【第2話】
冥府転移門を潜り、キクガは中央魔法裁判所の正面玄関に降り立った。
「いらっしゃいましたの」
「む」
暗い冥界から光溢れる現世の地を踏むと、背後から女性の声が投げかけられる。
振り返ると、そこには全体的に赤色で統一された女性が立っていた。真っ赤な髪に真っ赤な瞳、口紅も色鮮やかな赤色のものが引かれ、身につけたドレスすらも赤色を基調としている。目を閉じても彼女の赤色が鮮烈に瞼の裏に蘇りそうだった。
冥府書記官の資格を受験した際、試験監督を務めた最高裁判官――ルージュ・ロックハート女史本人だった。そういえば面と向かって会話をするのはこれが初めてか。
キクガは居住まいを正し、
「お初にお目にかかる。私は」
「冥府総督府記録課所属のアズマ・キクガさんでよろしいですの?」
「……その通りな訳だが」
自己紹介する前に終わってしまった。冥府総督府と表裏一体を成す中央魔法裁判所だからか、獄卒の情報も彼女の耳には届いているらしい。
「わたくしはロックハート侯爵家当主、ルージュ・ロックハートですの。中央魔法裁判所にて最高裁判官を務めております」
「侯爵家のご令嬢だったのかね」
「あら、そう見えませんの?」
「もっと高貴な身分かと」
「お世辞と受け取らせていただきますの」
ルージュは軽く咳払いをすると、
「執務室までご案内いたしますの、ついていらして」
「承知した」
先導するように歩き始めたルージュの背を追いかけ、キクガは中央魔法裁判所の建物内に足を踏み入れた。
☆
案内されたルージュの執務室とやらは、最高裁判官だけあって広々としていた。
天井には水晶で作られたらしい豪勢なシャンデリアが煌々と明かりを落とし、部屋に置かれた家具や調度品はどれも高級感のあるものばかり。壁沿いに配置された本棚には法律関係の書籍の他、裁判記録も束になって整然と収納されている。
一見して金持ちであると判断できる内装をしているものの、不思議と鼻につくような雰囲気はなく、むしろ上品さを感じさせた。これが侯爵家当主に相応しい部屋かと納得する。
紅茶を準備するルージュは、
「おかけになって」
「失礼する」
示されたソファに座ると、あまりにもふかふかすぎて少し驚いた。声を上げるような無様な真似はしなかったが、喉から息を呑む音だけは漏れた。
1人で内心ワタワタとしているうちに、ルージュが紅茶の入ったカップをキクガに差し出す。ふわりと花の香りが鼻孔を掠めた。紅茶も上等なものを飲んでいる様子である。
キクガと向かい合うようにして対面のソファに腰掛けたルージュは、早速とばかりに呼び出した理由について説明し始めた。
「3日後、ある罪人の死刑が執行される予定ですの。あなたにはその罪人を冥府天縛で捕縛し、冥王の法廷まで連行してほしいんですの」
「それは、死刑執行がなされたあとに霊魂だけを縛って連れて行けばいいのかね?」
「冥府天縛を使用すれば、そのような二度手間になるような真似はしないで済みますの」
紅茶を優雅に啜るルージュに、キクガは首を傾げて尋ねた。
「冥府天縛は魔法や能力などを封じる効果があるのでは?」
「正確には『冥府天縛は魂を縛る鎖だから、魔法や能力などが使えなくなる』ですの」
ますます意味が分からなくなった。何かの新興宗教にでも引っ張り込まれたのだろうかと錯覚する。
「いいですの? 人間の肉体は魂の入れ物であり、魔法を使用する為の神経や才能などは肉体に付随される装飾品ですの。魂が肉体という名の器に入るからこそ機能するものであり、魂を拘束されてしまうと魔法や能力が封じられるのは当然ですの」
「その理屈でいくと、冥府天縛を巻き付けて引っ張ったらお手軽に幽体離脱が出来ないかね?」
「普段は魂と肉体は強固に結ばれておりますので、肉体から魂を引っこ抜くような真似は出来ませんの。死の間際、魂と肉体の結び目が緩む瞬間のみ冥府天縛は魂を肉体から引き剥がすことが可能となるんですの」
「なるほど。話を聞く限りではなかなかに冥界らしい代物な訳だが」
懇切丁寧な説明を受け、キクガはようやく納得できた。
冥府天縛にそんなカラクリがあったとは思わなかった。この世界特有の技術である『魔法』に関しては、まだまだ勉強しなければならない部分がありそうだ。
ルージュは「ご納得いただけたようで何よりですの」と言い、
「当日は罪人を冥府天縛で拘束した上で刑を執行しますの。処刑前までには中央魔法裁判所までいらしてくださいな」
「承知したが、私が拘束しなくても死ねば自然と冥府の法廷までやってくるのでは?」
「魔女や魔法使いの執念というのは厄介ですの」
キクガの指摘に、ルージュはどこか遠い目を向けた。
「死刑を執行して素直に冥界へ向かってくれるなら助かりますが、魔女や魔法使いは刑執行の前に何らかの魔法を自らの身体に仕込んでいる可能性があるんですの。具体的に言えば魂だけの存在となって他人の身体を乗っ取ろうと画策したり」
「……私が呼ばれた理由にも納得できた訳だが」
ルージュの言わんとすることを理解したキクガは苦笑を漏らす。
つまり、3日後に刑が執行される死刑囚は魔法使いか魔女なのだろう。魔法という不可思議な技術の達人である魔女や魔法使いならば、死刑執行の前に自分の身体に何らかの細工を仕掛けることも考えられる。
冥府天縛を所有するキクガが罪人をあらかじめ拘束することでその仕掛けを無効化し、ついでに肉体から剥がれた魂が逃げないように冥府の法廷まで連行することが出来るという算段だ。確かにこれはキクガにしか出来ない仕事である。
――そこで、ふとある考えが脳内に浮上した。
「ロックハート最高裁判官殿」
「ルージュ、でいいんですの」
「ではルージュ君、質問がある訳だが」
「許可します。何ですの?」
紅茶で口腔内を湿らせてから、キクガは質問を彼女に投げかけた。
「刑が執行されたあとの罪人は、冥府転移門で冥府の法廷まで連行するという流れでいいかね?」
「問題ありません。むしろその流れの方が時間もかからずに済むんですの」
ルージュが肯定する。
何ということだろう、こんなにも都合のいい仕事があるだろうか。これは喜ばしいことである。非常に運がいい。
この仕事を利用することで、あの記録課課長をどうにか出来るかもしれない。上手いこと物事が運べばいいが――いいや、あの腐れ課長ならば絶対に餌に食いつくに違いない。
口元が綻びそうになるのを懸命に堪え、キクガは口を開く。
「その場合だと、こういう恐れがある訳だが」
キクガは慎重に、懸念事項をルージュに説明した。なるべく分かりやすい説明を心がけ、しかし相手が何をやっているのかは伏せて語る。
優雅に紅茶を飲みながら説明に耳を傾けていたルージュは、柳眉を寄せて「そうですの」と返す。それから彼女は何やら考える素振りを見せた。
やがて、答えがまとまったのか、ルージュの色鮮やかな赤い瞳がキクガを真っ直ぐに射抜く。
「そのような獄卒が存在するのは、こちらとしても看過できませんの。すぐに対処をしましょう」
「どのように?」
「話を聞く限りでは、多少の餌に食いつかせれば簡単ですの」
ルージュは人差し指と中指の2本を立てると、
「冥府総督府に戻ったら、冥王陛下にこうお伝えくださいですの。『死刑執行は2日間にかけて予定しております』と」




