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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第4章 吸血鬼の末裔と狩人
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第39話

 静けさが戻ってきた。


 恋は遊具の柱に手をついて、息を整えていた。膝が、少し震えていた。怖かったのだと、落ち着いてから気がついた。


 宵闇灯が戻ってきた。


 目は、少しずつ色が薄れていた。真紅から、じわじわと青に戻っていく。


「……ごめんね」


「何がですか」


「血」


「貸したんです。謝らなくていいです」


 宵闇灯はしゃがみ込んだ。力が抜けたような動作だった。先ほどの速さが嘘のように、またいつもの、漏れていくような佇まいに戻っていた。


「……疲れた」


「そうですよね」


 恋も隣にしゃがんだ。

 傷口は、もう血が出ていなかった。たいした量ではなかったのかもしれない。それでも、指先がじんじんと疼いていた。


「……なんで来てくれたの」


「藍さんに頼まれたからです」


「それだけ?」


 恋は少し考えた。


「……先輩が、ここにいると思ったから」


「……それって同じ意味じゃないの」


「少し違います」


 宵闇灯はそれ以上は聞かなかった。夜空を見上げて、目を細めた。真紅はほとんど消えて、いつもの青に戻りつつあった。


「……恋ちゃん、怖くなかった?」


「怖かったです」


「じゃあなんで前に出たの」


「分かりません」


 正直に答えた。

 先ほど、男の前に半歩出たとき、自分でも理由が分からなかった。力があるわけでも、策があるわけでもなかった。それでも足が動いた。


「……そっか」


 宵闇灯は短く言った。


 それから、また空を見た。


「……血、美味しかったよ」


「それは良かったです」


「普通は嫌がるところだよ、そこ」


「嫌ではなかったので」


 宵闇灯は少しだけ、目を細めた。笑っているのか、そうでないのか、相変わらず判断のつかない顔だった。


 しばらく、二人とも黙っていた。


 虫の声が、公園に戻ってきていた。遠くで、風が木を揺らす音がした。


「……そういえば」


 宵闇灯が、ふと思い出したように口を開いた。


「もしかしたら、眷属になっちゃうかもね」


「……はい?」


「恋ちゃんが」


 恋は、宵闇灯を見た。


 宵闇灯は相変わらず夜空を見上げていた。こちらを見ていない。今しがた天気でも確認したかのような口ぶりだった。


「……それは、どういう意味ですか」


「吸血鬼に血を吸われたら眷属になるって話、聞いたことない?」


「……聞いたことは、ありますが」


「……実際にそうなるのかは知らないけど」


 最後の一言が、ひどく軽かった。


 恋は数秒、固まった。


 情報を整理しようとした。眷属。吸血鬼。血を吸われた。自分の指先。さっきの疼き。


「…………」


「……どうかした?」


「どうかしたじゃないです」


 恋の声が、少し上がった。


「なんでそれを先に言わなかったんですか!?」


「……聞かれなかったし」


「聞く前に言うことってあるじゃないですか、そういう大事なことは」


「……大事だったの?」


「大事ですよ!?」


 宵闇灯がようやくこちらを見た。眠そうな目だった。きょとんとしているような、していないような顔。


「……でも恋ちゃん、どうぞって手出してきたじゃん」


「それはそうですけど、そういう話じゃなくて」


「……なるかもしれないって言っただけで、なるとは言ってないし」


「かもしれないの時点で言ってほしかったです」


「……ごめん」


 謝った。あっさりと。悪びれているのかいないのか、判断のつかない声で。


 恋はため息をついた。


 怒っているのか、呆れているのか、自分でもよく分からなかった。ただ、何か大事なことが起きているような気がするのに、宵闇灯の温度があまりにも低いせいで、怒りの持っていき場所がどこにもない。


「……本当に、なるんですか」


「……さあ。クォーターだし、私。純血じゃないから効果薄いかもしれないけど」


「かもしれないが多すぎませんか」


「……ヴァンパイアのこと、あんまり詳しくないんだよね、私も」


 それは本当のことのようだった。


 宵闇灯は少し考えるように、指先を見た。それからまた、夜空に目を戻した。


「……なったとしても、べつに悪いことばかりじゃないと思うけど」


「どういう意味ですか」


「……眷属って、主人のことが気になるようになるらしいから」


「…………」


「……まあ、民間伝承レベルの話だけど」


 恋は宵闇灯を見た。


 宵闇灯は空を見ていた。


 その横顔が、揶揄っているのか、本気なのか、どちらとも取れる顔をしていた。というより、宵闇灯の顔はいつもそういう顔をしている。


「……先輩」


「うん」


「眷属になった場合、どうすればいいんですか」


「……さあ。会長に聞けば? 詳しそう」


「詳しそうって、先輩の実験してる人ですよね」


「……うん」


「なんで自分で聞かないんですか」


「……面倒だから」


 恋はもう一度、ため息をついた。


 立ち上がって、宵闇灯に手を差し伸べた。


 宵闇灯はそれを見て、一秒置いてから、その手を取った。


「……重いよ、私」


「大丈夫です」


 恋は引き上げた。宵闇灯は思ったより軽かった。

 二人で、公園の入口の方へ歩き始めた。

 指先の疼きは、まだ続いていた。

 気のせいかもしれない。気のせいではないかもしれない。

 恋にはまだ、判断がつかなかった。


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