【第8話】
翌日である。
「アッシュよ、分かるか」
「何となく」
キクガを現世に送り出してから、アッシュとオルトレイは冥王の法廷で再び待機していた。2日間に分けて執り行われる死刑の執行で、連行されてきた罪人が逃げ出さないように監視する役目と逃げ出した際に捕まえる仕事を負ったからである。
昨日と変わらない仕事内容、そして昨日と変わらない冥王の法廷だが、妙な緊張感が漂っていた。薄気味悪い空気がひしひしと肌から伝わってくる。何かを狙っているかのような、そんな雰囲気だ。
アッシュはオルトレイの脇腹を小突くと、
「おい、何か見つからねえのか?」
「見つけるには見つけたがな」
オルトレイは音もなくツイと視線を横に滑らせる。
視線の先にいたのは、今回の裁判でも記録係を命じられた記録課課長のレイモンドである。彼の直属の部下である第1分室所属の獄卒も控えている。昨日と同じように羽ペンの消耗具合とインク瓶の残量を確認しているが、彼らのまとう感情のオーラに嫌な予感を覚えた。
様々な色味が混ざり合い、どす黒く変色しているのだ。色々な感情が混ざった結果、どす黒い色を作ってしまったのだろう。ただ、最も濃い色が『欲望』の感情を示す紫色であることが窺える。
特に色濃い感情を剥き出しにしているのが、記録課課長のレイモンドであった。何かを待つように、彼は冥王の法廷にギラギラとした視線を巡らせている。
「レイモンド・カタラーナめ、何を企んでいるのやら」
「初手で殴っておいたらダメか?」
「戯け、何の証拠もなしに暴力を振るうのは下策だ。せめて何か証拠があればいいのだがな」
「テメェの魔眼が何よりの証拠じゃねえか」
「俺の魔眼を証拠として提示したとて誰が信じる。鼻で笑われて終わりだ」
確かにオルトレイの魔眼なら証拠にはなるだろうが、その魔眼が弾き出した情報をすんなり信じる獄卒が果たしてどれほどいるだろうか。少なくとも冥王第一補佐官のキサラギは絶対に信じない。冥王ザァトも確たる証拠を要求してくるはずだ。
やはり現行犯で取り押さえることが確実ではある。オルトレイとアッシュの身体能力を持ってすれば、あの太っちょ課長を取り押さえることは簡単だろう。走るよりも転がった方が速そうなレイモンドの足止めなど造作もない。
警戒心を最大限にまで引き上げた、その時。
――――ガコン。
昨日と同じく、歯車が噛み合わさるような音が冥王の法廷に響き渡った。
巨大な骸骨が支える純白の扉が、冥王の法廷のど真ん中に出現する。冥界と現世を繋ぐ、生死の境界線たる扉――冥府転移門。どうやらキクガが罪人を連行してきた様子である。
様々な人骨が組み合わさって作られた純白の扉が、ゆっくりと開かれていく。もったいぶるように、ギィと蝶番を軋ませながら。オルトレイとアッシュは一瞬だけ、何かを狙うレイモンドから視線を外してしまった。
ガタンと椅子を跳ね飛ばす音で我に返る。視線を戻すと、レイモンドが冥府転移門めがけて駆け出していた。
「野郎!!」
「やはり狙いは冥府転移門か!!」
ギラギラと欲望に塗れた眼球で前を見据え、短く太い足を動かして疾駆するレイモンド。その体型に見合わず俊敏さを見せたのは、火事場の馬鹿力がなせる技だろうか。
オルトレイとアッシュはほぼ同時に駆け出し、レイモンドを止めようと動く。反応はやや遅れてしまったが持ち前の運動神経で追いつけるほどの距離だ。
だが、駆け出したオルトレイとアッシュの身体を横合いから凄まじい衝撃が貫いた。不意打ちをモロに受けたオルトレイとアッシュは足を縺れさせ、無様にすっ転んでしまう。冥王の法廷の床に叩きつけられたところで上から重たい何かがのしかかってきた。
第1分室の獄卒たちが、必死の形相でオルトレイとアッシュを押さえ込んでいた。
「テメェら、自分が何してんのか分かってンのか!?」
「死者が冥府転移門を潜るなど言語道断だ、冥府総督府全体の責任が問われるぞ!!」
アッシュとオルトレイはのしかかってくる獄卒たちを怒鳴りつけるが、怯んだ様子すら見せずに彼らは冥府転移門を目指すレイモンドに叫んだ。
「行ってくださいレイモンドさん!!」
「課長、お元気で!!」
「俺たちもすぐに追いかけてやりますよ!!」
部下の言葉に一瞬だけこちらを振り返ったレイモンドは、口の端を持ち上げただけの反応を見せる。
彼が冥府転移門に到達するまであと少し。身体の上にのしかかる獄卒たちは、アッシュとオルトレイを行かせまいと懸命に体重をかけてくる。おかげで骨が軋むし、内臓が押し潰されそうだ。
決死の覚悟でアッシュとオルトレイを押さえ込む度胸は認めよう。だが、オルトレイにも魔法使いとしての矜持がある。こんなところで有象無象に地べたを舐めさせられる訳にはいかないのだ。
ギッと冥府転移門に近づくレイモンドを睨みつけたオルトレイは、
「おのれ、この豚野郎。この俺を地べたに這いつくばらせるとは、ただではおかん!!」
そう叫ぶや否や、オルトレイは魔法を組み上げる――自分が最も得意とする魔法を。
「1番――《開門》!!」
ゴゴ、という鈍い音。
冥王の法廷の、天井付近。まるで水滴を受けた水面の如く揺らぐ空間の中心から、ぬるりと黒々とした砲身が吐き出された。1門だけだが、1人の獄卒を吹き飛ばすには十分すぎる武装である。
これがオルトレイの得意とする魔法だった。大量の、あらゆる銃火器を生み出す魔法――それはもちろん、弾丸や砲弾も含まれる。
ギョッとする表情で振り返ったレイモンドに狙いを定め、オルトレイは自らが魔法で生み出した大砲に命じた。
「《放て》!!」
砲身が轟音を奏でる。
耳を劈く砲声と共に砲弾が放たれ、冥府転移門に駆け寄るレイモンドのすぐ側に着弾。粉塵を巻き上げながら爆発をした。
爆発の衝撃で法廷の床材が捲り上げられる。もうもうと視界を塞ぐ砂埃。霞む視界で僅かに捉えた法廷に、レイモンドの姿はなく。
開け放たれた冥府転移門の扉の向こうに、誰かの足が飲み込まれていくのを確認した。
「くそ、何てことだ……!!」
「1歩遅かったか!!」
アッシュとオルトレイは忌々しげに舌打ちをする。
死者が生死の境界線を超えてしまった。冥府天縛の所持者であるキクガならばまだしも、レイモンドは正しくこの世界で死を迎えた歴とした死者だ。どんな責任が冥府総督府に問われるか分からない。今度こそ最高裁判官のルージュ・ロックハート女史はお怒りになるだろう。
いいや、それどころではない。レイモンドは果たして現世で何をするつもりなのか。あれだけ欲に塗れていたのだ、何かよからぬことを起こすのは想像に難くない。
せめて扉の向こうにいるだろうキクガに事の次第を伝えようとしたが、
「――――潜ったな」
開け放たれた冥府転移門の、先の見通せない深淵の先から。
キクガの、それはそれは嬉しそうな声と共に。
じゃらり、と鎖の音が幾重にもなって聞こえてきた。




