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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第4章 吸血鬼の末裔と狩人
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第30話

 授業の終わった放課後、桜川恋は特に用があったわけでもなく、校舎の外に出ていた。生徒会室に顔を出す予定はあったが、まだ時間には余裕があった。光里は今日も部活の見学に行くと言っていた。最近、光里はいろいろなものを試している。良いことだと思う。


 校庭の端を歩いていたとき、恋の目がその人物を捉えた。


 日傘を差している生徒がいた。


 校庭の隅、校舎の影にもなっていない場所で、白い日傘を差したまま、ただぼんやりと立っている。制服は着ているが、鞄は持っていない。本を読んでいるわけでも、誰かを待っているふうでもない。ただそこに、置かれたように立っていた。


 恋は足を止めた。


 白い髪だった。遠目にも分かる、自然なものとは思えない白さで、太陽の光の中でうっすらと輝いて見えた。青い目——こちらは距離があってよく確認できないが、白い髪と組み合わさると、どこかこの季節とは噛み合っていない印象を与えた。


 学年は分からない。恋の見知らぬ顔だった。それ自体は珍しくもない。青葉第二高校は学年ごとに校舎のフロアが分かれているし、接点のない生徒など山ほどいる。


 ただ、恋の目には引っかかった。


 何か、と問われると答えにくい。ただ立っている生徒が、それほど珍しいわけでもない。日傘だって、紫外線を気にする女子生徒には普通のことだ。なのに恋の視線が離れなかったのは、その立ち方に理由があった。


 疲れている、というより——漏れている、という印象だった。


 立っているのに、どこかから何かが少しずつ抜け出ていくような。そういう佇まい。


 恋がそこで視線を切って歩き出していれば、それで終わりだった。


 だが次の瞬間、その生徒が僅かに体を傾けた。


 よろけた、という動きだった。明確に倒れそうになったわけではない。ほんの少し、重心が狂って、日傘を持つ手が空をつかむように揺れた。すぐに立て直したが、恋の目にはその一瞬がはっきりと映っていた。


 足が動いた。気づいたときには、もう向かっていた。


「……大丈夫ですか」


 近づいて声をかけると、その生徒はゆっくりと振り向いた。


 青い目だった。やはり距離が縮まっても色は変わらない。涼しい色だった。眠そうにも見えるし、そうでないようにも見える。感情の起伏がどこにあるのかよく分からない目だった。


「……別に」


 返事は短かった。声も小さかった。否定にも肯定にも聞こえる答えだった。


 恋は少し迷ってから、もう一歩踏み込んだ。


「今、よろけませんでしたか」


「……気のせい」


「気のせいではなかったと思いますが」


 その生徒は少しだけ目を細めた。責めているふうでも、否定しているふうでもない。ただ面倒そうに、恋を観察しているように見えた。


「……見ない顔。一年、生?」


「はい。桜川恋です」


「……宵闇灯(よいやみ あかり)、二年生」


 名乗り返してきた。それだけで少し安堵した。拒絶ではないらしい。


「先輩ですか」


「……うん」


 しばらく沈黙があった。宵闇灯は日傘の影の中で恋を見ていた。恋は宵闇灯を見ていた。どちらも急がなかった。


「……体調が悪いなら、保健室に行きますか?」


「別にそういうわけでも」


「でも」


「……よくあること」


 その言い方は、妙に淡々としていた。慣れている言い方だった。昨日今日のことではなく、ずっとそうだという話し方。


 恋はそれ以上は聞かなかった。


 宵闇灯は少しの間、また校庭の方を眺めていた。太陽に照らされている芝生を、まるで風景画を見るような目で見ていた。


「……そういえば」


 不意に声が出た。独り言のような言い方だった。


「会長に呼ばれてたんだった」


「会長?」


「……生徒会長」


 恋は一拍おいた。


「藍さ……榊原先輩ですか」


「……そう」


 宵闇灯はそれだけ言うと、日傘を持ったまま歩き始めた。校庭を横切るふうでもなく、校舎の方へ戻るふうでもなく、渡り廊下を抜けて第二棟の方へ向かう。


 恋はその背中を見ていた。


 藍に呼ばれている。


 宵闇灯と藍の間に接点があること自体は、不思議ではない。生徒会長なのだから、様々な生徒と接点があって当然だ。


 だが、何かが引っかかった。


 恋の足は、気づくと宵闇灯の後を追っていた。


「……ついてくるの」


 振り向かずに宵闇灯が言った。


「……すみません。なんか、気になってしまって」


「……ふうん」


 それが許可だった。宵闇灯は特に足を速めることも遅くすることもなく、ただ一定の速度で歩いた。日傘は渡り廊下に入っても閉じなかった。



 第二棟の三階、恋は来たことがなかった。


 一年生の教室は第一棟で、生徒会室や職員室も第一棟にある。第二棟は主に特別教室が並んでいて、理科や美術の授業で使う棟だ。三階まで来ることは、恋にとってほとんど機会がなかった。


 廊下には人気がなかった。


 放課後のこの時間、特別教室を使う授業はない。部活動が使っているのは一階の調理室くらいで、この階まで足を運ぶ生徒はまずいないはずだった。


 宵闇灯は廊下の突き当たりに向かって歩いていた。


 突き当たりには、一枚の扉があった。


 普通の教室の扉と同じ形をしているが、磨りガラスの部分が少し厚い。そして恋の知る限り、この扉に教室番号の表示がついていなかった。


 番号のない教室。


 それだけで、恋の中の何かが少し緊張した。


 宵闇灯は慣れた動作で扉の横のパネルに手をかざした。電子錠だった。音もなく解錠される音がして、扉が開いた。


 室内は薄暗かった。蛍光灯ではなく、間接照明のような落ち着いた明かりがある。


 そして何より、臭いが違った。


 消毒液のような、薬品のような、医療施設に近い清潔さと刺激が混じった空気。その奥に、何か機械的な冷たさ。


 恋の目が、室内に慣れた。


 実験机が並んでいた。普通の理科の実験机ではなく、もっと精密な機械や器具が並んでいた。壁際には棚があり、ラベルのついたサンプルらしき容器が整然と並んでいる。奥にはパソコンのモニターが複数、無音で起動していた。


 そして。


「……おや」


 室内の奥、椅子に座ってモニターを見ていた人物が、振り向いた。


 榊原藍だった。


 白衣を着ていた。制服の上に羽織ったふうではなく、きちんと袖を通した白衣。それがひどく似合っていて、同時にひどく異様だった。生徒会長が白衣を着ている。この学校では、そういうことが起きる。


 藍の視線は、宵闇灯から恋へ移動した。


 一秒、停止した。


 恋には分かった。藍が「想定外だ」と処理している一秒だった。普段は表情に出ないそれが、今は微かに出ていた。


「……恋も一緒だったんですか」


「……校庭で会った」


 宵闇灯が短く答えた。


 藍は恋を見た。恋は藍を見た。


「……あの、私、帰った方がいいですか」


 恋が聞いた。自分でも少し情けない聞き方だと思ったが、他に言葉が出なかった。


「いいえ」


 藍は立ち上がった。白衣の裾が揺れた。


「大丈夫です……どちらにせよ、見られてしまったので」


 その言い方が、いつもの藍と少しだけ違った。いつもの「全てを把握した上での発言」という重みが、ほんの少し薄かった。


「……聞く権利はありますか」


「何を、でしょうか」


「ここが何なのか」


 藍は少しの間、何も言わなかった。


 珍しいことだった。藍が言葉を探している間があるのは、珍しかった。


「……説明します」


「はい」


「ただ——」


 また、間があった。


 恋は黙って待った。宵闇灯は興味なさそうに一番近い椅子に腰をおろして、机の上の何かを眺めていた。


「……事前にお伝えしなかったことについては」


「はい」


「適切ではなかった、かもしれません」


 恋は目をぱちくりさせた。


 藍が「かもしれません」と言った。「適切ではなかった」と言った。断定ではなく、留保をつけた形で。


 それは藍にしてはかなり珍しい物言いだった。


「……続けてください」


「続けます。まず、前提として宵闇灯さんは」


 藍は少し間を置いた。


「――ヴァンパイアの血筋を持っています」


 室内の空気が、変わった気がした。


 恋は自分の顔から表情が抜けていくのを感じた。驚いているのか、受け入れているのか、よく分からなかった。この学校に来てからずっと、そういう場面が続いている。そのたびに少しずつ、恋の「驚きの閾値」が変わっていく。


「……ヴァンパイアというのは」


「文字通りの意味です」


「……そうですか」


 宵闇灯がこちらを見た。どこか観察しているような目だった。驚かれることに慣れているのか、あるいは驚かれることに飽きているのか、どちらとも取れる顔をしていた。


「……驚かないんだ」


 恋は一度、息を吐いた。


「続きをお願いします」


 藍は少しだけ目を細めた。


「……宵闇灯さんには、定期的にここへ来ていただいています。私が、ヴァンパイアの生理的特性について研究するために」


「研究」


「はい」


「つまり……実験、ですか」


「……そう、なります」


 また間があった。今度の間は、さっきより少し長かった。


「桜川さん」


「はい」


「これは、宵闇灯さんの同意の上で行っています」


「聞いてません。そこは」


「……はい」


「説明、続けてください」


 藍は恋を見ていた。


 恋は藍を見ていた。


 怒っているわけではなかった。責めているわけでもなかった。ただ、聞かなければならないと思った。聞かないまま飲み込むのは——自分の性格に合わない。


「私は」


 藍が口を開いた。


「ヴァンパイアという存在の生態について、確かな情報を持っていませんでした。文献はあります。しかし文献と実際の個体では、差異がある場合が多い。そのため、宵闇灯さんに協力を依頼しました」


「なぜ知りたかったんですか」


「それが必要になる可能性があったからです」


「必要というのは」


「……知的好奇心、と言った方がいいかもしれません」


 恋はそこで少し黙った。藍が何かを説明する際、こうして言葉を濁すのは珍しいことだった。おそらく、いつものように彼女の奥には何重にも張り巡らされた思想と意図がある。


「……あの、一つ確認していいですか」


「何ですか」


「藍さんが私にこれを事前に話さなかった理由は、何ですか」


 藍はまた、少し間を置いた。


「……監査等委員長の職務範囲外だったから、という説明が、おそらく最も正確です」


「おそらく、と言いましたよね今」


「……はい」


「他に理由が……?」


 藍はモニターの方へ視線を向けた。それからまた恋に戻した。


「あなたが、どう受け取るか」


「……はい」


「それが、少し」


 言葉が止まった。


「少し?」


「……分からなかった、ということです」


 恋は黙った。


 宵闇灯が小さく欠伸をした。場の空気には全く頓着していない様子だった。


「藍さん」


「何ですか」


「それって、要は言い出しにくかったってことですよね」


 藍は一秒、固まった。


「……そういう解釈も、できるかもしれません」


「藍さん、今ちょっと珍しい顔してますよ」


「そうですか」


「はい」


 藍は視線を一度だけ逸らした。ほんの僅か。でも確実に逸らした。


 恋はそれを見て、何か少し力が抜けた。


 怒りでもなく、呆れでもなく——この人も、言い訳はするのだ、という発見に近い感覚だった。完璧に整っているように見えて、こういう場面が、ある。


「分かりました」


「……恋」


「怒ってません。でも、もう少し教えてください」


 藍は少しだけ、表情が変わった。


 何と表現するのが正しいのか、恋にはまだ分からない。ただ、あの入学式の壇上にいた少女と、今この部屋にいる少女が、確かに同じ存在だということを、こういうときに実感する。


「……座ってください」


「はい」


「宵闇さんも、もう少しだけお付き合いください」


「……了解」


 宵闇灯は欠伸の残りを嚙み殺しながら、答えた。


 恋は椅子を引いた。


 薬品の匂いのする部屋の中で、誰も知らない放課後が、静かに続いていた。

宵闇灯(よいやみ あかり)

青葉第二高等学校 二年生

ヴァンパイアのクォーター。純血種とは異なり、人の血を摂取せずとも活動が可能であるほか、血に対する欲求も薄い。日光を受けても消滅しないが、人よりも感受性は高いため日傘を携帯している。

身長:177 cm、体重:45 kg

容姿:白髪、ロングヘア。髪はボサボサなことが多い。

性格:常に気怠そうにしている。血筋の影響半分、本人のやる気の問題半分。

趣味:寝っ転がること

苦手な物:人の血(不味いらしい)

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