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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第2章 機械仕掛けの親友
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第8話

 監査等委員長として正式に任命されてから、数日が過ぎた。


 最初は何もかもが異様に思えた生徒会室の空気にも、桜川恋はようやく少しずつ慣れ始めていた。


 慣れた、と言っていいのかは怪しい。


 校内の承認フローが普通の企業みたいに整備されていることにも、資料のほぼすべてが電子化されていることにも、雪代こよみが常に静かで正確すぎることにも、副会長の不破廻が時々「前世ではこういう局面で橋を落としたことがある」などと意味不明なことを言い出すことにも、以前ほどは驚かなくなった、という程度だ。


 結局のところ、驚いてばかりいても仕事は進まない。


 監査等委員長の仕事は、恋が当初思っていたよりも地味で、そしてよほど神経を使うものだった。


 議事録と承認記録の整合性確認。予算執行の時系列チェック。備品発注ログと行事使用申請の照合。映像記録と事故報告の時間差確認。どれも派手さはない。ないのに、ひとつでも見落とすと妙なところで綻びが出る。


 その綻びを見つけるための役目だと分かってはいるが、慣れないうちは肩が凝るばかりだった。


 ただ、何日か実際に触っていると、少しずつ見えるものも増えてくる。


 榊原藍は物事を信じられないほど速く裁くが、その裏では必ず理由と記録が紐づいていること。雪代こよみは基本的に何でも残すが、残した情報を人間が読める形に直すのも異様に上手いこと。不破廻はふざけているようで、意外と場の緊張が高くなりすぎる前に温度を逃がしていること。


 そして鶴見秋臣は――。


「……そこは変数名を統一じゃなくて、運用ルールを統一の方が自然じゃないですか?」


 その日、恋は大型モニターに表示された予算執行の補助資料を見ながら言った。


 生徒会室にはいつもの四人が揃っている。藍は奥の席で校内行事の承認データを見ていて、こよみは議事録の整形作業、不破は何かの起案書に赤入れをしつつ半分くらい別のことを考えている顔をしていた。


 そして鶴見は、机いっぱいに紙を広げたまま、モニター上のデータと見比べていた。


「ルール統一だけだと、次の代で崩れる」


 紙から目を離さず、鶴見が答える。


「入力側の認識に依存する形は脆い。なら、そもそも揺れない命名と形式に落とした方が早い」

「そこまでやるんですか」

「そこまでやる」


 即答だった。


「中途半端な整備は一番コストが高い」


 相変わらず、会計というよりシステム設計みたいなことを言う人だと思う。


 けれど、数日ここで仕事をして分かったことがひとつある。


 鶴見秋臣は面倒くさいが、正しい。


 正しすぎて面倒くさい。


「桜川さん、その着眼は悪くありません」


 藍が視線をこちらへ向ける。


「ですが鶴見さんの言う通り、監査視点では人の善意に依存しない仕組みの方が望ましいです」

「……この生徒会、人の善意を信用しなさすぎじゃないですか」

「信用していないわけではありません」


 藍は落ち着いた声で返す。


「ただ、善意と正確性は別問題ですので」

「会長がそれ言うと重いんだよなあ」


 不破がタブレットから顔も上げずに言った。


「前世でも、善意で橋脚ずらした結果、三日後に全部流れたからね」

「その前世の話、今のところ一度も役に立ってないですよ」


 恋が言うと、不破が嬉しそうに笑う。


「でも聞いてくれるじゃん」

「聞こえてるだけです」

「反応が育ってきたなあ」


 そんなふうに、会話そのものにはだいぶ慣れてきた。


 慣れてきた、はずだった。


 問題が起きたのは、その数分後だった。


 鶴見が紙資料の一枚を捲り、別の表と突き合わせ、さらにモニターの数値を拡大表示したあたりで、ふっと動きが止まったのだ。


 最初は、本当に些細な変化だった。


 視線が一点で固定される。


 紙を持つ指先の力が少しだけ強くなる。


 眼鏡の奥の目が、やけに静かになる。


 恋はそれに気づいて、何となく嫌な予感を覚えた。


「……鶴見先輩?」


 呼んでも返事がない。


 藍も、こよみも、不破も、誰も特に顔を上げない。


 それが逆に怖い。


「……あれ」


 小さく、鶴見が呟いた。


 嫌な声だった。


 低いわけでも、大きいわけでもない。ただ、内側だけで何かがきしみ始めた音に近い。


「おかしいな」


 もう一度、今度は少しだけはっきりした声で言う。


 紙が一枚、机の上へ乱暴に置かれた。


「おかしい」


 恋が息を呑む。


 藍はまだ反応しない。


 こよみは何かの入力を続けている。


 不破だけが、ああ、という顔をしてタブレットを伏せた。


「始まった」


「何がですか」


 恋が思わず聞き返した、その直後だった。


「三十七円合わない……!」


 鶴見が顔を上げた。


 その目が、さっきまでと完全に違っていた。


 鋭いというより、燃えている。普段から仕事人間ではあるが、今のそれは熱量の方向がおかしい。


「何で三十七円合わないんだ……いや違う、合わないんじゃない、合わせられていない。どこだ。どこで混入した。誰だ。いや誰でもいい、経路だ、経路を出せ」


 早口だった。


 しかも、紙を一枚掴んだかと思うと、次の瞬間には三枚まとめて机へ広げる。ノートPCの画面を開き、表計算のシートを一気にスクロールし、別窓の会計ログを表示する。


「待って、待って、待て。自販機補充費の端数処理……違う。文化祭試算の丸め誤差……違う。印刷費? いや印刷費で三十七円は出ない。出たら逆に嫌だ。じゃあ何だ。備品補填? 違う。部活支援費? 違う。違う、違う、違う、違う……」


「え、怖」


 恋が思わず本音を漏らす。


 だが生徒会室の空気は、驚くほど平常運転だった。


「鶴見さん」


 藍が静かに声をかける。


「発狂するのは構いませんが、机を叩くのはおやめください。端末に影響が出ます」

「これを発狂と呼ぶのは語弊がある、会長。これは追及だ。数字に対する最低限の礼儀だ」

「でしたら、礼儀の範囲内でお願いします」

「礼儀の範囲で三十七円が消えるなら苦労しない!」


 机を叩きかけて、寸前で止まる。


 止まるのか、と思った次の瞬間には、今度は紙束を抱えて立ち上がった。


「どこだ……どこに三十七円がいる……」


「いるって何ですか」


 恋が本気で引きながら言うと、不破が隣でしれっと答えた。


「会計やってると、たまに金額が生き物みたいに見えてくるんだよ」

「見えてきませんけど」

「僕もそう思う」

「ですよね」


 こよみはタブレットを操作しながら、淡々と言った。


「桜川さん、ご安心ください。鶴見さんは月に二、三回この状態になります」

「安心できる要素どこですか」

「頻度が読める点です」

「そういう問題じゃないです」


 その横で鶴見は、紙とモニターと電卓を行き来しながら、ぶつぶつと数字を唱え続けていた。


「二百十四、三百九、二百十四、三百九……合ってる。合ってるならなぜだ。いや合ってるように見せかけてるだけか。隠れてるのか。三十七円のくせに……!」


「三十七円に恨みでもあるんですか」

「ある。今この瞬間に発生した」


 即答だった。


 恋は本当に少し後ずさった。


 怖い。普通に怖い。


 なのに、こよみは何事もなかったかのように恋の端末へ新しい権限設定を送ってくるし、不破は「今回は小額だからまだ軽症だね」とか身も蓋もないことを言うし、藍に至っては承認フローの確認を続けながら、必要最低限の制御だけしている。


 いつものことすぎるのだ、この人たちにとっては。


「重症のとき、どうなるんですか」


 恋が恐る恐る聞くと、不破が少し考えてから答えた。


「前に百円ずれたときは、鶴見が二時間くらい“数字への冒涜だ”って言い続けてた」

「怖すぎる」

「でも最後は合った」

「合ったんだ……」

「合うと逆に静かに壊れるよ」

「何でどっちにしろ壊れるんですか」


 こよみが補足する。


「鶴見さんは、最終的に数値が一発で合うと、しばらく硬直します」

「そっちもそっちでどうかしてません?」

「希少事象なので」

「言い方が観測データなんですよ」


 その時だった。


 鶴見の手が、ぴたりと止まる。


 机上の空気まで一瞬で固まったような、妙な静寂が落ちる。


 恋もつられて息を呑んだ。


「……見つけた」


 低い声だった。


 鶴見の目が、ひどく据わっている。


「文化祭仮予算の端数処理じゃない。会議用飲料の補充申請と、その後の差額返金処理の入力順が逆だ」


 早口のまま、指が画面上を走る。


「仮申請時の切り上げ値が先に反映されて、返金の方が前期区分へ落ちてる。だから今期の集計で三十七円浮いて見える」

「……ほんとにそれですか」

「それだ」


 断言。


 次の瞬間、鶴見は椅子へ座り直し、すさまじい速度で修正入力を始めた。キーの打鍵音がやたら速い。修正ログ、差分記録、備考追記、関連シート反映、印刷資料への訂正チェック、全部を一気に処理していく。


 そして一分後。


 画面上の数値が揃ったらしい。


 鶴見はそこで、すべての動きを止めた。


「……合った」


 ぽつりと、そう言う。


 それから静かに椅子へ背を預けて、目を閉じた。


 数秒。


 十秒。


 二十秒。


「……え、今度は何ですか」


 恋がひそひそ声で尋ねると、不破が慣れた顔で答える。


「クールタイム」

「ゲームのスキルじゃないんですよ」

「でも近い」

「近くないです」


 こよみは冷静に端末へ何かを記録しながら、さらりと言う。


「現在の状態は復旧過程です。あと二分ほどで通常運転に戻るかと」

「復旧って」

「鶴見さんは、数字の整合が取れると一時的に情緒が静止します」

「情緒、あるんだ……」

「あります。かなり偏っていますが」

「雪代、それは言わなくていい」

 

 ようやく鶴見が目を開けた。


 さっきまでの熱病じみた気配が嘘みたいに消えている。眼鏡の位置を直し、机上の紙を整え、咳払いひとつ。


「失礼した」


「失礼で済ませるんですね」


 恋が本気で呆れて言うと、鶴見はごく普通の顔で返した。


「三十七円程度なら軽い方だ」

「基準が終わってます」

「終わってない。むしろ始まりだ」

「怖いですって」

「慣れる」


 今度は鶴見にまでそう言われて、恋は反射的に藍の方を見た。


 藍は何事もなかったかのようにタブレットを閉じる。


「ご覧の通りです、桜川さん」


「何をご覧の通りで済ませようとしてるんですか」

「鶴見さんは個性的ですが、業務遂行能力は極めて高いです」

「そこはもう十分分かりましたけど」

「ですので、過度な心配は不要です」

「心配しかないです」


 藍はほんのわずかに目を細めた。


 笑っているのかもしれない。


「数日で慣れます」

「嫌な予告やめてください」


 生徒会室の空気は、すでに元に戻っていた。


 こよみは記録作業へ。不破は再び赤入れへ。鶴見は紙資料を整えながら、何事もなかった顔で次の会計項目へ進んでいる。藍は静かに全体を見ている。


 たった今、ひとりが軽く発狂しかけていたはずなのに、全員が平然としているのが一番怖かった。


 恋は深く息を吐いて、椅子に座り直した。


「……この生徒会、やっぱりおかしい」


 誰にともなく呟くと、不破が顔も上げずに返した。


「安心して。今さらだよ」

「安心材料になってないです」

「でも事実」

「そういう問題じゃないんですよ……」


 それでも、少しだけ思う。


 最初は全部が異常にしか見えなかったこの場所の異常を、こうして一つずついつものこととして知っていくのが、たぶんここで仕事をするということなのだろう。


 それがいいことなのか悪いことなのかは、まだ分からない。


 ただひとつ確かなのは――次に鶴見が発狂し始めた時、たぶん自分も今日ほどは驚かない、ということだった。

鶴見秋臣(つるみ あきおみ)

青葉第二高等学校 2年生 生徒会会計

身長:174 cm、体重:55 kg

風貌:眼鏡

性格:知的だが、拘りが異様に強く数字に執着している

趣味:そろばん、脳内仮決算

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