【第6話】
冥王の法廷は異様な緊張感に包まれていた。
「中央魔法裁判所による直葬の依頼……これは間違える訳にはいかん……」
「冥王様、このキサラギが補佐しますのでどうか気を楽に」
見上げるほど巨大な執務机に向かう無数の眼球が浮かんだ靄のような存在――冥王ザァトが緊張気味に何事か呟いていた。不安げに机の上で指を組み替えたり、靄の中央に浮かぶ色とりどりの眼球が忙しなく蠢くので不安を覚えていることは間違いなさそうだ。
そんな上司を心配してか、冥王第一補佐官のキサラギが励ますような言葉を投げかける。猫撫で声で冥王に擦り寄る姿が面白くて、無様で、オルトレイは密かに笑いを漏らしてしまった。
肩を震わせるオルトレイへ、隣に立つアッシュが軽く小突く。
「おい、笑ったらこっちまでトバッチリを食うだろ」
「すまん……ふふッ、くッ、補佐官じゃなくて小姓の方がいいんじゃないか」
見てくれだけは、まあ、整っている方ではあるので『小姓』の表現は最適かもしれない。冥王第一補佐官としての仕事っぷりはお粗末なものだし、冥王に対してあのような態度である。裁判の補佐ではなく日常生活のお世話役でもしていた方が有能ではないだろうか。
笑うオルトレイの雰囲気を察知したのか、キサラギが鋭い眼光をこちらに突き刺してきた。持ち前の根性で笑いを鎮めたオルトレイは澄まし顔で誤魔化す。隣のアッシュが呆れたようにため息をついたのが分かった。
オルトレイは「心配するな」と小声で言い、
「どうせ奴は追い出せん」
「どうだかな。癇癪起こして追い出すような真似でもしなけりゃいいが」
「戯け、そんなことをすればあの鈍臭い冥王第一補佐官殿が罪人を捕まえられる訳がなかろう」
オルトレイとアッシュが今回の裁判に同席できたのは、ひとえに脱走の恐れがある罪人を相手にするからである。脱走した場合、運動神経の鈍い冥王第一補佐官のキサラギでは捕まえることが不可能だからだ。
冥府総督府内で運動神経が優れているのは、オルトレイとアッシュたちの現場に密接した獄卒である。オルトレイは魔法の腕前はおろか身体能力の高さも自信を持っているし、アッシュは狩猟民族の元族長だ。獲物を追いかけることに関して言えばアッシュの方が長けている。
へらへらの余裕の素振りを見せるオルトレイは、
「キサラギの奴も分かっているだろうさ。俺たちを追い出して、もし罪人が法廷から逃げ出したら確実に自分たちの責任になる。中央魔法裁判所から説教どころの話ではなくなるな。冥王ともども首を飛ばされるぞ」
「分かった分かった、名探偵様のご随意のままに」
「わざわざお前の為を思って説明してやったのだろう。感謝せいよ、駄犬が」
「うるせえな、話が長えんだよテメェは。シモの世話も焼けねえジジイか」
「戯け、お前よりジジイだわ」
懇切丁寧に説明をしてやったというのに、アッシュはその説明がダラダラと長いことが気に食わなかった様子であった。うんざりしたように適当な返事をしてきたので、彼のご自慢の毛皮を容赦なく毟ってやった。せいぜい円形脱毛症を疑われて笑われるがいい。
相手がキクガだったら話を最後まで聞いてくれるし、的確な意見や質問などもしてくれるだろう。彼は頭がいいし飲み込みも早いので話し甲斐がある。アッシュとは大違いだ。
オルトレイは「まあ、問題は」と呟き、広々とした法廷内に視線を巡らせた。
「あいつだろうがな」
「ああ、記録課の」
アッシュもオルトレイの言いたいことを理解したようで、同じ方向に視線を投げかける。
緊張気味な冥王ザァトを宥めるキサラギのすぐ側を陣取り、羊皮紙と羽ペンを用意する集団が控えていた。裁判の記録を残す仕事を請け負った記録課の第1分室所属の獄卒たちだ。
特に気合いの入りようが凄いのは、課長のレイモンド・カタラーナである。冥王ザァトと冥王第一補佐官のキサラギに媚を売る気満々なのか、インクの状態や羽ペンの先などを入念に確認していた。冥王第一補佐官から認められて昇進したいのだろう。
オルトレイとアッシュは密かに顔を顰め、
「あんな金豚野郎に何が出来るのだろうな。せいぜい記憶力に優れているだけだろうに」
「冥王様に媚を売ることしか考えてねえだろ、絶対。この前だって現場の奴に突っかかってきたんだぜ、理由もなくな」
「脳味噌にまで贅肉が詰まっているのだろうな。まともに取り合ったらお前も豚になるぞ」
「ぶひぃ」
「お、今日の晩飯はローストポークかな」
「冗談に決まってるっての」
現世から罪人の魂が直接送り込まれてくるまでに暇なので、アッシュとオルトレイでどうでもいいやり取りが繰り広げられる。小声なので誰も咎めることはない。
その時だ。
どこからか、ガコンという音がした。まるで歯車が噛み合わさったかのような。
その音を聞いた法廷内にいる獄卒たちは、広々とした法廷に突如として現れた純白の門扉に息を呑んだ。
「冥府転移門……」
冥王ザァトの口から、純白の扉の正式名称が滑り落ちる。
巨大な骸骨に支えられる純白の扉は、目を凝らすと多種多様な骨で構成されているのが確認できる。指の骨、手の骨、足の骨、胸骨、肋骨、腕の骨などが積み木の如く折り重なり、あるいは積み上げられて門を構成していた。
実に趣味の悪い扉が、外側からゆっくりと開いていく。扉の開かれた向こう側は、少し先すら見通すことが出来ない深淵。そこからスラックスに包まれた足が伸びてくる。
「ただいま戻りました」
冥府転移門を潜り抜け、純白の鎖を引き摺りながら法廷に足を踏み込んできたのは、冥府総督府内で期待の新人と噂されるアズマ・キクガその人だった。
彼の右手に巻き付けられた純白の鎖は、草臥れた印象のある男を拘束していた。散々暴れ回った影響だろう、彼の表情は疲れ切っていた。
キクガは罪人の男を無理やり立たせると、
「ほら、裁判を受けなさい」
「俺に指図を」
「整形に興味はあるかね? 最近のトレンドは鼻を曲げることらしいが」
物騒なことを言うキクガが拳を掲げると、逃げるように罪人の男は冥王ザァトへと向き直っていた。
一悶着はあったが、無事に裁判は開始される。キサラギが罪状を読み上げ、それから冥王ザァトが所定の刑場に振り分けられる。かの罪人は第1刑場に収容されるようだった。
裁判はこれにて終了である。何の問題もなく、滞ることもないまま終わった。幸いにも罪人は逃げ出す素振りを見せなかったので、目論見が外れて幸運だった。
「オルト、あれ」
「どうした、アッシュ」
「レイモンドの野郎、おかしくねえか?」
「ん?」
アッシュに指摘され、オルトレイはレイモンドへと首を向ける。
裁判が始まる前までは仕事に対して意欲的な姿勢を見せていたが、裁判が始まってからポカンとした間抜けな表情を浮かべたまま椅子に固定されていた。彼の部下が裁判の記録を取ってくれたようだが、課長であるレイモンドが間抜けな顔のまま動かないので怪しむような視線を突き刺している。
レイモンドにしては、仕事をすっぽかすのは珍しいことだ。一体何が原因で彼がそのような状態になってしまったのか。
「まあ、何にせよ仕事は終わりだ。俺たちには関係あるまいよ」
「そうだな」
動かなくなったレイモンドを捨て置き、オルトレイとアッシュはキサラギから「出ていけ」と怒鳴られる前にさっさと退散するのだった。




