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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第2章 機械仕掛けの親友
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第17話

 恋と光里は、路地の陰に座り込んでいた。


 こよみが男たちの前に立ちはだかってから数分は経ったが、いまだに自分たちを追いかける足音は聞こえてこない。おそらくこよみが制圧したのだろう。二人は狭い路地の壁に背を預けて、隣同士で座っていた。


 しばらく、どちらも何も言わなかった。


 恋の手は、まだ少し震えていた。銃口を向けられた時の恐怖が、身体から抜けきっていない。


 光里は膝を抱えていた。顔が見えない。金色の髪が垂れて、表情を隠している。


 最初に口を開いたのは、光里だった。


「……ごめん」


 くぐもった声だった。


「ごめんね、恋」


「何が」


「全部。隠してたこと。巻き込んだこと。こんなの見せたこと」


 光里が顔を上げた。


 目が赤い。泣いたのか、泣きそうなのか、恋には判別がつかなかった。


「私ね、ずっと知ってたの。自分が普通じゃないって」


「……」


「去年、事故に遭って、重傷で、それで……何かされた。詳しいことは分からない。分からないけど、目が覚めた時には、もう前と同じ身体じゃなかった」


 光里の声は、いつもの明るさが全部剥がれ落ちていた。


「力が強い。反応が速い。ぶつけても痣ができない。撃たれても……今みたいに、平気」


 最後の言葉で、光里の声が震えた。


「そんなの、人間じゃないでしょ」


 恋は黙って聞いていた。


「恋の隣にいる時だけ、忘れられたの。私が何なのかを。恋は私のこと、普通に友達だと思ってくれてたから。それがどれだけ嬉しかったか」


 光里の目から、涙が一筋落ちた。


「でももう無理。恋に知られた。こんな姿を見られた。もう、一緒にはいられない」


「何で」


 恋が言った。


 静かな声だった。


「何で、一緒にいられないの」


「だって——」


「さっき、私を庇ったでしょ」


 光里が息を呑む。


「撃たれるって分かって、私の前に立ったでしょ。弾が当たっても、まず私に”走って”って言ったでしょ」


「それは」


「それは何。普通の人間じゃないからできたって言いたいの」


「……そう、だよ。普通の人間じゃないから——」


「違う」


 恋の声が、はっきりと割って入った。


「普通の人間じゃなくても、咄嗟に人を庇えるかどうかは別の話でしょ」


 光里が目を見開いた。


 恋は光里をまっすぐ見ていた。


 目が少し赤い。恋も泣きそうだったのかもしれない。けれど泣いてはいない。


「幼馴染を舐めないでよ」


 その一言は、恋の声にしては珍しく、強かった。


「光里の身体が普通じゃないことくらい、もう分かってる。昨日から分かりかけてた。金属箱を片手で受け止めて、手に傷もなくて、あの重さなのに平気な顔してた。おかしいって思ったよ。思ったけど——」


 恋は一度息を吸った。


「でも、それで光里が光里じゃなくなるわけじゃないでしょ」


 光里が唇を噛む。


「恋。私は——」


「光里は光里でしょ」


 遮った。


「うるさくて、距離が近くて、勝手に卵焼き食べて、すぐ人の予定に割り込んでくる。そういう光里は全部本物でしょ。身体の中に何が入ってようが関係ない」


「でも隠してた。ずっと——」


「知ってる。怒ってるよ、それは」


 恋の声が少しだけ震えた。


「隠されてたのは悔しいし、信じてもらえなかったのかと思うと腹が立つ。でもね」


 恋は光里の方へ少しだけ身を寄せた。


「光里が隠してた理由も、何となく分かるから。一緒にいられなくなるって、ずっと怖かったんでしょ」


 光里の涙が、また落ちた。


「……怖かった」


「でしょうね」


「ずっと、ずっと怖かった。恋に嫌われるのが。気味悪がられるのが。友達じゃいられなくなるのが」


「なんないよ」


 恋はぶっきらぼうに言った。


「ならないから。友達は友達。光里が人間じゃなくても、そんなので変わるような付き合いしてないでしょ、私たち」


 光里が、ぐしゃりと顔を歪めた。


 泣いていた。声を殺して、肩を震わせて、子どもみたいに泣いていた。


 恋は何も言わなかった。


 ただ隣に座って、光里の肩が震えるのを感じていた。


 路地の向こうで、こよみが静かに立っている事に気がついた。金槌は折りたたまれ、ライフルはジャケットの下に戻されていた。いつもの雪代こよみの姿に戻っている。


 こよみの青い瞳が、一瞬だけ恋と光里を見た。


 その目に何があったのか、恋には分からなかった。けれど、少なくとも、すぐに割って入ろうとはしなかった。


 光里が泣き止むまで、少し時間がかかった。


 やがて、鼻をすすりながら、光里が掠れた声で言った。


「……恋」


「何」


「ほんとに、いいの」


「何が」


「こんな私で」


 恋は少しだけ考えた。


「こんな光里しか知らないから、比較対象がない」


「……何その返し」


「事実」


「ひどい」


「光里がひどいこと言うから同じくらいひどく返した」


 光里が泣き笑いの顔をした。


 その顔は、ぐしゃぐしゃで、鼻が赤くて、全然綺麗じゃなかった。


 けれど、それが一番、光里だった。


「帰ろう」


 恋が立ち上がる。


 光里に手を差し出した。


「明日も学校だし」


「……うん」


 光里はその手を取った。


 握り返す力が、やっぱり少しだけ人間とは違った。


 でも、温かかった。


 *


 その夜。


 雪代こよみは、生徒会室の別室で通信を繋いでいた。


 モニターには何も映っていない。音声だけの通話だ。


「藍様。現場の処理が完了しました」


『ご苦労様です。桜川さんと古角さんは』


「桜川さんのご自宅まで見届けました。古角さんも同伴で、桜川さんが送り届けたようです。二人とも身体的な怪我はありません」


『そうですか』


 藍の声は静かだった。


「回収した端末の解析結果ですが」


 こよみは手元の画面に視線を落とす。


「四名はいずれも末端の実行要員です。古角さんの正体については知らされていません。“女子高生を一人確保しろ”という依頼のみで動いています」


『雇い主は』


「通信履歴と送金経路から、特定できました。予想通り、旧replica関係者による法人格です」


 こよみは一連のデータを読み上げた。企業名。個人名。所在地。連絡先。資金の流れ。依頼の時系列。


 全部で三十秒ほどの報告だった。


 藍は黙って聞いていた。


 報告が終わると、数秒の沈黙が落ちた。


『こよみ』


「はい」


『排除してください』


 短い指示だった。


 穏やかでも、冷たくもない。ただ、そこに一切の迷いがなかった。


「対象の範囲は」


『雇い主と、その直接的な指揮系統。古角さんに再び手が届かない状態にしてください。手段は任せます』


「承知しました」


 こよみは頷いた。


「なお、排除の定義ですが」


『物理的な排除は当然として。まずは情報的に潰してください。資金、通信、関係者への警告。再起不能にできれば、それで構いません』


「了解しました。明朝までに第一段階を完了させます」


『お願いします』


 通信が切れた。


 こよみは端末を閉じ、暗い別室の中で静かに立ち上がった。


 窓の外は完全に夜だった。


 校庭の照明だけが、白い光を地面に落としている。


 こよみは一度だけ、窓の外を見た。


 桜川恋が古角光里の手を取って立ち上がった瞬間を、こよみは見ていた。あの路地の陰で、ぐしゃぐしゃに泣く光里の隣に、恋がただ座っていた光景を。


 桜川さんは、古角さんを見捨てない方です。


 かつて藍にそう報告したことがある。


 その予測は、正確だった。


 こよみは窓から目を離し、別室を出た。

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