【第6話】
オートマチックライター、もといタイピングの指導などやり方は決まっていた。
「練習あるのみな訳だが」
「いやそうなんだけど」
「いきなり長い文章を聞きながら打ち込むのは無理がある訳だが。徐々に慣らしていくのが最適とされている」
そんな訳で、キクガはあらかじめ冥界で本を購入していた。
取り出したものは薄い本である。表紙がやたら硬く、ページそのものも分厚く汚れを拭き取りやすいように撥水性の高い材質が使われ、さらに表紙には男の子と女の子のニコニコした笑顔が特徴的な絵が描かれている。タイトルも「にこにこえがお」と可愛らしい。
どこからどう見ても絵本であった。
「今から単語を読み上げるので、それらを入力しなさい。入力は5秒以内とする」
「5秒か」
「出来るかねぇ」
ユフィーリアとエドワードは難しそうな表情を見せるものの、首肯だけでキクガの命令を受け入れた。
彼らがオートマチックライターのキーに指先を置いたところを確認してから、キクガは絵本を開く。
クレヨンを使用したかのような優しいタッチの絵本は、やはり子供が好みそうなものであると推測できる。そういえば、元の世界に残してきてしまった4歳の息子は元気だろうか、と頭の片隅で考えてしまった。
迷いを振り払い、キクガは絵本に視線を落とす。
「では参る」
「おう」
「はいよぉ」
ピリ、とした緊張感が肌を撫でた。ユフィーリアとエドワードの瞳に、真剣さが宿る。
「犬」
カタカタチーン。
「猫」
カタカタチーン。
「鳥」
カタカタチーン。
「豚」
カタカタチーン。
「牛」
カタカタチーン。
「兎」
カタカタチーン。
オートマチックライターのタイプ音が豪奢な客間に響く。
ユフィーリアとエドワードは真剣な表情でオートマチックライターに臨んでいる。ユフィーリアの白魚のような指先が、エドワードの無骨で長い指が、的確にオートマチックライターのキーを叩いていく。
改行するたびに鳴り響く鐘の音が聴き心地がいい。まるで仕事をしている気分になってくる。キクガは実のところ、家族と過ごす時間よりも仕事をしている時間の方が好きなのだ。目標が片付く瞬間の、あの何とも言えない達成感は何度味わってもいいぐらいである。
と、そんなことを頭の片隅でぼんやり考えつつ、キクガは「ふむ」と頷いた。
「5秒以内に返せている訳だが」
「あの程度に5秒もかかるかよ」
「だよねぇ。一応こっちだって対策はしてるしぃ」
キクガの言葉にユフィーリアとエドワードがちょっと誇らしげに返してきた。
「なるほど、まだ余裕があると」
「あ」
「これはぁ……」
まだまだ余裕のある表情のユフィーリアとエドワードが、キクガの発言に顔を引き攣らせた。「墓穴を掘った」と言わんばかりの表情だが、もう遅い。
「それでは単語の長さを変える訳だが。それらを5秒以内に返しなさい」
「ゔあああ!!」
「ユーリが余計なこと言うからぁ」
「うるせえ、お前も余計なことを言ったろうが!!」
ユフィーリアとエドワードが互いの脇腹を仲よく小突き合う。実に仲睦まじいことである。
「まだ余裕がある見た。ならば単語の長さを増やした上で、3秒と時間を短縮しよう」
「え、怖い怖い怖いこんな怖い教育見たことない!!」
「キクガさんの指導ってこんな厳しいのぉ?」
「何を言うのかね」
非難めいた、あるいは怯えた眼差しを向けてくるユフィーリアとエドワードに、キクガは朗らかに笑いながら言った。
「暴力が出ないだけ大分優しく指導している訳だが。ほら、早く指を置いて構えなさい。読み上げる訳だが」
「暴力……」
「龍帝国の人は恐ろしいねぇ……」
何かぶちぶちと文句を言ってきたが、キクガは無視して単語を読み上げた。
☆
死屍累々となっていた。
「大丈夫かね」
「精神的に疲れた」
「本当だよぉ……」
豪奢なソファに身を投げ出すエドワードの膝の上に、ユフィーリアが仰向けで倒れ込んでいた。2人とも表情が疲れ切っている。
それほど長い単語を読んだ覚えないのだが、キクガが与える威圧感に怯えながら指導に臨むものだから疲れたのだろう。ただ、キクガ自身に相手へ威圧感を与えたことは気づいていない様子だった。
ユフィーリアは死んだ魚のような青い瞳でギョロリとキクガを見やり、
「何でそんなに厳しいんだ……」
「厳しくした方がより上達できるからだが」
キクガはしれっと絵本を閉じながら、
「おかげで6文字の単語を2秒以内に返せるようになった訳だが」
「いやまあ、そうなんだけど」
ユフィーリアは「指も疲れたぁ」と主張する。指の疲労感など、明日にでも回復するだろう。
そろそろ指導も切り上げてお暇でもするかと考えた矢先、ユフィーリアが唐突にエドワードの膝上から弾かれたように跳ね起きる。それから客間の扉を見やると、何やら得心したように「ああ」と頷いた。
彼女が立ち上がると、エドワードもそれに合わせてソファから立ち上がる。何かあったのかと彼女たちの顔を見上げると、2人とも表情がどこか緩んでいた。
ユフィーリアは右手を軽く振り、
「よく来たな、ほら持ってけ」
それだけ言う。
おそらく何らかの魔法を使用したのだろうとは思うのだが、魔法の教養がないキクガは何の魔法を使ったのかさえ判断できない。首を傾げるばかりだ。
ソファに座り直したユフィーリアは、キクガが不思議そうにこちらを見ていることに気づいて先程の行動の説明をしてくれた。
「ああ、玄関先に子供たちが来たっぽいからな。魔法で菓子をあげてた」
「なるほど。何かと思った」
キクガは納得したように頷いた。
ユフィーリアは公爵家の当主である。子供とはいえ収穫祭に乗じて悪漢が襲ってくるとも限らない。彼女は目を見張るほどの美しさを持っているのだから、表に出ないという選択肢を取るのも致し方ないだろう。
ふと、ここであることを思い出した。別に大したことではないが、収穫祭の意味を思い出したのだ。
「ユフィーリア君、そしてエドワード君も」
「何だ?」
「どうしたのぉ?」
2人揃って首を傾げてキクガに応じる。
「……私の故郷では、収穫祭の時にこのような行動をする訳だが」
そう言って、キクガが絵本の間に挟むように持ってきたものは。
「『祖霊を祀る』という意味を込めて、ご両親やご兄弟に手紙を書いてみるのはどうかね?」
何の変哲もない、レターセットだった。




