【第3話】
冥王台帳の誤植事件が発生してから、1週間が経過した。
「課長、本日裁判予定の死者の冥王台帳です」
「助かる」
部下の1人が大量の冥王台帳を抱えてやってきた。
キクガはお礼を述べ、目の前に置かれた冥王台帳を見やる。相変わらず凄まじい量の冥王台帳だが、裁判前には情報を頭に入れておかなければ正確な判決を出せない。嫌になる量でもちゃんと頭に叩き込んでおくのが大事なのだ。
そういえば、冥王裁判課の連中はキクガが記録課の課長を就任してから一度も記録課の仕事部屋を訪れることはなかった。冥王台帳を貸し出すように要請されたこともない。キクガのことを警戒しているのだろうが、そんなことをしてまともに仕事が出来るのかと思っている。
キクガは冥王台帳の山に積まれていた最初の1冊目を手に取り、表紙を捲る。
「む」
「誤植ですか!?!!」
「いや違う。違う訳だが。そんな神経質にならないように」
部下の獄卒が誤植の気配を察知して、キクガに泣きそうな表情へ振り返ってきた。『クレア・スミス』の誤植事件が発覚してからやけに神経質になっているような気がする。
「大丈夫な訳だが。何か責任が生じても私が取る。君は気にせず記録業務を続けなさい」
「しかし」
「上司とは部下の責任を取るのが仕事な訳だが。私が君たちに仕事を頼む以上、その責任は上司である私にある。何も心配はいらない訳だが」
キクガの毅然とした態度を前にしても、部下の獄卒はやはり罪悪感のようなものを引き摺っているのか、少々納得できなさげな表情で引っ込んだ。
誤植に関して言えば、仕方がないことである。同じ読み方で違う名前の書き方をすれば誤植が発覚してしまうこともやむを得ない。「今後は気をつけろ」としか言いようがないのだ。
問題は、今回の裁判である。
「クレア・スミスが2人同時……これは誤審の可能性が高まる訳だが……」
部下が持ってきてくれた本日裁判に臨む死者の冥王台帳には、誤植事件の発端となった『クレア・スミス』のものが積まれていた。キクガが最初に手にした冥王台帳は、天国行きの判決が下されることが予想されているクレア・スミスである。
享年は92歳、多数の親族に見送られながら息を引き取ったというこれ以上ないほど綺麗な人生の幕引きを迎えた。生前の行動は善性に溢れており、慈善活動にも積極的で、熱心なエリオット教信者であり、ご近所付き合いも良好だった。冥王台帳を隅から隅まで確認しても天国行きの判決は確定的である。
キクガはクレア・スミスの冥王台帳を閉じ、
「気は進まないが、一応は確認をしてみるかね」
本当に気は進まないが、記録課全体の責任にされても困る。あの性根が腐った冥王第一補佐官ならば平気で罪をなすりつけてきそうだ。身を守る為にも確認作業は必要である。
キクガは執務机に置いた髑髏を手に取った。額を軽く小突くと『はい、こちら総務課』と女性の声が流れてくる。まずは第三者を挟むことが大事である。
キクガは「すまない、こちら記録課な訳だが」と口を開き、
「冥王裁判課の課長まで取り次ぎを頼みたい訳だが」
『少々お待ちください』
明るい女性の声は少し待つように告げ、何も音が聞こえなくなる。が、
『大変申し訳ございません。冥王第一補佐官様から記録課からの連絡は取り次がないようにと……』
「は?」
キクガの声が自然と低くなった。
こちらは重要な連絡をするというのに、取り次がないように指示をするとは何事だろうか。仕事に於いては連携が大事なのに、あの馬鹿野郎は傲慢にも程がある行動を出来るものである。
これは全ての責任を冥王第一補佐官に取らせても文句は言えない。こちらは重要事項があるから連絡をしたのに遮断するとは、いい度胸である。
怯えたような声を漏らす総務課の女性に「すまない」と謝罪をしたキクガは、
「では呵責開発課のオルトレイ・エイクトベルまで頼めるかね」
『か、かしこまりました』
髑髏が再び無音となる。遅れて、聞き慣れた男の声が髑髏から流れてきた。
『どうした、キクガよ。何かあったか?』
「冥王第一補佐官の馬鹿野郎が連絡を拒否してきた訳だが」
『はー、あの馬鹿野郎は本当に救えん奴だな!!』
髑髏越しでも、オルトレイが頭を抱えている姿が目に浮かぶ。同じ気持ちでよかった。
『で、お前はそのことを愚痴る為に連絡を寄越した訳ではあるまい?』
「本日裁判を控えている『クレア・スミス』女史について、誤審の可能性が高まった訳だが。何せ同じ名前でスペル違いが同日裁判を受ける予定だ。誤審を未然に防ぐ方法は何かないかね」
『裁判に同席は?』
「する予定だが」
おそらく性根の腐った冥王第一補佐官殿はキクガの参入を認めないだろうが、意地でも居座る所存である。こんな裁判を部下に記録を任せる訳にはいかない。
『ならば冥王鏡という神造兵器の使用を主張しろ。冥王台帳から読み取れない罪状を明確にする為に、生前の行動を映像として投影する神造兵器だ。冥王が所有しているはずだから使用を主張すれば出してくるだろう』
「なるほど、そんな便利なものが」
『冥府天縛と違って、冥王鏡は使用者を選ばん珍しい神造兵器だからな。冥王もさすがに二度目の誤審は避けたいだろう、誤審の可能性があるとすれば使用するに違いない』
オルトレイは『まあそれでも冥王第一補佐官の奴が何と言うかだな』と呆れたような口調で言った。
冥王ザァトは誤審を避けたいだろうから、主張すればその冥王鏡とやらを出すだろう。それで誤審が回避できれば問題はない。
障害があるとすれば、冥王第一補佐官の存在か。「そんなのは必要ない!!」とか阿呆なことを抜かしたら、暴力を使用してでも黙らせる他はないだろう。
そんなことを考えていると、
『使用しないと冥王第一補佐官が主張したのならば、仕方がない。別の方法がある』
「別の方法」
『これは言葉にするといかんな、俺まで悪い方向に疑われかねない。だから文書をそちらに飛ばすので読め。以上だ、健闘を祈る』
オルトレイとの会話はそこで強制終了となった。
文書を送るとは、と思った矢先、キクガの目の前に1枚の封筒がひらひらと舞い落ちてくる。床に届くより先にそれを掴むと、封筒には『キクガへ』とオルトレイの無骨な文字が書き込まれていた。
封筒を開けると、中身はやはり無骨な文字で構成された文章が紙面上を踊る手紙が折り畳まれた状態で入っていた。手紙に視線を走らせると、それから丁寧に手紙を細かく破いてゴミ箱に捨てる。裁判が始まるより前に、手紙は燃やしてしまった方がいいだろう。
「やはりオルトは頭がいい訳だが」
小さな呟きは、オートマチックライターが奏でるカタカタチーンという音に掻き消された。




