第9話:境界
第9話:境界
一歩、歩み出そうとしたそのとき――
ホルスターの中から、ナインの声が響いた。
「提案:対象兵士カラ、セキュリティキー等ノ所持品ヲ確認スルコトヲ推奨」
リラは立ち止まり、振り返ることなく問い返す。
「持ってると思う?」
「該当兵士ハB班所属、施設内部ノ認証区域ヘノアクセス権限ヲ保持シテイル可能性アリ。
特ニ地下3階ハ、高度ナセキュリティ措置ノ対象区域ト推定」
ナインの提案を受け、リラは静かに頷き、
しゃがみ込み、軽くポケットや装備ポーチに手を伸ばす。
やがて見つけたのは、小さな黒いカード型の端末――
中央に軍のマーク、角に光る銀色のチップ。
「これ……だよね?」
「該当端末、アクセス権限付与カードト推定」
リラはカードを一瞥し、無言でポケットにしまった。
倒れている兵士の無線から、ひび割れた電子音が漏れる。
「こちらA3、応答願います。……応答無し。
地下2階にて接触の可能性有…。B班全ユニット、応援を――」
言葉の続きを聞くまでもなかった。
(来る……!)
リラは通路を駆け出す。
背後からは、階段を下りる足音がかすかに迫ってくる。
急いで角を曲がり、見えてきたのは重厚な金属製の扉。
他と違う、異質な光沢を放つそれには、端末スロットが備えられていた。
「ナイン、これでいいのよね……!」
リラがセキュリティキーをかざす。
一瞬の沈黙――そして、低く鳴る電子音とともに、
扉が静かに開き始めた。
「照合完了。権限一致。
地下第3区画、アクセス承認」
中から冷気のような空気が漏れ出す。
そこには、これまでとはまるで違う空間が広がっていた。
重々しい扉が開いた先にあったのは、金属の階段ではなかった。
そこに待っていたのは、無音のエレベーター。
ナインが反応する。
「地下第3区画ハ、通常ノ出入リ想定ヲ超エタ制限区域。
構造上、単一エレベーター経由デノ昇降ノミト設定サレテイマス」
エレベーターはすでに開いていた。
彼女は迷わず中へ足を踏み入れ、パネルに唯一表示された「B3」のボタンを押す。
微かな振動とともに、カゴはゆっくりと下降を始めた。
壁の照明が、ゆっくりと流れていく。
そして――
扉が開いた先に広がっていたのは、
彼女がこれまで見てきたどの空間とも違う、静謐な広大な空間だった。
足元は光沢のある白い床。
左右の壁には、展示のように整然と並んだガラスケース。
そこに収められていたのは――
初期型の演算装置、通信網の中継基板、無人飛行機の制御装置、人工知能の試作端末。
果ては、電子レンジの原型を思わせる加熱装置まであった。
一見すれば、現代の道具へつながる古い試作品にすぎない。
けれど、添えられた無機質なプレートには、教科書で見たことのない記録が刻まれていた。
《技術参照元:テーガーデンb》
《共同解析:プロキシマb ザン=レ種族》
《基礎理論提供:ケプラー62f ルメナス族》
リラは、言葉を失った。
リラはゆっくりと歩を進める。
通路に沿って設けられた壁面の一部が、彼女の接近に反応するように光を帯び――
無音のまま、映像が自動的に再生され始めた。
《記録映像再生開始》
ホログラムの中に浮かび上がるのは、かつてこの空間に存在した交流の記録。
地球人の技術者、軍関係者、そして――
明らかに“人間ではない”姿をした者たちの会話や作業の風景。
映像内の言語は翻訳され、字幕が自動的に流れていく。
「本装置ハ、ルメナス族ノ音響変換技術ヲ元ニ構成サレ……」
「ザン=レ族ヨリ提供サレタ精神制御アルゴリズム、現在ノAI管理システムニ応用中……」
「本施設ハ、限定的技術協定ニ基ヅク非公開拠点トシテ機能ス……」
まるで資料映像のような客観性と整然とした記録。
だがそれは確かに“現実”だった。
(……こんな世界、誰も知らない……)
リラの心に、言いようのないざわめきが広がる。
そこには、異星人が使用していたと思われる装備品の数々が並んでいた。
光沢のある滑らかな銀の宇宙服。
重力制御装置と思われる腰部ユニット。
関節部に不思議な光を放つ、フリクス族の外殻型アーマー。
意思を伝達するための、ルメナス族の音響変換マスク。
ザン=レ族特有の精神波遮断ヘルメット。
どれもが、明確な意図を持ち、存在していた。
リラはゆっくりと装備展示ゾーンの中を歩いた。
どれも見たことのない異様な形状。だが、どこか洗練された印象もあった。
ホルスターの中から、ナインの音声が小さく響く。
「補足:現在展示サレテイル装備品ハ、
地球外種族トノ共同研究時ニ提供サレタ現物、モシクハ複製デス」
リラは歩きながら、一つひとつを見上げる。
目の前にあるのは、細身の銀色スーツ。表面が滑らかに波打っていた。
「ネヴェリス人ノ宇宙活動用スーツ。
高密度エネルギーフィールドニヨル防御膜ヲ内蔵。
軽量・耐圧・環境適応性ニ優レマス」
次に現れたのは、ずんぐりとした重装のスーツ。黒く、鋲のような突起が並んでいた。
「グリーゼ581c出身、“フリクス”族ノ戦闘装備。
高重力環境用ニ調整サレタ筋圧補助ユニット搭載。
耐衝撃・打撃吸収性能ハ地球製装備ノ約5倍ニ相当」
リラの視線が、光沢を放つ透明なヘルメットへと移った。
中には奇妙な音響反応装置が組み込まれている。
「ケプラー62fノ“ルメナス”族ヨリ提供サレタ音響通信マスク。
液体状ノ身体ヲ持ツ彼ラニトッテ、音ト光ハ意思ノ延長デス」
そして、最後に目に入ったのは、極めてシンプルな装置。
だが、その表面はうっすらと脈動しているように見えた。
「プロキシマbノ“ザン=レ”族製、精神波遮断ヘルメット。
ナノスケールノ精神干渉フィールドヲ発生。
敵性認知能力ヲ遮断スル特殊機能アリ」
リラは展示された装備の数々を見渡しながら、しばし言葉を失っていた。
その沈黙を、ナインの機械的な声がふいに破る。
「補足:コレラハ、地球人側ノ意向ニヨリ構築サレタ展示空間デス。
ネヴェリス文化ニハ、“記録ヲ視覚的ニ陳列スル”習慣ハ存在シマセン」
リラは軽く眉を上げる。
「要するに、趣味ってこと?」
「ハイ。文化的嗜好ノ一環ト推測。
我々ニトッテハ情報ハ“保存”スルモノデアリ、“並ベル”必要ハアリマセン」
それを聞いて、リラはほんのわずかに笑った。
(そういうとこ、地球人っぽいよね……)
展示エリアの終端には、他のどの展示物よりも高く、静かに佇む構造物があった。
円形のガラスドームの中央に、それはそびえていた。
透明な樹脂で再現された、巨大な木のようなモニュメント。
幹はねじれながら天へ伸び、枝は無数に分かれ、微かな光を放っていた。
(……木?)
リラは眉をひそめ、ゆっくりとその前に立つ。
直感的に、これが“ただの装飾”ではないことだけは分かった。
「ナイン……これは?」
ホルスターの中から、やや抑えた音でナインの声が応える。
「該当物体:ユグドラシル。
ネヴェリス人ノ母星ニ存在スル、特殊ナ生体構造物デス。
ワレワレニトッテ、文明維持ノ中核トナリマス」
「……文明維持?」
「ハイ。詳細ハ機密事項ニ分類サレテオリ、開示権限ハアリマセン。
該当情報、ナインノ管理領域ヲ超過シマス」
リラはモニュメントを見つめたまま、小さくつぶやいた。
「なんだろう……見たこともないはずなのに、どこか懐かしい気がする……」
リラはふと手を伸ばした。
目の前のドーム、その中に静かに佇む“木”のようなモニュメント――
その光が、彼女の胸の奥に何かを呼び起こすような気がして。
ほんの少し、指先がガラスに触れそうになった、そのとき――
「警告。人型反応アリ。脅威度、高」
ナインの低い警告音がホルスターの中で鳴った。
「奥側通路、接近反応3。距離50メートル。
中央人物:非武装。左右両名:武装アリ。
移動速度、警戒モード。接触目的不明」
リラは咄嗟に動きを止め、すぐに身を引いた。
空間は再び静寂を取り戻す――だが、空気が確かに変わっていた。
(見つかった……?)
まだ足音は聞こえない。
だが、ナインの警告は間違わない。
そのとき、天井のスピーカーが微かに鳴り、地下3階全体に低い声が響いた。
「君かね、侵入者は……」
リラは身をこわばらせ、すぐに銃――ナインに手をかけようとしたが、
続く言葉に、一瞬、動きを止めた。
「隠れなくてもいい。
この空間に、隠れる場所はない」
声は静かだった。
どこかに余裕と疲労の気配が混じっている。
「我々としても、これ以上無用な攻撃をするつもりはない。
本来、君と戦う理由など存在しないのだから」
(……戦うつもりはない?)
だが、ナインの警告はまだ消えていない。
それは決して油断していい状況ではなかった。
音もなく、通路の奥から人影が現れる。
3人。
中央に立つのは、白衣に似た薄手のロングコートを羽織った男だった。
年齢は五十代半ばだろうか。浅黒い肌と彫りの深い顔立ちには、インド系を思わせる面影がある。
痩せた頬と鋭い目つき。その目元には、細い銀縁の眼鏡が掛けられていた。短く整えられた黒髪には白いものが混じり、
長い疲労を隠しきれない影が刻まれている。
片手には薄型の端末を持ち、もう一方の手はコートのポケットに入れていた。研究者らしい理知的な雰囲気をまとっているが、
眼鏡の奥から向けられる視線には、人間を見るというより、未知の現象を観察するような冷たさがあった。
その両脇には、重武装の兵士が二人。
ライフルを構えているが、銃口はまだ地面に向けられたまま――
だが、少しでもリラが動けば即座に反応できる態勢。
リラは無言のままナインに手をかけたが、まだ抜かない。
男が足を止め、数メートルの距離を保ったまま彼女を見据える。
「安心していい、若い娘さん。
我々に、今ここで君を処理する理由はない。
少なくとも、君がこの場所をどう理解しているのか――
それを確認してからでも遅くはないと思ってね」
彼の声は穏やかだったが、
その瞳の奥には、研究者特有の“知的な残酷さ”が潜んでいた。
リラは構えたまま、男を見据えた。
「君はいったい、何者なんだ?」
数秒の沈黙ののち、男はゆっくりと歩みを止め、
手にしていた端末を静かに下ろしながら答えた。
「私は――トーマス・レイノルズ。
かつて、この施設で“外交と技術提携”を担当していた研究員だよ」
その声音には威圧も敵意もなかったが、
どこか“この空間に属している者だけが持つ、深い理解”の気配があった。
「……“技術提携”?」
リラが問いかけると、トーマス・レイノルズはほんのわずかに目を細めた。
「簡単に言えば――人類が、異星文明と“技術の交換契約”を結んでいたということだよ」
「契約……?」
「そう。ここはそのために作られた。
ネヴェリス人を中心に、他星系からの協力種族と、我々地球人の研究者、技術者たちが、
“共通の目的”のもとに集められた場だった」
「そんな交流が、ずっと続いてたの?」
「いや。公的な接触は、遠い昔に途絶えている。
ここで行われたのは、その原則から外れた、ごく限られた秘密協定だ。
政府の中でも、存在を知る者は殆どいない」
彼の言葉は静かだが、確かな重みを持っていた。
「そして、その成果の一部が、後に君が日常として知る技術へ流れ込んだ。
コンピューター、通信網、人工知能――人類が自力で築いたものまで否定するつもりはない。
だが、いくつかの発見が、本来より早く訪れたことも事実だ」
トーマスの説明を聞きながら、リラはそっと手を下ろした。
ホルスターに収められたナインは、まだ沈黙を保っていたが――
ふと、トーマスの目がそこに向く。
そして、目を細めて一歩近づく。
「……ん?」
しばらく見つめていた彼は、手元の端末をナインへ向けた。
端末の縁を淡い光が走り、短い走査音が鳴る。
トーマスは、静かに口元を歪めた。
「それは――ネヴェリス製では?」
リラは反射的にホルスターを押さえた。
ナインは即座に、機械的な音声で応じる。
「識別要求ヲ検知。外部照会ハ拒否シマス」
トーマスはその応答に驚いた様子は見せず、ただ小さく頷いた。
「なるほど。応答までするとは……
随分と、珍しい物を持っているようだね」
ナインの機械音声を聞き終えると、軽く肩をすくめた。
その表情には、ほんのわずかな興味と、探るような視線が浮かんでいた。
「……それで」
彼は一歩前に出ると、再びリラの目をまっすぐに見据える。
「もう一度聞こう。
君は――何をしに、ここへ来たんだ?」
問いかけは穏やかだが、そこには確かな“選別の視線”があった。
リラは――答えなかった。
いや、答えられなかった。
ナインを拾ってからの旅路。
目の前にあるユグドラシルのモニュメント。
そして、この地下深くに眠っていた“人類と異星文明の秘密”。
すべてが、まるで自分と繋がっているかのようで――
そして、もしかしたら。
この世界が壊れてしまった“始まり”が、
ここにあるのではないかという予感が、胸の奥を締めつけていた。
何かを言いかけたその瞬間。
「――まあ、いい」
トーマスがふっと息をつくように言った。
「私の目的は、すでに果たされた。
君が何者であろうと、それを決めるのは私ではない。
……忠告だけはしておこう。
君も、ここから早く離れたほうがいい」
トーマスは一度だけ、リラの腰にあるナインと、背後の展示区画へ視線を移した。
「閉ざされていた最初の扉が、なぜ君を通したのか――その認証記録だけは確認できた。
もっとも、私にも理由までは分からないがね」
それ以上は語らず、トーマスは兵士たちへ目配せした。
二人は銃口を上げないまま後退し、やがて三人の姿は通路の奥へ消えていった。
トーマスたちの足音が完全に消えたあとも、リラはしばらくその場から動けずにいた。
ホルスターの中で沈黙を保っていたナインが、やがて静かに告げる。
「リラ、半径50メートル以内ニ人型反応ハアリマセン。
傍受可能ナ無線通信モ急速ニ減少中。基地要員ハ撤収ヲ進メテイルモヨウデス」
静寂。
さっきまでの対話の余韻だけが、ユグドラシルのモニュメントに微かに反射していた。
リラはゆっくりと顔を上げ、
再びあの巨大な木の姿を見つめる。
(……じゃあ、私は――)
ホルスターにそっと触れながら、リラはかすかに口を開いた。
「……ナイン、ここって――結局、なんなの?」
ナインはすぐには答えなかった。
その代わり、リラの声だけが静まり返った展示空間に滲むように広がっていく。
「私に、何があるの……」
ユグドラシルのモニュメントが、まるでそれを見下ろすかのように、
冷たく光を放っていた。
けれど答えは、どこからも返ってこなかった。
リラはまだ答えのない問いを胸に、モニュメントを見上げていた。
そのときだった。
――ゴォォォォン……ッ!!
低く唸るような音が、地の底にまで響いた。
直後、天井の一部が震え、わずかに砂塵が舞う。
ナインが即座に反応した。
「警告。上空ヨリ爆撃反応アリ。
識別――ネヴェリス製小型艇ニヨルピンポイント空爆。
着弾地点、地上施設構造物……直上階含ム複数箇所ニ被弾シマシタ」
「な……!」
リラは咄嗟に身をかがめ、モニュメントの影に飛び込んだ。
頭上から再び、鈍く重い轟音が降り注ぐ。
(なんで今……!?)
ナインが続けて叫ぶように言う。
「施設全体ノ崩落リスク上昇中。早急ニ脱出ヲ――!」
天井の奥から、鋭い裂けるような音が響いた。
「……崩れ――」
リラが言い切る前に、爆音とともに頭上の照明がはじけ飛ぶ。
――ドォォン!!
ユグドラシルのモニュメントを囲うガラスドームが、音もなくひび割れ、
次の瞬間には床全体が大きく揺れ始めた。
「警告。構造体崩落ヲ検知。
地下第3区画、耐久限界マデ残リ時間――およそ1分42秒」
「っ……どこ! どこから逃げれば……!」
リラは崩れる天井をかすめながら、モニュメントから飛び退いた。
床には亀裂が走り、展示エリアの一部がすでに瓦礫と化していた。
「非常脱出ルート、探索中……
緊急搬送ハッチノ反応アリ。誘導シマス!」
ナインの指示に従い、リラは破片を飛び越えながら駆け出した。
背後で、巨大なモニュメントが軋む音を立てながら崩れ落ちる――
リラはナインの誘導に従い、瓦礫の舞う通路を必死に駆け抜けた。
だが――それよりも速く、天井が、壁が、床が崩れ落ちていく。
「警告。崩落進行速度ハ予測ヲ上回ッテイマス。
直上構造、完全崩壊ヲ確認――ッ」
――グシャァアッ!!
頭上から伸びてきた鉄骨の破片が、リラの目の前に落下する。
「っ……!」
リラは咄嗟に腕を上げて防ごうとした――
その瞬間、強烈な衝撃と光、そして音が全身を包み込んだ。
視界が傾き、すべてが音を失っていく。
ナインの声も、もう聞こえなかった。
彼女の意識は、暗闇の底へと吸い込まれていった――
――暗闇の中で、かすかな音が聞こえた。
静かに、乾いた何かが落ちる音。
耳の奥で鼓動が響き、重いまぶたの奥に、微かな光が差し込んできた。
(……ここは……)
リラはゆっくりと目を開けた。
視界に入ったのは、ねじれた金属片と、砕けた壁材。
瓦礫と化した展示空間の一部。
天井は崩れ落ち、空気には焦げた匂いと、舞い上がった埃が漂っていた。
動こうとしたが、体が思うように反応しない。
全身に痛みが走る。
「……っつ……」
そのとき、ホルスターの中から、機械的な声が聞こえた。
「オハヨウゴザイマス、リラ。
意識消失カラ18分経過。現在、軽度ノ外傷ト衝撃性意識障害カラ回復中デス」
「……ナイン……私、生きてる……?」
「ハイ。地下ノ構造ハ、爆撃規模カラ推定サレルヨリ頑丈ダッタヨウデス。
建材ハ地球製デスガ、設計基準ハ異星技術ニ準拠シテイマス。
崩落ハ局所的デ、現在位置ハ比較的安定シタ空間ニアリマス」
リラはかすかに息を吐き、倒れた柱に手をついて体を起こす。
瓦礫を踏む感触とともにゆっくりと立ち上がった。
体は痛むが、動ける。息もできる。ナインの声も、ちゃんと聞こえる。
背負っていたリュックは見当たらなかった。
肩には千切れて焦げたストラップの一部だけが残り、瓦礫の下から黒い布片が覗いている。
「……そういえば、トーマスが言ってたね」
ホルスターに手を添えたまま、リラはぽつりと呟く。
「“ここから離れたほうがいい”って――
……こういうことか、ほんとに」
静まり返った地下空間に、その声だけがやけに響いた。
「……さて、どうしようか」
リラはもう一度深呼吸し、足元の瓦礫を見下ろした。
「ここから出ないとね」
そうつぶやいて、慎重に歩き出す。
崩れた展示台の破片をまたぎながら、かつての記録が並んでいた通路をひとつひとつ確かめていく。
壁に埋もれかけた金属ケース。
焦げた端末の残骸。
折れた銃器の部品や、粉々になった強化ガラス。
どれも、使えそうで使えない。
あれほど“知の結晶”だった空間は、今やただの残骸になっていた。
「ナイン、まだ生きてる設備ってある?」
「現在、地下第3区画ノ機能ハ大部分停止中。
通信設備:無反応。
発電系統:継続稼働中。
基地北側非常通路ニ、独立電源下ノ制御端末ガ反応シテイマス」
リラはそちらの方へと視線を向けた。
「非常通路……それって、上に繋がってる?」
「ハイ。地上ニ通ジル搬送用シャフトアリ。
タダシ、耐震構造ハ保証外。通行ニ注意ガ必要デス」
「まあ……選べるほどルートはない、か」
崩れかけた通路を進みながら、リラはふと思いついたように言った。
「ねえ、もう……爆弾、落とされる心配ってないよね?」
「現在、上空ニ敵性機体ノ反応ハ確認サレマセン。
周囲ノ爆撃痕ヨリ推定スルニ、攻撃ハ一時的ナ限定型空爆ト思ワレマス」
「ふぅ……良かった。あのまま潰れてたら洒落にならないっての」
足元の破片を踏み越えながら、リラは少し声を強める。
「それにしてもさ…
いつも“敵性反応アリ”とか言ってるのに、何で早く教えてくれなかったのよ!」
するとナインは、少し間をおいてから淡々と返す。
「当該区域ニ限定的ナ通信障害ヲ確認シテイマシタ。
広域電磁ノ干渉ニヨリ、感知機能ニ一時遅延ガ発生シタモノト推定シマス」
「……ほんっと、肝心なときに……」
苦笑交じりにぼやきながら、崩れた壁の隙間を身をかがめてくぐった。
リラは立ち止まり、改めて周囲を見渡した。
爆撃の衝撃で崩れた壁や展示台の残骸が散乱している。
埃と焦げた金属の匂いがまだ残っていたが、空気は落ち着いている。
(……もう爆撃の心配はないか……)
「ナイン、少し探してみる。
何か、使えるものが残ってるかもしれない」
「了解。現在位置ヨリ半径15メートル内、
熱反応・微弱電源反応アリ。
オブジェクト候補、2件抽出シマシタ」
「よし。じゃあひとつずつ見てみよっか」
リラはまず、倒れかけた展示パネルの裏側に足を向けた。
そこには黒焦げになった装備品の一部と、破損したキャビネット。
中をこじ開けると、破片にまぎれて小型ツールが数点転がっていた。
精密スキャナー、回路ピック――その中に、ひときわ目を引くものがあった。
それは鞘に収められた細身のナイフだった。
柄の部分には小さな発光ラインが走り、かすかに電磁波の反応が漂っている。
「……これ、使えそう」
リラは手に取ると、軽く鞘を引いて刃を覗いた。
刃の縁には淡く青い電気がまとわりついている。
触れた瞬間にわかる、“ただの金属じゃない”鋭さ。
「ナイン、これは?」
「電磁ナイフ。半永久電源内蔵型。
切断効率:通常金属ノ4.3倍。
本来ハ異星製装備ノ分解・加工ニ使用サレルツールデス」
「……それって、武器にも使えるってことだよね?」
「使用者ノ力量ニ依存シマス」
「へー、貰っておこうか」
リラはナイフを鞘ごと腰に差し込み、軽く手で押さえた。
「ちょうどいい。頼りにするよ」
続けて、壁の近くに落ちていた小さな端末にも目を止めた。10インチ程だろうか。それはタブレットの様な端末だった。
液晶は割れていたが、ナインがすかさず反応する。
「微弱ナ電源ノ反応アリ。データノ一部ハ解析可能デス」
「じゃあ、ちょっと見せて」
リラが声をかけると、ナインが即座に接続処理を始めた。
端末の液晶に、ノイズ混じりの映像が浮かび上がる。
赤い大地。崩れた建造物。乾ききった空。
そして、その奥に――ピラミッド状の巨大構造物が見えた。
「これ……」
ナインが静かに補足する。
「当該記録ハ、“火星”ニ於ケル旧文明ノ監視映像ト推定サレマス。
映像ハ約5000年前ノモノ。環境制御機構ノ異常、及ビ大規模戦闘ノ記録ヲ含ミマス」
映像の一部には、崩れ落ちる都市と、空を覆う黒い艦影が映り込んでいた。
人々が逃げ惑い、建物が飲み込まれていくその様子は、リラの胸に嫌な既視感を残した。
(……これって、地球でも――)
映像はそこで途切れ、端末は沈黙した。
暗い画面が残る中――
リラはゆっくりと、ナインのホルスターに目を向けた。
「まさか…」
ナインは無言だった。
「ねえ、ナイン。あなた、何か知ってるよね?」
しばらくの間を置いて、ナインが応える。
「詳細ハ、機密指定ニヨリ開示不可。
デスガ――火星デ起キタ事象ト、現在地球上デ進行シテイル状況ハ、極メテ類似シテイマス」
「……それ、答えになってないよ」
リラは眉をひそめ、わずかに声を強めた。
ナインは再び、静かに告げる。
「先程ノ映像ハ、“火星人類”ニヨル記録ノ断片デス。
エネルギー収奪行為ニ対シ、当時ノ火星文明ハ反撃ヲ試ミマシタ。
ソノ後、惑星規模ノ環境制御機構ガ暴走シ、文明圏ノ大部分ガ崩壊シタト記録サレテイマス」
言葉を失った。
崩れ落ちる都市。逃げ惑う人々。空に浮かぶ艦影。
それは“過去の映像”であると同時に、“現在の地球”のようにも見えた。
リラは小さくため息をついて、
ひび割れた端末をそっと床に置いた。
「……ほんと、答えてくれないんだね」
ホルスターの中で、ナインが静かに返す。
「ワタシカラハ、オ答エデキマセン。
デスガ――今後、同様ノ記録ガ発見サレタ場合、
貴女ニ開示スルコトニ協力ハ可能デス」
リラはナインに視線を向けたが、そこには何の感情も表情もない。
それでも、わずかに“意志”のようなものを感じた気がした。
リラはナインの言葉に少し黙ったあと、静かに問いかけた。
「火星にいた人達は?…ねえ?火星って――結局どうなったの?」
ナインは即座に応えた。
「ソレハ、貴女モ既ニゴ存知ノハズデス。
現在ノ火星ニハ、文明ノ痕跡ガカスカニ残ルノミ――
少ナクトモ地表ニ、継続的ナ生命活動及ビ社会構造ハ確認サレテイマセン」
リラはその言葉を反芻するように繰り返した。
“何もない星”
リラは目を伏せたまま、静かに口を開いた。
「地球も……いずれ、そうなるってこと?」
ナインは間を置かず、はっきりと応えた。
「イエ。地球ハ違イマス」
リラは顔を上げ、ナインのホルスターを見つめた。
「……どうして?」
けれどその問いには、答えは返ってこなかった。
ただ、微かな機械音だけが、沈黙の代わりに耳に残った。
しばらく沈黙が続いた。
リラは壁にもたれ、深く、静かに息をついた。
「……もう、これ以上聞いても……仕方ないか」
ほんのわずかに自嘲めいた笑みを浮かべながら、
リラはナインに視線を向ける。
「これから、どうしようか?」
ナインの返答は、変わらず冷静だった。
「現在位置ハ安全圏外。崩落ノ危険ハ低下シテイマスガ、
構造物全体ノ安定性ハ保証デキマセン。
――まずハ、“ここカラ脱出スルコト”ガ先決デス」
リラは、うなずいた。
「……だよね」
足元の瓦礫を踏みしめる音が、再び空間に響いた。
リラは瓦礫の山を見渡しながら、少しだけ声を張った。
「さっき――出られそうな場所あるって言ってたよね?」
「再スキャン実施――」
ホルスターの中でナインの駆動音が小さく響き、
数秒後、機械的な報告が続いた。
「非常搬送用通路ヲ検知。
北側構造物ノ下層部ヨリ、地上搬送シャフトニ接続サレテイマス。
非常時開放機構アリ――現在モ通行可能ナ状態デス」
瓦礫を踏み越えながら、リラはナインの案内に従い通路の奥へと進んだ。
薄暗い鉄製の通路。両脇にはかつての搬送レールの名残が残っており、天井は低く、湿った空気が漂っていた。
しばらく進むと、重厚な扉が現れる。
無骨な外見に似合わず、扉の中央には精密な認証装置が取り付けられている。
「……ここが?」
リラが眉をひそめて問いかけると、ナインが即座に応答した。
「先程ノセキュリティキー、使用可能ト判定。
通路終端――搬入用湖岸ゲート。出入口認証ヲ開始シマス」
リラはポケットからキーを取り出し、認証装置に当てた。
小さく「ピッ」という音が鳴り、赤かったインジケーターが緑に変わる。
「ロック解除確認――開扉」
ギィ……と鈍い音を立てて扉が開いていく。
その向こうから、湿った冷気と、藻と水の匂いが流れ込んできた。
短い金属通路の先に、崩れかけた擁壁の隙間が見えた。
そこをくぐって一歩踏み出すと、靴底が柔らかな泥へ沈む。
目の前には、静かな湖面が広がっていた。
「……湖?」
リラは戸惑いながら辺りを見渡す。
そこは湖岸の擁壁をくり抜いて造られた搬入通路の終端だった。
出口は水面すれすれの高さにあり、岸辺の岩と茂みに紛れるような角度で隠されていた。
ナインが応える。
「バス湖ノ湖岸構造デス。旧搬入経路ノ出口ハ、擁壁内部ニ設置サレテイマス。
外部カラノ視認ハ困難。極秘出入用ト思ワレマス」
リラが泥の斜面を上がると、湖面を渡ってきた風が頬を撫でた。
木々の匂いが鼻をかすめる。
「……こんなとこに、出るなんて」
静かすぎる湖のほとり。
ここがあの崩れた地下と繋がっているとは、誰も想像できないだろう。
水面に手を浸し、リラは顔を何度か洗った。
乾いた肌に水がしみ込むたび、少しずつ現実が戻ってくる。
「あー」
小さく息を吐きながら、ぽつりと呟いた。
「リュック、駄目になったな……」
肩を落とす間もなく、視線は水面の先へと向かっていた。
「ナイン、近くにモールとかあったりしない?」
「現在地南方、約5キロ地点ニ“大型商業施設”確認。
施設名:ザ・モール・アット・フェアフィールド・コモンズ。
負傷及ビ道路状況ヲ考慮シ、推定徒歩時間:約1時間30分。補給拠点トシテ有効ト判定」
リラはうなずいた。
「南か…じゃあ、そっちへ向かおう」
湖畔を後にしながら、空を見上げる。
静かに風が吹いていた。




