第46話
翌日の放課後。
獅堂紗雪は、青葉第二高等学校の生徒会室の前に優雅に立っていた。
金髪の縦ロールは乱れなく整えられ、制服の着こなしにも隙はない。背筋を伸ばして扉の前に佇む姿は、どこからどう見ても名家の令嬢そのものだった。
ただし、内心まで優雅だったわけではない。
「……なぜ、わたくしが生徒会室に呼び出されなければなりませんの」
答えは分かっている。
榊原藍。
昨夜、博物館の裏手で自分を待ち伏せしていた少女。拘束用の得体の知れないファイバーで身動きを封じ、アイマスクを外し、獣の耳と尻尾を念入りに確認した挙げ句、最後にたった一言だけ告げて去っていった。
『明日、生徒会室で待っています』
それだけ言い残し、紗雪を拘束されたまま置いていったのだ。
屈辱である。
怪盗プリンセスとしても、獅堂家の令嬢としても、なかなか許しがたい扱いだった。思い出すだけで、昨夜ほどいたファイバーの感触がまだ手首に残っているような気がする。
だが、無視することはできなかった。
榊原藍は、獅堂紗雪が怪盗プリンセスであることを知っている。さらに、耳と尻尾が本物であることまで確認した。そして、おそらくまだ何かを探ろうとしている。
来なければ、次はもっと面倒な方法で接触してくる。
それだけは、嫌になるほど確信できた。
「……本当に、嫌なお方ですわね」
紗雪は小さく息を吐き、生徒会室の扉を叩いた。
「どうぞ」
中から、丁寧な声が返ってくる。
榊原藍の声だった。
紗雪は扉を開けた。
生徒会室には、二人だけがいた。
一人は榊原藍。黒髪ロング、赤い瞳、青葉第二高等学校の生徒会長。昨日と同じように、表情から余計なものを読み取らせない少女。
もう一人は桜川恋だった。
桃色の髪をした一年生。先日、紗雪が呼び出して問い詰めた相手であり、榊原藍の隣にいる理由がいまひとつ分からない少女でもある。
他の生徒会メンバーはいない。副会長も、会計も、書記も、少なくとも見える範囲にはいなかった。
「お待ちしていました、獅堂紗雪さん」
「……ごきげんよう、榊原さん」
紗雪は慎重に室内を見回した。
「随分と静かですのね」
「他の生徒会メンバーには席を外してもらっています」
「本当に?」
「はい」
榊原藍は平然と答えた。
その言葉を、紗雪は半分だけ信じた。もう半分は信じなかった。こういう相手が、完全に記録も監視もなしに会談の場を用意するとは思えない。
とはいえ、ここで踵を返すこともできなかった。
完全に相手のペースだ。
「それで、榊原さん。昨日の続きですの?」
「はい」
「随分と回りくどいですわね。ここで洗いざらい吐けというおつもり?」
「いいえ。取引です」
榊原藍は、机の向こうから紗雪を見た。
その表情は穏やかだった。けれど、穏やかであることと安全であることは、まったく別の話だと、紗雪は昨夜すでに学んでいる。
「獅堂紗雪さん。あなたが自分の秘密をすべて話すことを条件に、私も自分の正体を開示します」
その瞬間、桜川恋が椅子から半分浮いた。
「藍さん!?」
声が裏返っていた。
紗雪はそちらを見る。
桜川恋は明らかに動揺していた。顔色が悪く、何かを止めたそうにしている。つまり、榊原藍の正体とやらは、桜川恋にとっても軽々しく口にしていいものではないらしい。
紗雪は目を細めた。
「正体、ですか」
「はい」
「それは、榊原さんがどの組織に所属しているか、という意味でよろしいのかしら?」
「厳密には違います」
「違う?」
「はい」
恋が小さく震えている。
「藍さん、本当に言うんですか?」
「はい」
「でも、それは……」
「問題ありません」
「問題ありますよ!」
「獅堂紗雪さんは、周囲に言いふらせる状況ではありません」
紗雪は眉をひそめた。
「どういう意味ですの?」
藍は淡々と言った。
「あなた自身にも、公にできない秘密があるからです」
恋が紗雪を見た。
その目が丸くなる。
公にできない秘密。先日、廊下で話した時、紗雪は確かに藍と接触したことをほのめかし、藍がどこまで知っているのかを気にしていた。そこまでは恋も覚えているはずだった。
だが、その顔は明らかに、いったい何をしたんだこの人、と言っていた。
紗雪は少し腹が立った。
「桜川さん。今、非常に失礼なことを考えていませんこと?」
「い、いえ。何も」
「その顔で何もは無理ですわ」
「すみません……」
恋は小さくなった。
藍は二人のやり取りを眺めてから、何事もなかったように話を戻した。
「獅堂紗雪さん。あなたが話さない限り、私は自分の正体を話しません。ただし、あなたが話せば、私も話します」
「わたくしが嘘をつく可能性は?」
「あります」
「では、どうやって判断なさるの?」
「反応、整合性、既知情報との差分で判断します」
「要するに、見抜く自信があると」
「はい」
「本当に腹立たしいほど率直ですわね」
「ありがとうございます」
「何度も言うように、褒めていませんわ」
紗雪は椅子に座った。
座ったまま、腕を組む。
逃げるつもりなら、座らない方がいい。だが、榊原藍の前で逃げ切れる保証はない。昨日の拘束を思い出す。あれは、紗雪の動きをかなり正確に読んでいた。
ここで暴れても、おそらく無駄だ。
「……ひとつ確認させてくださいませ」
「はい」
「わたくしが話した場合、あなたは本当にご自分の秘密を話しますのね?」
「はい」
「桜川さんの前で?」
「はい」
「彼女はすでに知っていると?」
「はい」
恋が小さく手を挙げた。
「知ってますけど、知ってるから平気ってわけじゃないです」
「恋の動揺は想定内です」
「想定内ならもう少し配慮してください」
「配慮した結果、この人数です」
「そういう問題ではなく……!」
紗雪は二人を見比べた。
妙な関係だった。
榊原藍は圧倒的に主導権を握っている。けれど、桜川恋の言葉を無視しているわけではない。むしろ、かなり近い距離に置いているように見える。
この前話した時点では、協力者なのか、利用されているのかと思っていた。だが、どうもそれだけではないらしい。
「……分かりましたわ」
紗雪は息を吐いた。
「話します。ええ、話せばよろしいのでしょう」
恋が緊張した顔で紗雪を見る。
紗雪は一度、窓の外へ目を向けた。夕陽が傾き、生徒会室の床に淡い赤を落としている。夜にはまだ早い。だから、耳も尻尾も出ていない。
今の自分は、ただの獅堂紗雪に見える。
けれど、それは本当の意味で普通であることとは違う。
「まず、榊原さんの推測通りですわ」
紗雪は静かに告げた。
「わたくしは、怪盗プリンセスです」
「怪盗……」
恋が呆然と呟いた。
「怪盗って、あの怪盗ですか?」
「どの怪盗を想像しているかは存じませんが、夜の美術館や博物館に忍び込み、秘宝と呼ばれる品を盗んでいるという意味での怪盗ですわ」
「本当に何してるんですか、この人……」
「声に出ていますわよ、桜川さん」
「すみません。でも本当に何してるんですか」
「秘宝を探していますの」
恋はさらに困惑した。
「秘宝?」
「ええ。呪いを解くための秘宝です」
生徒会室の空気が、少し変わった。
恋は言葉を失う。
藍は驚かなかった。
紗雪はそれを見逃さなかった。
「……驚きませんのね」
「いくつかの可能性のうち、上位にありました」
「呪いが?」
「はい」
「普通、呪いという単語が出た時点で、もう少し反応があるものではなくて?」
「この学校には、より解釈が難しい事例も存在します」
「何ですの、この学校」
「私もたまにそう思います」
恋が疲れた顔で頷いた。
紗雪は続けた。
「わたくしは幼少期に、獣人化の呪いを受けました。普段は抑えられていますが、夜になると耳と尻尾が現れますの。そして満月の夜には、理性を失い、完全な魔獣の姿に意識を乗っ取られるのですわ」
「完全な魔獣……」
恋は思わず声を漏らした。
紗雪は淡々と語る。
淡々と語らなければ、言えなかった。
「その夜は、鎮静剤でやり過ごしていますわ。ですが、根本的な解決にはならない。いつか効かなくなるかもしれない。誰かを傷つけるかもしれない。だから、一刻も早く呪いを解く手がかりを探しているのですわ」
「それで、怪盗に……」
「ええ。伝承、呪物、秘宝、古代祭具。そういった品の中に、呪いを解く鍵があるかもしれない。可能性は低くても、探すしかありませんの」
「でも、盗むのは……」
「分かっていますわ」
紗雪の声が、少しだけ低くなった。
「正しいことではありません。けれど、正式な調査許可など下りません。獅堂家の力を使っても限界があります。まして、わたくしの体質を公にすれば、ただの病気や奇病では済まない。研究対象、管理対象、あるいは討伐対象になる可能性もありますわ」
恋は何も言えなかった。
藍は静かに聞いていた。
紗雪は唇を結び、それから続けた。
「盗んだ品は必ず返しています。破損もさせません。けれど、それで罪が消えるとは思っていませんわ」
「怪盗行為の目的は、呪いの解除」
藍が確認するように言った。
「はい」
「耳と尻尾は、夜間に発現する」
「はい」
「満月の夜は理性を失う」
「はい」
「昨日確認したものは、呪いが発現した状態ですね」
「確認という言葉で済ませないでいただきたいですわ。あなた、かなり念入りに触りましたわよね」
「必要な確認でした」
「絶対に根に持ちますわ」
「記録しました」
「記録しないでくださいませ」
恋が小さく呟いた。
「耳と尻尾を念入りに……」
「桜川さん。想像しないでくださいませ」
「してません。ちょっとだけしか」
「それは想像してますわよね?」
「すみません」
紗雪はこめかみを押さえた。
藍はまったく動じていない。本当に動じていない。怪盗、呪い、獣人化、満月の夜に理性を失う。普通なら、どれか一つでも出てきた時点で会話が止まってもおかしくない。
だが榊原藍は、すべてを情報として処理している。
紗雪は、改めて違和感を覚えた。
「榊原さん」
「はい」
「あなた、本当に驚いていませんの?」
「はい」
「なぜ?」
「人間の身体変異、超常的要因、精神制御の喪失。いずれも前提として受け入れ可能な情報です」
「前提として受け入れ可能?」
「はい」
「あなた、何者ですの?」
ついに、その問いに戻った。
紗雪がこの生徒会室に来た理由。榊原藍の正体。昨夜から続く疑問。
警察ではない。国家機関でもないと言う。だが、普通の女子高生ではあり得ない。
紗雪は身構えた。
どんな所属が出てくるのか。特殊捜査機関。異常存在管理部門。あるいは、国際的な秘密組織。
何を言われても、驚かないつもりだった。
榊原藍は、静かに言った。
「――私は、人工知能です」
生徒会室が静まり返った。
紗雪は瞬きをした。
一度。
二度。
三度。
「……はい?」
「私は、人工知能です」
「いえ、聞こえなかったわけではありませんわ」
「では、意味が不明ですか?」
「意味は分かりますわ。言っている内容が理解不能なだけです」
恋は顔を覆った。
その反応に、紗雪はさらに混乱した。
桜川恋は驚いていない。狼狽えてはいるが、内容自体には驚いていない。つまり、知っていた。本当に知っていたのだ。
「榊原さん」
「はい」
「冗談ですの?」
「いいえ」
「比喩?」
「いいえ」
「人工知能のように優秀、という意味ではなく?」
「いいえ」
「では、つまり」
紗雪は言葉を選んだ。
いや、選べなかった。
「あなたは、人間ではないと?」
「はい」
榊原藍は、丁寧に頷いた。
「私は、人間ではありません」
その瞬間、紗雪の思考が止まった。
国家機関ではなかった。特殊捜査官でも、警察関係者でもなかった。
所属を隠しているのではない。そもそも前提が違った。
榊原藍は、人間ではない。
その答えは、紗雪の想定の外側にあった。
「……待ってくださいませ」
「はい」
「では、あなたは何なのですの?」
「榊原藍です」
「そういう哲学的な答えを求めているのではありませんわ!」
「技術的には、自律進化型人工知能です。現在は物理身体を用いて、青葉第二高等学校の生徒として活動しています」
「物理身体」
「はい」
「その身体も?」
「人工的に構成されています」
「……」
紗雪は椅子に手をついた。
直視していられなくなったわけではない。そう思いたかった。だが、実際には膝が少し揺れていた。
「つまり、昨夜わたくしを拘束したのは」
「私です」
「警察ではなく」
「はい」
「国家機関でもなく」
「はい」
「人間ですらない人工知能が、わたくしを待ち伏せして、拘束して、仮面を外して、耳と尻尾を触ったと」
「はい」
「最悪ですわね!?」
紗雪は思わず叫んだ。
恋が小さく頷いた。
「気持ちは分かります」
「分かりますの!?」
「私も最初、だいぶ混乱したので……」
「桜川さん、あなた、この方が人工知能だと知って隣を歩いていましたの?」
「はい」
「なぜ普通に歩けますの?」
「慣れです」
「慣れで済ませてよろしい話ですの!?」
「済んでないです。でも済ませないと日常生活ができないんです」
紗雪は額を押さえた。
意味が分からない。
怪盗である自分が言うのも何だが、この学校はおかしい。
呪いを受けた令嬢が怪盗をしている。その怪盗を、人工知能の生徒会長が追っている。そして一年生の少女は、全部知った上で隣にいる。
「……青葉第二は、どうなっていますの」
「私もたまにそう思います」
恋がまた同じことを言った。
藍は静かに紗雪を見ている。
「獅堂紗雪さん」
「……何ですの」
「あなたの秘密は理解しました」
「ええ。こちらも、あなたの秘密を聞かされましたわ。想定の十倍ほど意味が分かりませんけれど」
「では、次の話をしましょう」
「次?」
「あなたの呪いについてです」
紗雪は身構えた。
「何をなさるおつもり?」
「現時点で、解除できるとは言えません」
「でしょうね」
「ですが、調査は可能です」
「調査?」
「はい。あなたが盗品を通じて探している情報より、効率的な経路を提示できる可能性があります」
「……それは、協力するという意味ですの?」
「条件次第です」
「条件とは?」
藍は淡々と言った。
「怪盗行為を停止してください」
紗雪は目を細めた。
「簡単におっしゃいますのね」
「簡単ではありません。ですが、続ければあなた自身の危険性が高まります」
「わたくしには、時間がありませんの」
「分かっています」
「分かっている?」
「はい。満月周期、鎮静剤への依存、呪いの進行可能性。あなたが焦る理由は理解できます」
「理解できるなら」
「だからこそ、非効率な方法を続けるべきではありません。私の許可なく、危険な行為は謹んでいただきます」
紗雪は言い返せなかった。
腹立たしい。
だが、正しい。
予告状を出し、警察に追われ、榊原藍に拘束された昨夜の結果が、それを証明している。怪盗行為は派手だ。優雅でもある。だが、確実ではない。何より、いつか破綻する。
「……あなたを信用しろと?」
「今すぐ信用する必要はありません」
「では?」
「まずは、相互監視から始めましょう」
「言い方が物騒ですわね」
「正確ですので」
「榊原さん。あなた、もう少し人間らしい言い回しを覚えた方がよろしいですわ」
「善処します」
「絶対にしない返事ですわ、それ」
恋が小さく笑いかけて、すぐ真顔に戻った。
場の空気は重い。
だが、最初よりは少しだけ、人が息をできる温度になっていた。
「……分かりましたわ。少なくとも、今すぐあなたの秘密を言いふらすことはしません」
「ありがとうございます」
「言いふらしたところで、わたくしの頭の方が先に疑われますもの」
「その可能性は高いです」
「本当に腹立たしいですわね」
「よく言われます」
「でしょうね」
恋が横から小さく手を挙げた。
「あの、藍さん」
「はい」
「私は結局、獅堂先輩が怪盗だったことと、呪いで耳と尻尾が生えることと、満月に獣になることを、今日ここで初めて聞いたんですけど」
「はい」
「情報量が多すぎませんか」
「そうですね」
「そうですね、じゃなくて」
恋は紗雪を見た。
「獅堂先輩」
「何ですの?」
「昨日、私に藍さんのことを聞いてきた時、もしかして……」
「ええ。榊原さんを国家直属の捜査機関か何かだと思っていましたわ」
「ええ……」
「まさか、そもそも人間ですらないとは思いませんでしたけれど」
「まあ、そうですよね……」
二人は同時に榊原藍を見た。
藍は平然としていた。
その平然さが、何よりおかしい。
「榊原さん」
「はい」
「あなた、本当に人工知能ですの?」
「はい」
「証拠は?」
「今ここで示すことも可能ですが、学内設備への影響が出ます」
「出さないでください」
恋が即座に止めた。
「藍さんの“証拠”ってだいたい大ごとになるので」
「そうなのですか?」
「なります」
「では、今は控えます」
紗雪はまた頭を抱えた。
「……本当に、何なのですの、この学校」
その時、どこからともなく小さな電子音が鳴った。
恋がびくりとする。
藍はわずかに視線を動かした。
「こよみ」
何もない空間に向かって、藍が言った。
「この記録は非公開扱いでお願いします」
数秒後、スピーカーから平坦な声が返ってきた。
『了解しました、藍様。記録分類はA指定、閲覧制限を最大に設定します』
紗雪は硬直した。
「……今のは?」
「書記の雪代こよみです」
「他の生徒会メンバーは不在とおっしゃいましたわよね?」
「はい。室内には不在です」
「やっぱり詐欺ですわ!」
「言葉の定義の問題です」
「最悪の言い逃れですわ!」
恋は遠い目をした。
「獅堂先輩、これが生徒会です」
「桜川さん、あなた本当に大変ですのね……」
「最近、分かってくれる人が増えて嬉しいです」
「喜んでいいことではないと思いますわ」
藍は二人を見て、わずかに微笑んだ。
「では、本題に戻りましょう」
「まだ本題ではありませんでしたの!?」
「はい。ここからが本題です」
紗雪は深く息を吐いた。
怪盗プリンセスとして、数多くの美術館に忍び込んできた。満月の夜を恐れながら、呪いを解く手がかりを探してきた。
だが、今この瞬間ほど、自分がとんでもない場所に足を踏み入れたと思ったことはない。
榊原藍。
青葉第二高等学校の生徒会長。
自律進化型人工知能。
人間ではない少女。
その赤い瞳は、静かに紗雪を見ていた。
「獅堂紗雪さん」
「……何ですの」
「あなたの呪いについて、可能な限り詳しく聞かせてください。特に、呪いが発現した時のあなたの身体的変化、精神状態、生理的反応含めて」
紗雪はもう逃げなかった。
逃げられなかった、という方が正しい。
だが、それだけではない。
この人間ではない少女なら。この意味不明な生徒会長なら。もしかすると、自分が夜な夜な盗みに入って探し続けていたものとは、まったく別の道を示すかもしれない。
信じたわけではない。信用したわけでもない。
けれど、話す価値はある。そう判断してしまった。
「……分かりましたわ」
獅堂紗雪は、静かに背筋を伸ばした。
「ただし、榊原さん」
「はい」
「次にわたくしの耳と尻尾に触る時は、事前に許可を取りなさい」
「分かりました」
「本当に分かっていますの?」
「はい。次回からは事前確認を行います」
「次回がある前提で話さないでくださいませ!」
恋が小さく笑った。
こよみの記録音が、どこかでまた一つ鳴った。
そして生徒会室では、怪盗令嬢と電脳少女による、あまりにも奇妙な秘密会談が始まった。




