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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第8章 魔法少女と終わりの蝕
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第109話 Let The Magic Flow

 休憩を挟み、恋は屋上の中央へ戻った。指先から魔力を放ち、障壁を作り、空中へ一歩踏み出すところまではできるようになったが、どれも余裕を持って扱えるとは言い難い。

 白金色の杖を握る右手にはまだ疲れが残り、少し力を込めるだけで環の内側へ淡い光が滲んだ。ミレイはそんな恋の正面に立ち、小さな紫色の光を指先へ浮かべている。


「次は、私の魔力の向きを変えてみて」


「障壁で受け止めるんですか?」


「違う。その杖を使うの」


 ミレイは恋の杖の先を指さした。環の内側へ流れ込んだ魔力の進路を変え、別の方向へ逃がしてみるのだという。壁を作って衝撃を受けるより簡単だとは思えなかったが、今までの説明よりも、神器そのものに関わる話らしい。恋は杖を持ち上げ、環をミレイの正面へ向けた。


「吸収するわけでも、消すわけでもないよ。通ってきた分を横へ流すの」


「流す……。跳ね返すのとは違うんですか?」


「跳ね返すこともできるかもしれないけど、最初は向きを少し変えるだけ。力を止めようとしないで」


 ミレイが指を動かすと紫色の小さな弾が恋の右側へ飛んで消え、続けてもう一発が少しゆっくり通過した。恋は目で追いながら、光の後ろに細い尾が伸びていることに気づいた。弾が一つの塊なのか、流れ続けているものなのか、見た目だけではまだ分かりにくい。


「じゃあ、弱く撃つよ。怖かったらすぐ言って」


「……お願いします」


 紫色の光が正面へ飛んできた。恋は環の中心をその進路へ重ね、横へ曲がってほしいと意識する。光は環へ入った瞬間にわずかに傾き、恋の左肩から離れた方向へ抜けていった。勢いはほとんど落ちていないのに、進む先だけが変わっている。


「……あ、できた?」


「うん。今のは成功」


 思いがけず簡単に返事が来たので、恋は環を見下ろした。障壁を作る時は自分の魔力がどこまで広がったのか曖昧だったのに、今は入ってきた光と、そこから出ていく光の位置をはっきり感じられた。流れに触れたのはほんの一瞬だったが、次も同じようにできそうな気がする。


「もう一回お願いします」


「いいよ。今度は少し位置を変えるね」


 二発目は最初より左寄りに飛んできた。恋は杖を動かすのが遅れ、紫色の光の端だけを環へ通してしまう。先端は斜めへ曲がったものの、残った光はそのまま進み、恋の肩すれすれを横切った。後ろにいたこよみが一歩踏み出すより早く、ミレイが指を閉じて残りの魔力を消した。


「うわっ! 今の、危なくないですか?」


「弱い弾だから大丈夫。でも、失敗したところは分かった?」


「杖がずれました……」


「それもある。最初に触れたところだけ曲げて、後ろから続いてる分を見失ってた」


 ミレイは指先で細い線を描くように魔力を伸ばした。今度は弾ではなく、紫色の光が途切れず空中を流れている。恋が環を重ねると、先頭だけが横へ曲がり、残りはそのまま向かってくる。環の縁がわずかに揺れ、恋は慌てて杖を持ち直した。


「魔力を1つの物体として捉えちゃダメ。流れを意識して」


「……なるほど。水みたいに、流れそのものを曲げる感じ、ですね」


「そう。それならいいと思う」


 恋は呼吸を整え、杖の位置を固定した。紫色の流れが環へ入るたびに、通過する方向だけを少し左へずらしていく。最初は細かく震えていた光が、やがて滑らかな弧を描いて伸びるようになった。ミレイが指を動かしても、今度は流れの端を見失わずに追えた。


「……できてますよね?」


「うん。レン、これは結構得意かも」


「本当ですか?」


「少なくとも、魔力そのものの制御よりはずっと安定してる」


 恋は少し複雑な顔になり、比較対象が先ほど何度も落ちかけた足場では、どこまで喜んでよいか分からなかった。それでも褒めてもらえたこと自体は嬉しく、光が消えても手のひらに残る感覚を確かめた。ミレイはそこで指先の輝きを少し強める。


「出力、少し上げるね」


「本当に少しだけでお願いします」


 紫色の流れが太くなった途端、杖を持つ腕へ重さがかかった。何かを押されているわけではないのに、環へ通る魔力に手首を引っ張られるような感覚がある。恋は反射的に身体を踏ん張らせたが、それにつられて自分の魔力まで増え、環の縁が強く明滅した。横へ逃がしていた流れの一部が正面へ膨らみかける。


「レン、止めようとしないで。そのまま横へ」


「っ……分かって、ます……!」


 言葉とは裏腹に、肩は固くなっていた。恋はミレイの声に合わせて息を吐き、向かってくる光を一つの大きな塊として考えるのをやめる。環を通る端から少しずつ向きを変えると、腕を押すような感覚がわずかに弱まった。しかし、すぐに礼装の袖にも細い光が走り始める。


「ミレイさん。そこで止めてください」


 藍の声が飛ぶと同時に、紫色の流れが細くなって消えた。恋は腕を下ろし、熱の残る手首を反対の手で押さえる。袖へ走っていた光も消えており、皮膚に傷がないことを確かめてようやく息を吐いた。少し離れた藍は端末を見つめ、普段より一拍早い調子で記録を閉じていた。


「今のは限界ですか?」


「正確な限界値は未確定です。ただし、礼装への負荷が急激に増加しました」


「まだ全然弱くしてたんだけどね」


「……それ、今聞きたくなかったです」


 恋が苦笑すると、ミレイは指先の残光を消して腕を組んだ。いつもの軽い口調に戻ってはいたが、次の攻撃を準備する様子はない。恋は杖の環へ目を向け、魔力を横へ逃がすだけでも身体へ負担がかかることを思い返した。できることが増えても、受け止めてよい量まで増えたわけではないらしい。


「レンの力は、相手の魔力を何でも消せるものじゃないよ。通ってくる流れに干渉して、進む方向を変える力」


「……それなら、強い魔法は横へ流せばいいんですよね?」


「できる範囲ならね。大きすぎる力を無理に曲げようとすると、先にレンの礼装が壊れる」


 ミレイは恋の袖を指さした。さっき光が走ったところには何も残っていないが、その瞬間に腕の奥まで熱が伝わったことは覚えている。礼装で守りきれなければ、次は身体そのものへ負担がかかるという説明に、恋は杖を握る力を少し緩めた。


「つまり何でも返せる、ってわけじゃないんですね」


「うん。避けられるなら避けた方がいい。無理に受け止めるのが一番危ない」


 藍もその言葉に頷いた。恋が実際に扱える魔力量と、環へ流れ込む魔力の大きさは区別して考える必要があるらしい。説明は分かっても、相手の攻撃を見た瞬間にどちらを選ぶべきか判断できる自信はない。この前の麗奈が相手なら、迷っているうちに距離を詰められてしまいそうだった。


「でも、レンの能力にはもう一つ面白いところがあるよ」


「……面白いところ?」


 ミレイの指先に浮かんだ紫色の模様にはいくつかの線が環を描き、その中を光が順番に巡っていた。模様の中央へ光が集まると、豆粒ほどの明かりが生まれた。恋はそれを覗き込み、さっきの魔力弾とは違って、完成するまでにいくつもの動きがあることに気づいた。


「魔法を作る時も、魔力の流れる順番や向きが重要。もしその一部をずらせたら、完成する形も変わるかもしれない」


「相手の魔法そのものを変えられる、ということですか?」


「理屈の上ではね。だけど、どこに触れたらいいか分からなければ、ただ魔力に押されるだけだよ」


 恋は小さな模様をもう一度見た。光が動く順番まで読み取ることなど、今の自分には到底できそうにない。けれど相手の魔力の進む方向だけは、先ほどほんの少し変えられた。あの感覚をもっと正確に扱えれば、攻撃を防ぐ以外にもできることがあるのかもしれない。


「……術式を解除することも、できるんでしょうか」


「可能性はあるよ。でも、今はまだ考えなくていい。流れの途中を触るだけでも難しいから」


「ですよね……」


 ミレイは小さな模様を消し、恋の周囲へ視線を巡らせた。障壁を作った位置と、先ほど足場が崩れた場所を確かめるように歩き、屋上の中央へ戻ってくる。恋は何をさせられるのか察しかけ、杖を胸元へ引いた。


「じゃあ次。障壁を使いながら、もう一度軌道を変えてみよう」


「……同時に、ですか?」


「弱い魔力でやるから。実戦なら、一つ終わるまで待ってくれないよ」


 恋は端へ置いた水筒を見た。さっきから何度も息を整えたつもりなのに、喉はまだ乾いている。藍が休憩を挟むよう促したので、まず水を飲んでから位置へ戻った。こよみは斜め後ろへ立ち、転倒した時に肩を受け止められる距離を確かめている。


「最初は障壁だけ。その後で軌道変更を足すよ」


「はい。お願いします」


 恋は左前方へ小さな障壁を作り、右手の杖は正面に向けた。ミレイが放った一発目は障壁へ当たり、恋の腕へ鈍い衝撃を残して消える。続く二発目を環へ通して右側へ逃がそうとすると、障壁の端が急に薄くなった。三発目が来る前にそれを立て直そうとして、今度は杖の光まで消してしまう。


「……どっちも消えました」


「両方を意識して、どっちつかずになってるね。次は、障壁を作ったら形だけ保ってみて」


 二度目は障壁を残せても環へ意識を移した途端に左側が薄くなり、三度目には二つを保てたものの、足元を動かそうとして魔力の向きを乱してしまった。恋は何度も失敗し、障壁と環のどちらへ注意を置けばよいか分からなくなってきた。それでもミレイはその都度、崩れた場所だけを指摘した。


「じゃあ、もう一つ。足元へ小さな足場を作ってみよう」


「まだ増やすんですか……」


「一歩だけ。無理ならすぐ止めるよ」


 恋は左前方の障壁を保ち、正面から来た弱い魔力を環で横へ流した。次に足元へ光の板を作り、一歩だけ踏み出す。そこまではどうにかできたが、二枚目を出す時には障壁の端が震え、環の方まで光が薄くなった。恋はどちらも崩さないようにしながら、前方へ足を伸ばした。


 右足が足場の端を踏んだ。靴底が滑り、体重を戻そうとした動きにつられて板そのものが傾く。恋は咄嗟に下へもう一枚作ったが、思ったより低く、足を乗せる前に身体が横へ落ちた。こよみが手を伸ばしたものの、勢いがついていたため腕を受け止める位置が合わず、恋は屋上の床へ肩から転がった。


「いたた……」


 こよみがすぐに膝をつき、恋の肩と腕の動きを確かめた。関節に異常はなく、礼装にも目立つ損傷はないという。恋は起き上がろうとして一度諦め、仰向けのまま空を見上げた。ミレイの結界越しでも空の色は変わらず、遠い雲がゆっくり流れていた。


 昨日よりは立てるし、魔力の光を出せるようにもなった。障壁で弱い攻撃を受け、足場の上へ一歩進み、魔力の向きを少しだけ変えることもできる。けれど三つを同時に使おうとした途端、今のように転んでしまう。星風麗奈があの路地で見せた動きとは、比べようもない距離があった。


「レン」


 視界の端へ、ミレイの顔が入ってきた。先ほどまでの軽い笑みはなく、腕を組んで恋を見下ろしている。恋が顔を向けると、ミレイは少し間を置いてから尋ねた。


「……本当に行くの?」


 恋はすぐには答えられなかった。床へついた肩の鈍い痛みが残り、指先にも疲れが溜まっている。今できることを数えても、麗奈と向き合うだけの力には到底思えない。ミレイの問いを聞いた途端、その事実が改めて重く感じられた。


「……そのために、私が選んだので」


 恋は床へ手をつき、ゆっくり身体を起こした。ミレイはしばらくこちらを見ていたが、何かを言い足す代わりに手を差し出す。恋はそれを取り、右肩を気にしながら立ち上がった。藍もこよみも何も言わず、恋が自分で杖を持ち直すのを待っていた。


「そっか。じゃあ、続けようか」


「……少し休んでからでもいいですか」


「もちろん。肩も打ったしね」


 ミレイが頷くと恋は屋上の端へ戻って水を飲み、隣の計測端末に残った障壁の維持時間や足場の位置、軌道変更の成功回数へ目を向けた。ちらりと覗いてみても、失敗を示す項目の方がずっと多い。恋は画面から目を離し、自分の指先を軽く開いた。


「……一つずつ、ですよね」


「はい。現在はそれぞれの操作を安定させることが先決です。複数を組み合わせる訓練も、負荷を確認しながら進めます」


 藍は端末を閉じて恋の方を見た。昨日の夜、魔法少女になると決めた時には、その選択がどれほど大変なものなのか分かっていなかった。今も十分には分からないが、一つできることが増えるたび、次にできないことが見つかっている。だからこそ、目の前の課題を飛ばして先へ進むことはできそうになかった。


「ミレイさん、もう一回お願いします」


「うん。今度は軌道変更を中心にいくよ」


 ミレイの指先へ紫色の光が集まった。こよみが少し離れた位置へ移動し、藍は新しい記録を開始する。恋は白金色の環を正面へ構え、流れ込んでくる魔力の先頭だけでなく、その後ろに続く細い光まで見失わないように目を凝らした。


 昨日なら正面へ立つだけで精一杯だったことを思い出しながら、今度は自分の意思で杖を握り直した。

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