【第6話】
ちんたらと昼休憩を終えて冥王の法廷に向かうと、扉を開けた途端に冷気が流れ込んできた。
「寒ッ」
キクガは思わず扉を閉めた。
「おいキクガよ、何故に扉を閉める」
「寒かった」
「先頭なのだからちゃんと扉を開けろ。先陣を切れ」
オルトレイから背中を小突かれて、キクガはムッと唇を尖らせた。そんなことを言われても、本当に寒かったのだから仕方がないだろう。
「なら、君が開ければいい。オルト、君は天才的な魔法のセンスがあるだろう。それに大層お強い魔法使いだったのだろう、危険があるかもしれないから君が先陣を切れ」
「普段から暴力と冥府天縛で物事を解決する輩が聞いて呆れる言い訳だな」
オルトレイは肩を竦めると、キクガを「退け」と言って押し除けた。どうやら売り言葉に買い言葉の法則が通用したようで、あっさりとオルトレイがキクガと役割を代わってくれる。
これ幸いとキクガはいそいそとオルトレイの背中に引っ込み、代わりにアッシュの灰色の毛皮へ張り付いた。とても温かい。筋肉の温かさも相まって真冬に似た冷たい空気に晒された身体が癒される。
いきなり抱きついてきたキクガに、アッシュがうんざりしたような表情で言う。
「離せよ、キクガ」
「寒い」
「そんなにかァ?」
怪訝な瞳をオルトレイの背中に突き刺すアッシュに、呆れた様子の魔法使い様からありがたいお言葉を頂戴する。
「軟弱なものだな、寒さ程度で引っ込むとは。これなら深淵刑場の寒さにはとても耐えられうわ寒ッ!!」
何やらぶちぶちと文句とかを垂れながら冥王の法廷に繋がる扉を開くと、真冬に似た冷気が流れ込んできてキクガたち獄卒の肌を撫でる。あまりの寒さに、オルトレイも法廷の扉を蹴飛ばす勢いで閉めた。
「ほら見ろ、寒かった訳だが」
「洒落にならん寒さだわ、こんちくしょーめ。実家でさえこんなに寒くはないぞ」
「だからって、何でオレに張り付くんだよ邪魔だよ鬱陶しいな!!」
寒さにやられた影響で、オルトレイもアッシュに張り付いて暖を取る。キクガの判断は間違っていなかったと証明された。
このままでは寒いので、もう冥王の法廷にいる人物は放っておくしかあるまい。どうせ助ける気はサラサラなく、むしろ野次馬根性で冥王の法廷までわざわざ足を運んできたのだ。見捨てたところで良心は傷まない。
すると、
「ああもう、開けりゃいいんだろ開けりゃァ」
アッシュがキクガとオルトレイを引き剥がすと「話が進まねえじゃねえか」とぶつくさと文句を言いながら、冥王の法廷に繋がる扉の前に立った。
「おいアッシュ、洒落ではないぞ。冗談でもないからな。本気で寒いぞ」
「あれぐらいの寒さが何だってんだ」
肩越しにオルトレイへと振り返ったアッシュは、
「こちとら豪雪地帯で狩りをして生計を立ててた銀狼族だぞ。寒さなんざお手の物だっての」
そう言って、彼は毛皮で覆われた手で冷たい扉を押し開けた。
ひゅう、と冷たい風が吹き込んでくる。アッシュが「確かに寒いな、こりゃ」と言うものの、身体を震わせるようなことはなかった。さすが豪雪地帯出身の狩猟民族である。この程度の寒さなど日常茶飯事だったか。
そして、扉の向こうに広がっていた冥王の法廷だが、
「何だこれは」
「凄え……」
「氷柱、かね」
無数の氷柱が、執務椅子に座る冥王ザァトを貫通していた。
大小様々な氷柱である。広大な冥王の法廷を縦断するように伸びた氷柱から、まるでガラスの破片のような見た目の小さな氷柱まで、数え切れないほどの氷の槍が靄で構成された怪物を容赦なく刺し貫いていた。
ただ、執務椅子に縫い止められているものの、冥王ザァトには大した痛手にはなっていない様子である。靄の中に浮かぶ色とりどりの眼球をツイと動かすと、キクガたちの存在を認めて「来たか」などと呟いていた。
そして、この氷柱に占拠された冥王の法廷にいるのは、冥王ザァトだけではない。
「やあ、キクガ君。驚いちゃったよ、まさかお昼休憩の真っ只中だっていうのに裁判が始まっているんだもの。それもまた誤審。飽きないね、今度は深淵刑場行きの罪人に天国行きを許可しちゃうんだもの。昨今の冥界は随分と馬鹿が取り仕切るようになったんだね」
つらつら、ぺらぺらと何事かを語る黒髪紫眼の魔法使い――グローリア・イーストエンドが、キクガを笑顔で出迎えた。
彼の隣にはもう1人、正体不明の謎の人物が佇んでいる。背の高さや体格は真っ黒いコートで覆われている影響で酷く曖昧だが、中肉中背と表現した方がいいだろうか。頭部は真っ黒なフードを目深に被っているので窺えない。
罪人の処刑や、それこそ記録課の前課長を排除する際に協力してもらった人物だ。ルージュは『第七席』と呼んでいた。どうしてそんな呼ばれ方をするのかが皆目見当もつかないが。
黒フードの謎人物が身体ごとキクガへと向き直った、その時だ。
「お、おのれ……!!」
恨みつらみが込められた声が、キクガの耳朶に触れた。
声の方向へ視線をやると、そこには冥王第一補佐官のキサラギがいた。その腹部は氷柱が貫通しており、薄青の槍を真っ赤な液体が伝い落ちていく。本来なら即死の傷でも死んでいないのは、彼がすでに死者だからだろうか。
キサラギは鬼のような形相でグローリアと、彼の側に佇む第七席を睨みつけていた。仕事を邪魔された上、このような暴挙に及んだのだ。冥王命と言っても過言ではないキサラギからすれば不届者極まりない行動である。
「こんなことをして……不敬だぞ……め、冥王様にこんな……!!」
「不敬? あはは、君の方が不敬じゃないのかなぁ」
グローリアはニコニコの笑顔でキサラギへと向き直り、
「こっちにいるのは冥界の本来の主人だよ、つまり冥王様より偉い存在なの。それなのに何? 冥王様の方が偉いと勘違いしている馬鹿なんて、冥王第一補佐官に相応しくないねぇ」
そこまでボロクソに罵ると、キサラギの顔色が真っ赤に染まる。冥王を侮辱された上に、自分自身の高いプライドもへし折る勢いで馬鹿にされたのだ。罵倒を重ねたいのだが、言葉が出なかったのだ。
それもそのはず、次に出てきたのがグローリアではなく第七席である。得体の知れない威圧感のある真っ黒なコート人間が出てくれば、言いたかった言葉も詰まるものだ。
じっとキサラギの顔を眺めていた第七席は、それからグローリアに耳打ちをする。グローリアは第七席の言葉を「うん、分かったよ」と頷いて受け入れ、氷柱に貫かれた冥王ザァトとキサラギに視線をやった。
「此度、冥界の秩序を欠く行動が散見された為、冥界の終焉を決定した。よって冥界の住人、全員消えてもらいます」
朗らかな笑顔で、そんな凶悪なことを宣った。




