第108話 Magical Girl Crash Course
翌日の放課後、恋たちは校舎裏の渡り廊下でミレイを待っていた。西日に照らされた植え込みの向こうでは運動部員が道具を運び、授業を終えた生徒たちが校門へ向かっている。
恋は鞄の持ち手を握り直し、すぐ隣に立つ藍を見上げた。昨日までまともに立てなかった魔法少女が、今日から訓練を受けるのだと思うと、まだ他人事のようだった。
「待たせた?」
声の方を見ると、ミレイが校舎の角から姿を現した。恋が事情を説明しようとすると、藍が先に昨日の契約と、魔力操作の指導が必要になった経緯を簡潔に伝える。ミレイは途中で一度も遮らずに聞き、話が終わるとあっさり頷いた。
「レンが必要としてるなら、いいよ。あなたたちには借りもあるし」
「……いいんですか? かなり急なお願いなんですけど」
「うん。今日は時間もあるから」
ミレイはそう言って、妙に機嫌よく笑った。普段なら頼み事など翔真との用事があれば後回しにしてきそうな相手が、今日は進んで引き受けてくれている。恋は藍と顔を見合わせたが、彼女は何も言わず、少し離れたこよみも表情を変えなかった。
「……何か、最近いいことでもあったんですか?」
「昨日、ちょっとショーマとね」
「翔真さんと?」
「うん。まあ、色々」
それだけ言ってミレイが口元を緩め、視線を逸らしたので、恋は二秒ほど考えて追及をやめた。何があったのか気にはなるが、知らない方がいい事情まで聞くことになりそうな気もする。
ともあれ、機嫌よく教えてもらえるのなら、それに越したことはなかった。
「では、移動しましょう。訓練場所は確保しています」
藍に案内された先は、校舎の屋上だった。ここなら広さはあるものの、周囲の校舎から見下ろされる可能性があり、恋は扉を開けた途端に立ち止まった。外から見れば、学校の屋上に杖を持った魔法少女が現れることになる。昨日より変身に慣れたとはいえ、そんな姿を同級生に見られる覚悟まではできていなかった。
「……本当にここでやるんですか?」
「見られたくないんでしょ。大丈夫、結界で隠すから」
ミレイは屋上の中央へ進み、片手を軽く掲げた。淡い紫色の光が足元から広がり、低い壁もフェンスも越えて、薄い膜となって周囲を包んでいく。光はすぐ透明になり、恋が見上げても普段と変わらない青空しか見えなくなった。向こうのグラウンドから届いていた声も、いつの間にか少し遠くなっている。
「外からの視認を妨げる結界です。音も一定程度遮断されています」
こよみは屋上の端まで歩いて確認すると、出入口の脇に小さな端末を取り付けた。人が階段を上がってきた場合は、扉が開く前に知らせるという。
魔法で姿を隠し、機械で見張るという組み合わせには少し不思議な感じがしたが、恋にとっては何よりありがたかった。これで屋上に出現するコスプレ女みたいな学校の七不思議入りは回避できた。
「これで、もし変なところを見られたらどうしようって心配は減りました」
「転んだり失敗したりするところは、私たちには見えるけどね」
「ミレイさん、今それを言わなくても……」
恋が抗議してもミレイは楽しそうに笑い、藍は屋上の端へ計測用の端末を置いた。こよみは恋から数歩離れた場所に立つ。二人とも、魔力が暴走したり転倒したりした時に介入できるよう準備しているらしい。恋は胸の奥に残る魔力を意識し、杖を手にした白い礼装へ姿を変えた。
裾へ白金色の模様が浮かび、見慣れた制服が光の中へ隠れていく。変身そのものは昨日より滑らかに済み、杖を握っただけで身体が大きく傾くこともなかった。
けれど一歩前へ出ると、足元から微かな揺らぎが伝わってくる。普通に歩けるようになっただけで、魔力を使いこなせるようになったわけではないらしい。
「じゃあ、始めようか。昨日まで魔力を扱ったことのない素人が、すぐ使いこなせるとは思わないでね」
「それはもう、身をもって分かりました」
「立つのも難しかったんだって?」
「……藍さん」
「指導者への事前情報として共有しました」
「その情報、もう少し言い方がありませんでした?」
「事実を歪曲できない性分なので」
藍は悪びれずに端末を起動した。恋が何か言い足す前に、ミレイが一歩近づいて目の前へ立つ。先ほどまでの軽い笑い方はそのままだが、恋の杖と足の位置を確かめる視線は真剣だった。
「まず、魔力を手から出してみて」
「……出す、ですか?」
「昨日は勝手に漏れたんでしょ。それを今度は自分でやるの」
恋は右手を前へ出し、胸の奥に残る奇妙な感覚を探った。契約した直後ほど強くはないが、呼吸とも脈とも違う流れが身体の中にあるのは分かる。腕へ向かって押し出すつもりで肩に力を入れたものの、指先は何も変わらなかった。もう一度強く意識してみても、やはり光は出ない。
「……出ません」
「今、胸のところへ魔力を集めようとしたでしょ」
「分かるんですか?」
「それくらいはね。集めなくていいよ。もう腕まで流れてるから」
ミレイは人差し指を立て、その先に小さな紫色の光を灯した。火花ほどの明かりなのに、揺れもせず同じ大きさを保っている。恋が顔を近づけると、光は指の動きに合わせて滑らかに移動した。
「力ずくで押し出すんじゃなくて、もう流れてるものを外へ通す感じ」
「……その感じが、まだよく分からないです」
「だったら、手を握らないで。指先まで固くしてるから」
恋は開いた手の指を一本ずつ緩め、肩から力を抜いた。胸元へ何かを集めようとするのもやめ、手のひらへ流れている感覚だけを追う。すると指先の間から、ほんの細い白い光が漏れた。思わず声を上げた途端、それが膨らんで腕の周囲へ散ってしまった。
「わっ、止まらない……!」
「息を吐いて。出そうとした時の力を抜いてみて」
恋は慌てて腕を引きかけ、ミレイの声で踏みとどまった。指を固めず、呼吸を整えると、散っていた光が少しずつ薄くなる。最後には何も残らなくなり、恋は自分の手がちゃんと元の手であることを確かめるように裏返した。こよみが一歩踏み出しかけていたが、危険がなくなったと見ると元の位置へ戻った。
「今のは……?」
「失敗。でも、出せたのは進歩だよ。次は増やしすぎないこと」
「喜んでいいのか、反省した方がいいのか……」
「両方でいいんじゃない?」
そこからは同じ動作を何度も繰り返した。出そうとすると何も起こらず、力を抜いたつもりになると今度は光が膨らむ。指を動かせば魔力まで揺れ、息を止めれば出力が細くなる。手の上に小さな明かりを保つだけなのに、考えることがいくつもあった。
「腕を上げる力と、魔力を出す力を一緒にしないで」
「別々にしてるつもりなんですけど……」
「肩が動くたび、魔力も増えてるよ」
「……難しいです」
「最初から簡単なら、私が呼ばれてないでしょ」
何度目かの挑戦で、ようやく白い光が手のひらの上へ留まった。恋は呼吸を続けたまま指を少し動かし、光が膨らまないことを確かめる。三秒、四秒と保ってから、今度は自分の意思で細くして消すことができた。手を下ろした途端、肩に入っていた余計な力まで一緒に抜けた。
「できた……!」
「うん。今のはよかった」
「魔力の出力が安定しました。ただし、ほかの動作と併用した場合は未確認です」
「藍さん、今くらいは素直に喜ばせてください……」
恋が口を尖らせても藍は首を傾げるだけで、端末には先ほどまでの大きな振れ幅が小さくなった数値が並んでいた。小さな成功ではあっても、昨日は何も分からないまま光を撒き散らしていたことを思えば、少しは前へ進めたらしい。恋は一度手を握って開き、さっきの感覚を忘れないようにした。
「じゃあ、次は障壁を作ってみよう」
「もう次ですか?」
「時間、あまりないんでしょ。いいからやってみよう」
ミレイは数歩離れて正面に立った。恋の杖の先にある白金色の環を指さし、そこへ魔力を通して自分の前に一枚の壁を作るよう促す。無理に全身を覆う必要はなく、胸から膝までが隠れる程度でいいという。恋は言われた範囲へ杖を向け、平らな面を思い浮かべた。
光の縁が空中へ現れ、内側へ薄い膜が張った。右側だけ少し高く、表面も波打っているが、手から光を出した時ほど不安定ではない。恋がそっと手を動かすと、障壁も同じ方向へ傾いた。自分で作ったものなのに、何となく頼りなく見える。
「……できた、かも」
「形はね。じゃあ、受けてみようか」
「え、受けるって――」
ミレイの指先から、豆粒ほどの紫色の光が飛んできた。正面から障壁に当たると、表面がたわみ、杖を握る手から腕へ鈍い衝撃が伝わる。恋は思わず一歩下がり、身体につられて障壁まで斜めに傾けてしまった。紫色の光はその面に沿って横へ滑り、屋上の床へ触れる前に消えた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「今、障壁が傾いたよね」
「押されたので……」
「正面で受けたいなら、真正面に置いたまま。斜めにすれば、当たる力も別の方へ逃げるよ」
「それはそれで、使えそうな気が……」
「狙ってできたならね。今のはただ、よろけただけ」
恋は言い返せず、障壁をいったん消して少し低い位置へ作り直し、ミレイの射撃に合わせて足を前後に開いた。衝撃を受けた瞬間、肩に力が入りすぎて膜が厚くなり、代わりに左側が薄くなってしまった。もう一度直そうとすると右側が歪み、やがて障壁全体がばらばらの光へほどけた。
「恋、一度消してください。形成後の修正で魔力の配分が乱れています」
「ずれたら作り直した方がいいんですか?」
「現時点では、その方が安定します。ただし実戦で同じ時間を確保できるとは限りません」
「……それもそうですよね」
藍の助言に従い、恋は障壁を一枚ずつ作り直した。踏ん張るために膝を曲げても、膜を厚くしすぎないように意識する。何度か続けるうちに、正面から弱い魔力弾を受ける程度なら、大きく形を崩さず耐えられるようになった。衝撃を受けるたびに腕は痺れたが、少なくとも最初のように後ろへ下がることはなくなった。
「うん。じゃあ次は、空中足場」
「まだ増えるんですか……」
「障壁を横向きにするようなものだよ。まず低い位置で試そう」
恋は膝の少し下へ、小さな光の板を作った。障壁よりずっと狭いので、輪郭は比較的整いやすい。空中に浮いているものへ本当に乗れるのか疑わしかったが、ミレイは自分の靴先でその表面を軽く叩いて見せた。板は揺れず、硬い音に似た小さな響きだけが返った。
「乗ってみて」
「……崩れたらどうするんですか?」
「すぐ下は床。コヨミもそばにいるから」
「桜川さんの転倒時には、私が介入します」
こよみは恋の斜め後ろへ移動し、腕を伸ばせる位置に立った。恋はまず右足を乗せ、硬い抵抗が返ってくることを確かめる。少しずつ体重を移し、左足も地面から浮かせた。数十センチとはいえ両足が宙へ離れた瞬間、胸のあたりがふわりと軽くなった。
「……乗れました!」
「そのまま姿勢を保って」
返事をしようとして身体が傾いた。恋は慌てて右足へ力を入れたが、その動きに合わせて足場の右側まで沈んでしまう。光の板が滑り台のように斜めになり、靴底がずれた。床へ尻餅をつく前に、こよみの手が恋の肘を掴んだ。
「ありがとうございます……」
「足場と身体を同時に傾けたことが原因です」
「踏ん張ったつもりだったんですけど」
「その踏ん張りが、魔力の出力にも出たんだよ」
ミレイに言われて足場を作り直しながら、身体を動かす力と魔力を流す感覚を切り分けるのはここでも同じらしいと恋は思った。二度目は乗るところまでできたが、数秒後に板が薄くなり、三度目は左右の重心を直そうとして形を崩した。四度目になって、ようやく片足ずつ乗せたまま、十秒ほど立ち続けられた。
「じゃあ、次の一枚を少し前へ。そっちへ移ってみて」
「歩くんですか、この上を?」
「一歩だけでいいよ」
恋は目の前へ二枚目を作り、右足を踏み出した。最初の足場を残したまま移ると、二枚目の光が一瞬薄くなり、反射的に杖を握り込む。どうにか両足を移せたものの、後ろに残した一枚目がまだ空中へ浮かんでいた。消すことを考えた途端、立っている二枚目まで揺れ、恋は慌てて屋上へ飛び降りた。
着地はしたが、勢いを殺しきれず二歩ほど前へよろめいた。こよみが動きかけたところで踏みとどまり、恋は膝に手をついて息を整える。たった一歩でも、足場を作ること、残すこと、消すこと、着地することが一度に押し寄せてくる。
昨日は立つのがやっとだった自分にとっては進歩なのだろうが、これで屋根から屋根へ飛び移れるとは到底思えなかった。
「……できたことにしてもらえませんか、今の」
「一歩だけならね。着地まで含めるなら、まだ練習が必要かな」
「ですよね……」
ミレイは恋の足元へ視線を向け、少し考えるように顎へ指を当てた。障壁も空中足場も、形を作ること自体はできるようになっている。けれど動きながら保とうとすると、身体の力みにつられて魔力まで揺れてしまう。恋はそれをもう一度指摘される前に、自分から杖を持ち直した。
「次も足場ですか?」
「ううん。ここからは、レンの神器が一番得意なことを試そう」
「得意なこと……ですか?」
「うん、さっき精霊にも聞いたんだけど、いわゆるレンの特殊能力だね」
ミレイは指先に紫色の光を灯したが、すぐに消して休憩を促した。さっき障壁へ撃ち込まれた光と似ていても、次は別の使い方をするのだろう。
恋は汗の残る額を袖で拭い、白金色の環を見下ろした。どれもまだ初歩の初歩ではあるが、ミレイの表情を見ると少しだけ次の訓練が気になってきた。




