしない。


リラもまた、簡単には踏み込めなかった。


(相手は、人……)


これまでに幾度となく、クリーチャーを倒してきた。

その動き、弱点、間合い――すべてが身体に染みついていた。

だが、今、目の前にいるのは“考えて動く存在”だ。


何を考え、どう反応してくるのか――

その読み切れなさが、リラの動きをほんのわずかに鈍らせていた。


彼女の中で、“撃たない”と決めていた判断が、逆に動きを制限していた。


呼吸だけが静かに続き、

兵士のナイフがわずかに角度を変えるたびに、

リラの筋肉が僅かに反応する。


(……どう動く?)


その答えを、まだ出せずにいた。


無線の音が通路の奥でまだ響いていた。


「……こちら…負傷者…救護室へ…。

…地下区画……、応答確認急務――」


その無機質な声を背に、空間は張りつめた静寂を保っていた。

だが、その均衡はわずか数秒後に破られる。


兵士――眼前の男は、一切の躊躇なく動いた。


迷いはなかった。

相手が“強い”と判断していたからこそ、先に仕掛ける。


リラの呼吸が浅くなったその瞬間を読んで、

一歩――そしてもう一歩。

間合いを一気に詰め、ナイフが鋭く突き出された。


リラの目がわずかに見開かれる。


だが、反応はそれよりも速かった。


「――ッ!」


体が先に動いていた。

兵士の突きを半身で避け、そのまま反動で左足が跳ね上がる。


本能のままに放った蹴りが、兵士の側頭部を捉えた。


「ぐ……ッ!」


兵士の身体が大きくよろめき、横の壁へ肩から激突した。

そのまま床へ崩れ落ち、動きが止まる。

手から滑り落ちたナイフが、金属音を立てて床に転がった。


息を整えながら、じりじりと倒れた兵士に近づく。

呼吸は乱れ、掌にはうっすらと汗。


それでも、ぽつりと呟いた。


「……ふー、大丈夫かな…?」


数秒の間を置いて、ホルスターの中からナインの声が返る。


「解析完了。

頭部及ビ肩部ニ打撲。外傷ハ軽微。一時的ナ脳震盪ト推定。

生命反応安定中。意識回復マデ、約10分カラ20分ト推測」


ホッとしたように息を吐いた。


「生命反応、安定シテイマス。

恐ラクACH標準ヘルメット着用ニヨリ、損傷ガ緩和サレタ模様」


倒れた兵士の前に立ち、

ほんのわずかに、静かに頭を下げた。


殺さずに済んだこと。

それだけは、確かだった。


「……ごめんね」


小さく呟くと、すぐに背を向けた。

無駄な躊躇も、もうなかった。


目指すのは――地下3階。

人類が知らない“何か”が眠る場所。


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