第20話
その日の朝、青葉第二高等学校の正門前は、いつもより妙に張り詰めていた。
登校してくる生徒たちの流れが、門の手前でわずかにつかえている。
桜川恋は人波の速度が落ちた理由を確かめようとして、前方を見て小さく眉を寄せた。
「……何これ」
門の左右に、腕章をつけた生徒が並んでいる。
風紀委員会だった。
しかもただ立っているだけではない。登校してくる生徒を順に止めて、鞄の中身を確認している。開けたバッグをちらりと見て、問題がなければ通し、怪しい物があればその場で確認する。学校というより、空港の簡易検査みたいな光景だった。
「今日は荷物検査の日だって」
すぐ後ろから聞き慣れた声がして、恋は少しだけ肩の力を抜いた。
古角光里だった。
「昨日のうちに連絡回ってたよ」
「見てない」
「でしょうね」
「そんな頻繁にやるものなの?」
「たまに。……っていうか、風紀委員長が本気出した時?」
最後の言い方は半分冗談めいていたが、恋は正門前の空気を見て、それが案外冗談でもないのかもしれないと思った。
風紀委員たちは全員きびきび動いている。だが、その統率の取れ方がただの学校行事の域を少し越えていた。緩みがない。雑談もない。誰も必要以上の声を上げないまま、列だけが一定の速度で進んでいく。
「うわ、前の子、化粧品めっちゃ見られてる」
光里が小さく言う。
実際、少し前では二年生らしい女子生徒が、ポーチの中身を見せられていた。風紀委員に問いかけられ、何かしら言い訳めいたことを言っている。だが委員の方は慣れた様子で、「校則上はこちらでお預かりします」と淡々と返していた。
「怖」
恋が本音を漏らした、その時だった。
ふと、列の先の空気が少しだけ変わる。
理由はすぐに分かった。
門の近くに立っていた一人の男子生徒が、ちょうどこちら側へ視線を向けたからだ。
高い。
最初にそう思った。
百八十センチは確実に超えているだろう長身。無駄のない体つき。腕章のついた制服姿なのに、立っているだけで妙に絵になる。顔立ちは整っているが、愛想の良さとは無縁の、乾いた印象が先に来る。表情が薄いというより、余計なものが削ぎ落ちすぎている感じだった。
手には竹刀袋がある。
それでいて、単なる剣道部員には見えなかった。
「あ」
光里が小さく声を漏らす。
「戌井先輩だ」
その名前に、恋は少しだけ記憶を探る。
聞いたことはある。
剣道部部長。全国大会常連の強者。というか、剣道部の枠で語っていいのか分からないくらい強いという話も耳にしたことがある。風紀委員会副委員長も兼ねていて、東雲葵の片腕みたいに言われている人。
あの人が――戌井涼。
「……あの人が?」
「うん。超有名」
「剣道の?」
「それもあるし、何かもう色々」
光里の説明は雑だったが、まあそういう類の人なのだろう。
戌井涼は他の委員たちみたいに大きく動き回ってはいなかった。ただ門の少し内側に立ち、流れ全体を見ているだけだ。なのに、その人がいるだけで風景の重さが違う。ように見える。
恋は無意識に視線を逸らしかけて――その前に、向こうと目が合った。
ほんの一瞬だった。
だが、その一瞬だけで妙に背筋が冷える。
別に睨まれたわけではない。ただ見られただけだ。見られただけなのに、何となく、自分の立ち方とか呼吸の速さまで観測された気がした。
「……何か、怖いんだけど」
小声で言うと、光里が苦笑する。
「分かる。でもあの人、基本ずっとああらしいよ」
列が進む。
前の生徒が検査を終え、ようやく恋たちの番が近づいてきた。
手前にいた風紀委員の女子生徒が、事務的な口調で言う。
「鞄を開けてください」
恋は素直に従った。別に見られて困るものは入っていない。教科書、筆箱、ノート、端末、ハンカチ、財布。そんなものだ。
風紀委員はざっと中を確認し、それからポーチへ視線を向ける。
「こちらも」
「はい」
開ける。中身はリップと目薬と絆創膏。問題ないはずだ。
委員が頷きかけた、その時だった。
「待て」
低い声が、すぐ近くで落ちた。
恋は反射的に顔を上げる。
いつの間に移動してきたのか、戌井涼がそこに立っていた。
近い。
遠目で見た時よりもさらに長身で、影が落ちるみたいに視界へ入ってくる。竹刀袋は肩にかけたままで、表情は相変わらず読みにくい。
「……何ですか」
恋が思わず身構えて言うと、戌井は恋ではなく、開いた鞄の内側を見ていた。
その視線の先には、端末と、その下に挟まっていた細長いケースがある。
昨日、生徒会室から持ち帰った予備のタッチペンだった。
風紀委員の女子生徒が「あ」と言いかけるより早く、戌井がケースを軽く顎で示す。
恋は少しだけ戸惑ったが、黙って取り出す。
白い樹脂製のペンケースだ。
戌井は一瞥して、無言で手を差し出した。渡す。ケースを開き、中身を確認する。細い金属製の替芯と、端末用のペン先。
「……失礼した」
返された。
たったそれだけだ。
なのに恋の心臓は少し速くなっていた。
「生徒会で使っているものか」
戌井はそれだけ言う。
怒っているわけではない。指導というより、単なる事実確認の延長みたいな声だった。
「は、はい」
恋が答えると、戌井はもう次の列へ視線を向けていた。
早い。
確認も、判断も、終わるのも早すぎる。
風紀委員の女子生徒が少しだけ申し訳なさそうに口を開く。
「通って大丈夫です」
「……どうも」
恋は鞄を閉じながら、ほとんど逃げるような気持ちで門をくぐった。
数歩進んだところで、ようやく息を吐く。
「……何、あれ」
光里が横で吹き出しそうになっている。
「びびってたね」
「びびるでしょ普通」
「まあ、うん。分かる」
「何か一瞬で全部見られた気がするんだけど」
「戌井先輩、そういう感じある」
ある、で済ませないでほしい。
恋は肩越しに一度だけ振り返る。
戌井涼はもう別の生徒の荷物確認へ意識を移していた。動きが大きいわけではない。むしろ必要最低限だ。なのに、その最低限だけで場を制圧しているみたいに見える。
剣道部部長で全国大会常連。
たしかに、それだけでも十分すごい肩書きだ。
だが、今見た印象はそんな説明で収まりきらない。全国レベルのスポーツ選手というより、何かもっと別の領域の人間が、たまたま学校に紛れている感じだった。
「すごい人って聞いてたけど」
恋がぽつりと言う。
「何かもう、そういう次元じゃない気がする」
光里は少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「はっきり言うねえ」
「嫌な言い方」
「まあ、普通の人じゃない感じはする」
「やっぱり?」
そこでふと、恋は思う。
青葉第二高等学校には、どうしてこう、普通ではない人間ばかり集まっているのだろう。
自分は本当に、ただの進学校へ通っているだけのつもりだったのに。
「……朝から疲れた」
恋が本音を漏らすと、光里が笑いながら肩をすくめた。
「まだ一時間目始まってもないよ」
「知ってる」
「頑張って」
「他人事だと思って」
「実際、今のところは他人事だし」
それもそうだった。
恋はもう一度だけ門の方を見た。
戌井涼は、また別の生徒の鞄へ一瞬だけ目を走らせている。その動作ひとつに無駄がない。剣道で全国レベル、という説明が肩書きとしては正しいのだろう。だがきっと、それはあの人を説明する情報の一部でしかない。
そしてたぶん、そういう“一部でしかない肩書き”を持つ人間が、この学校には多すぎる。
そんなことを思いながら、恋は光里と並んで校舎の方へ歩き出した。
まだ朝だというのに、もう少しだけ、今日一日が長くなりそうな気がしていた。
戌井涼
青葉第二高等学校 3年生 風紀委員会副委員長兼剣道部部長
東雲葵とは昔からの付き合い。東雲葵のボディーガード的存在。
身長:188 cm、体重:64 kg
風貌:黒髪、短髪
性格:寡黙
趣味:なし




