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異世界出身の獄卒、アズマ・キクガは上昇《のぼ》りたい  作者: 山下愁
第8章:葬送

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【第10話】

「ぁ、え?」



 レイモンドの口から、よだれと共に間抜けな声が漏れた。

 カクカクと彼のつぶらな双眸そうぼうが、自分の胸元を映す。そこには確かに巨大な氷柱つららに貫かれた彼自身があった。地面から突き出た氷柱はレイモンドの肥えた身体を容易く貫通しているが、その冴え冴えとした美しさは損なわれていない。


 震えながら顔を上げたレイモンドと目が合った。彼は絶望と怒りの感情をぜにした瞳でキクガを見据え、



「これは、何だ。どういぅ、つもりだ……」


「私は言った訳だが」



 冷たい瞳でレイモンドを見下ろすキクガは、



「『間違っても冥府転移門めいふてんいもんに飛び込まないでほしい』とお願いした。それでも自分の欲望を優先させて冥府転移門を潜ったのは君だ、レイモンド・カタラーナ」


「答えになっていない」



 レイモンドの声に覇気はきはない。


 見れば、彼の身体には徐々にしもが下りていた。氷柱つららに貫かれたことで凍結が彼の身体を侵食している様子である。

 事前に聞いていた情報だが、あの氷柱は特殊な魔法で作られたものらしい。貫通されることはおろか、触れただけで凍り付いてしまうほどの強力な魔法が込められている。レイモンドの身体が、衣服が、ゆっくりと氷漬けにされているのは、それが原因である。


 体温が氷柱によって奪われているからか、レイモンドの顔色が悪くなっていく。それでもキクガをにらみつける眼光の鋭さは維持されたままだ。



「この、氷柱は何だ、と」


「君はこれから、深淵刑場に送られる」



 キクガは淡々とした口調で事実だけを告げた。



「君は知らないだろうが、現在の法律に照らし合わせると脱獄や脱走は『世界の仕組みに対する裏切り』と見做みなされて深淵刑場送りになる訳だが」



 脱獄や脱走は、法律に基づいて裁かれた事実から逃げ出すことでおり、広義的に見れば『世界の仕組みに対する裏切り』に該当する。現在の法律でそう定義されているので、嘘や冗談ではない。

 この知識は、最高裁判官のルージュから教えられたものだ。レイモンドを裁くには利用できる法律である。


 レイモンドは「嘘だ……」と弱々しい声で否定し、



「獄卒は……冥府総督府で働く以上は……裁きなど受けるはずが……」


「何を言っているのかね」



 キクガは呆れたように返す。本当に、この肥えた阿呆獄卒は脳味噌のうみそがお花畑に侵食されているようだ。



「獄卒は、地獄で呵責《かしゃく、》を受ける罪人たちの延長線上にある訳だが。冥府総督府での労働が罪人たちの受ける呵責の代わりであり、冥界での生活態度や冥府総督府での勤務態度によって獄卒の罪禍が増減する訳だが」



 獄卒が決して罪人に転落するなどない、という認識は誤りである。地獄で苦しむ罪人たちとは違い、獄卒は日々の労働が呵責かしゃくの代わりだ。

 勤務態度や生活態度によって生前に受けた罪が清算され、罪を雪げば獄卒を卒業できる。逆にいつまでも獄卒から卒業できない場合は、それほど罪が重いのか日々の勤務態度や生活態度が悪いことを示唆していた。


 レイモンドの場合、日々の労働で罪は清算されていても、日々の生活態度のせいで罪禍ざいかを増やしに増やしまくっていた。そしてトドメとして冥界からの脱走である。深淵刑場行きは避けられない。



冥府転移門めいふてんいもんを潜らなければ、君はまだ記録課課長の立場でいられた訳だが。欲望に負けた君がいたッ」



 唐突に横合いから衝撃が飛んできた。


 見れば、頭の先から爪先まで真っ黒なコートで全身を覆い隠した謎の人物が立っていた。キクガに体当たりをしてきたのもこの人物である。

 真っ黒な手袋に覆われた指先をツイとレイモンドに向ける。言葉はないが、相手の態度で言わんとすることを判断できた。


 キクガはひとつ頷き、レイモンドへと向き直る。



「喜びなさい、課長。こちらの御仁ごじんが深淵刑場にお連れしてくれるようだが」


「ッ!!」



 レイモンドがあからさまに息を呑むのが見えた。徐々にしもが下りて凍り付く身体を懸命に動かし、彼は背後で口を開いたままになっている冥府転移門めいふてんいもんへと首を向ける。



「め、冥王様、そう判決を下されたのですか……ぼ、ぼくは……ぼくは、本当に……?」


「あら、何か勘違いをなさっているようですの」



 そこで口を開いたのは、今まで沈黙を保っていたルージュだった。彼女は不思議そうに首を傾げると、



「深淵刑場は本来、冥界の『地獄』には該当しませんの。あそこは終わりの女神エンデ様の神域であり、エンデ様が最も嫌う裏切り者だけが引きり込まれるんですのよ。都合がいいから冥界側に間借りしているだけですの」


「そうなのかね。てっきり深淵刑場も冥王が管理しているのかと」


「深淵刑場に罪人を落とす場合は、エンデ様に代わって神域の権限を渡された方に許可を得る必要があるんですの」



 ルージュは黒コートの人物を指差すと、



「それがそこにいらっしゃる第七席ですの」


「なるほど」



 キクガが黒コートの人物に視線をやると、相手はピースサインなんかをしてきた。意外とノリのいい人物らしい。性別すらも判別できないが。


 黒コートの人物はキクガから視線を外すと、右手を天高く突き出す。

 その動作が何かの引き金を引いたのか、真冬の如き冷たい空気がキクガの肌を撫でた。思わず身を震わせる。周辺の天気や空気感は変わっていないはずなのに、キクガの側だけが何故か異様に寒く感じた。


 その時、





 ――ギィィィ。





 蝶番ちょうつがいきしむような音が、真上から聞こえた。


 顔を上げると、晴れ渡った青空に亀裂が生まれていた。まるで門が開いていくように亀裂が徐々に広がっていき、その向こう側の世界を覗かせる。

 分厚い雲に覆われた灰色の空、地獄の様相とは真逆な真っ白い大地。凍てつく風が吹き荒び、綿雪が風に乗って暴れる。真冬を通り越して凍結した世界にポツリポツリと点在する不恰好な氷像は、もしや裏切り者として判決された罪人か。


 凍り付いた世界から、冷たい風が吹く。空に生まれた亀裂きれつの向こう側に新たな裏切り者を引き摺り込むべく風が吹き、自らの身体を貫く氷柱ごとレイモンドがふわりと浮かぶ。



「キクガさん、冥府天縛めいふてんばくを外すんですの」


「おっと、そうだった訳だが」



 レイモンドの身体をいましめていた純白の鎖を回収しようとするが、



「い、嫌だぁ!!」


「む」



 宙に浮かぶレイモンドが冥府天縛めいふてんばくを掴む。深淵刑場に引きり込もうと吹き付ける風に抗うかの如く、純白の鎖を懸命に掴んで手繰たぐり寄せていく。氷柱つららに貫かれ、全身に霜が下りてもなお現世に執着する愚かなもはや感心せざるを得なかった。

 キクガは冥府天縛を振ってレイモンドを引き剥がそうとするも、執念でレイモンドは冥府天縛にしがみつく。この男、本当にしつこい。


 何とかしてレイモンドを深淵刑場に叩き込めないかと考えを巡らせると、





 ――ダァン!!





 それは紛れもなく銃声だった。


 開け放たれたままになっていた冥府転移門めいふてんいもんから、銃弾が飛来してくる。銃弾は寸分の狂いもなく、冥府天縛めいふてんばくを掴んでいたレイモンドの手の甲を撃ち抜いた。

 レイモンドがあまりの痛みに悲鳴を上げる。手の甲を撃たれた痛みのおかげで冥府天縛を離してしまい、彼の丸々と太った身体はまるで風船のように浮かび上がると、晴れ空に生まれた巨大な亀裂の向こう側に吸い込まれて消えた。





 ――バタン。





 扉が閉じる音が響く。


 レイモンドを飲み込んだ亀裂は、もう用済みだと言わんばかりに閉ざされた。真冬にも似た空気は和らぎ、暖かな空気がキクガを包み込む。

 現実とは思えない出来事が起きたにも関わらず、喧騒けんそうは賑やかだった。中央魔法裁判所の敷地の外では親子の和やかな会話が飛び交い、勤め人が忙しそうに通り過ぎていく。何事もなかったかのように――罪人が深淵刑場に叩き落とされた事実など知らないと言わんばかりに、時間は流れていく。


 ルージュは冥府転移門めいふてんいもんに視線をやり、



「冥王陛下による監督不行届は、今回は不問としますの。そして、先程の銃弾による介入も不問としますの」



 ルージュがそう宣言する。


 ある種の達成感を得たキクガは、黒コートの人物に協力してくれたお礼を述べようと周囲を見渡した。

 しかし、残念ながら黒コートの人物は、もうすでにキクガの認知できる範囲から消えてしまっていた。

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