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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第8章 魔法少女と終わりの蝕
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第102話 The Hunters Become The Hunted

 討伐隊を率いるシェイが異変に気づいたのは、廃工場の敷地へ足を踏み入れて間もなくだった。海に近いこの場所では、夜になっても風が止むことは少ない。

 ところが、割れた窓の向こうでは海風が吹き、天井から垂れた鎖もわずかに揺れているのに、金属同士のぶつかる音が聞こえてこなかった。建物の奥から届くのは自分たちの足音だけで、その静けさがかえって耳に残る。


 シェイは足を止め、後ろに続く三人へ片手を上げた。正面には屋根の半分が崩れた中央棟があり、その右手を太い配管が走り、左手には二階建ての事務棟が接している。

 遮蔽物は多いが、退路になりそうな通路も限られていた。隣接する建物の窓や梁には崩れた箇所もあり、移動の際に足場を選ぶ必要がある。


「ノア、外周は?」


「反応なし。裏手の搬入口まで確認した」


 拘束術式を得意とするノアの返事が、通信端末から聞こえた。彼女はすでに左側の事務棟へ移動し、崩れた二階の窓から中央棟を見下ろしている。

 シェイは視線を右へ移し、暗い配管の上に伏せた小さな影を探した。声だけで判断するより、本人の姿が確かめられる方がまだ落ち着く。


「ミュウ、そっちは?」


「上から見える範囲に伏兵はいないよ。対象は中央棟に一人だけ」


「セラ、配置は?」


「奥の倉庫屋根。逃げようとしたら背中を取れる」


 右の高所にミュウ、左の事務棟にノア、中央棟の奥にある倉庫屋根へセラ。シェイ自身は手前の搬入口を押さえており、四人で中央の広い作業場を囲む形になっていた。

 目標が上へ逃げてもミュウとセラが追撃し、地上の通路へ走ればノアが足を止める手筈だった。大きな搬出口だけはシェイの背後に残してあるが、そこへ辿り着くには彼女の正面を通らなければならない。


 命令の内容は、出発前に何度も確認していた。星風麗奈を発見し、排除すること。違法に所持している神器を回収し、対象の死亡を確認したうえで撤収すること。


 捕縛や交渉は求められておらず、対象が攻撃をやめても命令の内容は変わらない。そう説明した精霊の声だけが、出発してからもシェイの耳に残っていた。


 中央棟の床には、古い搬送機や切断された鉄骨が転がっていた。その隙間に制服姿の少女が一人立ち、こちらが配置を終えるのを待っていたかのように顔を上げる。

 写真で確認した顔と同じだったが、警戒していた武装した逃亡者の姿とはかけ離れている。薄暗い廃工場より、帰り支度をする放課後の教室にいた方がよほど自然に見える少女だった。


「……ねえ、あの制服」


 ミュウが通信越しに声を落とした。事前の写真で服装までは確認できなかったらしく、その声には思いがけないものを見つけた時の響きがあった。


「青葉第二高校じゃない? あそこ、結構有名な進学校だよね」


「ほんとだ。優等生が一体何やらかしたんだか」


 セラの軽口を聞き、シェイは少女の胸元を見た。確かに見覚えのある紺色の制服で、襟の形も徽章も学校案内で見たものと一致している。だが、それ以上に気になるのは、少女が三人から見下ろされてもまったく身じろぎしないことだった。

 初めて包囲に気づいた者が見せる戸惑いはなく、むしろ視線が自分たちの位置を確かめているように思えた。


「雑談は終わり。全員、私の合図まで動かないで」


 短い返事が三つ返り、通信が静かになった。シェイは長剣を抜き、足元に散った金属片を踏まない位置から作業場の中央へ進んだ。

 麗奈との距離は十数歩ほどで、足元は細かな瓦礫こそ多いが走るには十分な広さがある。踏み込めば剣の間合いに入れるものの、相手の手元に武器が見えないことは、かえって判断を難しくしていた。


「星風麗奈。精霊界からの命令を執行する」


「そう」


 少女はそれだけ答えた。シェイの剣先を見てから、事務棟のノア、配管上のミュウ、倉庫屋根のセラへ順番に目を向ける。

 隠れていた三人の位置を初めから知っていたような視線だった。シェイの指に力が入り、剣の柄に巻かれた革の感触だけが妙にはっきりする。


「抵抗をやめる意思は?」


「これから殺そうとしてくる相手に?」


「……確認だけだ」


「なら、ない」


 返事と同時に、麗奈の制服が淡い光の中へ溶けていった。代わりに現れた魔法少女の礼装は、暗い工場の中でも鮮やかな色を失わず、破れや汚れも見当たらない。

 シェイは右手をわずかに上げ、三人へ開始の合図を送った。立ち会っている全員が彼女を殺すつもりで構えているのに、麗奈だけがまだ両手を下ろしたままだった。


 最初に動いたのは、右上のミュウだった。配管の支柱を背にして魔力弾を撃ち下ろし、麗奈の視線を右へ引きつける。同時に奥のセラが背後の逃げ道へ光刃を降らせ、左側ではノアの拘束帯が床を這って足首へ迫った。


 シェイは正面から距離を詰めた。ミュウの弾を避ければ左へ動くことになり、そこにはノアの帯がある。後ろへ下がればセラの攻撃が待っており、前へ出てくれば自分の剣で迎えられる。


 四人の攻撃が重なる瞬間を選び、シェイは最後の一歩を踏み込んだ。目の前でどの攻撃を避けようとも、いずれかの術式には引っかかるはずだった。


「《Mode: Fenrir》」


 低い声が聞こえると、麗奈の両手に巨大な戦斧が現れた。長い柄と分厚い刃が淡い光をまとい、足元の小さな鉄屑が一斉に跳ねる。

 シェイが突き出した長剣は、その刃が横へ走り始めるのを見て止まった。まともに受ければ自分の剣だけでなく、その後ろにいる仲間まで巻き込まれる。


「散れ!」


 戦斧から広がった青白い斬撃が、作業場を横一文字に薙いだ。シェイは剣を床へ突き立てて防御障壁を張ったが、衝撃に押されて入口側へ滑らされた。配管上のミュウは伏せ、事務棟のノアは窓の奥へ退き、倉庫屋根のセラも梁の陰へ飛び込んだ。


 斬撃は誰にも直撃しなかったが、そのまま奥の搬送機を切り裂いた。鉄製の枠が遅れて崩れ、床へ積まれた鋼材を巻き込んで大きな音を立てる。

 障壁の表面に走った亀裂は、剣を持つ手首の近くまで達していた。シェイは舌の裏が乾くのを感じ、握りを直してから背後に残る搬入口を確認した。


「想定以上の出力を確認! 拘束を優先、第二射は左右から!」


「了解!」


 ノアが事務棟の窓から両手を向け、床と支柱に十二本の光の杭を打ち込んだ。そこを支点として伸びた帯が麗奈の両足と斧の柄に絡み、斧を次に振る方向を制限する。ミュウは配管上を横へ移動して射線を変え、

 セラは倉庫屋根から細い光刃を連続して送り込んだ。双方の攻撃を正面から受け止めようとすれば、麗奈は足元の拘束へ注意を向けられない。


 麗奈が右の魔力弾を戦斧で払った時、左から伸びた拘束帯が柄を引いた。刃の軌道が外へずれ、セラの光刃が麗奈の足元へ突き立つ。シェイはその隙に正面の低い位置へ入り、脇腹へ剣を滑り込ませた。


 刃が礼装に触れる直前、麗奈は腰を強く回した。拘束帯が一斉に張り、床の杭が軋む。斧を横へ振る代わりに柄を自分の身体へ引き寄せたため、拘束帯に張られた力がそのまま引き合う形になった。シェイの剣は柄の下端に弾かれ、狙っていた脇腹の外へ逸れていく。


 衝突の勢いで拘束帯が二本切れ、麗奈は空いた側へ一歩踏み込んだ。近すぎて戦斧の刃を避ける余地はなく、シェイは膝を折って刃の下へ潜る。

 頭上を通り過ぎた斧が後ろの資材置き場を壊し、鉄骨が数本まとめて倒れた。顔へ吹きつける砂埃を腕で払った時には、麗奈はすでに次の目標を見定めていた。


「ミュウ、距離をとって!」


 声に応じてミュウが別の配管へ跳んだ直後、麗奈は斧を頭上へ返して足場の支柱を叩き折った。支えを失った配管が斜めに沈み、古い継ぎ目から白い蒸気が噴き出す。シェイは煙を横切る影を捉え、ミュウへ向かう麗奈の前へ割って入った。ここで配管を崩されれば、ミュウは攻撃位置だけでなく逃げ場まで失ってしまう。


 肩を狙って振り下ろした長剣は、斧の柄で受けられた。麗奈は刃を押し返すのではなく、柄を軸にして石突きを上へ跳ね上げる。配管へ着地しかけていたミュウの腹部にその先端が当たり、彼女の身体が折れ曲がった。


「ミュウ!」


 ミュウは鋼板へ背中を打ちつけ、そのまま落ちかけた。ノアの帯が脇から伸びて肩を捉え、辛うじて配管の上へ引き戻す。彼女が杖を離さなかったのを確認して、シェイは再び麗奈へ向き直った。全員の動きが一瞬でも途切れれば、次は受け流せない攻撃が来るかもしれない。


 奥からセラの光刃が連続して降り、麗奈は一歩下がって戦斧を回した。大半は刃で弾かれたが、一本が左肩の礼装を裂き、露出した肌から血を引いた。傷口を見下ろした麗奈は、そこに指を触れることもなく顔を上げた。思ったより浅かったのか、それとも痛みに構わないつもりなのか、表情からは読み取れない。


「当たった!」


「追い込める。けど、間合いへ入るタイミングを間違えないで!」


 シェイは剣を構え直しながら、麗奈の足と斧の向きを見た。巨大な斧の一撃は速く、受ければ障壁ごと吹き飛ばされる。それでも刃を振り切った直後には柄を戻す動きが必要で、その間だけは別の方向を守れないように見えた。相手が重い武器を持っている限り、そこに突破口があると信じるしかなかった。


「陣形二番。私が前、皆は反対側へ!」


 ミュウが射線をずらすと、麗奈は戦斧を持つ側の肩をそちらへ向けた。シェイが踏み込みかけたところへノアの帯が低く走り、麗奈の足首を引く。僅かに崩れた身体へセラの光刃が降り、麗奈が斧を上げて受けようとした隙に、シェイの長剣が脇腹を掠めた。


 切り込むたびに攻撃役を変え、戦斧の向きを追いかけるのではなく、向けられなかった側を狙う。配管上のミュウも腹を押さえながら魔力弾を撃ち、麗奈の足元へ弾着させた。爆風で浮いた片足をノアの帯が捉え、続けて手首にも光が巻きついた。


「今!」


 ノアの声を聞き、シェイは長剣を両手で握り直した。麗奈の両腕と右脚は床や柱へ繋がれた帯に引かれ、斧を十分に振り上げられない。シェイは正面から突き込み、胸の中心へ切っ先を向けた。ノアが帯を引く力を強めたのが、麗奈の肩の動きで分かった。


 剣が届く寸前、麗奈がこちらを見た。足を引こうとも、身体をよじろうともせず、ただシェイの踏み込みを見ている。その目と視線が合った瞬間、胸の前で戦斧を形作っていた光がほどけた。


「《Mode: Ogre》」


大きな斧が消え、代わりに赤黒い装甲が麗奈の腕と胴を覆った。同時に重い巨槌が現れ、麗奈がその柄を握ると、足元の床が体重を受けたように浅く割れた。シェイの剣先は胸部装甲に突き当たり、甲高い音を残して止まった。


「別の神器……!?」


「そんなことできるの!?」


「ッ、違法神器を持ってるくらいなら、それくらいできるってことか!」


 契約によって与えられる神器は、通常一人につき一つのはずだった。あの戦斧だけで手に余るのに、性質の違う武器まで現れるとは聞かされていない。

 シェイは長剣へさらに力を込めたが、先ほどまで薄い礼装だった場所はびくともしない。背後からノアが拘束帯を引き絞り、硬くなった装甲の上へ光を食い込ませた。


「シェイ、その位置で押さえて!」


「ミュウ、セラ、撃って!」


 右上からの魔力弾と奥からの光刃がほぼ同時に殺到した。シェイは剣の先に障壁を重ね、至近距離からの爆風に備える。閃光が麗奈を包み、窓ガラスと天井の破片が雨のように落ちた。ノアの拘束が途切れない間に全員の攻撃を重ねられたことだけは、間違いなく予定どおりだった。


 押し返されたシェイは床を滑り、折れた支柱へ背中をぶつけて止まった。煙の向こうには赤黒い装甲が残っており、光の帯が何本も巻きついている。

 麗奈は両膝を少し曲げていたものの、受けた攻撃で倒れる様子はなかった。シェイが深く切り込もうとしても通らなかった装甲には、目立つ亀裂さえ見つけられない。


「ノア、拘束を切って! 支点ごと巻き込まれる!」


ノアが術式を解くより早く、麗奈は巨槌を足元へ叩き下ろした。床に走った亀裂が杭へ達し、拘束帯を固定していた支点が次々と砕ける。事務棟の窓枠まで衝撃が伝わり、ノアは身を引いて落ちてきた煉瓦を避けた。


「……《Mode: Unicorn》」


 麗奈の装甲から赤黒い光が剥がれ始める。シェイが剣を構え直した時、巨槌も装甲もすでに消えていた。代わりに現れた白銀の長剣を見て、喉の奥から声が漏れた。二つ目の時点ですでに想定外だったが、三つ目の姿を見せられると、事前に揃えた情報のどこまでが役に立つのかも分からなくなる。


「……三つ目?」


「ーー弱いな」


 返事のように告げられた瞬間、麗奈が床を蹴った。姿そのものが消えたわけではないが、シェイが目で追えたのは白銀の光が右へ走るところまでだった。次に見えた時には、麗奈は崩れかけた配管の上へ着地し、ミュウのすぐ前で長剣を引いていた。逃げるために一歩踏み出そうにも、ミュウの背後には先ほど破壊された手すりしかない。


「ミュウ、跳べ!」


 ミュウは杖を胸の前へ押し出し、半円形の障壁を広げた。白銀の切っ先がその中心を貫き、砕けた光の奥から腹部に達する。ミュウの両手が杖から離れ、身体が後ろへ傾いた。


 麗奈は剣を引き抜くと、配管を蹴って地上へ戻った。まだ床へ着地する前から、次に動く相手を探しているようだった。その反動でミュウの身体は折れた手すりを越え、下の鋼板へ落ちていく。ノアが光の帯を伸ばしたが、途中で崩れた配管に阻まれ、届く前に鈍い衝突音が響いた。


「ミュウ!」


 シェイは叫びながら右へ走ったが、瓦礫の陰に倒れたミュウの姿は見えなかった。通信にも返事がなく、魔力弾の光も止まっている。足を向け直した時には、奥の倉庫屋根からセラが飛び降りていた。シェイにはその背中しか見えなかったが、上で見張るはずの役目を捨てたことだけはすぐに分かった。


「よくも!」


「セラ、待って! 一人で近づくな!」


 セラは降下しながら両手の光刃を一本の長槍へ束ねた。地上にいる麗奈へ穂先を向け、落下の勢いをそのまま突きへ変える。麗奈が白銀の剣を持ち上げて受けたところへ、セラは空中で身体をひねり、槍を滑らせて肩口を深く裂いた。


 血が飛び、麗奈が一歩後退した。セラは着地してから間を置かずに踏み込み、今度は脇腹へ槍を走らせる。シェイも加勢しようと距離を詰めたが、その途中で、麗奈の周囲に赤黒い光が広がるのが見えた。槍の柄を握り直したセラは、まだ攻撃を続けようとしている。


「《Mode: Ogre》」


「槍を引いて! 離れろ!」


 二撃目の槍は装甲へ突き当たり、穂先が弾かれた。セラが引こうとした柄を麗奈の左手が掴み、握り込んだ部分から光が砕ける。右手の巨槌が振り上がるのを見て、セラは槍を捨て、頭上へ防御障壁を重ねた。


 槌頭が三枚の障壁を順に砕き、セラの身体を倉庫側へ押し飛ばした。背中から激突した壁の支柱が折れ、上の屋根を支えていた梁が一斉に傾く。逃げるために身を起こそうとしたセラの上へ、壁の残骸が先に降ってきた。シェイが走り寄ろうとしたところへ鉄板と瓦礫が落ち、セラの姿を完全に覆った。


「セラ! 聞こえる!?」


 返事はなかった。崩れた屋根の下には、セラの持っていた槍の光さえ残っていない。シェイは一度足を止め、目の前に立つ麗奈と、離れた事務棟にいるノアとの距離を測った。


「ノア、撤退路を開けて! ミュウとセラの位置を確認したら連れて出る!」


「了解。シェイは?」


「私が引きつける!」


 シェイは麗奈の正面へ回り、事務棟へ向かう通路を背にして剣を構えた。ノアは窓から退くと、崩れた壁の内側に沿って移動し、側面通路へ向けて光の帯を伸ばす。二人で戦い直すつもりではなかったが、倒れた仲間をそのまま置いて逃げるつもりもなかった。

 少なくとも一度は麗奈の注意を自分へ向け、ノアが動けるだけの時間を稼がなければならない。


 麗奈が一歩踏み込んできた。シェイは槌の正面を避け、装甲の継ぎ目を狙って斜めに切り上げる。首元、脇腹、膝の内側と狙いを変えても、麗奈は柄の位置を少しずらすだけで長剣を受け止め、シェイを事務棟側へ押し込んでいった。


「シェイ、伏せて!」


 ノアの声と同時にシェイは膝を折った。頭上を越えた光の帯が麗奈の腕と巨槌に巻きつき、事務棟の梁と反対側の搬送機へ張り渡される。

 さっきの杭はすべて失われていたが、今度は離れた二つの構造物が支点になっていた。両側から張る帯を斧や槌で切ろうとすれば、その間だけでも攻撃の軌道は限定できるはずだった。


 麗奈の槌が一瞬止まった。シェイは床を蹴り、帯が引く方向とは逆から懐へ入り込もうとした。ところが目の前で巨槌が消え、赤黒い装甲の輪郭まで薄れていく。


「《Mode: Fenrir》」


「ノア、そこを離れて!」


 戦斧が現れた瞬間、麗奈は右足を軸にして身体を回した。帯が柄へ掛かる前に広い刃が横へ走り、左右の支点を結ぶ光がまとめて断たれる。返す刃は、そのまま事務棟の窓へ向かった。


 ノアは両腕を交差させ、窓の内側へ何層もの障壁を張った。最初の一枚が割れ、続いて二枚目が消える。

 シェイが剣を投げ出す勢いで駆け寄る前に最後の障壁が裂け、青白い刃がノアの身体を斜めに捉えた。光に切られた窓枠ごと身体が室内へ押し込まれ、次の瞬間には棚の後ろへ消えてしまう。


 事務棟の壁を破る音がした。ノアの姿が崩れた机や棚の向こうへ消え、続いて天井板が落ちてくる。シェイは瓦礫の手前まで走ったが、その下からは返事も足音も聞こえなかった。


 戻った通信は、耳の奥で小さく鳴る雑音だけだった。ミュウは配管の下、セラは倉庫の瓦礫の中、ノアは事務棟の奥に倒れている。誰がまだ生きているのか確かめたくても、シェイと三人の間には麗奈が立っていた。無理に近づけば、倒れた仲間まで戦斧の間合いへ入れてしまう。


 麗奈は戦斧を持ち直し、こちらを見ていた。左肩から流れた血は腕を伝って柄へ落ちているのに、足取りにも呼吸にも乱れがない。


「……なんてやつ」


 シェイは自分の握る剣が小さく震えていることに気づき、指を一本ずつ握り込んだ。振り落とせたと思った震えが、柄へかけた親指にだけ残っている。


「一体、何が目的なの?」


 麗奈は答えなかった。傷口へ目を向けることもなく、シェイが剣を下ろすかどうかを見ているようだった。シェイは近くに転がった端末を足先で自分の方へ寄せ、通信が生きているかを確かめた。


「神器を三つも集めて、ここで何をするつもり?」


「あなたには関係ない」


「私たちを殺してでも?」


 麗奈の視線がわずかに動き、ミュウの落ちた配管の方へ向いた。そこから事務棟、崩れた倉庫へと順番に目を移したが、すぐにシェイへ戻ってくる。その動作には、倒れた相手へ近づこうとする気配がなかった。


「先に殺しに来たのは、そっちでしょ」


「……そうだね」


言い返す言葉はなかった。シェイ自身、命令の意味を承知でここへ来たのだから、責める資格があるとは思えない。ただ、ここで剣を下ろしても仲間のところへ通してもらえる保証はなかった。シェイは敵の背後を一度見たが、倒れた三人の誰の姿もそこからは見えない。


「でも、まだ任務は終わってない」


 剣を構え直した時、麗奈も戦斧を下げた。互いの間には数歩の距離しかなく、床は砕けたコンクリートと鉄屑で埋まっている。シェイは足を置く場所を一つ確かめてから、斧を持つ右側とは反対へ身体を傾けた。大きな武器を振る前に踏み込みの角度だけでも変えさせなければ、自分の剣が届く機会は生まれない。


 先に踏み込んだのはシェイだった。麗奈が斧を薙ぐ前に間合いを潰し、剣の腹で柄を押し上げながら内側へ潜り込む。刃が首筋に届きかけたところで、見慣れた赤黒い光が視界の端に滲んだ。


「《Mode: Ogre》」


 長剣が装甲へぶつかり、手首へ衝撃が返ってきた。麗奈は足を踏み換えてシェイの正面を塞ぎ、巨槌の柄で剣を外へ払う。続く槌頭を受ければ耐えられないと分かり、シェイは三枚の障壁を斜めに重ねて身体を逃がした。真正面から止めるのではなく、横へ滑らせて空いた場所へ退くつもりだった。


 最初の一枚が割れ、二枚目で槌の向きが少し変わった。だが三枚目を突き破った衝撃が脇腹を捉え、身体が床の上を転がる。壁際の鋼材に肩を打ちつけて止まった時には、息を吸うだけで肋骨のあたりが痛んだ。立とうとするたびに傷んだ側へ身体が傾き、足の裏で床を押すまでに一呼吸余計にかかった。


 それでもシェイは剣を支えに立ち上がり、胸元から最後の護符を六枚引き抜いた。護符を円を描くように投げると、麗奈の周囲で光の線が結ばれ、頭上へ向かう細い柱となる。麗奈が巨槌を持ち上げた瞬間、シェイは剣を振り下ろした。六つの方向から閉じる術式なら、どこへ避けられても中心から外れないはずだった。


「穿て!」


 六つの光が一つに重なり、巨槌ごと麗奈を呑み込んだ。床が陥没し、残っていた天井の鉄骨が震えて落ちてくる。シェイは衝撃で膝をつきながらも顔を上げ、煙が流れる先を見つめた。


 赤黒い装甲が、粉塵の中に残っていた。胸元には大きな亀裂が入り、片側の肩当てが砕け落ちている。麗奈の頬にも新しい傷ができていたが、その足はまだ床を踏みしめていた。動けなくなるほどの傷を負わせた手応えがあったはずなのに、巨槌を握る腕の高さすら変わっていない。


 シェイは長剣を持つ腕を上げようとした。残った魔力はわずかで、指先が震えて思うように動かない。煙の向こうから歩いてくる麗奈の姿を見て、乾いた息とともに声が漏れた。


「……化け物め」


麗奈は何も言わず、巨槌を光の中へ消した。砕けた装甲がほどけて白銀の長剣へ変わり、鋭い光がシェイの右側を走る。振り向きざまに長剣を合わせると、刃同士がぶつかって甲高い音を立てた。


 一撃目は受け止めた。二撃目も左側から来るのを辛うじて払い、シェイは反撃のために剣を引く。けれど三撃目は正面から来ず、麗奈の足音が背後へ回るように短く響いた。二撃を防ぐ間に剣を持つ右肩が開いていたことに、シェイはその音を聞いて初めて気づいた。


 シェイは振り返ろうとした。だが腰を回すより早く脇腹へ冷たいものが入り込み、次の瞬間、身体の内側を鋭い痛みが突き抜けた。白銀の刃が腹部から覗いているのを見て、ようやく刺されたのだと分かった。


 指から長剣が滑り落ちた。膝をつくと、床に広がった血が礼装の裾へ染み込み、息を吸うたびに傷口が軋む。麗奈が剣を引き抜いて前へ歩いていく気配はあったが、顔を上げても足元しか見えなかった。


 麗奈は倒れた四人を確かめることなく、作業場の中央へ戻っていった。シェイの位置からは足元の一部しか見えなかったが、赤黒い光が一つ、青白い光が一つ、白銀の光が一つ、離れた床の上へ順に灯るのが分かった。先ほどまで切り替わるたびに姿を消していた三つの神器が、今度はそれぞれ別の場所に現れていた。


 赤黒い巨槌、青白い戦斧、白銀の長剣が、床の離れた位置で光を強めていく。三つの間を細い光が走り、砕けた床の上に大きな円を描いていった。シェイは片手で傷を押さえ、もう片方の手を床へついて、何が始まったのか確かめようと顔を上げた。


 円の内側に、青黒い光が生まれた。最初は薄い弧だったものが、ゆっくりと厚みを増し、欠けた月のような形に広がっていく。近くの鉄骨を透かして見えるわけではないのに、光だけが建物の奥行きと噛み合わず、目を向けるたびに位置がずれて感じられた。


 シェイは端末へ手を伸ばした。対象は三つの神器を同時に使い、見たことのない何かを起動しようとしている。少なくともそれだけは伝えなければと、床を指先で探った。先ほどまで握っていた剣は離れた場所に転がっており、もう引き寄せる力も残っていなかった。


 麗奈の靴音が、瓦礫の間を遠ざかっていく。止めようにも呼びかける声が出ず、シェイは指を伸ばしたまま、床に落ちた端末を見つめることしかできなかった。やがて表示灯がぼやけ、代わりに青黒い光だけが視界の奥へ残った。


 通信端末までは、指一本分も届かなかった。シェイの身体から力が抜け、冷たい床に頬が触れる。意識が途切れる寸前まで、欠けた月の輪郭だけが消えずに浮かんでいた。

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