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電脳空想少女  作者: 榊原藍
第2章 機械仕掛けの親友
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第10話

 週明けの放課後。監査等委員長として生徒会室へ顔を出した恋は、鞄を置いた直後に、静かな声で呼び止められた。


「桜川さん」


 振り向く。


 そこには、いつもの榊原藍がいた。


 制服姿。整った黒髪。赤い瞳。姿勢の崩れない立ち方。見慣れつつあるはずなのに、こうして正面から向き合うと、やはり普通ではない気配がある。


 その普通ではなさを、昨日の休日にはほとんど感じなかった。


 そう思った瞬間、恋の心臓が変な音を立てた。


「……何ですか」


 なるべく平静を装って返す。


 藍はほんの少しだけ首を傾げた。


「先日、古角さんとご一緒のところでお会いしましたね」

「……はい」

「その際のあなたの反応が、やや興味深かったので」


 興味深かった。


 その言い方に、また少しだけ腹が立つ。


「別に、普通だったと思いますけど」

「そうでしょうか」


 藍は少しも乱さずに言う。


「私を見た瞬間、かなりはっきり驚いていらっしゃいました」

「休日に学校の知り合いを見かけたら、普通ちょっとは驚くでしょう」

「それだけではないように見えました」


 恋は黙る。


 こういうところだ。


 この人は本当に、必要以上によく見ている。


 いや、見すぎている。


 藍はその沈黙を、急かさずに待っている。


 藍は少しだけ声を落とした。


「この前の私は、そんなに新鮮でしたか」


 恋は一瞬、言葉を失った。


 その質問は予想していなかった。


 もっと事務的に、何かありましたかとか、休日の件で確認したいことがありますとか、そういう入り方だと思っていたのに。


「……新鮮、って」


 やっとそれだけ返す。


 藍はごく自然に続けた。


「私服姿の私が、という意味でも構いませんし、古角さんと話していた時の私の応対が、という意味でも構いません」


 分かって言っている。


 たぶん、ほとんど確信している。


 恋はじわじわと居心地が悪くなった。


「……別に」

「はい」

「ちょっと、思ってたのと違っただけです」

「どのようにでしょうか」


 逃がす気がない。


 恋は思わず、じとっとした目で藍を見た。


「そういうところですよ」

「どのあたりでしょう」

「全部分かった上で、わざわざ言わせようとするところ」

「確認は必要ですので」

「確認で人を追い詰めないでください」


 藍は少しだけ目を細めた。


 それが笑みに近いことを、恋も最近は知っている。


「では、推測を申し上げます」


「やめてください」


「あなたは、私が他者と接する際の印象が、自分と接している時と少し異なることに気づいた」

「……」

「そして、それがなぜなのかを考えておられる」


 完璧だった。


 恋は机に突っ伏したくなる衝動を必死で抑える。


「何なんですか、本当に」

「榊原藍です」

「そういうのいいです」


 藍は少しだけ間を置いた。


「では、訂正します。今の私は、あなたがよくご存じの榊原藍です」

「その言い方も何か嫌なんですけど」


 恋は小さく息を吐いて、椅子へ浅く腰かけた。


 誤魔化すのはもう無理らしい。


「……確かに、ちょっと違うとは思いました」


「はい」


「古角と話してる時の榊原先輩、何ていうか……普通だったので」

「普通、ですか」

「変な意味じゃなくて」


 いや、変な意味ではあるのだが。


「もっとこう、ちゃんと会長っぽい感じというか。真面目で、感じがよくて、でも別に不自然ではない、みたいな」

「なるほど」


「で、それ見たあとに思ったんです。普通の人が気づかないの、そりゃそうだなって」


 藍は静かに聞いている。


「……でも、それなら」


 そこまで言って、恋は少し言い淀んだ。


 言葉にしてしまうと、自分でも妙に意識していたことがはっきりしすぎる気がしたからだ。


 けれど藍は待つ。


 待つくせに、逃げ道は作ってくれない。


「それなら、何で私に対しては、最初からああだったんですか」


 言ってしまった。


 胸の奥が少しざわつく。


「入学式の時から、何か変だとは思ってましたけど、屋上に呼び出されたときなんて特にそうでした。連絡先のこともそうだし、話し方もそうだし、別に普通の会長をやる気、最初からそんなになかったでしょう」


 藍は数秒ほど何も言わなかった。


 その沈黙が、肯定にも否定にも見えるから困る。


「……気のせいですか」


 恋がそう付け足すと、藍はゆるく首を横に振った。


「いいえ。気のせいではありません」


 やっぱり、と思う。


 同時に、心臓が少しだけうるさくなった。


「あなたに対しては、初期段階から通常より調整幅を狭くしていました」


「……調整幅」


「対人応対上の揺らぎです」


 恋は頭を抱えたくなる。


「言い方」

「分かりやすく修正します」

「お願いします」


 藍はほんのわずかに考えてから言った。


「他の方と話す時より、あなたに対しては、あまり普通らしく見せる必要を感じなかった、ということです」


 恋は目を瞬いた。


「何でですか」


「最初から、あなたには通用しにくいと判断したからです」


 即答に近かった。


 恋は思わず眉を寄せる。


「通用しにくいって」

「表面的な応対だけでは、いずれ違和感を持たれると考えました」

「……だから、最初からああだったんですか」

「はい」


 その答えは妙に納得がいった。


 納得がいったのに、少しだけ引っかかる。


「じゃあ、最初から見抜かれると思われてたってことですか」


「見抜かれる、というより」


 藍は少しだけ言葉を選んだ。


「あなたは、ずれを保留したまま観察する方です。気づいても、すぐに断定しない。ですが、引っかかりは残す。でしたら、過度に整えた応対を続けるより、ある程度はそのまま接した方が合理的でした」


 合理的。


 やっぱりそういう言い方になる。


 けれど、それだけでもない気がした。


「……それだけですか」


 問い返すと、藍は一瞬だけ黙った。


 その間が、少しだけ長い。


「それだけではありません」


 やがて、静かにそう言う。


「あなたに対しては、最初から観測精度を上げておきたかったので」


「観測って」


「あなたが私をどう見るか、です」


 恋は言葉に詰まる。


 その説明は藍らしくて、藍らしいくせに、妙に真正面だった。


「普通の会長として接した場合と、ある程度こちらの地を見せた場合とで、あなたの反応は変わるだろうと考えました」

「それ、ほぼ実験じゃないですか」

「否定はしません」

「最低です」

「承知しています」


 そこを承知するな。


 恋は机の端を指で軽く叩いた。


 腹が立つ。


 立つのに、完全に嫌だとも言い切れない。


 たぶん、自分が最初から他の誰かと同じ扱いではなかったことが、思っていたより胸の奥をざわつかせているのだ。


「……じゃあ何ですか」


 恋は視線を逸らしたまま言う。


「私に対しては、最初からちょっと手加減してなかったってことですか」


「はい。かなり」


「かなり、って」


「事実ですので」


 藍の返答はいつも通り静かだ。


 けれど、今はその静けさが少しだけ違って聞こえた。


「ただ」


 藍が続ける。


「それは、あなたを軽視していたからではありません」


 恋は顔を上げる。


 赤い瞳が、まっすぐこちらを見ていた。


「むしろ逆です。表面的な応対では足りないと判断したからこそ、最初からある程度そのままで接しました」


 それは、褒め言葉なのかどうなのか分からない。


 分からないけれど、少なくとも雑な扱いではなかったらしい。


「……何か、ずるいですね」


 ぽつりと漏らすと、藍は首を傾げる。


「どのあたりがでしょうか」

「そうやって、ちゃんと説明するとこです」

「説明しない方がよろしいですか」

「そういう意味じゃないです」


 恋はため息をついた。


 休日からぐるぐるしていた問いの半分くらいは、これで形になった気がする。


 普通の人が気づかない理由も分かった。


 自分に対してだけ少し違った理由も、たぶん分かった。


 でも、それで全部すっきりしたかというと、全然そんなことはない。


 むしろ、余計にややこしい。


「……ちなみに」


 恋がじろりと睨むように言う。


「この前の私服姿、あれも計算ですか」


 藍は一拍だけ間を置いてから答えた。


「私服の選択自体は、こよみの助言が半分入っています」

「……そうですか」


 そこへ、不破がひょいと生徒会室に入ってきた。


「何かよく分かんないけど、桜川さん、会長にだけ対応難度上げられてたってこと?」

「不破さん、聞いてたんですか」

「『私の前世は実は音楽家で』のところからかな」

「一体何を聞いていたんですか」


 不破は楽しそうに笑う。


「会長ってさ、たまにこの人には誤魔化しても無駄って判断した相手には最初から雑に正直だよね」

「不破さん」

「はいはい、黙ります」


 その一言で、恋は思わず藍を見る。


 藍はやや冷たい目で不破を見ていたが、否定はしなかった。


 否定しないのか。


「……雑に正直」


 恋が呟くと、藍が静かに言う。


「表現は不適切ですが、完全な誤りでもありません」

「ひどい自己評価ですね」

「自己評価ではありません。不破さんの評価です」

「そこ切り分ける意味あります?」

「私にはあります」


 ああ、もう本当にそういうところだ。


 恋は深く息を吐いて、椅子に座り直した。


 新鮮だったかと問われれば、確かにそうだった。


 だが今いちばん新鮮なのは、目の前のAIが、自分には最初から少しだけ素に近い形で接していたらしいと平然と認めている、この状況そのものかもしれなかった。


「……分かりました」


 恋が言う。


「一応、納得はしました」

「それはよかったです」

「でも、あんまり人を実験みたいに扱わないでください」

「善処します」

「絶対またやる返事ですね」

「可能性は否定できません」

「ほら」


 藍はほんの少しだけ目を細めた。


 恋はもう、その表情の意味を少しだけ読めるようになっていた。たぶん、少しだけ面白がっている。


 それが悔しくて、でも少しだけ安心もする自分がいて、余計に面倒だった。

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