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異世界出身の獄卒、アズマ・キクガは上昇《のぼ》りたい  作者: 山下愁
第11章:誤植

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【第2話】

「つかれた」


「お、珍しいこともあるものだ。仕事人間のお前が疲れを感じるとは」


「私のことを何だと思っているのかね」


「先程も言ったろう、仕事人間とな」



 今日も今日とてオルトレイの屋敷にお邪魔をして、キクガは夕飯をご馳走になっていた。もはや恒例行事のようになっている。

 ダイニングの大きな机に突っ伏していると、鼻孔びこうを何やらいい香りがかすめる。赤ワインを煮込んだような芳醇ほうじゅんな香りだ。その香りが空腹をうったえる胃袋を刺激してくる。


 キッチンで夕飯の仕度中であるオルトレイは、



「一体何があったのだ、キクガよ。ほれ、おじさんに話してみるがいい」


「……おじさんという年齢でもないだろうに」



 見た目が若々しいのでオルトレイに『おじさん』と言われてしまうと、では自分はどうなのかと考えてしまう。実際、キクガも自分のことはまあまあなおじさんであると自覚はある。

 魔法使いとは年齢不詳だ。見た目通りの年齢をしていないし、自分自身の年齢を覚えていないので、年齢の話題をどう扱っていいのか分からない。まあでも、この程度の話題は些事さじだろう。


 キクガはモソモソと身体を起こすと、



「今日だけで3組も誤植ごしょくが発生した訳だが」


「誤植とな。それは大変だな」



 キッチンから応じるオルトレイに、キクガは「そうだ、大変だった」と頷く。



「そもそも同じ読み方でもスペルが違う名前が多い訳だが。読み間違うと誤審ごしんを招きかねない」


「確かに、ありきたりな名前は世の中には多いからなぁ」



 オルトレイの鼻歌が聞こえてくる。何かをバタンと閉じるような音がキッチンから聞こえてきたが、何をしているのか皆目見当もつかない。



「キクガの名前は随分と珍しいと思うがな」


「それは自分でも自覚はある」



 オルトレイの言葉にキクガは真剣な表情で頷いた。


 キクガは自分の名前が結構珍しい部類である自覚はある。何せ名前の全部がカ行で構成されている訳である。かなり言いにくい名前だし、あだ名をつけにくい名前でもある。オルトレイが『オルト』とあだ名をつけられるように、キクガにも愛称やあだ名がほしかった。

 比較的、自分の苗字はそこまで珍しい部類ではないのに、名前だけ妙に面倒くさい発音をするのだから苛立ちも覚える。出来れば改名したい。だがこの名前で35年も生きていれば慣れてしまうもので、もはや受け入れざるを得なかった。



「人はカ行の言葉に苛立ちを覚えるらしい。私の名前を見てみなさい、全部がカ行な訳だが。私の名前を口にするたび、他人が苛立ちを覚えていると考えると心苦しい訳だが」


「お前は何を言っている?」


「お腹空いて思考がまとまらない……」


「赤ん坊かお前は。もうちょっと待て、今出来るから」



 キッチンから「全くもー」と呆れたような声が飛んでくる。遅れて、パタパタと足音と共に香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。


 キッチンからようやく姿を現したオルトレイは、1きんの食パンを巨大な鉄板の上に乗せていた。冗談か何かかと思ったが、食パンの表面にはいい具合に焦げ目がついており、それが料理であることがうかがえる。

 オルトレイはキクガの目の前に、鉄板に乗せられた食パン1斤をドカンと置いた。よく見ると、食パンの上部には切れ目がある。何やら蓋のようになっている様子だ。


 食パン1斤を目の前に置かれて目を白黒させるキクガに、オルトレイは「驚くのはまだ早いぞ」と笑いながら言った。



「とくとご覧あれ、我が家伝統のメニューである『パンシチュー』だ!!」



 オルトレイが高らかに宣言すると、食パンの上部を横に滑らせた。


 食パンの中身は綺麗にくり抜かれており、中身はゴロゴロと塊の肉が揺蕩たゆたうビーフシチューが詰め込まれていた。焦茶色の水面には溶けたチーズが浮かんでおり、焼けるチーズのいい香りが空腹感を後押ししてくる。

 パンの中身をくり抜いてビーフシチューを入れるのは斬新なメニューだが、液体が外に漏れ出てこないのかと不安を覚えてしまう。試しに器となっているパンを指先で突くと、表面が硬めに焼かれていた。液体を入れる為に設計されたようである。



「おお、これは素晴らしい訳だが」


「そうだろうそうだろう、我が家の娘たちもこれが大好物でな。事あるごとに強請ねだられていたのだ!!」



 オルトレイは「味わって食うがいい!!」と言いながら、キッチンに引っ込んでいった。自分の分はこれから焼くようであった。


 自分が先に夕飯を提供されて申し訳なさを覚えるが、ここで待っていたらせっかくの料理が冷めてしまう。こういう料理は熱いうちに食べるのが礼儀だろう。

 キクガはスッと両手を合わせ、小声で「いただきます」と挨拶をする。ふたとして外された食パンの一部を千切り、ビーフシチューの中に浸す。パンの欠片に茶色が染み込んだところで、口に運んだ。



「ん」


「どうだ、美味いか」


「美味しい」



 深みのあるビーフシチューの味が、疲れた身体に染み渡る。パンの歯応えもちょうどよく、シチューに浸すことで旨みが増す。肉の旨みもシチューの中に溶け込んでいるようで、じんわりと口の中で旨みのハーモニーが広がっていく。

 オルトレイが「我が家伝統の味」と称して自信を持って出してくるだけある。これは自信を持っていい料理である。手間暇てまひまをかけている素晴らしい料理だ。


 新たに焼けた分を自分のものとして持ってきたオルトレイは、



「まあでも、誤植ごしょくがあるのは何かの前兆やもしれんな」


「前兆が?」


「そうとも」



 疑問の眼差しを向けるキクガに、オルトレイは同じように食パンの蓋をビーフシチューに浸してかじり付きながら言う。



「油断はしない方がいいぞ、キクガよ。隙を見せないようにな」


「忠告、感謝する訳だが」



 やたら真剣なオルトレイからの忠告を、キクガは不思議に思いながらも真摯しんしに受け止めるのだった。

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