【第9話】
そんな訳で、異動成功である。
「か、課長おおおお!! ほ、本当に異動してしまうのですか何でですかまだ学ぶところがががががががが」
「課長、異動しないでください!!」
「課長以外の課長なんて考えられないチョウ!!」
「全員、大丈夫かね。混乱しすぎだとは思う訳だが」
記録課の仕事部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。部下の獄卒たちがこぞってキクガに「異動しないでください」と泣きついてきたのだ。
上司冥利に尽きるというものだが、彼らの成長の為には時に突き放す態度も大切である。いつまでもキクガの高速タイピングがあると思わないでほしい所存だ。
キクガはそっと微笑むと、
「君たちも冥王台帳の作成速度は上がってきた訳だが。今ではすっかり、私がいなくとも立派に仕事を遂行できている。そのことを誇ってほしい訳だが」
「でも課長のゴミを見るような目がなければ仕事をしている意味が!!」
「何故かね。私のゴミを見るような目とは一体何を示している?」
一部の、いうか大半の獄卒が驚くことにドMに調教されてしまっていたらしい。それなら仕事に対して快楽を見出してほしいところだ。キクガに鬼教官の立ち位置を強要されても困る。
「ともかく、私は冥王裁判課に異動することとなったので今後は別の獄卒に課長をお願いする訳だが。追ってこちらから連絡する」
「うう……名残惜しいですが見送ることにします……」
「誤審を招かないよう、一層の正確性を持って冥王台帳を作成します」
「裁判の補佐は任せてください」
「課長の、いえ補佐官の助けとなれるように精一杯努力します」
腹を括ったらしい元部下たちは、キクガを見送ることを決めた様子であった。「裁判の補佐は任せろ」と頼もしい言葉までもらってしまった。
かつてであれば信用に於ける記録課ではなかったが、今はすっかり印象が変わった。勤勉で真面目に仕事へ取り組み、仕事の精度も十分である。裁判の補佐を任せるにはこれ以上ないほど最適な人材たちだ。
キクガが「裁判の際は頼む訳だが」と頼もしく成長した部下たちに依頼すると、
「へえ、仲がいいんだね。それとも君に上司の素質があるのかな、キクガ君?」
「グローリア君かね」
記録課の仕事部屋を覗き込む黒髪紫眼の青年――グローリア・イーストエンドが「やあ」と朗らかに笑いながら片手を上げる。
キクガはグローリアを睨みつけ、元部下の獄卒たちに手だけで指示を飛ばす。その意味を理解した獄卒たちは素早く移動し、仕事部屋に積み上げられている冥王台帳を回収した。
冥王台帳は現世を生きる人間の行動記録が記されている書物だ。分かりやすく言えば個人情報満載の書籍である。記録課の仕事部屋から出すことはおろか、他の課からやってきた獄卒が不用意に閲覧することにも気を配らなければならない。取扱注意の代物である。
そんな訳で、記録課の仕事部屋にやってきたグローリアを警戒するのは当然のことだった。冥王台帳を盗み見られても困るのである。
「あれ、僕ってそんな警戒するようなことをしたかな?」
「ここは記録課な訳だが。個人情報を取り扱う冥王台帳を不用意に閲覧されても困る訳だが」
「ああ、それもそっか。ごめんね、そんなつもりはなかったんだけれど」
キクガはグローリアの対応をすべく、記録課の仕事部屋を出る。応接室など気の利いたものはないので廊下での立ち話での対応となるが、グローリアが指摘することはない。
「念の為に聞くが、冥王台帳の中身を見ようとは?」
「思っていないよ。そういうのは見えない方が面白いんじゃないか」
「では、チラッと見えてしまった人物はいたかね?」
「残念だけど。僕って視力は人並みだし、ほら、よくいる俯瞰の視点を持つってこともないから」
「よし」
「警戒心が高くていいね」
グローリアが何も見ていないことを確認したキクガは、
「グローリア君、今日はわざわざ冥府総督府まで足を運んでくれて助かった訳だが」
「ううん、全然。むしろ教えてくれて感謝しているよ。冥界の状況なんて、こっちは分からないからね。まさか誤審があったなんて」
やれやれと言わんばかりにグローリアは肩を竦めると、
「まあでも、君が冥王裁判課に異動となったから少しは誤審も減るかな」
「期待に沿えるように最善を尽くす訳だが」
「君は真面目だねぇ」
グローリアは「ところで」と話題を切り替えた。
「龍帝国出身って話は嘘かな?」
「んん゛」
キクガの口から呻き声が漏れた。異変を感じ取ったらしい部下たちが「大丈夫ですか?」と問いかけてくるが、手で制して問題ないことを伝えた。
現世を訪れる際は、龍帝国の宮廷で働いていることを前提としていたのだ。冥界の獄卒が現世を彷徨うと現世の人々を混乱させてしまう恐れがあり、脱走を疑われる可能性もあるからである。
ただ、この話を信じているのは現状、ユフィーリアとエドワードぐらいのものだ。だから最低限、彼女たちを騙せれば問題はない。と思いたい。
「このことは内密にお願いできないかね」
「うん、そのつもり」
グローリアは笑いながら頷き、
「だって、冥界の住人ってことは広義的に見ればお化けとか幽霊だよね」
「まあ、そうなる――のではないだろうか」
「ユフィーリアはね、あまり幽霊とかお化けとかの類は得意じゃなくてね。二度と口を利いてもらえなくなっちゃうかもしれないからさ」
「何と」
あの銀髪碧眼の魔女にも苦手なものがあったのか。というか、これでキクガは絶対に自分の正体を明かすことが出来なくなってしまった。これで友人の1人と強制的に絶交は避けたい。
「じゃあ、僕は行くところがあるから。頑張ってね、補佐官殿」
「ああ、気をつけて」
そんなことを告げて踵を返したグローリアを、キクガは快く見送った。
見送ってから、ふと気づく。
彼は一体、どこにどんな用事があるのだろうか。冥府総督府に彼の知り合いなどはいたか?
「まあいいか」
おそらく自分には関係のないことなので、キクガは遠ざかるグローリアの背中から視線を外すのだった。




