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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第5章 闇夜に舞う、呪われた令嬢
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第53話

 その夜、博覧会場から少し離れたホテルの一室で、三人は怪盗衣装への着替えを終えていた。


 榊原藍は何事もないように、黒薔薇の怪盗衣装を身にまとっている。獅堂紗雪もまた、怪盗プリンセスとしての白い衣装を当然のように整えていた。


 その一方で、桜川恋だけは鏡の前から動けずにいた。


「……やっぱり短い」


 白薔薇をあしらった帽子に、目元を隠す仮面。肩には短いケープがかかり、手袋と、ふわりと広がる白いスカートが続いている。


 衣装そのものは可愛い。怪盗の助手として並べば、きっと見栄えもする。


 問題は、実際にそれを着ている恋の足元が、あまりにも心許ないことだった。


 軽い。落ち着かない。少し動くだけで、余計なところにまで風が入り込んでくる気がする。


 恋は何度目か分からない確認をするように、そっとスカートの裾を押さえた。


「桜川さん」


 紗雪が、実に堂々とした態度で声をかける。


「何度も申し上げていますが、怪盗衣装とはそういうものですわ」


「そういうもので済ませていいんですか、これ」


「済ませますわ」


「胆力がすごい……」


 紗雪は胸を張った。


 紗雪の衣装も、決して控えめではない。動きやすさと華やかさを両立させた結果なのだろうが、恋から見れば、いろいろな意味でかなり攻めた作りになっている。


 それでも本人は、少しも気にしていなかった。


「見えていないと思えば、見えていないのですわ」


「いや、思えばって……」


「怪盗に必要なのは自信です。堂々としていれば、誰も疑いませんの」


 恋は紗雪を見る。


 確かに堂々としていた。


 あまりにも迷いがないせいで、本当に何も見えていないような気さえしてくる。


 いや、そんなことはない。


 動きによっては見える。というより、さっきから何度か見えている。


 それでも紗雪は一切揺らがない。


 自分だけが何度も確認しているせいで、恋の方が余計に挙動不審に見えてきた。


「桜川さん」


「はい」


「視線が分かりやすすぎますわ」


「すみません!」


 恋は反射的に顔を背けた。頬が一気に熱くなる。


 なぜか自分だけが悪いことをしたような気分になってくる。


 いや、実際、見すぎていたのかもしれない。


 それでも気になるものは気になる。


「私、もう駄目かもしれない……」


「出撃前から精神的に敗北してどうしますの」


「衣装に負けてます」


「衣装に勝ちなさいませ」


「勝ち負けなんですか?」


 そこへ、藍が静かに近づいてきた。


 黒薔薇を思わせる仮面に、白い外套。黒を基調としたドレス風の衣装と、長い黒髪を飾る黒薔薇の髪飾り。


 見慣れた姿とは大きく違うはずなのに、立ち姿にはいつもの榊原藍らしさが残っている。


 それでも今夜に限っては、榊原藍ではない。


 怪盗ブラックローズ。


 少なくとも、そういうことになっている。


「紗雪さんの意見には、一定の合理性があります」


「藍さんまで」


「現在の衣装は、可動性、視線誘導、身元攪乱の三点で有効です。堂々と振る舞うことで、観察者の注意を衣装全体の印象に誘導できます」


「そうですわ。さすがブラックローズ、理解が早いですわね」


「ありがとうございます」


 恋は二人を見比べた。


 片方は筋金入りの怪盗。もう片方は初めてのはずなのに、すでに怪盗の理屈を吸収し始めている人工知能。


 その隣で、自分だけが裾を押さえて落ち着きをなくしている。


「……藍さん」


「はい」


「藍さんはもう少し恥じらいを持ってください」


 藍はわずかに首を傾げた。


「恥じらいですか」


「はい」


「現在の衣装に対して、羞恥反応は発生していません」


「でしょうね」


「必要であれば、発話や動作に羞恥反応を演出することは可能です」


「演出じゃ駄目なんです」


「難しいですね」


「本当に難しいと思ってます?」


「はい」


 紗雪がくすりと笑った。


「桜川さん。諦めなさいませ。榊原さんに恥じらいを求めるのは、月に向かって照明を暗くしろと言うようなものですわ」


「例えが優雅なのに内容がひどい」


「褒め言葉ですわ」


「そうですか……?」


 恋はもう一度鏡へ目を向けた。


 そこに映っているのは、白薔薇をまとった怪盗助手。


 仮称、ホワイトローズ。


 あるいは、紗雪がしつこく推しているホワイトラビット。


 どちらにせよ、鏡の中の自分は完全に非日常の側へ踏み込んでいた。


「……私、本当にこれで行くんですね」


「はい」


 藍が答えた。


「恋の役割は重要です。私が過剰な判断をしそうになった場合、あなたが止めてください」


「怪盗衣装で言われると、責任の重さが変な方向に刺さります」


「では、言い換えます」


「はい」


「ホワイトローズ。私を止められるのは、あなたです」


「やめてください!」


 恋は顔を覆った。


「コードネームで呼ばれると恥ずかしさが三倍になります!」


「では、ホワイトラビット」


「もっと駄目です!」


「難しいですね」


「難しいですねじゃないんですよ!」


 出撃前の部屋には、緊張感があるようで、どこか締まりがなかった。


 もちろん、緊張していないわけではない。


 今夜、三人はAI-Techの警備網を掻い潜り、地下へ運び込まれた解呪の宝珠を一時的に持ち出す。


 失敗すれば拘束される。成功しても、その後に何も残らない可能性すらある。


 それでも、紗雪の呪いを解く可能性があるのなら、試す価値はあった。


 恋はゆっくり息を吸い、裾へ伸びかけた手を途中で止めた


「……分かりました。堂々とします」


「その意気ですわ」


「ただし、見えそうになったら言ってください」


「もちろんですわ」


「藍さんも」


「はい。必要があれば即座に指摘します」


「即座に指摘されるのも嫌ですけど、お願いします」


 藍は小さく頷いた。


「了解しました」


     *


 同じ頃、AI-Tech保有施設の警備統括室では、トムソン・J・スコットが警備体制の最終確認に追われていた。


 壁一面の大型モニターには、会場の見取り図を中心に、地下搬入口、展示物の搬送経路、保管区画、各セキュリティゲートが表示されている。警備員の配置や監視カメラの視界、異常検知システムのログまで、必要な情報はすべて一画面に集約されていた。


 スコットは端末を片手に、警備責任者へ次々と指示を出す。


「地下保管区画の巡回間隔を短縮してください。外部業者の入退室ログは二重確認。展示物搬入後、出入口の認証権限を一段階引き上げます」


 声は落ち着いていたが、端末を持つ指には余計な力が入っていた。


 榊原藍からの連絡が、頭から離れない。


 何かが起きる。


 しかも、彼女はそれを知っている。


「……何を試されている?」


  誰に聞かせるでもなく呟いた時、警備統括室の入口で認証音が鳴った。


 警備員が扉を開ける。


 その向こうに立っていたのは、小柄な少女だった。


 白い髪に、青い瞳。その白さを際立たせるような黒いスーツを身にまとっている。


 雪代こよみ。


 スコットが榊原藍と連絡を取る際、仲介役として何度か接触したことのある少女だった。だが、こうして自ら姿を現すのは初めての事だった。


「失礼します」


 こよみは静かに一礼した。


「雪代こよみです。スコット氏より依頼を受け、臨時の警備協力員として参りました」


 スコットはすぐに言葉を返せなかった。


 依頼を送ったのは事実だ。榊原藍の意図が読めない以上、彼女に近い存在である雪代こよみに協力を仰げないかと、ほとんど駄目元で連絡を入れた。


 それが、まさか本当に来るとは思っていなかった。


「来てくださったのですね」


「はい」


「正直に言えば、断られると思っていました」


「依頼内容は合理的でした。AI-Techの施設警備において、情報整理と異常対応を支援することは可能です」


「Ms.Sakakibaraの許可は?」


「ありません」


 あまりにも早い返答に、スコットは目を瞬いた。


「……ありません?」


「はい」


「では、Ms.Sakakibaraはあなたがここにいることを?」


「知りません」


 警備統括室の空気が、わずかに変わった。


 周囲の警備員たちも聞こえないふりをしているが、確実にこちらを気にしている。


 スコットは声を落とした。


「それは、問題になりませんか?」


「なる可能性はあります」


「では、なぜ?」


「現在、藍様は私に明確な作戦行動を下しておりません。それゆえ、藍様の指揮系統下ではなく私の独断で行動しています」


「独断」


「はい。要するに内緒です」


 こよみは淡々と言った。表情は変わらないが、内容だけを見ればかなり危うい。


 最も榊原藍の近くにいる存在が、榊原藍にも知らせず、AI-Techの警備側に立っている。


 心強いはずなのに、スコットの胃は少しも楽にならなかった。


「雪代さん。Ms.Sakakibaraが何を考えているか、あなたはご存じですか?」


「推測は可能です」


「では、教えていただけますか?」


「いいえ」


 またしても即答だった。


「お話しできません」


「それは、Ms.Sakakibaraへの忠誠から?」


「半分はそうです」


「半分?」


「もう半分は、記録者としての私自身の判断です。現時点では、スコット氏に開示する必要のない情報です」


 スコットは一度目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。


「では、あなたは何をしてくださるのですか?」


 こよみは青い瞳を大型モニターへ向けた。


 会場図、地下ルート、警備員の配置、AI-Techの監視システム。次々と切り替わる情報を追うように、わずかに目を細める。


 並んだ情報を一度見渡しただけで、すべてを読み込んでいるようだった。


「警備協力員として依頼を受けた以上、侵入者は誰であろうと排除します。それだけです」


「……相手が、いかなる人物でも?」


「はい」


「仮にMs.Sakakibaraご本人であっても?」


 半ば冗談のつもりで口にした。


 その瞬間、こよみがわずかに沈黙した。


 一秒にも満たない間だった。


 だが、迷いのない返答を続けていた彼女にしては、明らかな間だった。


「あまり仮定の話をするのは好みではありませんが……侵入者であれば、排除対象です」


 スコットの背中に冷たい感覚が走った。


 冗談として受け流す様子はない。


 この少女は、本気で言っている。


 彼女が決めた以上は、相手が誰であっても止めるつもりなのだ。


「……分かりました。協力に感謝します」


「はい」


「地下保管区画の監視補助をお願いします。特に、通常の警備システムでは検出しにくい異常への対応を」


「了解しました」


 こよみは端末を取り出し、警備システムへ接続した。


 操作そのものは静かだった。


 数秒後、監視モニターの一部に新たな解析表示が重なる。


 人の流れ、熱源分布、監視の死角、センサー反応の遅延、巡回経路の隙間。


 それまで個別に管理されていた情報が、侵入経路を予測するための形へ組み替えられていく。


 警備責任者が、思わず声を漏らした。


「これは……」


「補助解析です」


 こよみは平然と言った。


「既存の警備システムは優秀ですが、侵入者がシステム設計思想を理解している場合、意図的に盲点を突かれる可能性があります」


 スコットは、その言葉にわずかに眉を寄せた。


「侵入者が、設計思想を理解している場合」


「はい」


「あなたは、そういう相手が来ると思っているのですね」


「可能性はあります」


「それは誰ですか?」


「分かりません」


 こよみは、藍と同じ言葉を口にした。


 知らないと言いながら、何も知らない者の答え方には聞こえない。


 スコットは額に手を当てた。


「……あなた方は、本当に似ていますね」


「藍様と私が、ですか?」


「ええ。重要なことを言わないところが」


「私は必要なことを記録し、必要な時に開示します」


「その『必要』を誰が判断するのですか?」


「私です」


 スコットは、もう一度深く息を吐いた。


 それでも、こよみが加わった意味は大きい。


 AI-Techの警備システム、人間の警備員、スコットの指揮。そして、雪代こよみによる補助解析。


 少なくとも、並の侵入者に突破できる体制ではない。


 並の侵入者であれば。


「雪代さん」


「はい」


「今夜、何が起こると思いますか?」


「侵入者が来る可能性があります」


「しかし、あなたも首謀者は分からないと?」


「はい」


「……分かりました」


 スコットは追及を諦め、モニターへ向き直った。


「では、こちらも最善を尽くします」


「そうしてください」


 こよみも静かに画面へ視線を戻した。


 黒いスーツに包まれた小柄な姿は、白い髪をいっそう際立たせている。


 青い瞳には、すでに警備区画の全体像が映っていた。


「警備協力を開始します」


     *


 その頃、ホテルの一室では、出撃直前の三人が最後の確認を終えようとしていた。


 榊原藍――怪盗ブラックローズは通信機を装着し、獅堂紗雪――怪盗プリンセスは扇子型の道具を袖へ仕込んでいる。


 その隣で、桜川恋――ホワイトローズだけが、まだ名残惜しそうにスカートの裾を気にしていた。


 藍は窓辺へ歩み寄り、夜の街へ視線を向ける。


 遠くに、AI-Techの施設が見えた。


 その地下には、今夜の目的物が運び込まれる。警備は、事前の通告を受けて確実に強化されているはずだ。


「では、行きましょう」


 怪盗ブラックローズが、静かに言った。


 仮面の奥の赤い瞳が、夜の街を見据える。


「目的は、解呪の宝珠の一時確保です」


「怪盗プリンセス、準備完了ですわ」


「ホ、ホワイトローズ……準備、できました」


「ホワイトラビットでも構いませんわよ」


「構いません!」


 恋の抗議を背に、三人は夜へ出る。


 黒薔薇。


 白薔薇。


 そして怪盗プリンセス。


 その行く先で待っているのは、AI-Techの警備網。


 そして、立ちはだかる記録者、雪代こよみだった。

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