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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第3章 戌
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19/33

第19話

 東雲葵が生徒会室から去ってほどなくして、桜川恋は生徒会室でとある紙を渡された。


「体育委員会宛の資料です」


 そう言って雪代こよみが差し出してきたのは、来月の校内行事に関する調整資料だった。内容としては、運動部施設の一時使用区分変更と、体育委員会側への共有事項が数点。要するに、生徒会から体育委員会へ回す事務連絡である。


「これ、私が持っていくんですか」


「はい」


「誰か他にいないんですか」

「います」

「じゃあ何で私」

「藍様も仰っていましたが、風紀委員長以外にも、各委員会の温度感を把握していただきたいので」

「温度感って何ですか」

「行ってみれば分かります」

「その言い方で良い結果だった試しがないんですけど」


 こよみは少しだけ目を瞬いた。


「今回は、比較的危険性は低いです」

「比較的、ってつけるのやめてください」

「では修正します。生命の危険は低いです」

「何も変わっていないんですよ」


 だが、結局行くしかない。


 体育委員会委員長――神津晶。


 その名前は何となく聞いたことがあった。野球部の主将で、四番で、エースで、やたらと目立つ人。そこまでは知っているが、面識はない。


 恋は資料を受け取り、小さくため息をついた。


「場所は野球部のグラウンドです」


「……教室とかじゃないんですね」

「はい。神津さんは、放課後はほぼそちらにいます」

「委員長なのに」

「野球部ですので」

「そういう問題なのかな……」



 放課後のグラウンドは、遠くからでもすぐ分かった。


 金属バットの音。


 掛け声。


 土の匂い。


 風に乗って飛んでくる、いかにも『部活』という感じの熱気。


 恋は校舎脇の通路を抜け、野球部のグラウンドを前にして少しだけ足を止めた。運動部の空気には慣れていない。というより、こういう場所へ来ること自体が縁のない人生だった。


 フェンスの向こうでは、部員たちが練習をしていた。


 ノックを受ける音。ランナーの声。ベンチ付近でスコアを確認しているらしい後輩。どこを見ても本気の部活だった。


 その中でひときわ目立っていたのが、背番号こそ練習用で控えめなものの、見るからに中心にいると分かる男子生徒だった。


 がっしりした体格。日に焼けた肌。ひと目で分かる運動部の主力という感じの存在感。グラウンドの中心にいると自然と視線が集まる。


 たぶん、あれが神津晶だ。


 恋がフェンス越しにどう声をかけようか迷っていた、その時だった。


 向こうが先にこちらに気づいた。


「おっ」


 神津晶はバットを肩に担いだまま、こちらへ手を上げる。


「見ない顔だな。入部希望の子?」


「……はい?」


 恋は固まる。


 神津はそのまま勝手に話を進めた。


「どっち? 打つ方? 投げる方? 投げる方だと嬉しいんだけど。俺、ピッチャーよりも外野やりたいからさ」


「違います」


 反射的に即答してしまった。


 神津はきょとんとする。


「違う?」

「入部希望じゃないです」

「え、マネージャー志望?」

「違います」

「見学?」

「違います」

「じゃあ何しにここに?」


 最初からそれを聞いてほしい。


 恋はぐっと資料を持ち直した。


「生徒会からです。体育委員会委員長の神津先輩に、資料を届けに来ました」


「……あー!」


 神津は数秒遅れて理解したらしく、大きく頷いた。


「俺か!」

「そうです」

「何だよ、最初に言ってくれよ」

「言う前に入部させられかけたんですけど」


 神津は悪びれもせず笑った。


「いやー、最近ピッチャー足りなくてさ」

「そういう理由で一年生の女子を勧誘しないでください」


 そこへ、すぐ近くにいた後輩部員らしい男子が小声で口を挟んだ。


「先輩、先に要件聞いてからにしてくださいって、この前も言いましたよね」

「え、そうだっけ」

「言いました」


 介護されている。


 恋はその光景を見て、思わず思った。


 この人が委員長で大丈夫なのか。


「で、資料?」


 神津が手を差し出すので、恋は紙を渡した。


「来月の施設使用調整と、体育委員会側への確認事項です。生徒会から共有を、って」

「ふむふむ」


 神津は紙を受け取って、真面目な顔で眺める。


 その顔だけ見れば、ちゃんと読んでいそうだった。


「……どうですか」


 恋が一応尋ねると、神津はしばらく紙面を見下ろしたあと、きっぱりと言った。


「分からん!」


 恋は無言になった。


「え」

「いや、字は読める。でも内容が頭に入ってこねえ」

「そんな堂々と言われても困るんですけど」

「大丈夫大丈夫。後で分かるやつに見せるから」


 それでいいのか、体育委員会委員長。


 後輩部員がすかさず横から資料を覗き込む。


「あー、これ施設使用の時間帯変更ですね。あと委員会側の確認期限が明日です」

「おお、そういうことか!」

「そういうことです」

「助かるー」

「助かるのはこっちじゃないんですけど」


 恋は本気で呆れた。


 神津晶はたしかに野球ができそうな顔をしている。むしろ野球以外のことができる感じが薄い。


「……何でこの人が委員長なんですか」


 思わず後輩へ向かって漏らすと、その後輩は一瞬だけ困った顔をしたあと、小声で答えた。


「人望、ですかね……」

「今の間、長くなかった?」

「いや、でも本当に頼られてはいるんですよ! 勢いで引っ張るタイプというか!」

「勢いで委員会運営しないでほしいんですけど」


 神津はそんな会話も気にせず、資料を片手にグラウンドの方を見渡した。


「こういうの、どうせなら会長の方で全部やっといて欲しいんだけどな」

「……会長?」


 恋が聞き返すと、神津は何でもないことのように答えた。


「そ、榊原会長」

「何で体育委員会側の話で藍さんが出てくるんですか」

「え?」


 今度は神津の方が固まった。


「知らなかったの?」

「何をですか」

「会長、うちの監督代行やってるけど」

「……はい?」


 恋は思考が止まった。


「何て?」

「監督代行」


 あまりにも自然に返されて、余計に意味が分からない。


「去年の冬に監督が蒸発してさ」

「蒸発」

「うん。何か急にいなくなった」

「いや、そういう事件みたいな言い方やめてください」

「事件っていうか、まあ事件だよな」

「事件なんだ……」


 神津はあっけらかんと続けた。


「それで、何やかんやあって、今は会長が兼任してる」

「何やかんやの中身をください」

「そこは何か、会長がすごかった」

「説明になってないです」

「でも実際すごかったんだよ」


 後輩部員も頷く。


「会長、めちゃくちゃ采配上手いんですよ」

「いやいやいや」


 恋は思わず首を振る。


「藍さんが野球部の監督代行?」

「そうそう」

「何で?」

「何でって……」


 神津は少し考えてから、妙に真面目な顔で言った。


「勝たせてくれるから?」


「理由が野球部すぎる」

「大事だろ、そこ」

「大事ですけど!」


 恋の頭の中では、今、別の問題が渦巻いていた。


 榊原藍。


 生徒会長。


 AI。


 あの人が、野球部の監督代行?


 全然繋がらない。



「……本当に?」

「本当に」

「全く想像できないんですけど」

「最初みんなそう言う」


 後輩が口を挟む。


「でも似合いますよ、会長」

「何でそんなにさらっと受け入れてるの……」

「最初は俺らも変だと思ったんですけど、会長、普通にグラウンド立つと様になるんですよね」

「しかも采配えぐいし」


 神津が付け足す。


「打順の組み方とか、相手投手の癖の拾い方とか、守備位置の細かい修正とか、あれ見てると監督っていうか、何か別のすごい生き物だなって思う」

「最後の感想はちょっと分かりますけど」


 恋は本気で困惑した。


「……会長、ノックとかもするんですか」


 つい聞くと、神津がうんうんと頷いた。


「たまに」

「たまに!?」

「体力はそんなにないって本人言ってるけど、コントロールは異様にいい」

「それは……まあ、そうかもしれないですけど」


 何か嫌に納得できてしまうのも腹立たしい。


「あと、練習メニュー組む時が怖い」

「怖いんだ」

「すげえ冷静に『その負荷では足りません』とか言う」

「言いそう」

「言うよな」


 神津と意見が一致してしまった。


 その時、グラウンドの向こうから別の後輩が走ってきた。


「先輩、次のフリー打撃どうします?」

「おー、今行く!」


 神津は返事をしてから、改めて恋を見る。


「とりあえず資料はちゃんと回すから安心して。会長にもあとで見せとく」

「会長に見せる必要あるんですか、やっぱり」

「ある。だって野球部の監督代行だし」

「情報量が多いんですよ」


 神津は笑った。


「まあ今度グラウンド来たら分かるって」

「いや、分かりたくないような」

「見たら多分もっと混乱するけど」

「嫌な予告をありがとうございます」


 神津は「じゃ、またな!」と軽く手を振り、そのまま後輩たちの輪へ戻っていった。


 走り方までスポーツマンだった。


 資料を抱えた後輩がその背中を追いながら、「先輩、確認期限だけは忘れないでください!」と叫んでいる。


「……大丈夫なのかな、体育委員会」


 恋がぽつりと呟くと、その後輩が苦笑した。


「勢いで何とかなってます」

「何ともなってない言い方ですね」

「でも野球だけはすごいんですよね、あの人」

「そこはすごいんだ……」


 恋はグラウンドを後にしながら、まだ頭の中で同じところを回っていた。


 榊原藍が、野球部の監督代行。


 何度想像しても、途中で絵が崩れる。

 生徒会長で、AIで、管理者で、時々妙に距離を詰めてきて、そして何故か野球部の監督代行までやっている。


「……何なんだろう、本当に」


 もう何度目か分からないその呟きを、恋は夕方の風の中へこぼした。


 答えは当然、返ってこなかった。


 生徒会室へ戻るまでの間にも、何度か頭の中で想像してみたが、そもそも藍という存在が野球と同じフレームに入らないのか、自分でもよく分からない。


 そんな状態のまま扉を開けると、生徒会室にはいつも通りの空気があった。


 鶴見秋臣は紙資料を見ている。


 不破廻は端末を前にしながら、半分くらい別のことを考えていそうな顔をしている。


 雪代こよみは記録整理中で、白い髪だけが静かに揺れていた。


 そして榊原藍は、何事もなかったみたいな顔でタブレットを見ていた。


 それがどこか余計に腹立たしい。


 恋は鞄を机へ置くより先に、藍の席へ近づいた。


「藍さん」


 呼ぶと、藍はすぐに顔を上げた。


「お帰りなさい、恋」


 その返答だけでもまだ少し心拍数に悪い。


 けれど今はそれどころではなかった。


「……聞きたいことがあるんですけど」


「予想はついています」


「先読みしないでください」

「神津さんとお会いしたのですね」

「会いました」


 恋はじっと藍を見る。


「監督代行って何ですか」


 間を置かずにそう言うと、藍はほんの少しだけ目を細めた。


「そのままの意味です。監督業を代行しています」

「言葉の意味はわかっています」

「……野球部の監督が不在になったため、現在は私が一時的にその役割を代行しています。名目上は代理で立てている顧問の教師がそのまま監督も兼任という整理をしているため、私としての肩書きとしてはマネージャーですが」

「一時的」

「はい」

「去年から?」

「はい」

「それ、もう一時的って言わないのでは」

「継続中の暫定措置です」

「言い換えただけじゃないですか」


 藍は少しも崩れない。


「監督が蒸発したって聞いたんですけど」


「表現はやや粗いですが、概ね事実です」

「概ね事実なんだ……」


 恋は思わずこめかみを押さえたくなった。


「何で藍さんが引き受けることになるんですか。普通そこ、別の先生とか、外部の人とかじゃないんですか」

 

「本来はそうあるべきです」


「じゃあ何で」


 藍はタブレットを閉じて、静かな声で答える。


「当時、急ぎで代替機能が必要でした。加えて、私は野球部の戦力構成、対戦校の傾向、過去試合データ、校内の運営権限、そのすべてに比較的短時間でアクセス可能でしたので」


「いや、だからって監督代行になる理由になります?」


「合理的ではあります」

「合理的で野球部の監督やらないんですよ普通は」


 横から、不破が面白そうに口を挟んだ。


「でも会長、実際めちゃくちゃ向いてるんだよね。前世でいうと軍師兼宰相みたいな」

「その例え、絶妙に分からないです」


 恋が即座に切ると、不破は楽しそうに肩をすくめた。


「でも近いって」

「知らないです」


 藍はその脇道を無視して続ける。


「神津さんは、競技理解は高いのですが、情報整理と継続的な采配の最適化にやや難があります」

「やや、なんだ」

「かなり、と表現すると失礼ですので」

「そこ気遣うんですね」


「ただし、主将としての牽引力は本物です」


 藍の声は落ち着いていた。


「ですので、私は不足している部分だけを補っています」

「それが監督代行なんですね」

「はい」


 恋はしばらく黙った。


 説明としては分かる。


 分かるのだが、分かったところで『榊原藍が野球部の監督代行をしている』という絵面の異常さまでは消えない。


 鶴見が紙から顔も上げずに言う。


「最初は全員そうだった」

「やっぱりそうなんですね」

「だが、三分で慣れる」

「三分で?」

「采配が始まると見た目の違和感より中身の怖さが勝つから」


 中身の怖さ。


 その表現に、恋は少しだけ納得してしまった。


 藍がベンチで静かに「その配球では打たれます」とか言っている姿は、確かにちょっと想像できる。したくないが、できる。


「あと、神津先輩が『今度グラウンド来たら分かる』って言ってたんですけど」


「ええ」


 藍はあっさり頷いた。


「再来週の土曜日、練習試合があります」


「……あるんですね」


「あります」


「何でそこでそんな嬉しそうでもなさそうでもない顔できるんですか」


「平常です」


 本当に平常だった。


 藍は少しだけ首を傾げる。


「恋も来てみますか」


 あまりにも自然な誘い方で、恋は一瞬だけ聞き流しかけた。


「……は?」


「練習試合です」


「それは分かります」

「でしたら話は早いですね」

「早くないです」


 恋は思わず身を乗り出した。


「私が行くんですか?」

「はい。見学として」


「何で」


「監査等委員長として各委員会・各部活動との接続状況を知っておくのは有益です」

「今それっぽい理由つけましたよね」

「半分は事実です」

「もう半分は何なんですか」


 藍はほんの少しだけ目を細めた。


「あなたが混乱している原因を、実物で解消した方が早いかと思いまして」

「……それは」

「事実ですね」

「否定できませんけど」


 ぐうの音も出ない。


 確かに、頭の中で想像して永遠に困惑し続けるよりは、実物を見た方が早いのかもしれない。


 いや、でも。


「練習試合って、普通に野球の試合ですよね」

「はい」

「私は野球詳しくないんですけど」

「問題ありません。詳しい方が珍しいです」

「いきなり知らないやつが参加しても、野球部に失礼では」

「部長の神津さんは競技人口の拡大を歓迎するタイプですので」

「答えになってるようでなってない……」


 不破がまた横から言う。


「行けばいいじゃん。会長、ベンチだとちょっと面白いよ」

「面白いって言い方」

「だって本人は大真面目なのに、見た目の情報量が多いし」

「それ、すごく分かる気がして嫌です」


「あと神津がすげえ神妙な顔で指示聞いてるのも面白い」

「やめてください、余計見たくなるじゃないですか」


 藍は恋の反応を静かに見ていたが、急かすことはしなかった。


「もちろん、強制ではありません」


「……そう言いながら、来る前提の目してません?」


「来る可能性が高いと見ています」

「やっぱり」

「ただし、最終判断は恋にお任せします」


 そこまで言われると、逆に断りづらい。


 いや、断りづらい以前に、もうだいぶ見たくなってしまっている自分がいた。


 見たいというか、確認したいというか。


 そしてそれを見たとき、自分がどんな顔をするのか。


「……何時ですか」


 気づけば、そう聞いていた。


 藍はわずかに頷く。


「再来週の土曜日の午前です。詳細は後で共有します」

「行くってまだ言ってないんですけど」

「ですが、今の質問は前向きな検討に分類できます」

「分類しないでください」


 藍はほんの少しだけ、声を柔らかくした。


「気負わなくて結構です。見学ですので」

「その『見学』に藍さんがいる時点で気軽じゃないんですよ」

「そうでしょうか」

「そうです」


 少しの沈黙のあと、恋はため息をついた。


「……分かりました。行きます」


「承知しました」


 藍は本当にそれだけ言った。


 もっと何か言うかと思ったのに、あまりにも淡々と受理されて、恋は逆に拍子抜けする。


「それだけですか」

「何がでしょう」

「いや、その……来るなら嬉しいです、とか」


 言ってから、自分で何を言っているんだと思った。


 恋は一瞬で顔をしかめる。


「今のはなしです」

「いいえ」


 藍は静かなまま答えた。


「来ていただけるのは、私としてもありがたいです」


 その返答は、あまりにも真っ直ぐだった。


 飾らない。妙に取り繕わない。だからこそ、余計に困る。


「……そうですか」


「はい」


 藍はそこで少しだけ間を置いて、続けた。


「恋が野球にどのような感想を持つか、少し興味もあります」

「やっぱり最後はそこなんですね」

「否定はしません」

「本当にそういうところですよ……」


 恋は小さく息を吐いた。


 土曜日。


 練習試合。


 まだ想像はうまくできない。


 できないが、見ればたぶん、またひとつ自分の中の前提が崩れるのだろうという予感だけはあった。

神津晶(かみつ あきら)

青葉第二高等学校 2年生 野球部主将兼体育委員会委員長

青葉第二高等学校野球部主将兼4番兼エース、神津家次男坊

身長:175 cm、体重:67 kg

風貌:黒髪、短髪、だいたいユニフォーム着ている

性格:どうやって青葉第二に入学できたのか分からないと言われるほどの野球バカ

趣味:野球

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