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異世界出身の獄卒、アズマ・キクガは上昇《のぼ》りたい  作者: 山下愁
第10章:法律

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【第4話】

 グローリアと共に、キクガは中央魔法裁判所の建物前まで戻ってきた。



「さて、どうしよっかなぁ」



 目の前にそびえ立つ中央魔法裁判所の建物を見上げて、グローリアは今日の夕食の献立こんだてを考えるかのような軽い口調で言う。


 キクガは不安でしかなかった。彼に任せても大丈夫だろうかという心配が、今更ながら頭の中を占拠する。

 確かに彼は優秀な魔法使いだろう。キクガ自身の勘がそう告げてはいるのだが、いかんせんどういう魔法使いなのか把握していない。ろくきたえられてもいなさそうなので武闘派ではないと予想できるが、果たして本当に任せても問題はないのか。


 不安げな眼差しを背後で感じ取ったのか、グローリアがキクガへと振り返る。それから「心配しないでよ」と笑って、



「大丈夫だって。僕だってちゃんと作戦があるんだよ?」


「本当かね?」


「もちろんだよ。任せて任せて、ちゃんとその法律を施行させるから」



 グローリアはそう言うと、軽く右手を持ち上げた。


 何をするのかと思えば、彼の右手にいつのまにやら真っ白な革表紙が特徴的な分厚い本がにぎられていた。真っ白い本の重みを確認したグローリアは、その本を適当に開く。

 手元をのぞき込んでみたが、何かの魔法が記された書籍ではなく、ただの無地のページが広がっているだけだった。表紙も真っ白ならば中身も真っ白である。どこまでも白に統一された、不思議な本だった。


 広げた無地のページに左手をかざしたグローリアは、



「『あ、あー。うん。これで聞こえるかな。きーこーえーるーかーなー』」



 声が二重になって、周辺に響き渡った。



「ッ!? 何かねこれは、魔法か?」


「『魔法だよ。拡声魔法かくせいまほうって言うの』」



 何らかの魔法を使用した状態で語るグローリアに、キクガは納得した。

 なるほど、拡声魔法とは適した表現である。確かにこれは拡声器を使用した時と同じような響き方だ。すぐ近くの通行人も驚いたように足を止めて周囲に視線を巡らせていた。


 グローリアは中央魔法裁判所周辺に聞こえるような声で、



「『ご通行中の皆様、こんにちは』」



 それはそれは、爽やかな笑顔と共にこう宣告した。



「『今から魔法の実験をしまーす。危ないので建物から離れてくださーい。自力で離れるのが困難な方は転移魔法で移送するので、そのままお待ちくださーい』」



 急にそんなことを言い出し、キクガは混乱した。


 魔法使用倫理協定に関して成立させる為に動いていると思ったら、何故か急に魔法の実験という展開である。グローリアのやりたいことがよく分からなかった。

 混乱するキクガを華麗かれいに置いてけぼりにし、グローリアはなおも拡声魔法を使用した状態で「『はいそこ、危ないよ』」とか「『建物に近寄らないで』」とか「『中に人はいる? いない?』」とか通行人に呼びかけていた。グローリアの呼びかけに訳も分からず従う通行人は建物から離れ、また建物の中から飛び出してきた。グローリアの謎めいた行動に不満そうである。


 グローリアは通行人が建物から離れたところを確認すると、



「はい、削除っと」



 掲げた右手を、サッと振り下ろした。


 次の瞬間。

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 訳が、分からなかった。



「は?」



 キクガの口から、そんな声が漏れていた。


 中央魔法裁判所の周辺には、それなりに建物が密集していたはずだ。喫茶店もあり、レストランがあり、集合住宅があり、新聞社があり、何かの企業が入った建物までたくさんあった。誰かの生活空間があり、誰かの職場があり、誰かの未来があったはずで。

 それが、まるで消しゴムでも使ったかのように一瞬でなくなった。通行人も、今しがた建物から出てきたばかりの人々も、急に消失した建物の群れを前に唖然あぜんとしていた。何が起きたのか分からず、ただ目を見開くばかりである。


 建物を消し飛ばした張本人であるグローリアだけは、通常運転だった。彼はぐるりと周囲に視線を巡らせ、



「うーん、もうちょっと消しておこうかな。魔法の実験に使うにしてはここら辺って建物が密集してるし。邪魔なんだよね」



 予定を整理するぐらいに軽い口調で、グローリアは右手をぞんざいに振る。


 どこかで悲鳴が起きた。どこかで怒号が聞こえた。混乱の声が、戸惑う声が、晴れ渡った空に響き渡る。

 次々と建物が消えているのだ。人々の生活空間が、これから紡がれるだろう未来が、一瞬にして消えていっている。ようやく通行人たちは事態を飲み込むことが出来たようで、怒りの眼差しをグローリアに向けていた。


 だが、誰かが詰め寄ろうとしたが、その前にグローリアが動く。



「動かないでよ。邪魔だなぁ」



 彼が指をパチンと鳴らすと、それだけで通行人たちの動きが止まった。まるで彼らの時間が止められてしまったかのように。



「グローリア君、これは一体」


「もちろん、作戦だよ。結局のところ、こういうのが1番効率がいいんだよ」



 グローリアの暴挙を止めようと口を開いたキクガに、彼はほがらかに笑うばかりだった。今はその笑顔が妙に怖い。



「あ、ほら来たよ。お望みの人たちが」



 グローリアがそう言ったので、キクガは反射的に顔を上げた。


 中央魔法裁判所から、見覚えのある人物が複数の人間を伴って慌てた様子で走り寄ってくる。建物が消えていく様は中央魔法裁判所からでも認識できたのだろう。彼らの表情は一様に引きっていた。

 中でも、先頭に立つ赤い髪に赤いドレスの魔女は鬼のような形相を浮かべていた。怒っていることは間違いない。キクガの背筋に冷たいものが伝う。



「グローリアさん、あなた何をなさっているんですの!?」



 中央魔法裁判所の最高裁判官であるルージュ・ロックハートを前に、グローリアは全く怯む気配すら見せず、笑顔で応じた。



「これはこれは、愚かな最高裁判官殿。ご機嫌いかがかな? 今ちょうど魔法の実験中なんだけれど」



 2人のにらみ合いに、キクガは『カーン』というゴングの音が聞こえたような気がした。

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