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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第4章 吸血鬼の末裔と狩人
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第33話

 灰色の雲が垂れ込める午後、青葉第二高等学校の校庭の隅に、ひときわ異質な存在が立っていた。


 宵闇灯――日傘を差した長身の少女は、校舎の影に腰掛けるように立ち、静かに空を見上げている。動かない。まるで時間から切り離されたように、校庭の喧騒とは無関係の世界に存在していた。


「アレが次のターゲットか」


 その様子を、数百メートル離れた廃ビルの屋上から観察している男がいた。


 黒鷹(くろたか)。コートを翻し、銀のナイフと拳銃を携えた中年の男――地球上で最も多くのヴァンパイアを葬ったとされる存在。


「……人間にしか見えませんね」


 双眼鏡を覗いていた若い部下がそう呟いた。顔には緊張と好奇心が入り混じったような表情が浮かんでいる。


 黒鷹は無言でタバコをくわえ、火をつける。火をつけてから一拍置いて、目を細めた。


「お前、ヴァンパイアを見るのは初めてか」


 問いではなく、確認のような言葉。部下が頷くより早く、黒鷹は無造作に懐から拳銃を抜いた。


 乾いた銃声が、ビルの静寂を引き裂いた。


 宵闇灯の胸に一発。仰け反り、倒れる。傘が手を離れ、風に煽られて校庭を転がる。周囲には誰もいない。撃たれた本人は、しばらく何が起きたのか分からず呆然とし、ゆっくりと自分の胸に手を当てる。


 そこには、既に肉と骨が再生しはじめていた。


 赤黒い血が滲む衣服の下、心臓に届く寸前の傷が、ゆっくりと、しかし確実に修復されていく。


「……見た方が早いだろ」


 黒鷹は無言のまま銃を収め、タバコを指先で地面に落とす。まるでこの行動に何の意味も、何の興奮もないかのように。


「俺は帰って寝る。お前はしっかり見張っておけ」


「は、はい……!」


 部下の声に振り向くこともせず、黒鷹はそのまま背を向け、静かに非常階段を下りていった。


 一方、校庭では宵闇灯が上体を起こし、よろよろと立ち上がっていた。彼女は辺りを見回すが、どこから撃たれたのか、誰が撃ったのか、何も分からない。


 ただ一つ確かなのは、風に揺れる日傘がすぐそばに転がっているということだけだった。





 宵闇灯は、転がった日傘を拾い上げた。


 白い布地に土がついている。骨は折れていない。少しだけ曲がった柄を指で直し、いつものように頭上へ差す。


 胸元は濡れていた。


 制服の下で、傷はもうほとんど塞がっている。皮膚の下に残っていた弾の感触も、肉が押し出すようにして外へ落ちた。小さな金属片が、足元の土に転がる。


 しばらく校庭の端に立ったまま、周囲を見回した。


 誰もいない。


 撃った相手も、銃声の方角も、はっきりとは分からない。遠くからだった。たぶん、校外。日差しの届かない曇り空の下で、灯は自分の胸元を押さえた。


 痛みはもう薄い。


 けれど、撃たれた、という事実だけは残っていた。


 灯は少し考えてから、校舎へ向かった。


 日傘を差したまま、廊下を歩く。すれ違った生徒が一瞬だけこちらを見る。血の跡に気づいた者もいたかもしれない。だが、灯が何も言わずに歩いているせいか、声をかけてくる者はいなかった。


 第二棟の奥。


 以前、榊原藍に呼ばれた部屋の前で、灯は足を止めた。


 ノックをする前に、中から声がした。


「どうぞ」


 灯は扉を開けた。


 部屋の中には、榊原藍だけがいた。


 机の上には端末が一台。画面には、灯にはよく分からない文字列が並んでいる。藍は椅子に座ったまま、赤い瞳をこちらへ向けた。


「宵闇さん」


「うん」


「予定していた検査日は本日ではありません」


「そうだね」


 灯は部屋に入り、扉を閉めた。


 藍の視線が、灯の胸元で止まる。


 制服の左胸。小さな穴。乾きかけた血の跡。普通なら立っていられないはずの痕跡が、そこにあった。


「負傷していますね」


「もう治った」


「負傷した事実は消えません」


「うん」


 灯は空いている椅子に腰を下ろした。


 日傘は閉じない。曇り空でも、屋内でも、彼女はそれを手放さない。白い傘の影が、横顔に薄く落ちていた。


「撃たれた」


 藍の手が止まった。


「撃たれた、とは」


「銃で」


「銃撃を受けたということですか」


「たぶん」


「場所は」


「校庭の隅。いつもいるところ」


「時刻は」


「少し前」


「撃った人物は確認できましたか」


 灯は首を横に振った。


「分からない。音がして、胸が痛くなって、倒れた。日傘が飛んだ」


「銃声の方向は」


「遠く。校外、かも」


 藍は端末へ指を走らせた。


 校庭周辺の監視記録。校外カメラ。周辺ビルの位置。射線。距離。いくつもの情報が画面に浮かび、瞬く間に整理されていく。


 灯はそれを眺めていた。


 自分が撃たれた話をしているのに、藍の方がよほど静かに見えた。けれど、画面の切り替わりは速い。無駄がない。いつもより少しだけ、急いでいるようにも見える。


「銃弾は体内に残っていますか」


「出たと思う」


「回収しましたか」


「してない」


「現場に残っている可能性がありますね。後で確認します」


「うん」


 灯は自分の胸元を見下ろした。


 穴の開いた制服。


 そこだけが、自分が撃たれたことを覚えている。


「心臓に達していましたか」


「少し手前」


「即死相当の負傷ではなかった」


「たぶん」


「再生速度は通常通りですか」


「いつもと同じくらい」


「痛覚は」


「一瞬だけ」


「恐怖は」


 灯は少し黙った。


 藍は画面から視線を外し、灯を見ている。


「分からない」


「分からない、ですか」


「びっくりはした。痛かったし。けど、怖かったかは分からない」


 灯は白い傘の柄を指でなぞった。


「でも、見られてる感じはした」


「以前からですか」


「最近、少し」


「尾行、または監視の可能性があります」


「うん」


「あなたに敵対する心当たりは」


「私に?」


「はい」


 灯は目を伏せた。


 答えを探すような沈黙ではなかった。多すぎるものの中から、どこまで言葉にするか迷っているような間だった。


「吸血鬼狩り……みたいなのかな」


 藍の指が、そこで止まった。


「吸血鬼狩り」


「うん」


「それは、吸血鬼を専門に狩猟、討伐する人物または組織を指す表現ですか」


「たぶん。そういう話、あるでしょ。吸血鬼を殺す人。銀の弾とか、杭とか、十字架とか」


「なるほど。少しお待ち下さい」


 藍は静かに言い、端末を操作する。


 灯は少しだけ横から顔を覗かせた。


「……これ?」


「はい」


 画面に、新しい項目が表示される。


 ヴァンパイアハンター。


 灯はその文字を見た。


「そういう名前なんだ」


「対外的には、別の名称ですが。国家直属の組織のようです」


「ふうん」


「あなたを吸血鬼、または吸血鬼に類する存在として認識し、攻撃した可能性があります」


「私は四分の一だけどね」


「相手がその差異を識別しているとは限りません」


「そうかも」


 灯は椅子に深く沈んだ。


 藍は端末の画面を見つめている。表情は変わらない。けれど、灯にはその赤い目が、何かを遠くまで見ようとしているように見えた。


「調べる価値がありますね」


 藍は言った。


 灯は瞬きをする。


「調べるの?」


「はい。宵闇さんに対する銃撃が発生した以上、放置できません」


「私、死なないよ」


「今回死亡しなかったことと、次回も死亡しないことは同義ではありません」


「そう」


「また、攻撃対象があなたのみである保証もありません」


「他の人も?」


「可能性はあります」


 藍の声は淡々としていた。


「現時点で、ヴァンパイアハンターという存在は私の管理対象外です。情報が不足しています。攻撃手段、目的、行動範囲、判断基準。全て確認する必要があります」


「大変そう」


「必要な作業です」


 灯は小さく欠伸をした。


 撃たれた直後とは思えないほど、いつも通りだった。だが、指先だけは日傘の柄を離さない。白い指が、少しだけ強く握っている。


 藍はそれを見た。


「しばらく単独行動を控えてください」


「面倒」


「必要です」


 灯は唇をわずかに尖らせた。


「息苦しい」


「撃たれるよりは安全です」


「そうかな」


「そうです」


 灯はしばらく藍を見ていた。


 藍も視線を外さない。


 やがて、灯は小さく頷いた。


「分かった。なるべく」


「なるべく、では不十分です」


「……努力する」


「記録します」


「うん」


 藍は端末に入力を続けた。


 校庭。廃ビル。射線。目撃者なし。宵闇灯、銃撃負傷、再生確認。想定対象、ヴァンパイアハンター。


 それらの文字が、静かな部屋の中で増えていく。


 灯は窓の方を見た。


 灰色の雲はまだ空に残っていた。日差しは弱い。それでも、彼女は日傘の影から出なかった。


「会長」


「はい」


「もし、その吸血鬼狩りがまた来たら」


「対応します」


「私が相手しなくても?」


「あなたは被害対象です。対応主体は、状況に応じて私が決定します」


「ふうん」


 灯は少しだけ目を細めた。


「頼もしいね」


「評価として受領します」


「褒めたつもり」


「そのように記録します」


 灯は小さく息を吐いた。


 部屋の外では、誰かの足音が遠く通り過ぎていく。校内はいつも通りだった。生徒たちは部活をして、教師は職員室で仕事をして、放課後の学校は放課後の学校として動いている。


 その端で、一人の生徒が撃たれた。


 そして榊原藍は、初めてヴァンパイアハンターという存在を記録した。


 灯は胸元の穴を指でつまんだ。


「制服、どうしよう」


「替えを用意します」


「早いね」


「必要経費です」


「生徒会で落ちるの?」


「適切な名目を検討します」


 灯は少しだけ笑ったように見えた。


 藍はそれを記録せず、画面に視線を戻した。


 新しい脅威の項目は、まだ空欄が多い。


 けれど、そこには確かに名前が入った。


 ヴァンパイアハンター。

 

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