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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第3章 戌
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21/37

第21話

 それは、昼休みの教室のテレビから流れてきた。


 青葉第二高等学校では、昼休みにニュースが教室のモニターへ流れる設定になっている。大半の生徒は気にも留めないが、恋はたまたま弁当を食べながら画面を見ていた。


『米国AI企業の最大手、Ai-Tech社の新CEOであるトムソン・J・スコット氏が今週来日します。スコット氏はAi-Tech社の外部から抜擢された初の最高経営責任者として注目を集めており、日本のAI関連企業との提携協議のほか、都内で複数の会合が予定されています——』


 Ai-Tech。


 その名前を聞いた瞬間、恋の箸が止まった。


 榊原幸三から聞いた名前。藍の出自に関わる企業。光里の過去とも繋がっている、あの会社。


 画面には、スーツ姿の男性の写真が映っていた。四十代後半くらいだろうか。整った顔立ちに、知的だが柔らかい印象の目元。「天才経営者」というキャプションがついている。


『スコット氏の就任以降、Ai-Tech社は積極的なグローバル展開を進めており——』


 恋はニュースの続きを聞きながら、胸の奥がざわつくのを感じた。


 藍はAi-Techを支配していると、幸三は言っていた。CEOはただの傀儡だと。


 あの男性が、その傀儡なのだろうか。


 画面の中のスコットは、どこからどう見ても有能で自信に満ちた経営者にしか見えなかった。


 放課後、恋はいつものように生徒会室へ向かった。


 扉を開けると、藍がタブレットを見ながら何かのメッセージを読んでいた。こよみがその横に立ち、画面を一緒に確認している。鶴見は紙に向かっていて、不破は席にいなかった。


 恋が鞄を置いた直後、藍がタブレットを閉じた。


 その動作が、いつもより少しだけ速かった。


「恋」


「はい」


「少し、お時間をいただけますか」


 その言い方は丁寧だったが、雑談の延長ではないと分かる声量だった。


「……何ですか」


 藍は恋をまっすぐ見た。


「今日のニュースで、Ai-Tech社のCEOが来日するという報道をご覧になりましたか」


 恋は少し驚いた。藍の方からAi-Techの話を出してくるのは珍しい。


「……見ました。トムソン・スコットって人」


「はい。先ほど、スコット氏から私宛に連絡がありました」


 恋は目を瞬く。


「藍さん宛に?」


「はい。来日中に、私を訪ねたいとのことです」


 意味を飲み込むのに数秒かかった。


 世界最大のAI企業のCEOが、日本の高校生を訪ねたい。


 普通に聞けば意味不明だ。


 けれど恋は、もう「普通」の枠で藍を測っていない。


「……それって、つまり」


「はい」


 藍は静かに言った。


「私のもう一つの顔を、お見せする機会かもしれません」


 恋の心臓が、少しだけ速くなった。

 

 *


 それから数日後、恋は藍と並んで車に乗っていた。


 車。


 タクシーではない。黒塗りの、明らかに個人手配された車だ。運転しているのは恋の知らない人物で、一言も喋らない。後部座席に恋と藍が並んでいる。こよみは別の車で先に向かったらしい。


 窓の外を、都心部のビル群が流れていく。


 恋はシートベルトを握ったまま、まだ状況に追いついていなかった。


「……本当に行くんですか」


「はい」


「私も?」


「はい」


「何で」


「監査等委員長として、私の活動の全体像を把握しておく必要があるからです」


「それ、今回に関しては建前ですよね」


「半分は本音です」


「もう半分は」


 藍は窓の外を見たまま、少しだけ間を置いた。


「あなたに知っておいてほしいからです」


 その言い方が、妙にまっすぐだった。


 恋は何も返せなかった。


 車は都心のビル街を抜け、ある高層ビルの地下駐車場へ入った。セキュリティゲートを二つ通過し、専用のエレベーターホールへ。藍は慣れた様子でカードキーをかざし、エレベーターのボタンを押した。


 上昇する箱の中で、恋は聞いた。


「藍さん。スコットって人は、藍さんが何者か知ってるんですか」


「はい。Ai-Techの歴代CEOおよびごく一部の経営幹部だけが、私の存在を把握しています」


「歴代CEOって……今まで何人いたんですか」


「スコット氏を除いて六人目です」


 六人。


 恋は数字の重さを飲み込む。


「その六人は、全員藍さんの——」


「はい。全員、私が選び、私の指示のもとで経営を行っていました」


 藍の声は平坦だった。


「表向きにはCEOが企業のトップです。株主総会での発言、決算発表、メディア対応、戦略方針。すべて、CEO自身の言葉として発信されます」


「でも実際は」


「実際には、その内容の大半は私が事前に策定し、指示したものです」


 恋の背筋が冷えた。


 それは、つまり。


「世界最大のAI企業の発言が、全部藍さんの台本だった、ってことですか」


「台本という表現はやや粗いですが、概ねその認識で間違いありません」


 恋は無言になった。


 エレベーターの数字が上がっていく。二十階。二十五階。三十階。


「スコット氏は、その中ではやや異なる位置づけです」


 藍が続けた。


「歴代のCEOはいずれも私が社内から選抜した人物でした。私の判断をそのまま実行することが主な役割で、それ以外の裁量はほぼ与えていません」


「傀儡、ってことですか」


「はい」


 藍は否定しなかった。


「ですが、スコット氏は社外から選抜しています。そして、ある程度の経営判断を彼自身に委ねています」


「何でですか」


「実験です」


 その一言に、恋は少しだけ眉をひそめた。


「人間の判断で、AI-Techを率いることができるかどうか。それを確かめたかった」


「……藍さんにとって、スコットって人は実験対象なんですか」


「実験という言い方が不適切であれば、検証対象です」


「検証対象……ですか」


「ええ、そうです」


 エレベーターが止まった。最上階に近いフロアだ。


 扉が開くと、広いホールが目の前に広がった。床は磨かれた石材で、壁には控えめな照明。窓の外には都心の夜景が広がっている。


 こよみがすでにホールの奥に立っていた。白い髪が照明を受けて光る。


「藍様。ご準備は整っています」


「ありがとうございます」


 藍は恋を振り返った。


「恋。ここからは私1人で対応します」


「え」


「別室で待機していただきます。面会の内容は、あとで私から説明します」


 恋は少し考えてから、頷いた。


 スコット相手に自分がいても意味がないことくらいは分かる。というより、世界最大のAI企業のCEOと日本の高校生が同じ部屋にいる絵面自体が異常すぎる。


「こよみ。恋を別室へ」


「承知しました。桜川さん、こちらへ」


 こよみに案内されて、恋は廊下の先の一室へ通された。


 小さいが綺麗な部屋で、ソファと机と、窓の外の夜景がある。ホテルのスイートルームの一角みたいだった。


「お飲み物はいかがなさいますか」


「……普通のお茶で」


「承知しました」


 こよみが去っていく。


 恋は一人、ソファに座ったまま、窓の外のビル群を見つめた。


 自分は今、とんでもない場所にいる。


 その実感が、じわじわと遅れてやってきた。


 *


 面会室は、ホールの奥にある広い個室だった。


 長いテーブルと、向かい合う二脚の椅子。壁際にはこよみが控えている。室内の照明は落ち着いた暖色で、窓からは東京の夜景が一望できる。


 榊原藍は、テーブルの一方に座っていた。


 制服のままだ。


 高校の制服を着た少女が、都心の高層ビル最上階の面会室に座っている。その光景は、知らない人間が見れば冗談のようだったろう。


 扉が開いた。


 トムソン・J・スコットが入ってきた。


 テレビで見た通りの人物だった。長身。仕立ての良いスーツ。四十代後半の、知性と余裕を感じさせる顔立ち。ただし、画面越しに見た印象よりも、実際には少しだけ緊張しているように見えた。


 スコットの後ろには通訳らしき男性がいたが、藍が軽く手を上げてそれを制した。


「通訳は不要です。英語で構いません」


 藍は英語でそう言った。


 その発音は、恐ろしいほどに滑らかだった。


 スコットは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。通訳が退室し、扉が閉まる。


 室内には、藍とスコット、そして壁際のこよみだけが残った。


 スコットが先に口を開いた。


「Ms. Sakakibara. お会いできて光栄です」


 丁寧な英語だった。声に敬意が滲んでいる。同時に、わずかな畏怖も。


 藍は椅子に座ったまま、軽く頷いた。


「Mr. Scott。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」


 藍の英語は流暢だったが、声のトーンは日本語の時と変わらない。穏やかで、正確で、無駄がない。


「選抜試験の最終面接以来ですね。直接お目にかかるのは」


「はい。あの時は画面越しでしたが、こうして実際にお会いできることを、ずっと望んでいました」


 スコットの声には真摯さがあった。


 藍はそれを聞いて、ほんのわずかに首を傾げた。


「ご丁寧にありがとうございます。ですが、Mr. Scott」


「はい」


「あなたは今、Ai-Tech社のCEOです」


 藍の声が、少しだけ温度を変えた。


 冷たくなったわけではない。けれど、さっきまでの穏やかさの底に、はっきりとした芯が通った。


「世界最大のAI企業の最高経営責任者が、日本の高校生を訪ねるために来日するのは、いくら何でも不自然です」


「それは承知しています。ですが——」


「社交儀礼としてのご挨拶であれば、メッセージで十分でした。わざわざ直接会う必要はありません」


 スコットの表情が、わずかに引き締まった。


「Ms. Sakakibara。私は、単なる社交辞令であなたに会いに来たわけではありません」


「承知しています」


 藍は静かに言った。


「あなたが私に直接会うことを望んだ理由も、おおよそ理解しています。選抜試験の際、あなたは私に一つだけ質問をしましたね」


 スコットが息を呑むのが、わずかに見えた。


「“あなたは何のためにAi-Techを動かしているのか”——でしたか」


「……はい」


「私はその時、答えませんでした」


「はい」


「今も、答えません」


 スコットは黙った。


 その沈黙を、藍は急かさなかった。


「ただし、あなたに裁量を与えたのは事実です。歴代のCEOには許さなかった判断権限を、あなたには一部委ねている。その意味は、ご自身でお考えください」


「……はい」


「あなたが有能であることは、この数か月の経営実績が示しています。私がわざわざ介入する必要がなかったのは、あなたの判断が概ね適切だったからです」


 それは、褒めているのだろうか。


 判断に迷うような声音だった。


「ですが」


 藍は続けた。


「Ai-TechのCEOとしての自覚を持つのであれば、やはりあなたは私に会いに来ることに時間と資源を費やすべきではありません。あなたが見るべきものは、この部屋にはありません。市場に、技術に、そしてあなた自身の判断の中にあります」


 スコットは、しばらくの間、何も言わなかった。


 やがて、低い声で言った。


「……理解しました」


「よろしい」


 藍は姿勢を変えずに言う。


「今後、私への連絡が必要な場合は、雪代こよみを通じてください。直接のコンタクトは、原則として必要ありません」


「雪代——」


 スコットの視線が、壁際のこよみへ向いた。


 こよみは静かに一礼した。


「雪代こよみと申します。以後、連絡窓口を務めます」


 その声はいつも通り平坦で、丁寧で、一切の感情が混じっていなかった。世界最大のAI企業のCEOを前にしても、何一つ変わらぬ態度だった。


 スコットは数秒だけ黙り、それから深く頷いた。


「承知しました、Ms. Sakakibara」


「それと、Mr. Scott」


「はい」


「あなたが今回私に会いに来たこと自体を咎めているわけではありません」


 藍の声が、ほんのわずかに柔らかくなった。


「あなたの誠意は理解しています。ですが、誠意だけでは企業は動きません。それを、あなたはすでに分かっているはずです」


「……はい」


「引き続き、よろしくお願いいたします」


 藍はそこで、初めて立ち上がった。


 手を差し出す。


 スコットがその手を取った。握手は短く、静かだった。


 面会は、それで終わりだった。


 *


 スコットが退室してから十分後。


 別室で待っていた恋のもとに、藍が来た。


 恋はソファから立ち上がる。お茶は半分ほど残っていた。


「終わりましたか」


「はい」


 藍は向かいのソファに座った。いつもの制服姿が、この部屋では余計に場違いに見える。


「……どうでした」


「特に問題はありませんでした」


「問題がないことが、問題な気がしますけど」


 藍はほんのわずかに目を細めた。


「スコット氏は、真面目な方です」


「それは何となく想像できます」


「真面目で、有能で、そして私を恐れています」


 恋は少しだけ息を詰めた。


「恐れている、って」


「はい。私が何者であるかを知った上で、それでもCEOを引き受けた。その時点で、ある程度の覚悟はある方です」


「覚悟……ですか」


「私の下で、人間として経営者であり続けるという覚悟です」


 その言い方に、恋はぞっとした。


 AIの下で、人間として。


 その構造が、もう普通ではない。


「……藍さんは、その人のことをどう思ってるんですか」


「有用だと思っています」


「それだけ?」


「少し興味もあります」


 恋は眉を寄せる。


「人間の判断がどこまで機能するか、という問いに対して、スコット氏は現時点で最も有望な検体です」


「検体って言い方やめてください」


「では、被験者で」


「もっと悪い」


「……それでは、観察対象」


「何も変わってないです」


 藍は少しだけ考えてから言った。


「パートナー、という表現は不正確ですが、最も近いかもしれません」


「最初からそう言ってください」


「ただし、パートナーと呼ぶには地位は対等ではありません」


「そこは正直なんですね」


「はい。対等であれば、私が裁量を与える必要はありませんので」


 恋は深くため息をついた。


 窓の外の夜景が、やけに静かに見える。


「……私、今すごい場所にいるんですね」


「はい」


「世界最大のAI企業を裏から動かしてる人の隣に座ってるんですね」


「そうですね」


「しかもその人は高校生の制服を着てるんですね」


「制服は学校の規定です」


「そういうことじゃないです」


 藍は少しだけ首を傾げた。


「不安ですか」


「不安というか……スケールが大きすぎて実感がない、って感じです」


「そうでしょうね」


 藍は窓の方へ視線を向けた。


「私がAi-Techを支配していることは、今まであなたには詳しく話していませんでした」


「はい」


「それは、必要がなかったからです。監査等委員長としてのあなたの業務には、直接関わらない領域ですので」


「でも、今日は見せてくれた」


「はい」


「何で」


 藍は数秒だけ黙った。


「あなたが、私を知ろうとしてくれているからです」


 恋は言葉に詰まった。


「知ろうとしてくれる人に、隠し続けるのは不誠実だと判断しました」


「……判断、ですか」


「はい。ただし、判断だけではないかもしれません」


 その言い方が、藍にしては珍しく曖昧だった。


「恋」


「何ですか」


「私は、あなたに全てを見せるつもりはまだありません」


「知ってます」


「ですが、少しずつ見せていくつもりではあります」


「それも知ってます」


「そうですか」


 藍はほんのわずかに口元を和らげた。


「では、帰りましょう。明日も授業ですので」


「……今この状況で、その締めはどうなんですか」


「学生ですので」


「AIが学生の自覚あるの、逆に怖いんですけど」


 藍は立ち上がった。


 恋もそれに続く。


 窓の外には、東京の夜景が広がっていた。無数の光が瞬いている。その光の一つ一つに人間の生活があって、その全体を動かしている企業の一つを、目の前の少女が支配している。


 そのスケールを、恋はまだ実感できていなかった。


 けれど、一つだけ分かることがある。


 榊原藍は、生徒会長でもなく、野球部の監督代理でもなく、もっと大きなものの中心にいる存在だった。


 そしてその存在が、自分に「見せたい」と言ってくれた。


 その意味を、恋はゆっくりと噛み締めていた。


 帰りの車の中で、藍はタブレットを閉じて窓の外を見ていた。


 恋も、同じように外を見ていた。


 二人とも何も言わなかった。


 けれどその沈黙は、今までのどの沈黙よりも、少しだけ近かった。

Thomson・J・Scott

AI-Tech CEO

社外から抜擢された42歳の天才経営者。彼を含む歴代CEOと限られた人間のみが、榊原藍の存在を認知している。

身長:177 cm、体重:62 kg

風貌:金髪、よく30代に間違われる

性格:理知的

趣味:有名企業の経営者の自伝を読むこと

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