【第7話】
グローリアの指摘にルージュが固まった。
「嫌だなぁ、まだ制定もされていない法律を盾にして僕を犯罪者扱いするなんて」
泣き真似を披露するグローリア。白いハンカチで目元を拭う仕草はわざとらしく悲しさを表現しており、妙に笑いを誘う仕草ではあるのだが、今の状況では相手を煽ることしかしない。
対するルージュは「しまった」と言わんばかりに顔を顰めた。今しがたこの法律は却下されたばかりである。グローリアの暴挙を止める為にはこの上なく素晴らしい法律ではあるのだが、大多数の魔法使いや魔女が反対するだろうという理由で一蹴に付されたのだ。
グローリアはハンカチをいそいそと懐にしまい、朗らかに笑った。
「悲しくなっちゃったから消すね、中央魔法裁判所」
「なあッ!?」
「そーれ」
軽い掛け声と共に、グローリアはぞんざいな手つきで右手を振った。
すると、目の前に聳えていた中央魔法裁判所の建物がフッと消失する。世界に消しゴムでもかけられたかの如く、目の前に鎮座していたはずの建物が忽然と姿を消した。
それと同時に、中央魔法裁判所内にいた人々は、魔法によって外に放り出されていた。急に建物から放り出されたと思えば目の前から中央魔法裁判所が消失しており、彼らは悪夢でも見ているのではないかと言わんばかりにポカンとしている。警備員や事務員だけではなく、裁判中だった被告人まで同じような表情を見せていた。
「あ、あなた、グローリアさん、何て真似を……!!」
「君たちが罪人扱いするのが悪いんじゃないか。僕は何も悪くないでしょう? ただの魔法の実験だよ?」
怒りでワナワナと震えるルージュに、グローリアは変わらず朗らかな笑みを浮かべて対応する。
彼の主張は一貫して『魔法の実験』だった。あくまでこれは魔法の実験に過ぎないのだから、建物が消えて他人に迷惑がかかろうが関係ないと言っているのだ。
そして彼の所業を罪人と判定するならば、他人の命さえぞんざいに扱う他の魔法使いや魔女たちも同様に裁きを受けなければならない。グローリアがやっていることは他の魔法使いや魔女が人間でやっていることを、建物でやっているだけに過ぎないのだ。どうした方がいいかなんて、子供にでも分かる。
それなのにまだ決断を下すことが出来ずにいるルージュに、グローリアは不思議そうに首を傾げながら問いかけた。
「あれ、僕を罪人扱いするのは止めたの?」
「そんな訳ないですの、ですが」
「へえ、その法律はそんなに制定するのが嫌なんだ。じゃあ仕方ないね。僕は魔法の実験をしているだけだから続けるね?」
真っ白な書籍を開き、グローリアは「そうだ」と明るい声で言った。
「次はバスティーユ監獄を消そうか」
その建物名を口にした瞬間、ルージュの顔がますます引き攣った。監獄とついていたのでおそらく消されるとまずい施設なのだろう。
「ユフィーリア君、バスティーユ監獄とは」
「死刑囚専用の監獄」
「とんでもない大犯罪者たちが投獄されてるよぉ」
キクガの質問に、ユフィーリアとエドワードがサラリと回答してくれた。
死刑囚専用の監獄を消し飛ばされた暁には、一体死刑囚はどうなるのだろうか。法則性に則って考えれば、死刑囚は傷つけられずに外へ放り出されることになるだろう。つまりは自由を得るということだ。
せっかく凶悪な犯罪者たちを大人しくさせていたのに、自由の身にさせるのは世界中に大混乱を招きかねない。もしかしたら、もう二度と捕まらない地まで逃げる可能性だってある。グローリアがバスティーユ監獄とやらを消し飛ばすまでに、その暴挙を止めなければならない。
ルージュは鋭い目つきで他の裁判官たちに振り返ると、
「裁判官たち、今すぐこの法律を承認なさい!! このままでは死刑囚が世に解き放たれますの!!」
最高裁判官の命令を受け、配下の裁判官たちは次々と「承認します」と声を上げる。ただ、やはり裁判官の中には魔法使用倫理協定の制定に不満を持つ者もいるようで、承認の宣言が出来ずにいた。
「あれ、承認するまでが遅いなぁ。消してもいいの? 悪いけど、僕は責任取らないからね」
「ルージュ、アタシも協力しねえからな。連勤するとうちの可愛い番犬が寂しくて泣くんだよ。泣かせるのも忍びねえからさ」
「そうだよぉ、大人げなく泣くよぉ」
グローリアに次いで、ユフィーリアも協力を放棄した。その隣で、エドワードが真剣な表情で号泣宣言をする。本気で協力するつもりはないようだ。
さすがに本気で身の危険を感じたらしいルージュは、ギロリと裁判官たちを睨みつけると「早くなさい!!」と叱責する。最高裁判官に凄まじい勢いで怒られたことで、裁判官たちは慌てたように承認していった。
ようやく最後の1人が承認を終えると同時に、ルージュは外に放り出されて右往左往していた身なりの整った男性と女性を2人ずつ捕まえてくる。鬼のような形相の最高裁判官に捕まえられ、彼らは「ひいッ」と悲鳴を漏らしていた。
「メイユール侯爵、サラヴェル伯爵夫人、オラガ侯爵夫人、カディス伯爵。今すぐにこの法律を承認なさいですの」
「え、あのこれは」
「いいから承認なさい!! 世界が混沌に満ちてもいいんですの!?」
たじろぐ貴族たちに一喝し、ルージュは魔法使用倫理協定を承認させる。承認した証明として、彼女が差し出した冊子の表紙に承認した貴族たちの名前が書き込まれた。
「ユフィーリアさん、あなたも」
「はいはい」
最後の砦である公爵家の承認は、ユフィーリアが担った。ルージュに叱責されるより先に、彼女は自前らしい羽ペンで冊子の表紙に自分の名前を書き込む。
裁判官からの承認は得られた。伯爵以上の家格を有する貴族からも、公爵家からの承認も得られた。これにて魔法使用倫理協定は制定された。
ルージュは制定された魔法使用倫理協定の冊子をグローリアの眼前に突きつけ、
「さあ、グローリアさん。あなたを罪人として立証する準備は整いましたの。これで先程までの暴挙を」
「何のこと?」
グローリアは首を傾げて、
「もう戻したけれど」
「え?」
ルージュは視線を周囲に巡らせた。
建物は、何事もなかったかのように存在していた。消されたはずの中央魔法裁判所の建物もきちんと目の前にある。最初から、グローリアが及んだ暴挙の痕跡などなかったかのように全てが元通りとなっていた。
通行人や建物から追い出された一般人、中央魔法裁判所の建物から強制的に外へ放り出された利用者や事務員や被告人なども唖然としていた。一体それまでのやり取りは何だったのか。
「やだなぁ、法律施行前の罪を引き合いに出されても困るんだけど。僕はちゃんと、魔法使用倫理協定が制定されるより前に建物は直しておいたよ」
「なッ」
「残念だけど、僕を罪人として裁けないね。何せもう罪人じゃないしね。でもこれから僕と似たようなことをする魔法使いや魔女が現れたら裁けるし、いいじゃないか」
「ちょッ」
ルージュはまだ何か言いたげにしていたが、法律が成立する前にグローリアが建物を直してしまったので彼を罪人として裁けない。彼が魔法で建物を消したという事実を何からの形で証明しない限りは罪を立証できなくなってしまった。
グローリアは用事が済んだと言わんばかりに中央魔法裁判所から撤退していく。「キクガ君、行こうか」と言われてしまったので、キクガも撤退を余儀なくされる。
去り際、振り返るとルージュが鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。美人が台無しである。迫力のある形相から、キクガは思わず目を逸らしてしまった。
「グローリアさん、覚えてらっしゃい!!!!」
ルージュの怒声が背後から叩きつけられたが、グローリアは笑い飛ばすだけに留めた。




