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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第5章 闇夜に舞う、呪われた令嬢
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第43話

 夜の美術館は、昼間とはまるで別の建物だった。


 照明は落とされ、非常灯の淡い光だけが、磨き上げられた床に細く伸びている。展示ケースのガラスは黒く沈み、彫像の影は人の形を失って、壁際にじっと佇む獣のように見えた。


 その静寂の中を、ひとつの影が滑るように進んでいた。


 仮面で顔を隠し、マントを翻しながら、闇夜に揺れる獣の耳と尻尾を従えて歩く少女。近頃、複数の美術館や博物館を騒がせている怪盗プリンセスだった。


 ただし、盗まれた品は数日以内に必ず返却される。破損もなく、むしろ保存状態が改善されて戻ってくることすらあるため、関係者の間では扱いに困る存在でもあった。


「……今夜も、つまらない品ですわね」


 展示ケースの前で、怪盗プリンセス――青葉第二高等学校二年生、獅堂紗雪(しどう さゆき)は小さく息を吐いた。


 狙っていたのは、古代の装飾品とされる小さな銀細工だった。文献上は『月を封じた宝飾』などと大げさな名前が付いているが、実物から感じるものは薄い。少なくとも、紗雪が探しているものではなかった。


 この忌まわしい獣の耳と尻尾。幼少期にかけられた呪いにより、夜になると生えてくる、人ならざる証。それを解くために、紗雪は何十何百という秘宝を見てきた。けれど、今夜の銀細工もまた、そのどれでもない。



「まったく。怪盗とは、もっと優雅で、もっと劇的で、もっと運命的であるべきですのに」


 紗雪はケースの前で肩をすくめた。


「現実は地味な確認作業ばかり。お嬢様の仕事ではありませんわ」



 

「――では、なぜ続けているのですか?」


 背後から声がした。


 紗雪の耳が跳ねた。


 反射だった。しまった、と思った時にはもう遅い。


 展示室の入口、館内の暗がりの中に、ひとりの少女が立っていた。青葉第二高等学校の制服。黒髪のロングヘア。赤い瞳。


 榊原藍。


 学校で見たことはある。直接話したことはない。けれど、知らないはずがなかった。


 青葉第二高等学校の生徒会長。いつも静かで、隙がなく、誰からも一目置かれている少女。その榊原藍が、夜の美術館に立っていた。


「……どなたかしら?」


 紗雪は声を整えた。


 仮面の奥で表情を引き締め、獅堂紗雪としてではなく、怪盗プリンセスとして振る舞う。ここで動揺を見せてはいけない。初対面。あくまでそういう体裁を崩さない。


「榊原藍です」


「まあ。ご丁寧にどうも、榊原さん」


 言ってから、紗雪は内心で舌打ちした。


 自然に名前を受け入れすぎた。だが、まだ致命傷ではない。そういうことにする。


「それで、榊原さん。夜の美術館で迷子ですの?」


「いいえ」


 藍は一歩、展示室の中へ入った。


 足音はほとんどない。


 だが、紗雪の耳にははっきり届いていた。


「あなたに会いに来ました」


「……わたくしに?」


「はい。あなたは怪盗プリンセスと称していますね」


 紗雪は仮面の奥で笑った。優雅に、余裕を崩さず、そう見えるように。


「それは光栄ですわ。ですが、怪盗に会いに来るなんて、ずいぶん物好きなお嬢さんですこと」


「否定はしません」


「それで、通報なさるおつもり?」


「必要であれば」


「今は必要ないと?」


「はい、今は。あなたから聞きたいことがあるので」


 嫌な言い方だった。脅しているわけではなく、声を荒げてもいない。ただ、逃げ道を一つずつ塞いでいくような平静さがある。


 紗雪はマントの下で指先を動かした。


 逃走経路は三つ。正面突破、展示室奥の非常口、天井付近の点検用通路。榊原藍は普通の女子高生に見える。であれば逃げ出すのにそう苦労はしない。


 だが、普通の女子高生が夜の美術館に単独で現れるはずがない。しかも、紗雪の前に、意図を持って。


「聞きたいこととは?」


「あなたが盗む品には共通点があります」


「怪盗の美学ですわ」


「盗品はすべて、伝承、呪物、秘宝、超常的由来を持つとされるものです。市場価値よりも、逸話を優先している」


「ロマンを愛しているだけですの」


「盗んだ品を数日以内に返却していることも確認しています」


「わたくし、所有欲は薄い方ですので」


「それなら、なぜ盗むのですか?」


 藍の赤い瞳が、紗雪をまっすぐに捉えた。


「調べるためですか?」


 紗雪は笑みを崩さなかった。


 崩さなかったが、頭部についている第二の耳がほんのわずかに伏せる。頭では抑えられても、耳までは抑えきれない。それが最悪だった。


「……何のことか、分かりませんわ」


「その反応は、肯定に近いです」


「随分と失礼な観察ですこと」


「失礼は承知しています」


「承知しているなら、おやめになって?」


「いいえ」


 即答だった。


 紗雪は眉をひそめた。


「あなた、本当に嫌なお方ですわね」


「よく言われます」


「でしょうね」


 藍は展示ケースの前で足を止めた。彼女の視線が、紗雪の仮面から、マントへ、そして頭上へ移る。


 耳。


 紗雪は嫌な予感がした。


「その耳は、飾りではありませんね」


「……何をおっしゃいますの?」


「先ほど、私が声をかけた瞬間に反応しました。視線より早く、肩より早く、耳が動いた。装飾品であれば、あの角度と速度で独立運動する理由がありません」


「最近の仮装道具は優秀ですのよ」


「市販品ではありません。少なくとも、一般流通している可動式アクセサリーとは駆動音、可動域、反応速度が一致しません」


「榊原さん。女の子の装飾品にそこまで注目するのは、少々無粋ですわ」


「すみません。ですが、重要な情報です」


「何が重要ですの?」


「あなたがただの人間ではない可能性がある、と言えばよろしいでしょうか」


 紗雪の笑顔が、少しだけ固まった。


 呪い。


 それを、藍はまだ知らない。知らないはずだ。だが、耳が本物だと気づかれた。この時点で、状況はかなり悪い。

 

「面白い冗談ですわ」


「冗談ではありません。推測です」


「では、妄想ですわね」


「その可能性もあります。ですので、確認しています」


「確認?」


「あなたの正体と、目的を」


 藍は一歩近づいた。


「獅堂紗雪さん」


 展示室の空気が、一段冷えた。


 紗雪は数秒だけ動かなかった。仮面の奥で目を細める。


 笑うべきだった。知らないふりをするべきだった。その名前を初めて聞いたように振る舞うべきだった。分かっているのに、一瞬だけ反応が遅れた。


「……どなたですの、それは?」


「青葉第二高等学校二年生。獅堂家の令嬢。金髪で縦ロール状に巻かれた髪。優雅な口調。骨董品の類に強い関心を持つ人物」


「へえ。ずいぶん詳しいですのね」


「はい」


「その方がわたくしだと?」


「はい」


「根拠は?」


「複数あります」


「聞かせてくださる?」


「第一に、怪盗プリンセスの出現日と獅堂紗雪さんの行動記録には、不自然な空白が重なっています。第二に、怪盗プリンセスが狙う品の傾向と、獅堂家が過去に非公開で照会した資料の傾向が一致しています。第三に――」


「もう結構ですわ」


 紗雪は静かに片手を上げた。


 藍は口を閉じる。話を遮られても怒らない。苛立ちもしない。ただ、次の反応を待っている。それがまたやりづらかった。


「仮に、仮にですわよ。その獅堂紗雪という方が怪盗プリンセスだったとして、榊原さんはどうなさるおつもり?」


「まず、目的を確認します」


「その後は?」


「危険性を評価します」


「評価?」


「あなたの行動が、他者に被害を及ぼす可能性。あなた自身に危険が及ぶ可能性。そして、青葉第二高等学校の生徒として管理すべき範囲かどうか」


「管理」


 紗雪は低く笑った。


「まあ、さすが生徒会長。怪盗まで校則で縛るおつもりですの?」


「校則だけではありません」


「では、何で?」


「必要であれば、別の手段を使います」


 声は丁寧だった。


 だが、その言葉には温度がない。


 紗雪は直感した。この少女は本気だ。ただ怪盗を捕まえるために来たのではない。怪盗の裏にある理由を突き止めるために来たのだ。そして、それが必要だと判断すれば、こちらの事情など容赦なく解体する。


 紗雪は、背筋に薄い寒気を覚えた。


「……榊原さん」


「はい」


「あなた、何者ですの?」


「青葉第二高等学校の生徒会長です」


「それだけではありませんわよね?」


「今、その説明は必要ありません」


「わたくしには聞くのに?」


「はい」


「不公平ですわ」


「承知しています」


「本当に嫌な方」


「それも承知しています」


 遠くで、館内設備の低い駆動音がしている。警備員の足音はまだ遠いが、時間に余裕があるわけではない。


 藍はまだ聞きたいことを持っている。紗雪にはそれが分かった。だが、答える義理はない。答えれば、自分の秘密に近づかれる。


 耳に気づいた相手だ。次は尻尾。その次は夜の変化。さらに先は、満月。そこまで踏み込まれるわけにはいかない。


「榊原さん」


「はい」


「今夜は、これにて失礼いたしますわ」


「まだ質問は終わっていません」


「怪盗は、聞かれたことにすべて答えるほど従順ではありませんの」


 紗雪はマントを翻した。藍の視線がわずかに動く。


 おそらく、逃走経路を読むつもりだ。


 なら、読ませない。


「それと」


 紗雪は展示ケースの上に、白いカードを一枚置いた。


 盗品予告ではない。ただの目くらまし。


 そこには、優雅な筆跡でこう書かれていた。


『今宵の月は、少々騒がしすぎましたわ』


「次にお会いする時は、もう少し優雅な舞台を用意してくださいませ」


「獅堂紗雪さん」


「そのお名前の方に会ったら、伝えておきますわ」


 その瞬間、展示室の照明が一瞬だけ明滅した。


 藍の視界がわずかに白む。


 紗雪は床を蹴った。


 人間離れした跳躍でマントが夜の鳥のように広がる。壁際の装飾柱を足場にし、紗雪は天井近くの点検口へ身を滑り込ませた。


 藍は追わなかった。


 ただ、逃走する影を見上げている。


 最後に、獣の耳がぴくりと動いたのが見えた。あれは飾りではない。そう確信するには十分すぎるほど、証拠は揃っている。


「……逃げられましたか」


 藍は静かにつぶやいた。


 展示室には、銀細工がそのまま残されている。


 紗雪は何も盗らなかった。


 目的は中断された。


 だが、こちらも全ては聞けなかった。


 藍は展示ケースの上に残されたカードを手に取る。


 筆跡。言葉選び。逃走時の身体能力。耳の反応。獅堂紗雪であることは、もう疑いようがない。


 ただし、問題はそこではなかった。


「なぜ、そこまでして秘宝を探しているのですか」


 問いは誰にも届かない。


 夜の美術館は、また静けさを取り戻していた。榊原藍はカードを指先で挟んだまま、赤い瞳を細める。


「次は、獅堂紗雪さんに聞く必要がありますね」


 

 一方その頃。


 点検通路を抜け、屋上に出た獅堂紗雪は、夜風の中で大きく息を吐いていた。


「……最悪ですわ」


 仮面を押さえ、膝に手をつく。心臓が速い。


 なんとか逃げ切った。だが、勝った気がしない。あの少女は、正体を暴くために来たのではない。最初から、獅堂紗雪だと分かった上で来ていた。


 そして、何かを見ていた。

 

「榊原藍……」


 紗雪は夜空を見上げた。


 月は薄い雲に隠れている。今夜はまだ大丈夫だ。けれど、時間はない。


「とんでもない方に、目をつけられてしまいましたわね」


 紗雪はマントを翻す。


 怪盗プリンセスは、夜の屋上から姿を消した。その背後で、獣の耳だけが、警戒するように月明かりを震わせていた。


獅堂紗雪(しどう さゆき)

青葉第二高等学校 二年生

有名な資産家である獅堂家の令嬢。幼少期にかけられた呪いにより、夜になると尻尾とケモ耳が生える体質になった。

外見:金髪、縦ロール

身長:162 cm、体重:51 kg

性格:いかにもお嬢様らしく振る舞う。

趣味:紅茶を嗜むこと。怪盗。

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