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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第6章 異世界からの来訪者
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第69話

 翌日、恋はできるだけ目立たないようにしながら、知り合いへ少しずつミレイのことを聞いて回っていた。


 前日の生徒会室で、榊原藍からは「無理に聞き出す必要はありません」と釘を刺されている。

 こちらから探りを入れて相手に警戒されるようなことは避けるべきだし、何より、ミレイの能力や目的がまだ何一つ分かっていない以上、余計な行動は危険だった。


 恋自身、それは十分理解していた。


 理解していたのだが、だからといって何もせずに普段通り過ごせるほど器用でもなかった。


 昨日まで存在しなかったはずの少女が、いつの間にか「以前からこの学校にいた留学生」になっている。しかも、周囲の生徒たちは誰一人としてそのことを不自然に思っていない。


 そんな話を聞いた翌日に、何事もなかったように授業だけ受けて帰れるはずもない。


 もちろん、露骨に「ミレイって知ってますか」と片っ端から聞いて回れば目立つ。だから恋は、休み時間や昼休みを使い、なるべく雑談の延長に見えるよう気をつけながら、普段から話せる相手だけに聞いてみることにした。


 最初に尋ねたのは、宵闇灯だった。


 昼休み。校舎裏の、人目の少ない日陰。


 宵闇はいつものように日傘を畳み、建物の影へ身体を預けるように座っていた。昼間の強い光を避けているせいか、そこだけ少し空気がひんやりして見える。


「宵闇先輩、少しいいですか」


「ん……?恋ちゃん、どうかした……?」

 

 宵闇は顔を上げ、気怠そうな目を恋へ向けた。


「ミレイっていう子、知ってます?」


「ミレイ……?」


 名前を聞いた宵闇は、ほんの少しだけ目を細めた。


 その反応に、恋は無意識に息を詰める。


「はい。留学生らしいんですけど」


「ああ……あの子」


 少し考えたあと、宵闇はごく自然に頷いた。


 昨日まで何度も聞いた反応と、ほとんど同じだった。


「知ってるんですか」


「見たことはあるよ。話したことは、ほとんどないけど」


「いつからいました?」


「いつから……?」


 宵闇はそこで言葉を止め、視線を少し横へ逸らした。


 ほんの数秒だった。


 けれど、恋にはその間が昨日の光里と同じものに見えた。


 知っているはずなのに、具体的な時期だけが取り出せない。


「……分からない」


 やがて、宵闇はそう答えた。


「でも、前からいた気はする」


「前から……」


「うん」


 やっぱり同じだ。名前は知っている。存在も知っている。

 なのに、「いつから」と聞いた途端、記憶の輪郭が曖昧になる。


「変な子だとは思うけど」


「変?」


 思わぬ言葉に、恋は顔を上げた。


 宵闇は少し考え、短く言った。


「匂いが変」


「匂い?」


「血の匂いっていうより……なんだろう。生き物としての匂いが、少し違う気がする」


 恋の背中を、冷たいものが撫でた。


 宵闇が言う「匂い」が、単に香水や体臭の話ではないことくらいは分かる。


 吸血鬼の血を引く彼女には、人間とは違う感覚がある。血の匂い、体温、呼吸、あるいは恋には想像もつかない何かを、無意識のうちに感じ取っているのかもしれない。


「でも、みんな普通に受け入れてるんですよね」


「そうだね」


「宵闇先輩は、それを不思議だと思わないんですか」


「不思議……だとは思う」


 宵闇は淡々と答えたあと、少しだけ肩をすくめた。


「でも、この学校だし」


「この学校だし、で納得しないでください」


「恋ちゃんが言う?」


「言います」


 即座に返すと、宵闇はわずかに口元を緩めた。


 確かに、この学校にはもう十分すぎるほど普通ではない生徒がいる。


 けれど、それとこれとは話が違う。


 少なくとも、昨日まで存在しなかった人間が、今日になって前からいたことになる現象を「この学校だから」で済ませるほど、恋はまだ壊れていないつもりだった。


 宵闇から聞けたのは、それくらいだった。


 けれど、「生き物としての匂いが違う」という言葉だけは、恋の頭にしつこく残った。


 次に尋ねた獅堂紗雪も、最初の反応はほとんど変わらなかった。


「ミレイさん? ええ、留学生の方ですわね」


 放課後前の休み時間、廊下で声をかけると、紗雪は当然のようにそう答えた。


「獅堂先輩も知ってるんですね」


「もちろんですわ。青葉第二にあれほど目立つ方がいれば、噂にもなりますもの」


「いつからいたか覚えてますか?」


「いつから……と言われますと」


 紗雪は手にしていた扇子を口元へ当て、少しだけ考え込んだ。


 そして、数秒後。


「……はて。不思議ですわね」


眉をわずかに寄せる。


「知っているはずなのに、具体的にいつからと言われると、どうにも曖昧ですわ」


「やっぱり……」


 恋が小さく呟くと、紗雪が扇子の向こうからじっとこちらを見た。


「何か気になりますの?」


「まあ、ちょっと……」


 恋が曖昧に答えると、紗雪は数秒だけ黙ったあと、扇子を畳んだ。


「桜川さん」


「はい」


「あなたがそういう顔をしている時、大抵ろくでもないことが起きていますわ」


「私もそう思います」


「自覚があるなら、早めに榊原さんへ相談なさいませ」


「もうしました」


 紗雪は一度目を伏せ、それからため息をついた。


「なら、なおさらろくでもないですわね」


「否定できません……」


 その評価は、恋にも否定のしようがなかった。


 少なくとも、榊原藍が「非常に危険」とまで判断している件が、何でもない話で終わるとは思えない。


 次に聞いたのは、東雲葵だった。


 風紀委員室の前で見かけたところを呼び止めると、葵は腕を組んだまま眉を寄せた。


「ミレイ? ああ、一年の留学生だろ」


「東雲先輩も知ってるんですね」


「名前くらいはな。風紀の方で問題起こしてるって報告は来てねえけど」


「授業中に廊下を歩いててもですか?」


「……あ?」


 葵の目つきが、そこで明らかに変わった。


 今日聞いて回った中では、初めて見る反応だった。


「授業中に?」


「はい。昨日、普通に廊下を歩いてました。でも先生も何も言わなかったし、他の生徒も気にしてなくて」


「それは聞いてねえな」


 葵は少しだけ視線を下げ、何かを考えるように黙った。


 周囲の生徒たちとは違い、「それはおかしい」と判断する部分が残っていることに、恋は少しだけ安心しかけたが、今のはあくまで風紀委員としての規律に抵触する話を聞いたからである。

 存在そのもの自体に疑問を持っているわけではない。


「涼」


 すぐ横に立っていた戌井涼が、無言でこちらを見る。


「ミレイってやつ、知ってるか」


「分からない」


「何だその返事」


「それ以上でも、それ以下でもない」


 戌井は淡々と答えた。


 恋は、その言い方に少しだけ背筋を伸ばした。


 知らない、ではなく『分からない』。


 単なる言い換えなのかもしれない。あるいは、あえてそういう言葉を選んだのかもしれない。


 不破廻は考えすぎるほど曖昧で分かりづらいが、戌井の場合は逆だった。必要なことしか口にしないうえ、表情にもほとんど出さないので、何をどこまで理解しているのか判断しづらい。


「戌井先輩は、変だと思いますか」


 恋が尋ねると、戌井はしばらく黙った。


 視線がわずかに遠くへ向く。


「あれは、普通の生徒ではないと思う」


「じゃあ……」


「だが、敵意は薄い」


 即座に出てきたのは、敵意という言葉だった。


 いかにも戌井らしい判断基準だと、恋は思った。


「危険ではないんですか?」


「分からない」


「さっきから分からないばっかりですね」


「分からないものは、分からない」


「それはそうなんですけど……」


 正論だった。


 ただ、あの戌井涼が「分からない」と言うと、恋にはかえって不穏に聞こえる。


 強さで測れる相手なら、少なくとも何かしら判断できるのではないか。


 それすらできないということは、ミレイの異常さが単純な戦闘能力ではないのかもしれない。


 そう考えると、昨日藍が言っていた「認識や記録への干渉」という話が、急に現実味を帯びた。


 *


 音無緋色には、結局聞かなかった。


 正確には、聞こうという選択肢そのものが、恋の中ではほとんど現実的なものとして浮かんでこなかった。


 廃工場での一件以来、緋色は以前と変わらず学校へ通っているらしく、恋も廊下や昇降口で何度かその姿を見かけている。

 遠目に見れば、黒髪の小柄な一年生女子という、それだけの姿だ。制服も普通に着ているし、誰かと必要以上に騒ぐこともなく、ただ静かに校内を歩いている。


 けれど、一度でも視線が合うと、恋の頭にはどうしても別の光景が蘇った。


 あの少女が何者なのかを知ってしまった以上、「ミレイって知ってますか」と軽い調子で声をかけられるほど、恋の神経は太くない。


 実際、昼休みの終わり頃、廊下の向こうから緋色が歩いてきた時には、ほんの一瞬だけ迷った。


 今なら聞けるかもしれない。


 そう思って、恋は少しだけ足を止めた。


 すると緋色もこちらへ気づき、目が合った。


 しかし、それだけ。声をかけることはできなかった。


 無理なものは無理だった。


 そして神津晶については、本人には申し訳ないが、最初から聞き込みの候補から外していた。


 晶に「ミレイって知ってますか」と聞けば、おそらく「ああ、留学生だろ!」くらいの勢いで即答する気がする。

 その後で「いつからいました?」と掘り下げたところで、「そういや、いつからだ?」と今度は恋と一緒になって考え始めそうな予感しかしなかった。


 野球に関する記憶や観察眼なら、きっと頼りになるのだろう。


 今回は、そういう話ではない。


 聞き込みにも、相手は選ぶべきだった。


 


 そうして一日をかけ、知り合いを何人か捕まえてミレイについて尋ねてみた結果、返ってきた答えは驚くほど似通っていた。


 皆、ミレイという少女を知っている。


 留学生であることも知っている。


 以前から学校にいたような気もしている。


 けれど、いつから在籍していたのかと聞くと途端に曖昧になり、どのクラスなのか、どこの国から来たのか、普段誰と話しているのかと掘り下げていけば、まともに答えられる者はほとんどいなかった。


 それでも誰一人として、その曖昧さを本気で不審がってはいない。


 言葉遣いや反応の仕方こそ違ったが、根本にあるものは昨日の光里と同じだった。


 名前は知っている。


 存在も受け入れている。


 なのに、その人物について説明しようとすると、急に記憶の輪郭がぼやける。


 例外と言えそうなのは、宵闇と戌井くらいだった。


 宵闇は、ミレイから感じる「生き物としての匂い」に違和感を覚えていた。


 戌井は、彼女を普通の生徒ではないと見ている一方で、現時点では敵意が薄いと判断していた。


 二人とも、「以前からミレイを知っている」という認識そのものから完全に抜け出しているわけではない。それでも、ほかの生徒たちが何の疑問もなく通り過ぎている部分へ、それぞれ別の感覚で引っかかっている。


 そのことが、恋には少しだけ気になった。


 放課後。


 恋は一人で廊下を歩きながら、今日集めた情報を頭の中でもう一度並べ直していた。


 窓の外では運動部の練習が始まり、グラウンドから掛け声が響いている。校舎の中でも、部活動へ向かう生徒や友人と話しながら帰る生徒たちが行き交い、昨日までと何も変わらない放課後が続いていた。


 けれど、恋にはもう、その景色を昨日までと同じものとして見ることができなかった。


 ミレイは、少なくとも金曜日までは存在していなかった。


 藍とこよみが保有する記録では、そうなっている。


 それなのに土曜日には学校に姿を見せ、月曜日になれば、誰もが彼女を以前からいた留学生として受け入れていた。


 光里も、宵闇も、紗雪も、葵も。


 名前を出せば、皆「ああ、あの子」と答える。


 そこまでは同じだ。


 ところが、その先へ踏み込んだ途端に、答えは崩れる。


 いつ来たのか。どこの国から来たのか。誰と親しいのか。


 どれも明確には分からない。


 なのに、「前からいた」という前提だけは、妙なほどしっかり残っている。


 恋は歩きながら、無意識に鞄の肩紐を握り直した。


 誰かが人の記憶へ手を加えている。


 そう考えれば、ある程度は説明がつく。


 けれど、本当にそれだけなのだろうか。


 もし単純に「ミレイという留学生が以前からいた」という記憶を植えつけているだけなら、どうして宵闇は匂いに違和感を覚えたのか。どうして戌井は、知らないではなく分からないと答えたのか。


 あの二人が何を感じ取ったのか、恋には分からない。


 ただ、少なくとも人の記憶だけをどうこうする話では済まない気がしていた。


 そもそも、ミレイ自身は何をしようとしているのだろう。


 青葉第二へ自然に入り込むことだけが目的なら、もう成功している。


 誰も彼女を疑っていない。


 教師ですら特別扱いせず、名簿にも記録にも名前があり、授業中に廊下を歩いていても、周囲はそれを不自然だと思わない。


 なら、その先に何があるのか。


 何かを探しているのか。


 誰かを観察しているのか。


 土曜日に野球部の練習を眺めていたのも、何か意味があったのだろうか。


 その後、スポーツ用品店の前にいたことまで含めて、本当に偶然だったのか。


 考えれば考えるほど、疑問だけが増えていく。


 それでも、一つだけはっきりしていることがあった。


 ミレイ本人よりも、その周囲の方がおかしい。


 本人は隠れていない。堂々と制服を着て校内を歩いている。


 誰かに成りすましている様子もなく、自分の存在を隠そうとしているようにも見えない。


 なのに、周囲の人間の方が、最初から彼女のための居場所を用意している。


 曖昧な過去が、人々の側で勝手に埋められている。


 もし、それをミレイ本人が意図してやっているのだとしたら。


 恋はそこで思考を止めた。


 これ以上考え続けても、自分一人では答えに辿り着けない。


 ちょうど廊下の窓から夕方の光が差し込み、長く伸びた影が床を横切っていた。曲がり角の向こうから誰かが現れるたび、恋は無意識にその顔を確認してしまう。


 自分でも気づかないうちに、ミレイを探していた。


 そこで、藍から言われたことを思い出す。


 単独では接触しない。見かけても、むやみに追わない。


 違和感があれば、すぐに共有する。


 分かっている。


 今日はもう十分だった。


 宵闇の話も、戌井の反応も、生徒会室へ持ち帰ればいい。藍やこよみなら、恋には分からない部分まで含めて、何かを判断できるかもしれない。


 自分一人で答えを出す必要はない。


 むしろ、出そうとしない方がいい。


 そう言い聞かせながら、恋は廊下の角を曲がった。


 その直後だった。


「ねえ」


 すぐ後ろから、少女の声がした。


 あまりにも近くて、恋は反射的に足を止めた。


 心臓が一度、大きく跳ねる。背中越しに、誰かの気配がある。


 さっきまで頭の中で繰り返していた藍の忠告が、今度は言葉そのままの形で蘇った。


 単独で接触しない。


 確かに、そう言われている。


 けれど今は、自分から追いかけたわけではない。


 むしろ、向こうから声をかけてきた。


 恋はすぐには振り返れなかった。


 さっきまで廊下に響いていた生徒たちの足音や話し声が、急に遠くなったように感じる。


 声に聞き覚えがあったかどうかは、分からない。


 それでも、確認する前から、誰なのかはほとんど分かっていた。


 ゆっくりと息を吸う。


 それから恋は、肩越しに後ろを振り返った。

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